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憎しみ2
しおりを挟むアトラスは、俺の首を絞めるように話を続けていく。
「あなたが俺を送った壁の外では、食べ物がありませんでした。人を信用することに疲れた俺は、そのうちわずかな食べ物を巡って殺し合いが始まるに違いないと思っていました。だけど、彼らは、俺に分けてくれました。みんな最初から、生きることを諦めたような顔をしていました。そして、みんなで一緒に死ねたらいいと言っている奴もいました。あなたみたいな人間には、理解できない感情でしょうね」
きっと、彼は、俺を傷つけたくてこんな話をするのだろう。彼の瞳は、宝石みたいに冷たいが、よく見ると炎みたいに怒りが燃えている。
「こんな俺にも、友達ができたんです。ミシェル、ルカ、アラン、ニーナ、トム、ジェシー……。彼らは、犯罪者でありながら、人を殺すような罪を犯したわけではなかった。お腹が空いてパンを盗んだ、兄弟に食べ物を買うために宝石を盗んだ、貴族の息子と寝たら屋敷の主人の怒りをかった、貴族に感染症を移した、妹の復讐をしようとしたなど、死ぬほどひどい罪を犯したわけではありませんでした。俺達は、家族のようでした。だけど、ミシェルが死に、足を痛めたニーナは置いて行かれ……、絵描きになりたいと夢見ていたトムは目の前でミイラのようになりました。アラン、ルカ、ジェシー……彼らは、俺が、気がついたときには、みんな醜い死体になっていました。あなたは、砂の怪物に殺された人間がどれほど醜い姿になるか見たことがありますか。さっきまで生きていた人間だと思えないほどカラカラに干からびた姿になるんです。彼らは、あんな風に死んでいい人間でではなかった」
そのシーンは、小説で読んだことがある。初めて読んだときは、あまりの展開に衝撃を受けた。続きが気になって夢中になって読んだことを、昨日のことみたいに覚えている。
実際に経験したアトラスは、地獄でしかなかっただろう。
「俺は、何度も地獄を味わいました。その度に、あなたのことを思い出しました。あなたを殺すまでは死ねない。あなたに復讐するまでは、死ねない。俺が地獄にいるとき、あなたは、どんな風に生きているか想像しました。きっと、今頃、俺のことなんて忘れて優雅に紅茶とスコーンでも食べているのだろうと。そんな想像をすると、胃酸を吐きそうになるほど気持ち悪くなりました」
アトラスは、胸に手を当てながら、俺を睨みつけながらそう言葉を吐き出す。
「俺は……」
アトラスの想像ほど、優雅な毎日を送っていたわけではない。しょっちゅうアトラスのことを思い出したし、ギロチンで首が切られる夢を見た。俺だって、罪悪感があったし、自分を責めて苦しい思いもした。
けれども、食べ物には困らなかったし、そんな風に、紅茶を飲みながらお菓子を食べた時だってある。そう思うと、喉に張り付いたように言い訳の言葉が、何一つ出てこなかった。
「あなたは、俺のことを思い出しましたか。もうどうせ死んでいるとでも、いや、死んでくれていた方がいいと思っていたでしょう。その方が、都合がいいですからね。俺の死でも、神様に祈っていたのでしょう。残念ながら、俺は、生きてあなたのところまで、戻ってきてしまいましたが」
「……違う。俺は、そんなこと祈っていなかった。お前のことも、生きていればいいって思っていた」
「どうして?俺が死んだ方が自分に都合がいいのに」
彼は、俺の顎をクイッと持ち上げ、意地悪そうに笑いながらそう冷たい温度のない声で問いかけた。
「……」
そうだ。
アトラスが死んだ方が、原作のハイデンにとっては都合がよかった。
「俺は、調査団を見送った時、あなたがどんな気持ちだったかと想像したことがあるんです。あの頃は、その数日後に、自分も突き落とされて壁の外に行くとは思っていませんでした」
普通は、誰だってそんな悲惨なことを想像しないだろう。
「あなたにとって、俺は、人間なんかじゃなかったんでしょう。おもちゃと捨てるように、いらなくなった靴を捨てるように、簡単に捨てられる道具でしかなかったんでしょう。物珍しさから優しくしていたが、鬱陶しくなったから処分した。そういうことでしょうか」
「……」
アトラスは、探るように俺の瞳をジッと見つめる。
俺は……何て言ったらいいのか、わからない。自分を守る言葉も、否定する言葉も、何も浮かばない。焦れば焦るほど、毛糸が絡まっていくように、様々な感情に囚われ身動きができなくなっていくようだ。
「あなたのような人間に理解できないでしょう。人を失う痛みも、自分の無力さを呪う痛みも……」
「俺だって、そういうことは感じたことがある」
前世、病院で仲良くなった友達が死んだときがある。その時、ものすごく悲しくて涙が止まらなかった。
「嘘だ!彼らのような純粋な人間ではなく、あなたのように自分のことしか考えない醜い人間が死ねばよかったんだ!!!」
