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第2章 皇子の後宮と呪い
第21話 アーキルの異変
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「リズワナ! どこだ!」
青ざめた顔、曇った瑠璃色の瞳。
数日ぶりに見るアーキルからは、いつもの余裕が消えていた。額には冷や汗を浮かべ、縋るような目で螺旋階段を駆け降りて来る。
「アーキル!」
私は思わず牢の格子を両手で掴み、力いっぱい左右に広げた。
ブォンッという音と共に格子はねじ曲がり、私はその広がった隙間から外に抜け出る。
アーキルの後ろを追って降りて来た見張りの男は、私の格子をも曲げた馬鹿力を見て、目玉が転げ落ちそうなほど驚いている。
階段から転げ落ちるようにくずおれたアーキルに向かって両腕を差し出し、何とか体を抱き止める。そのまま私たちは二人揃って階段の途中に座り込んだ。
私の腕の中で、アーキルの体は小刻みに震えている。
「どうしました? アーキル!」
「……リズワナ、すまない。こんなところにいるとは知らなかった」
「いえ、私も約束していたのに不在にして申し訳ありません。アーキル、早く部屋へお戻りください。とても調子が悪そうですし……」
「お前をここに連れて来た者を必ず罰する。俺は、俺は……! とにかくお前も早く来い、ここを出る」
尋常ではない様子のアーキルの姿に、後ろにいた見張りの男も動揺して震えている。何かに怯えるアーキルの姿は、まるで獅子に睨まれた兎のようだ。こんな姿を多くの人に見られては、皇子としての沽券にかかわるではないか。
(もしかしてこれも不眠の呪いの影響なの? とにかく、早くアーキルの部屋に連れて行って医者に診せなきゃ)
「……見張りさん!」
「なっ、なんだ!」
「アーキル殿下がお風邪を召されたかもしれません、熱が上がって寒気を感じていらっしゃるみたいで。寝所にお連れしていいですか?」
「お前はここから出ては駄目だ! 俺が殿下をお連れする」
「でも、見張りさんはハレムには入れませんよね?」
「それはそうだが……」
螺旋階段の手すりを握りしめてモゴモゴとどっちつかずの見張りの男に向かって、私は畳みかけるように叫ぶ。
「早く! 取返しのつかない状況になったら貴方の責任になりますよ!」
「ひっ、それは……!」
「そこをどいてください!」
アーキルの左腕を肩に回すと、私はアーキルを立たせて階段を登り始める。
顔を歪めたアーキルは、はあはあと荒い息遣いのまま見張りの男を横目で睨みつけた。
「そこをどけと……言っているだろう! リズワナを牢に入れた奴を探し出して罰してやる……! ブルハンに伝えろ」
「アーキル、そんなことは後で。とにかく早く外へ出ましょう。私の肩に体重を預けてください」
アーキルの言葉を聞いて、見張りの男もようやく道を開けた。
私たちはその横を抜けて何とか階段を昇りきり、地下牢のある建物の外に出る。
辺りはもうすっかり夜で、月も高く昇っていた。いつもならルサードの毛に包まれて眠っている時間だ。
少し歩くと、離れた場所にある宮殿の灯りとは別にランプの光が一つ、ゆらゆらとこちらに近付いて来た。
「リズワナ!」
私の名を呼んだのは、アーキルの従者のカシム様だった。少し離れた場所で控えていたようで、アーキルと私の姿を見つけて駆け寄って来る。
「カシム様! アーキル殿下はこちらです!」
アーキルに付き添って来たのがカシム様で良かった。私の馬鹿力を知られているカシム様ならば、この後の話が早い。
「カシム様。アーキルの様子がおかしいので、お医者様を呼んでいただけますか?」
「あ、いえ……リズワナ。実は殿下はご病気ではなくて……その、夜なので」
