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26 貴方を主人と決めた時②

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「ユンネ・ファバーリア侯爵夫人でしょうか?」

 単刀直入に尋ねる。このファバーリア領に長くいたソマルデが全く知らない顔だった。侯爵夫人である可能性が高い。
 彼は細目を垂らしてニコリと笑った。

「…久しぶりに夫人と言われたよ。」

 漸く会えた本物に、ソマルデはホッとした。
 そしてこの人は噂通りの人ではないと思った。
 悪妻?散財家?遊び歩いて平気で浮気をする?
 そんなバカな!
 これは直感だ。違うと。
 
 しかし何故、騎士学校の制服を着ている?
 時期的にちょうど学年末が終わった頃だ。通ってたのか?侯爵夫人が?年齢から考えれば卒業した頃になる。

 ユンネ・ファバーリアはまた本邸の方を見た。
 見ながらソマルデに話し掛ける。

「貴方は誰?」

「私は以前このお屋敷で働いておりました、ソマルデと申します。侯爵夫人にお会いしたいと何度かこの屋敷を訪れたのですが、いつもご不在でした。漸くお会い出来て嬉しく思います。」

 ユンネ・ファバーリアは暫く考えて、ああ、と頷いた。
 こちらを少し振り返って、笑い返してくる。

「聞いたことがあるね。ここに来て直ぐの頃、凄く優秀な執事長が居たって。貴方か。」

「光栄で御座います。」

 そうかぁ、と言いながら、また本邸の方を見てしまった。
 何をしているのだろう?

「ねぇ、貴方は俺の噂を知ってるの?」

 流石に返事にきゅうした。
 だがそれが答えになった。

 風が抜け、ユンネ・ファバーリアのフワリとした髪を揺らしていた。夕焼け色が髪に映り、本当に炎が燃えているようだ。
 その穏やかな話し方にも、優し気な雰囲気にも似合わない、静かな物言わぬ迫力に、ソマルデは固唾を飲んでベランダの手摺に座るユンネ・ファバーリアの言葉を待った。

「ここは現実で、俺達は確かに生きているのに、なんで決められた通りにしか進まないんだろう。」

 ソマルデに聞いている言葉ではないと思った。
 誰にともなく、呟かれた疑問。

「それは、どういう意味でしょうか?」

「近付かなければ大丈夫だと思ったけど、どうなんだろう?ファバーリア侯爵はもしこの現状を知ったらどうされるかな?」

「それは、勿論彼等を捉え、罰を与えることになるでしょう。お怒り次第ではその場で処刑されてもおかしくありません。」

「…………そっか、処刑………。というか、俺がやってるんじゃないって貴方は知ってるんだね。」

 ユンネ・ファバーリアの表情が暗くなる。
 表情の分かりにくそうな顔立ちをしているが、意外と分かりやすい。

「はい、私も手伝いますから、エジエルジーン様に報告致しましょう!」

 ユンネ・ファバーリアは困ったように首を傾げた。

「……どうだろう?上手くいくのかな?」

「私はエジエルジーン様との付き合いも長いのです。きっと信じてくださいます。」

 うん、と頷ずく表情は、どこか信じきれずにいるようだ。
 
「そっか……でも、ごめんね。俺はそれよりも、もういっそのこと全て俺が片付けた方がいいのかなと思ったんだ。」

 腰に下げたポーチから丸い輪っかを取り出した。
 あまりそれを使う人間はいないが、ソマルデも一応その武器を知っていた。
 殺傷能力というよりも、遠くに飛ばす意図が強い円月輪という武器だ。
 何枚かポーチに入っているのか、カチャリと刃の合わさる音がした。

 ユンネ・ファバーリアはニコッと笑って、その円月輪を空高く投げた。
 夕日の光が刃に反射する。

「いっそのこと、今すぐ皆んな死ねば良くないかな?」

 ソマルデはその一言を聞いて目を見開いた。
 それではダメだ!

