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第3章 縮まる距離
第31話 脱出失敗
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しばしの作戦会議の後、私とルサードは意を決して石扉の前に立った。
入った時と同じように魔石をかざして扉が開くのを待ち、私が先に部屋を出る。
(いたわ、カシム様)
カシム様は、頬杖をつきながら机の上のランプの下で本を読んでいた。私が石扉から出て来たことに気が付いて、手元の本をパタリと閉じて立ち上がる。
「……リズワナ。待ちくたびれましたよ。随分と遅かったじゃないですか」
「申し訳ありませんでした。もしかして、退屈してました?」
「はあ? 何を気にしてるんですか?」
「いえ、ごめんなさい。何でもないです」
またしても目の奥だけ怒っているカシム様としっかりと目を合わせたまま、私はゆっくりとカシム様の周りを半円を描くように反対側まで歩く。カシム様は私の動きに合わせて体の向きを変え、最後は石扉の方に背を向ける形になった。
(ルサード、今のうちよ)
カシム様の目を盗んでこっそり目配せすると、石扉の側で息をひそめていた白獅子姿のルサードが、ゆっくりとこちら側に出て来る。
ルサードの体が完全にくぐり終わると、大きな石扉は自動的に音を立てて閉まった。
(――ギギイィ)
「うわあぁっ! ぐうぉっほん!! ぶえっくしょい!」
石扉の音に反応して後ろを振り向こうとしたカシム様を止めるため、私は思いっきりくしゃみの真似をして気を引いた。
「……あなたもアーキル殿下の寵姫なら、咳とくしゃみはもう少し上品にお願いできますか?」
「うわぁ、ごめんなさい。バラシュの田舎者ってこれだから本当に嫌ですよね」
大げさにズビズビと鼻をすすって見せると、カシム様は嫌そうな顔で苦笑した。
「それにしても、カシム様。こんなに長い時間、何をなさってたんですか?」
「僕も色々と忙しいのでね。ここで仕事をしていました。ちょうど必要な資料もありましたし」
「カシム様はアーキルの従者でもあるけど、文官でもありますもんね」
「はい。アーキル殿下から助言を求められることもあるので、時間を見つけていつも学んでいます」
「へえ……! 常に学び続けるだなんて、カシム様って本当に素晴らしいですね!!」
わざとらしくカシム様を褒めたたえながら、私はルサードに視線を送る。
ルサードが図書館の建物の出口に向かって歩を進めるのに合わせて、私はルサードがカシム様の背中側になるように、再び半円を描きながら少しずつ移動していく。
「いつもカシム様は、どんな勉強をなさっているんですか?」
「そうですね。例えば今は、呪いのこととかでしょうか」
「……呪いのこと!? まさか、アーキルにかけられた呪いのことを調べているんですか?」
「ええ。アーキル殿下は生まれた時から呪われていました。ということは、前世で何者かに呪われた可能性が高いのではないか……というところまでは分かりました」
カシム様は私の反応を窺うように、じっと私の顔を覗き込む。
(前世……)
またしても、前世の話だ。
カシム様といい、ファイルーズ様といい、私との会話のあちらこちらに前世という言葉が登場するのは偶然だろうか。
アディラ・シュルバジーの生まれ変わりである私。
そして、ナジル・サーダの生まれ変わりであるアーキル。
(前世という言葉を口にするカシム様やファイルーズ様も、もしかして前世の記憶を持っている?)
悩む私の視線の先で、ルサードがそろそろと出口に近付いて行く。
あと少し。もう少しでルサードは無事に誰にも見つからずに外に出られそうだ。
「カシム様。アーキルは一体、誰から呪われたのでしょう? そもそも呪いをかけることができるのはナセル出身の者しかあり得ません。アザリムの者は魔法が使えませんから、呪うことだってできませんよね」
「ナセルの者が殿下を呪ったと? 魔法を悪用したということを仰っていますか?」
「ええ、だってそうとしか……」
「リズワナ。僕は何度も言いましたよね。ファイルーズ様に敬意を払うようにと。ファイルーズ様がどこのご出身か、貴女もご存知のはずですよ」
ファイルーズ様のことなんて話題にしていないのに、どうもカシム様はファイルーズ様のことになるとうるさい。
(アーキルが呪われたのが前世の出来事なんだとしたら、ファイルーズ様は関係ないじゃない。むしろ前世でナジルの側にいた唯一のナセル出身者と言えば――)
前世を思い出そうとしている私の前で、カシム様は火が付いたように怒っている。
「リズワナ! 僕の話を聞いていますか!?」
「別に私は、ナセルを悪く言いたかったわけではありません。ファイルーズ様のことだってそうです。でも、呪いをかけたり呪いを解いたり……そんなことが魔法によってできるのなら、逆にナセルの魔法の力を使ってアーキルの呪いを解くこともできるんじゃないかと思ったんです。それこそファイルーズ様のお力をお借りして」
「しかしね、リズワナ」
カシム様が一歩近付き、私の両腕を掴む。
そこで、あともう少しで外に出られそうだったはずのルサードが、敷居の木を踏んで音を立ててしまった。
メキメキッと鳴った音に、カシム様はルサードの方に振り返る。
その瞬間――私はカシム様の背後から、右手で彼の首に一撃を入れた。
「うっ……!」
うめき声と共に、カシム様は意識を失って倒れ込む。
頭を打たぬように咄嗟にカシム様の腕を掴むと、私は彼をゆっくりと床に寝かせた。
(やっちゃった……!)
