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空に浮かぶ国
25 津々木学という人間は
暗い部屋の中はカビ臭く、土と水の匂いが充満していた。とても人が寝泊まりできるような部屋ではない。ついて来てもらったイツズに言わせれば、花守主の牢より酷いらしい。
換気穴は一応ついているが、陽の光も入らないし、風も流れてこない。
聖王陛下は一年弱程この部屋に監禁されていた。
そしてクオラジュは小さな頃からこの部屋に寝泊まりしていた。神聖力の多い子供は十三歳まで力を安定させる為に地上に降りて成長するという決まりがあるのに、クオラジュはこのカビ臭い地下室で育った。
机の上にもベットの上にも、動物の皮で作った紙が置かれ、何やらみっちりと書き込まれている。
「凄いね。それ何が書いてあるの?」
ツビィロランにも分からない。勉強内容には含まれていたが、全く勉強しなかったツビィロランの記憶では、過去の記憶を辿ったとしても理解することは出来なかった。
ツビィロランが手に持つ紙を見て、一緒に覗き込んだ花守主リョギエンが教えてくれた。
「神聖力の循環を指示しているみたいだ。創世祭の時ホミィセナが踊っていた所に書かれていた物と似ているな。」
ホミィセナの足元に描かれていたやつは、確か透金英に神聖力を流すようになっていると言っていたはずだ。
同じようなものが書かれた紙が幾つもあるので、試行錯誤していたのだろうかと思う。
本棚の本はどれも難しい。木の机は湿気で腐りかけ、今にも折れそうだった。
「そろそろ出ようか。」
イツズに促されて俺達は外に出た。
石碑の下の地下室は透金英の根っこが大量に地中から出ている為、俺か色無のイツズとリョギエンしか入れなかった。
外に出ると心配そうなサティーカジィとイリダナルが待っていた。
二人より少し後ろには聖王陛下ロアートシュエと神聖軍主アゼディムも寄り添って立っている。ロアートシュエはまだ体調が万全ではないものの、混乱した天空白露をまとめる為に既に政務を行なっていた。
クオラジュが可能な限り終わらせていっていたらしいが、それでも海に落ちた天空白露は未だ混乱中で、あちこちの国から訪問者が絶えずやってくる。
「うーん。」
「どうしたの?」
先に出たイツズが立ち止まった俺を気にして振り返った。
「先行ってて。少し透金英と話してくる。」
「透金英の樹は会話が出来るのか!?」
リョギエンが走って来て詰め寄った。
攻略情報どおり植物オタクなんだなと呆れてしまう。
花守主リョギエンは主人公ホミィセナに攻略され言いなりになっているのかと思えば、割と普通に俺達の輪にも入ってくる人物だった。一時期は放火犯として追っていたくせに透金英の親樹に花を咲かせたと聞いて、罪人として追いかけていたことは忘れてしまったらしい。意外と単純な性格だった。
「話というか、イメージかなぁ?」
もっと詳しくと肩を掴まれて揺すられたが、イリダナルがベリっと剥がしてくれた。宮殿の中で待ってると言って、リョギエンはイリダナルに連れられて行ってしまった。
サティーカジィとイツズも一緒に戻っていると言って離れていく。
話したそうにしている聖王陛下達に気を遣ったようだ。
「もう仕事して大丈夫なのか?」
俺から話しかけるとロアートシュエは少しホッとした顔をした。どう話したものか考えていたんだろう。
相変わらずアゼディムが金魚のフンのようにくっついてるなと思ってしまう。まぁ、唯一無二の番なのだから仕方ないか。
「ええ、休んでいられません。」
微笑み方が記憶の中の聖王陛下ロアートシュエのままで、この人は変わらないなと思う。
この人は優しいのだ。ツビィロランが全面的に慕う程に穏やかな性格をしている。そしてその優しさは弱さでもある。
だからこそクオラジュにいいように使われたとも言える。ホミィセナを使って天空白露を落とす為に脅したのはクオラジュだ。
「クオラジュのことどうするんだ?」
天空白露が海面に落ちた日、クオラジュはトステニロスと共に姿を消した。
「…………あの日のことは多くの者達が見ていましたが、全てを把握している者は実は少ないのです。」
クオラジュは表に出ることは全てホミィセナにやらせていた。自分は天空白露の政務が滞らないようにしていただけだ。天空白露が落ちた場所も大陸に落とさないよう海に進路をとったのは聖王陛下だということになっていた。
実際はクオラジュが代理でずっと飛行させていたらしい。巨大な天空白露を動かし、ホミィセナに透金英の花を与える為に神聖力を分け与え、あれだけ動き回っていたのだとすると、クオラジュの神聖力はかなりのモノということになる。
「ふぅーん、じゃあ罪には問わないってこと?」
あの日いた各国の王族達は飛行船で我先にと逃げたのだが、ロイソデ国の飛行船だけ跡形もなく燃えてしまったらしい。厚い雲の中での出来事で気付いた時には遅かったらしいのだが、どう考えてもクオラジュがやったのだと思っている。
俺がクオラジュを許すのかと問うと、ロアートシュエは困った顔で「どうしましょうか?」と尋ね返してきた。石碑の下の地下に監禁されて神聖力を奪われていたのは自分自身なのに、ほんとお人好しなのかと思う。