突然、アトラスは、堪えていた怒りを爆発させるように、声を荒げてそう怒鳴り、俺の首に両手を伸ばした。
そして、怒りに任せて、俺の首をギリギリと締め上げていく。
「うぐっ……」
呼吸ができない。骨がきしむ音がする。
彼の手に自分の手を重ねて、彼の手を首から話そうとするが、びくともしない。
このまま死んでしまうと思うと怖くてたまらない。
嫌だ。やめてくれ……。
恐怖で涙が溢れてくる。視界が涙でぼんやりにじんでいく。
「うぐっ……うううっ……」
アトラスの手の力が、どんどん強くなっていく。
けれども、俺を殺す直前で、気が変わったように両手の力を緩めた。
「はあ、はあ、はあ……。ごほっ、はあ、はあ、はあ……」
ようやく空気が吸えた俺は、むせ込みながら必死で息をする。
アトラスは、恐怖で震えている俺を宝石のように温度を感じさせない冷たい目で見下ろしていた。
「ごめん。アトラス、ごめんなさい。俺……まだ死にたくないんだ……」
泣きながら、そう伝えるが、アトラスは、俺の言葉で表情を変えることはなった。
「どうせ生きてもその命をろくなことに使わないでしょう」
「そんなことはない。俺も……何かの役に立ちたいんだ。誰かを救う存在になりたい」
確かにアトラスを犠牲にして、生きようとした。
だけど、それは、街の皆を救う手段でもあったのだ。
俺は、本当は、英雄みたいになりたかったんだ。小説で読んだアトラスみたいに、なりたかった……。俺だって、好きでハイデンに生まれたわけじゃない。
誰が好きで、こんな悪役なんて演じるかよ。
「だけど、俺には、あなたを殺す権利があると思いませんか」
「俺は……お前を殺すつもりじゃなくて……」
「今更、何を言うつもりですか」
アトラスは、やれやれとでも言うように両手を広げた。
「あなたが、言っていたじゃありませんか。俺が嫌いだから、突き落としたと。俺は、あなたの言葉を何度も思い返していたのに、あなたは俺のことを忘れてしまったのでしょうか」
「……」
忘れたことなんてない。
忘れられたら、どんなによかっただろう。
「あなたにとって、俺は何でした?」
前世では、アトラスは、神様みたいな存在だった。自分以上に幸せになって欲しい存在だった。一番好きなキャラクターであり、誰よりも不幸な人生を歩んだ彼に何度も思いをはせた。アトラスの孤独を誰よりも理解したかったし、アトラスの痛みに寄り添いたかった。自分が辛いときは、アトラスはもっと辛かったと思うと、救われたような気分になれた。
だけど、俺は、自分が生き残るために、こいつを突き落とした。
……今の俺にとって、アトラスは、結局、自分が生き残るための道具だった。
友達になりたかったけれど、なれなかった。もっと別の道を歩みたかったけれど、俺はそっちを選べなかった。自分だけ平和なところでのうのうと生きて、こいつを地獄に送った。
「俺にとってお前は……道具だった」
「はっ。ストレス発散の道具だったんですか。飽きたら、簡単に捨てられる道具だったということですか」
「俺、死にたくなくて……」
「そこまでして生きたかったのかよ、この豚が!!!」
ああ、そうだ。
俺は、生きたかったんだ。
アトラスを聖剣のための道具と見て、調査団を見殺しにしてでも、生きたかったんだ。俺が、壁の外について知っていることを全て話せば、あの人たちは死ぬ必要はなかったかもしれない。それでも、言えなかったのは、原作通りに行動しなければ、聖剣が手に入らないんじゃないかと不安だったんだ。
俺は、自分が生き残るためにより確実な方法を取ったんだ。
死にたくなかったんだ。
死ぬのが怖かった。怖くて、怖くて、たまらなかった。
結局、自分のことしか考えられない臆病者なんだ。
アトラスは、俺の髪の毛を雑草でも抜くように引っ張りあげ俺と目線を合わせて、拷問でもするようにきつい口調で問いかけてくる。
「どうして、あの時、俺に優しくしたんですか。最初から、優しくして騙す予定だったんですか。自分をすっかり信用している俺を見て、あざ笑っていたんですか」
「……ごめんなさい。俺が悪かった。俺が悪かったんだ」
言葉にならない感情が、涙となって溢れてくる。
俺が間違っていた。
あの時、優しくしなければよかった。
こんなにアトラスを傷つけるくらいなら、原作通りのハイデンでいればよかった。
優しくしなければ、よかったのに。
「もう遅い。俺は、人の痛みなんて微塵もわからないお前をぐちゃぐちゃにしてやりたい‼」
アトラスは、俺の髪の毛を掴んでいた手を離し、胸ぐらをグッと掴んだあと、唇と唇をくっつけた。
ガツンと俺の歯とアトラスの歯がぶつかる。
「んんっ……」
何が起こっている?
俺は、キスされているのか。
何で?アトラスは、ついにおかしくなったのか。
それとも、俺を傷つけられるなら、手段を選ばないのか。
彼の唇は、火傷しそうになるくらい熱かった。
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