いくらルサードの秘密を知られそうになったからといって、アーキルの従者を気絶させたなんて知られたら、ハレム中が大騒ぎだ。
衣の胸元を掴んで軽く揺すりながらカシム様の名前を呼んでみるが、彼は目を開けない。
「……私ったら、大変なことをしちゃったわ」
『殺したのか?』
「そんなわけないでしょう!? 明日の朝くらいには目を覚ますと思う。力を加減したから。とりあえず、ルサードはすぐに外に出て、裏側から回り込んで部屋に戻って。見つからないように気を付けてね」
ルサードを送り出し、一息ついて、私は倒れているカシム様の側に座る。
(さて、どうやってハレムまで連れて戻ろうか)
カシム様一人くらいなら、肩に担いで運ぶことくらい造作もない。幸い日も落ちて外は薄暗いから、こっそり誰にも見られず運べる気もする。
ハレムの側まで近付いたらカシム様を下ろし、悲鳴の一つでも上げれば誰かが助けに来るだろう。
(よし、そうしよう)
カシム様の上衣の胸元を掴み、力を入れて体を持ち上げてみる。アーキルに比べれば、文官で体も鍛えていないカシム様など空気も同然の軽さだ。
「これなら、簡単に肩に担げそう……って、これは何かしら?」
私が上衣を引っ張ったからか、少しカシム様の胸元が崩れた。
その隙間から、見たことのあるアザが覗いたように見えた。
ナジル・サーダの胸元にあった、獅子の青白いアザ。ナジルの生まれ変わりであるアーキルの胸にも同じアザがあった。それなのに……
(カシム様にも同じアザが……?)
もう一度確認しようと、私はカシム様のベルトに手をかけた。
入った時と同じように魔石をかざして扉が開くのを待ち、私が先に部屋を出る。
(いたわ、カシム様)
カシム様は、頬杖をつきながら机の上のランプの下で本を読んでいた。私が石扉から出て来たことに気が付いて、手元の本をパタリと閉じて立ち上がる。
「……リズワナ。待ちくたびれましたよ。随分と遅かったじゃないですか」
「申し訳ありませんでした。もしかして、退屈してました?」
「はあ? 何を気にしてるんですか?」
「いえ、ごめんなさい。何でもないです」
またしても目の奥だけ怒っているカシム様としっかりと目を合わせたまま、私はゆっくりとカシム様の周りを半円を描くように反対側まで歩く。カシム様は私の動きに合わせて体の向きを変え、最後は石扉の方に背を向ける形になった。
(ルサード、今のうちよ)
カシム様の目を盗んでこっそり目配せすると、石扉の側で息をひそめていた白獅子姿のルサードが、ゆっくりとこちら側に出て来る。
ルサードの体が完全にくぐり終わると、大きな石扉は自動的に音を立てて閉まった。
(――ギギイィ)
「うわあぁっ! ぐうぉっほん!! ぶえっくしょい!」
石扉の音に反応して後ろを振り向こうとしたカシム様を止めるため、私は思いっきりくしゃみの真似をして気を引いた。
「……あなたもアーキル殿下の寵姫なら、咳とくしゃみはもう少し上品にお願いできますか?」
「うわぁ、ごめんなさい。バラシュの田舎者ってこれだから本当に嫌ですよね」
大げさにズビズビと鼻をすすって見せると、カシム様は嫌そうな顔で苦笑した。
「それにしても、カシム様。こんなに長い時間、何をなさってたんですか?」
「僕も色々と忙しいのでね。ここで仕事をしていました。ちょうど必要な資料もありましたし」
「カシム様はアーキルの従者でもあるけど、文官でもありますもんね」
「はい。アーキル殿下から助言を求められることもあるので、時間を見つけていつも学んでいます」
「へえ……! 常に学び続けるだなんて、カシム様って本当に素晴らしいですね!!」
わざとらしくカシム様を褒めたたえながら、私はルサードに視線を送る。
ルサードが図書館の建物の出口に向かって歩を進めるのに合わせて、私はルサードがカシム様の背中側になるように、再び半円を描きながら少しずつ移動していく。
「いつもカシム様は、どんな勉強をなさっているんですか?」
「そうですね。例えば今は、呪いのこととかでしょうか」
「……呪いのこと!? まさか、アーキルにかけられた呪いのことを調べているんですか?」
「ええ。アーキル殿下は生まれた時から呪われていました。ということは、前世で何者かに呪われた可能性が高いのではないか……というところまでは分かりました」
カシム様は私の反応を窺うように、じっと私の顔を覗き込む。
(前世……)
またしても、前世の話だ。
カシム様といい、ファイルーズ様といい、私との会話のあちらこちらに前世という言葉が登場するのは偶然だろうか。
アディラ・シュルバジーの生まれ変わりである私。
そして、ナジル・サーダの生まれ変わりであるアーキル。
(前世という言葉を口にするカシム様やファイルーズ様も、もしかして前世の記憶を持っている?)