クオラジュのことも薄々気付いていたのに、大人しく石碑の下に幽閉されたのも、自分の神聖力を天空白露に捧げて罪を償いたかったからだというしね。
本物の予言の神子ツビィロランを、本物だと知っていて殺すことにしたのも自分の判断なのだから、自分一人が犠牲になればいいと思っていたらしい。
側に寄り添うアゼディムの顔を見てみたらいい。一人で犠牲になろうとしたことも、クオラジュを助けたさそうにしていることも納得していない。番の顔がブスッと仏頂面になっているぞ。
「俺が決めていいなら、保留にしといてよ。」
ロアートシュエが少し笑った。
「はい、ではそのように。」
二人も先に帰った四人と一緒に宮殿の中で待つと言った。俺はどうぞと手を振る。
「……………ツビィロランはもう戻らないのでしょうか?」
俺の降っていた手は止まった。
琥珀の瞳を細めてロアートシュエとアゼディムを見る。
「俺ってそんなにツビィロランと別人?」
サワサワと風が流れた。天空白露は海の上に落ちたとはいえ面積は広いので、中央に位置する石碑の場所に吹く風は海臭くなく普通の風だ。
「……………あの子は幼く無邪気で無垢な子供でした。私は番がいるので、あの子が予言の神子として開羽したら私は聖王の座を降りるつもりでした。」
「じゃあ次の聖王って……。」
ロアートシュエは困ったようにまた笑う。
「三人の翼主の中ではクオラジュしかいません。彼ほど神聖力に長けた者はいませんし。………それに私は青の翼主にこの地位を戻したかったのですよ。」
それが罪滅ぼしだと思っていました。
そうロアートシュエは小さく呟いた。
「あはは、でもクオラジュはいらないって言いそうだな。」
「………そうですね。そう言いそうですね。私はいいことをしているつもりでしたが、そんなものは関係ないくらいに彼の中の憎悪は深かったのでしょうか?」
ツビィロランは首を傾げた。
違うと思う。
透金英が見せたクオラジュは、何も考えていなかった。全てがどうでもいいことのように捉えていた。見える景色も、話しかけてくる人達も、全て一緒。その言葉が善だろうと悪だろうと、クオラジュにとって同率でしかない。
「………クオラジュのことは聖王陛下の所為じゃないから気にしない方がいい。」
「ですが……。」
「それに、もうツビィロランは死んだ。元には戻せねーよ。」
どう言おうと過去には戻せない。ここはゲームの世界じゃない。ちゃんと時間が流れていく現実だ。この十年間ずっとそれを味わってきた。
「ごめんな。俺はツビィロランじゃない。」
ロアートシュエは俯き頷いた。お前達が殺したのはツビィロランで、その罪は消えないのだ。本当は生きていたのだと思い許されたいだろうが、どうかその罪の意識を忘れないで欲しい。
ツビィロランは俺の中に一欠片も残っていない。
「なぁ、もっと早くから二人が番だって公表しとけば、ツビィロランを殺す必要もなかったんじゃ?」
そんなに聖王陛下と神聖軍主が番だとダメなんだろうか?
ロアートシュエの金緑石色の瞳が真っ直ぐにこちらを見た。
「……そうですね、私は本当に弱い。周りの声など気にせずに、もっと自信を持って堂々としていれば良かったのに………。」
神聖軍主の一族は聖王陛下を守る為の一族だ。
その頃はおそらく神子が二人いるといって聖王宮殿の内部も混乱し、二人の関係を明かせなかったのだろうとは思っている。
ロアートシュエとアゼディムが番だと言ってしまえば、アゼディムは神聖軍主の立場を退いて、番という立場……、つまり聖王陛下の伴侶として後宮に入ることになる。しかも予言の神子もいるので番持ちのロアートシュエも、もしかしたら聖王陛下の立場を追われる可能性があった。
聖王陛下と神聖軍主という立場を捨てるには、まだ時期尚早で、追い詰められたのだろうとは思っている。
追い詰められれば判断を誤る。
クオラジュは上手に二人に影を落とし、微妙に仲を割き、判断を鈍らせた。
ロアートシュエとアゼディムがもっと慎重に判断していれば、もしかしたら……、と思わないでもない。そうしたら、俺はここにいなかったかもしれないのに。
俺がまた手を振ると二人は無言で宮殿へ帰って行った。
俺は全員が去ったのを気配で探って、近くに誰もいないことを確認した。
透金英の親樹に近付き、その巨大な幹に手をつける。ドクドクと脈打つ流れを感じ、俺の神聖力を流し込んだ。
感覚が共鳴する。
最初、聖王陛下ロアートシュエを救う為にここへ来た時、地面から出た樹の根は俺に踏まれて歓喜した。
夜色の神聖力。
頂戴、頂戴とざわめく巨木に俺の足は止まった。
階段の下の深い穴はまるで胃袋のようで、踏み入れたら消化されて戻れないのではと恐怖した。
止まった俺に幻覚が見えた。
まだ背の低い子供が降りていく。青い髪に先が橙色の特徴的な髪に見覚えがあった。
先を歩くイツズの更に先を、暗闇の中、慣れた足取りで降りていく。奥へ奥へ、奥底の胃の中へ、スタスタと子供は歩いて消えて行った。
一番奥の部屋は暗闇で、振り返った幼い顔は無表情だった。見覚えのある氷銀色の瞳はそれでも綺麗だと思えた。こんな所にいるのに、濁ることのない水の中の氷のような瞳は、透明で冷たくて、孤独だった……。
ーーーあの瞳を忘れるな。ーーー
頭の中に声が響いてくる。
ーーーあれはツビィロランを殺す者。大切な天空白露を落とそうとする者。ーーー
クオラジュが?