「いけません!!!」

 声に力を乗せる。
 そんなことをしては、今悪い噂の多い侯爵夫人が、無意味に大量虐殺をした事になる!
 たった一枚の円月輪を空に放ったくらいで、何故大量殺人を侵せるのだと思ったのか分からないが、何故か出来るのだと直感で悟った。

 ソマルデの大声で、ユンネ・ファバーリアは驚いた。
 
 その時、空には無数の円月輪が浮いていた。
 あんな遠くまで何故と思ったが、空一面に無数の刃が浮かび、ソマルデに恐怖を湧き上がらせる。
 夕日の光を遮り、雲のように影を落とし、死神の鎌のように侯爵家の敷地を覆い尽くす丸い狂気。

 それも一瞬のことで、フッと無数の円月輪は姿を消した。
 シュルルルと音を立てて、最初に投げだ円月輪が一枚落ちてきて、ドスンと庭に突き刺さる。
 投げる時に持っていた持ち手がパカリと開き、中から紫色の粉がポプンと拡がり風に流された。
 側にあった草木が萎れていく。
 地面も黒ずみだした。

「なんでダメなの?」

 ソマルデの心音はドクドクと鳴っていた。
 あれが落ちたらどうなっていた?
 ユンネ・ファバーリアのスキルは『複製』だった。紙一枚くらいしか作り出せないはずの弱いスキル。それが何故、あんなにも無数の、しかもそこそこ重さのある円月輪を一瞬で作り出せた?

「…だ、ダメです。貴方が今あの者達を殺しても、何の解決にもなりません。エジエルジーン様の手で明らかにし、法で裁かねばなりません。そうでなくてはファバーリア侯爵家の評判が地に落ちます。」

 ユンネ・ファバーリアは暫く考えて、諦めたようだ。

「そっか……。残念。俺がもう今った方が簡単かと思ったのに。」

 悪びれなくそう言った。
 無邪気とさえ言えるくらいに、軽い狂気が見える。

「私が手伝います。だから、一旦私と共に王都に帰還したエジエルジーン様に会いに行きましょう。」

 ソマルデは泣きたくなった。
 何故、自分はエジエルジーン様に侯爵夫人の補佐について欲しいと頼まれた時、了承しなかったのか。
 スキルを持っていても、彼が貴族の出だとしても、受けるべきだった。
 
 彼は恐らく何もやっていない。
 贅沢も、名声も、人の評価も、どうでもいいと思う人格に見えた。

 あのソフィアーネ毒婦がファバーリア侯爵夫人に成り代わって、その存在を穢したのだ。
 許せなかった。
 そして、長年勤め上げ、誠心誠意仕えた歴代の侯爵家当主に、エジエルジーン様に申し訳なかった。
 自分が残って留守を預かれば、侯爵夫人があんな女に権利を奪われることも無かったかもしれないのに。

 ユンネ・ファバーリアはゆっくりと座っていた手摺から降り、佇んでいたソマルデの下まで歩いて来た。
 室内に入り夕日の影に入ると、その髪色は灰色に見えた。
 薄い唇が口角を上げ笑みに変わる。
 近くで見ると、笑う姿は幼く愛嬌があった。
 
 ツウーーーー、と唇の端から赤い線が落ちる。

 ポタタ、と固い床に落ちて、ソマルデは目を見開いた。
 開かれた口の中は真っ赤だ。

「……残念。もう無理そうだよ。」

 朗らかに笑いながら、ユンネ・ファバーリアは血を吐いた。

「…………!?!?」

 咄嗟に毒だと判断する。
 倒れる細い身体を抱き止めて、ソマルデは一瞬で判断した。
 ソマルデはずっと旅をする事で、あらゆる薬を持ち歩くようになっていた。特に解毒薬は基本の種類以外にも、幾つか効果の高いものを常備している。
 辺境に行けば行くほど買い付ける場所も無いからだ。
 普段から最低限の荷物を持ち歩く癖はあるが、今日は忍び込むつもりで来たので、宿は引き払い見つかった時の逃走の為に、全て持ち歩いていたから良かった。