悩む私の視線の先で、ルサードがそろそろと出口に近付いて行く。
あと少し。もう少しでルサードは無事に誰にも見つからずに外に出られそうだ。
「カシム様。アーキルは一体、誰から呪われたのでしょう? そもそも呪いをかけることができるのはナセル出身の者しかあり得ません。アザリムの者は魔法が使えませんから、呪うことだってできませんよね」
「ナセルの者が殿下を呪ったと? 魔法を悪用したということを仰っていますか?」
「ええ、だってそうとしか……」
「リズワナ。僕は何度も言いましたよね。ファイルーズ様に敬意を払うようにと。ファイルーズ様がどこのご出身か、貴女もご存知のはずですよ」
ファイルーズ様のことなんて話題にしていないのに、どうもカシム様はファイルーズ様のことになるとうるさい。
(アーキルが呪われたのが前世の出来事なんだとしたら、ファイルーズ様は関係ないじゃない。むしろ前世でナジルの側にいた唯一のナセル出身者と言えば――)
前世を思い出そうとしている私の前で、カシム様は火が付いたように怒っている。
「リズワナ! 僕の話を聞いていますか!?」
「別に私は、ナセルを悪く言いたかったわけではありません。ファイルーズ様のことだってそうです。でも、呪いをかけたり呪いを解いたり……そんなことが魔法によってできるのなら、逆にナセルの魔法の力を使ってアーキルの呪いを解くこともできるんじゃないかと思ったんです。それこそファイルーズ様のお力をお借りして」
「しかしね、リズワナ」
カシム様が一歩近付き、私の両腕を掴む。
そこで、あともう少しで外に出られそうだったはずのルサードが、敷居の木を踏んで音を立ててしまった。
メキメキッと鳴った音に、カシム様はルサードの方に振り返る。
その瞬間――私はカシム様の背後から、右手で彼の首に一撃を入れた。
「うっ……!」
うめき声と共に、カシム様は意識を失って倒れ込む。
頭を打たぬように咄嗟にカシム様の腕を掴むと、私は彼をゆっくりと床に寝かせた。
(やっちゃった……!)
いくらルサードの秘密を知られそうになったからといって、アーキルの従者を気絶させたなんて知られたら、ハレム中が大騒ぎだ。
衣の胸元を掴んで軽く揺すりながらカシム様の名前を呼んでみるが、彼は目を開けない。
「……私ったら、大変なことをしちゃったわ」
『殺したのか?』
「そんなわけないでしょう!? 明日の朝くらいには目を覚ますと思う。力を加減したから。とりあえず、ルサードはすぐに外に出て、裏側から回り込んで部屋に戻って。見つからないように気を付けてね」
ルサードを送り出し、一息ついて、私は倒れているカシム様の側に座る。
(さて、どうやってハレムまで連れて戻ろうか)
カシム様一人くらいなら、肩に担いで運ぶことくらい造作もない。幸い日も落ちて外は薄暗いから、こっそり誰にも見られず運べる気もする。
ハレムの側まで近付いたらカシム様を下ろし、悲鳴の一つでも上げれば誰かが助けに来るだろう。
(よし、そうしよう)
カシム様の上衣の胸元を掴み、力を入れて体を持ち上げてみる。アーキルに比べれば、文官で体も鍛えていないカシム様など空気も同然の軽さだ。
「これなら、簡単に肩に担げそう……って、これは何かしら?」
私が上衣を引っ張ったからか、少しカシム様の胸元が崩れた。
その隙間から、見たことのあるアザが覗いたように見えた。
ナジル・サーダの胸元にあった、獅子の青白いアザ。ナジルの生まれ変わりであるアーキルの胸にも同じアザがあった。それなのに……
(カシム様にも同じアザが……?)
もう一度確認しようと、私はカシム様のベルトに手をかけた。
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