(夜なので……って、やっぱりこれは呪いの影響なんだわ。カシム様も呪いのことを知っているのね)
不眠の呪いの影響ならば、早く寝所に戻ってアーキルを眠らせるほかない。
「カシム様、私がハレムのアーキルの部屋までお連れしようと思います」
「リズワナ。ありがとうございます。貴女なら殿下を眠らせることできますよね?」
もちろんです、という意味を込めて頷き、私はアーキルを背中におぶった。
夜の闇に紛れてちょうど良い。今のうちにハレムまでアーキルを連れて急ごう――
三日間も牢に閉じ込められていた疲れも忘れ、私はアーキルをおぶったまま宮殿内を走り抜けた。
「リズワナ……お前の部屋でいい……」
ハレムに入り大回廊まで来ると、アーキルはそう言って私の背中から降りる。足はふらつき、顔は相変わらず青ざめている。
「ゆっくりお休みになった方がいいと思います。アーキルの寝所の方がいいのでは?」
「いや、お前の部屋に……ルサードもそこにいる」
「あっ、そう言えばルサード! すっかり忘れてた!」
ハレムの回廊に私の大声が響いた。驚いたアーキルが、すぐに私の口を塞ぐ。
「……安心しろ。お前が牢にいる間、ルサードは部屋の隅で隠れて過ごしていたようだ。とにかく、早くお前の部屋へ」
「分かりました、さあこちらへ」
アーキルに肩を貸し、私の部屋の前まで歩く。
途中で何人かの女官や宦官とすれ違ったが、殿下の前では皆が道を開けて頭を下げる。
牢から抜け出した私を見ても咎めないということは、アーキルが何か裏で手を回したのだろう。
無実の罪を着せられるのもいい気はしないので、誤解が解けたのなら良いのだが――逆に、ザフラお姉様は罰を受けたりしていないだろうか。
私が牢にいた三日間に何が起こったんだろう。
アーキルに聞いてみたいが、彼は今、明らかにそれどころではない状態だ。
横にいるアーキルの顔を見上げると、瑠璃色の瞳は完全に輝きを失ってくすんでいた。
青ざめた顔、曇った瑠璃色の瞳。
数日ぶりに見るアーキルからは、いつもの余裕が消えていた。額には冷や汗を浮かべ、縋るような目で螺旋階段を駆け降りて来る。
「アーキル!」
私は思わず牢の格子を両手で掴み、力いっぱい左右に広げた。
ブォンッという音と共に格子はねじ曲がり、私はその広がった隙間から外に抜け出る。
アーキルの後ろを追って降りて来た見張りの男は、私の格子をも曲げた馬鹿力を見て、目玉が転げ落ちそうなほど驚いている。
階段から転げ落ちるようにくずおれたアーキルに向かって両腕を差し出し、何とか体を抱き止める。そのまま私たちは二人揃って階段の途中に座り込んだ。
私の腕の中で、アーキルの体は小刻みに震えている。
「どうしました? アーキル!」
「……リズワナ、すまない。こんなところにいるとは知らなかった」
「いえ、私も約束していたのに不在にして申し訳ありません。アーキル、早く部屋へお戻りください。とても調子が悪そうですし……」
「お前をここに連れて来た者を必ず罰する。俺は、俺は……! とにかくお前も早く来い、ここを出る」
尋常ではない様子のアーキルの姿に、後ろにいた見張りの男も動揺して震えている。何かに怯えるアーキルの姿は、まるで獅子に睨まれた兎のようだ。こんな姿を多くの人に見られては、皇子としての沽券にかかわるではないか。
(もしかしてこれも不眠の呪いの影響なの? とにかく、早くアーキルの部屋に連れて行って医者に診せなきゃ)
「……見張りさん!」
「なっ、なんだ!」
「アーキル殿下がお風邪を召されたかもしれません、熱が上がって寒気を感じていらっしゃるみたいで。寝所にお連れしていいですか?」
「お前はここから出ては駄目だ! 俺が殿下をお連れする」
