マスクマンが笑った

奥田たすく

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1回ウラ

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 弦の第一印象は、正直全くもって良くなかった。

 俺の地元はなかなかの田舎で、男に生まれたらとりあえず皆野球を始めるもんだったから、俺も何の疑いも持つことなく右にならえで気がつけば小学校のクラブチームで白球を追いかけていた。

 だから、一体どこがどう好きなんだと言われると困り果ててしまうが、まあちゃんと野球は好きだ。中学に上がってもそのまま学校の部活で野球を続けた。

 一方の弦は中学時代リトルシニアリーグでずっとやってたエリートだった。
 俺とはそもそも軟式か硬式かってところから違うから、同い年で近い地域で野球をしていたのに一度も顔を合わせたことが無かった。

 それでも弦の名前はちょくちょく耳にしていたから、たぶん結構な成績を残してたんだと思う。なんかすげぇヤツがいるんだな、くらいには思っていた。


 弦の顔を初めて拝んだのは今の高校に入学が決まった後、入学前にある野球部の顔合わせの時だ。

「高野弦っていたじゃん?」

 噂好きな中学からの部活仲間がスクールバスの中で嬉々として言った。

「アイツうちの高校来たらしいぜ」
「マジィ!?」

 バスの前の席から体をよじって違う奴がこちらを覗き込んで叫ぶ。声がデケェとは思ってたが、ソイツが声を上げていなければ多分俺が言っていたと思う。

 うちの高校は一応強豪校と言われるのだが、どうしても”一応”と付けてしまいたくなるのはまずうちの県が毎年どこの高校が甲子園に出場しても本当におかしくないような激弱地域だからだ。中学までに成績を残して有名になった選手はまず間違いなく大阪とか東京とか、強豪校ひしめく都会に根こそぎ連れていかれてしまう。
 弦に声がかかっていないはずがなかった。

「これ俺らの代いけんじゃないのぉ??」

 バスの中には今まで練習試合なんかで顔見知りだった奴も多く、誰ともなく声が浮つき始めて騒がしくなる。俺だって柄にもなく少し興奮してしまって、初日からバスの運転手にまとめて注意をされる羽目になった。


 少し離れたところにある野球グラウンドまで俺たちはぷらぷらと広がりながら歩いていたが、音が近づいてくるにつれて無駄口を叩いてた奴らも緊張に唾を飲んだ。
 校舎からグラウンドの入口に向かう道は丁度ブルペンのすぐ隣を通る。逆光の中見えるピッチャーがスッと足を上げ止まって、腕を振る。

 スパァァアン

「ヤッばいな」

 誰ともなく呟いた。中学野球では聞いたことのないような、高く突き上げる音が投球練習の球を受けるキャッチャーのミットから響いて俺たちの耳の中で反響した。

 いや、俺たちだって野球が好きな野球少年な訳で、高校野球の試合が近くの球場でやってるとなれば見に行ったりもする。
 それでもこんな欲しいところにガツンとくるような最高に気持ち良い音を、聞いたことあっただろうか。

「おい! 集合!!」

 思わず俺たちは足が止まっていたようで、当時のキャプテンの大声で我に返って走った。


 練習時間とか設備とか、くだらないローカルルールとか。
 そういうこの部活でやってくのに必要不可欠なものを一通り説明し終わるとキャプテンがブルペンの方へと声をかけた。さっき投球練習してたのはきっとエースだろう。あんな投球ができるなんて、と分かりやすい俺たちはもう一つ背筋を伸ばす。

「おい弦! 新入生来てんぞ」

 だが呼ばれたのはキャッチャーの方だった。キャッチャーマスクを外しながら小走りでこちらに長身細見の選手が駆け寄ってくる。

 俺はこう見えて小学校時代はピッチャーをやらされていた。まあ中学に上がってからはどう考えてもピッチャーというタイプじゃなかったから早々に内野手に転向したんだが、あの頃すげぇ痛感したことを今さら思い出した。

 捕球音の良し悪しはキャッチャーの実力が8割だ。
 ソイツが眉をにゅっと上げて、俺たちに頭を下げる。
 
「――中学出身の、シニアでやってた高野弦です。これからよろしく」

 少し枯れたハスキーボイス。体育会系らしいイントネーションの崩れた敬語。
 弦は推薦入学で、俺たち一般入試組よりも早くから野球部の練習に参加していた。そのキッチリカッチリした礼を前に俺たちの半分は抑えきれず目を輝かせ、残る半分は顔を強張らせながらバラバラと頭を下げ返す。
 おそらくこの時点で、俺たちのほとんどがコイツには勝てないと気付いていた。

 俺は一瞬出遅れて帽子を取って会釈をする。
 もちろんあの音を鳴らしていたのが同い年のチームメイトだったということへの驚きもあったが、それよりも俺は恐怖の方が大きかった。首がすくんで、血が腰の方まで引いていくのを感じる。一旦目線を外したらもう元に戻せなかった。瞬きを繰り返すと視界が小刻みに揺れる。口の中が気持ち悪い唾液でいっぱいになる。

 やがて弦がマスクを被りなおしてブルペンへと駆けて行った。それでもまだ、俺はそこから動けなかった。

 弦には顔が無かった。
 唯一、濃い眉毛だけを残して。
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