 ユンネ・ファバーリアをベッドに寝かせて、症状から解毒薬を選んでいく。
 意識が無くなり体温が落ちてきた。急いで口の中を洗い出来るだけ吐かせる。

 医学知識はかじった程度。だが経験と勘から何とか処置し、持ち直して来た。
 命を繋げた事にひとまず安堵する。
 後は目が覚めるかどうかだ。


 もっとかかるかと思っていたが、ユンネ・ファバーリアは一週間で目が覚めた。
 彼からは記憶が抜け落ちていた。
 内臓や食道は毒で焼けた為喋れず、暫くは表情を読むことで意思疎通を図り治癒に専念した。
 本邸にいる公爵令嬢には、侯爵夫人に許可をとり侍従となることを宣言して来た。給料は夫人から直接もらうので不要とも。
 ファバーリア侯爵家の家紋が入った雇用契約書を持ち出してきたが、私が今から仕えるのはユンネ・ファバーリア個人であって侯爵家では無い。勿論突き返してきた。
 給料も特には要らなかったので、ユンネ様本人にはその事を伝えなかった。
 
 ユンネ様が毒を飲んで敷地にいる人間全てを殺害しようとした事実を伏せる為に、毒を飲んで倒れていた所を私が発見してお世話することになったと伝えた。
 記憶がないのならそのままがいい。
 こんな腐った侯爵家を捨て、エジエルジーン様と離婚したいと言うのならした方がいい。
 老いたとはいえまだまだ私も動ける。どこか行きたいと言うのなら、旅慣れた私がいた方がいいだろう。

 
 私は罪悪感からユンネ様を最後の主人あるじと決めたのだ。哀れで孤独なただのユンネ様に。
 
 付き従ってみれば、彼の性格は明るく面白く、毒を飲み大勢の人を殺すといった時の狂気は見えない。
 けれどあの狂気を持ったユンネ様は確実にいるのだ。
 ルクレー男爵令息が暗い部屋にいるといったのは、記憶をなくす前のユンネ様がそこにいるのだろうと思う。
 記憶を失くしたままがいいのか、取り戻した方がいいのか分からない。
 どちらに転がろうとも、私はユンネ様に従おう。
 私は私の心にそう誓ったのだ。






「う゛…………。」

 
 起床の時間だ。考え事をしながら眠った所為か、目覚めが悪い。

 …………………。

 いや、悪いはずだ。全く気付かなかった。二人を危険対象と認識していない所為か?
 何故気付かなかった?

「……………ユン…、コホンっ、ユネ、起きて下さい。」

「…………~~ぅ、うーーーん………。」

「ミゼミ様も起きて下さい。」

 起きてくれないと私が動けない。
 二人は何故か仰向けに寝ている私の両隣に、ペッタリとくっ付いて寝ていた。
 いつの間に?

 モゾモゾと二人が眠たそうに起き出す。
 漸く抱き締められていた両腕が自由になり、ソマルデは起きることが出来た。

「お二人はミゼミ様の部屋で寝ていたはずですが、何故ここに寝ているのでしょう?」

「………あーー、俺が夜中に起きちゃって、ミゼミも起こしちゃって、眠れないねぇって言ったら、ミゼミがソマルデさんも一緒に寝たらきっとよく眠れるよ~って言うから?」

 ポヤポヤと灰色の綿毛頭を振りながらユンネ様が説明する。
 話しながら頭が回転し出したようで、いつもの明るいユンネ様に戻っていく。

「凄いですよ!多分部屋に入った時点でソマルデさんは気配で気付いちゃうから、スキルで睡魔を呼んで寝せればいいって言うんでやってもらいました!そしたら本当にソマルデさんがぐっすり眠って起きないんです!布団に入っても、乗っかっても、スリスリしても起きなかったんです!」

「待って下さい。私に乗っかってスリスリとは何ですか。」

 貴方一応人妻ですよ?これはエジエルジーン様に知られる訳にはいかない。
 二人ともよく分かっていない顔をしていた。
 ミゼミはまだ眠たそうにグリグリと拳で目を擦っているので止めさせる。

「はぁ、ミゼミ様はその睡魔を何度か私にかけて下さい。耐性をつけておかないといざという時眠らされていては困ります。」

 『隷属』にそんな能力があるとは知らなかったが、ここで知ることが出来て良かったと思おう。
 
 ユンネ様に仕えるようになってから驚きの連続だ。
 この楽しい時間が長く続けば良いのにと願うばかりだ。






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