「でも、見張りさんはハレムには入れませんよね?」
「それはそうだが……」
螺旋階段の手すりを握りしめてモゴモゴとどっちつかずの見張りの男に向かって、私は畳みかけるように叫ぶ。
「早く! 取返しのつかない状況になったら貴方の責任になりますよ!」
「ひっ、それは……!」
「そこをどいてください!」
アーキルの左腕を肩に回すと、私はアーキルを立たせて階段を登り始める。
顔を歪めたアーキルは、はあはあと荒い息遣いのまま見張りの男を横目で睨みつけた。
「そこをどけと……言っているだろう! リズワナを牢に入れた奴を探し出して罰してやる……! ブルハンに伝えろ」
「アーキル、そんなことは後で。とにかく早く外へ出ましょう。私の肩に体重を預けてください」
アーキルの言葉を聞いて、見張りの男もようやく道を開けた。
私たちはその横を抜けて何とか階段を昇りきり、地下牢のある建物の外に出る。
辺りはもうすっかり夜で、月も高く昇っていた。いつもならルサードの毛に包まれて眠っている時間だ。
少し歩くと、離れた場所にある宮殿の灯りとは別にランプの光が一つ、ゆらゆらとこちらに近付いて来た。
「リズワナ!」
私の名を呼んだのは、アーキルの従者のカシム様だった。少し離れた場所で控えていたようで、アーキルと私の姿を見つけて駆け寄って来る。
「カシム様! アーキル殿下はこちらです!」
アーキルに付き添って来たのがカシム様で良かった。私の馬鹿力を知られているカシム様ならば、この後の話が早い。
「カシム様。アーキルの様子がおかしいので、お医者様を呼んでいただけますか?」
「あ、いえ……リズワナ。実は殿下はご病気ではなくて……その、夜なので」
(夜なので……って、やっぱりこれは呪いの影響なんだわ。カシム様も呪いのことを知っているのね)
不眠の呪いの影響ならば、早く寝所に戻ってアーキルを眠らせるほかない。
「カシム様、私がハレムのアーキルの部屋までお連れしようと思います」
「リズワナ。ありがとうございます。貴女なら殿下を眠らせることできますよね?」
もちろんです、という意味を込めて頷き、私はアーキルを背中におぶった。
夜の闇に紛れてちょうど良い。今のうちにハレムまでアーキルを連れて急ごう――
三日間も牢に閉じ込められていた疲れも忘れ、私はアーキルをおぶったまま宮殿内を走り抜けた。
「リズワナ……お前の部屋でいい……」
ハレムに入り大回廊まで来ると、アーキルはそう言って私の背中から降りる。足はふらつき、顔は相変わらず青ざめている。
「ゆっくりお休みになった方がいいと思います。アーキルの寝所の方がいいのでは?」
「いや、お前の部屋に……ルサードもそこにいる」
「あっ、そう言えばルサード! すっかり忘れてた!」
ハレムの回廊に私の大声が響いた。驚いたアーキルが、すぐに私の口を塞ぐ。
「……安心しろ。お前が牢にいる間、ルサードは部屋の隅で隠れて過ごしていたようだ。とにかく、早くお前の部屋へ」
「分かりました、さあこちらへ」
アーキルに肩を貸し、私の部屋の前まで歩く。
途中で何人かの女官や宦官とすれ違ったが、殿下の前では皆が道を開けて頭を下げる。
牢から抜け出した私を見ても咎めないということは、アーキルが何か裏で手を回したのだろう。
無実の罪を着せられるのもいい気はしないので、誤解が解けたのなら良いのだが――逆に、ザフラお姉様は罰を受けたりしていないだろうか。
私が牢にいた三日間に何が起こったんだろう。
アーキルに聞いてみたいが、彼は今、明らかにそれどころではない状態だ。
横にいるアーキルの顔を見上げると、瑠璃色の瞳は完全に輝きを失ってくすんでいた。
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