尋ねるが、声は一方的に話すだけだった。
ーーー大地に広がる私を枯れさせ、私の大切なものを壊そうとする。一度ならずまたツビィロランを消そうと考えている。信じてはいけない………。ーーー
ーーー青の翼主を信じては、いけない。ーーー
何故?俺は俺が信じるものは自分で決める。
反抗すると、何かがザワリと騒めいた。
ーーー私に神聖力を!ーーー
神聖力?神聖力が欲しいのか?もしやったらどうなる?
ーーー天空白露は存続する。ツビィロランはまだ死んではいない。必ず、必ず、また……!ーーー
意味わかんねーんだけど?
ーーー偽りの魂が、何を言う………。お前はその身体を繋ぎ止める為の仮の魂の核でしかない。ーーー
それは俺に図に乗るなと叫んでいた。
煩わしくてバチンと弾くと大人しくなったが、思い直して、地下から出る時に透金英の親樹に神聖力を与えたのだ。
もし、本当にクオラジュがまた殺そうとしてくるのなら、この声の主と俺の希望は一致する。
津々木学は偽りの魂らしいが、それでも死にたくはない。
クオラジュがツビィロランを殺し、天空白露を落とそうとしているのなら、俺はその邪魔をするしかないと考えた。
結局殺されずに済んだのは、クオラジュが躊躇ったおかげのようだが……。
フッと目を開ける。
ツビィロランの黒髪から金の光が眩く落ちていく。
透金英の樹は喜んでそれを啜っていた。
「…………なぁ、俺をここに連れてきたのはお前じゃないのか?」
透金英の枝には次々と花が咲き乱れた。漆黒の花に金の粒が散る美しい花だ。サワサワと揺れて花びらが舞い散りだす。
ここに来た津々木学は孤独だった。側にイツズがいてくれたからまだ耐えられた。自分が別の世界から来た異邦者だとはいえず、イツズが色無であることを恥じているのを感じて、そこに付け入った。透金英の花を作れるのは自分だけだ。ツビィロランの側にいれば毎日透金英の花を食べられるのだと頼れるように、花を食べさせて自分の側にいて貰った。
一人になりたくなかった。
孤独は怖い。俺は怖がりなんだ。
クオラジュはきっと強い人だ。
どんな状況に置かれようと動じない強い心と、それを打破できる賢い頭脳がある。そして実行出来るだけの力まで持っていた。
クオラジュが何故ツビィロランを殺し、天空白露を落とそうとしたのかよく分からない。
琥珀の瞳が美しかったから……。
そんな理由で本当に殺すのを躊躇ったのだろうか。
本来の津々木学の容姿は全く違うものだ。
どんなことにも動じない氷銀色の瞳が揺れるのは、この愛らしい姿のツビィロランにだ。
以前もツビィロランの髪を触って美しいと言っていた。
「…………戻りたい。」
ああ、やっぱり元の世界に帰りたいなぁ。
近くに咲いた透金英の花を撫でた。ツビィロランの色だ。
漆黒に金の星が散る夜の色……。
なにがっ!
なにがっっ、何が夜色だっ!!
ぐしゃりと透金英の花を握り潰した。
はぁはぁと息が乱れる。
「俺を元の世界に帰せ………。」
ここには俺のものは一つもない。俺はツビィロランではないし、俺は神子じゃない!
俺を仮の魂と言うのなら!元の世界に帰せ!
琥珀の瞳に剣呑な光が増す。
別人?当たり前だ。本物はこんな濁った心はしていなかったのだろう。幼く幼稚で無邪気なツビィロランの真似なんて出来ない。
握り潰した花びらをバッと放り投げた。
ただの死ならともかく、こんな孤独を与えた神の木なんぞ……、クソ喰らえだ。
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