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第三章 恐怖のメゾン、おおにぎわい!
九 叫ぶお客さま
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今日も今日とて。
メゾン・ド・ストレンジでは、恐怖の絶叫が響きわたっていた。
それを見て、ユーレイや妖怪たちは大はしゃぎ。
「ギャハハハハ! あの人間の男の表情見ろよ。さいっこうダゼ~! ああ、もう三百六十度に腹がよじれちまうヨ~! フヒヒ、フフヒッヒヒ」
「シヌ~! もうシんでるのに、笑いすぎてまたシぬ~! おかしすぎる、ヒッヒッ~!」
「見ろ、あの男! メゾンに来たときは偉そうな顔してたくせに、今ではもう涙で顔がぐっちょぐちょだ! ああ、おかしい~! 俺らを見たら、あいつどうなっちゃうのかなあ。グフフ、想像するだけで、笑いがこみあげる~。アーハッハッハハ!」
床を転げ回って、お腹をかかえる、ユーレイと妖怪たち。
メゾン・ド・ストレンジの平和な日常だ。
その間も、キュウビと子規は二階のワーキングスペースで、打ち合わせを繰り返していた。
「さーて。これでよければ、今すぐVR空間の製作にとりかかるが」
「うん。大丈夫そう。……お客さま、喜んでくれるかな」
「怖がってくれたら、それでオーケー。つまらないといわれたら、お客さまが離れていくだけ。子規くんは……」
ジッとキュウビに見つめられる。
青みを帯びた、きれいなその瞳はまるで狐火キャンディのようで。
人とはまた違う光を放っていた。
「お客さまのことがちゃんと見えている。心配はいらないよ」
「そういうものなのかな」
「ああ。私がそういうんだから、間違いない」
そういって、キュウビは子規の頭を猫にしてやるようになでた。
そしてついに完成した、新たなVR空間。その名も【フラッグマン】。
「今回は山の自然や、虫の声など、最上級にこだわりぬいて作ったぞ。さらに、われわれの妖力の精度をあげまくった。草木の匂いや太陽光の熱さをよりリアルなものに近づけた。このような五感への刺激も、ホラー要素につながっていくからな。やれることには、とことんこだわっていきたい」
パソコン画面を指さしながら、キュウビがいう。
「そういえば、最近サイコを見ないけど……」
あたりを見渡しながらサイコを探す、子規。
するとキュウビが「フフフ」と目を細めた。
「急に、自分も接客がしてみたいといい出してね」
「ええっ。サイコが接客?」
「ああ。なので、人間に化けることが得意な妖怪たちにサイコを指導してもらっていたんだ。人間に化けるということは、〝人間に見えるようにならなければ〟いけないからな。かなり疲れるはずだが……意外にがんばっていたよ」
人間に見えるようになるために特訓をするオバケなんて、初めて聞いた。
「それで、サイコは化けれるようになったのっ?」
「ちょうど今日、サイコが接客デビューする日だ」
子規はむっとふてくされたようにいう。
「全然、知らなかったーっ。教えてよ」
「サイコに、子規くんには内緒にしてくれ、と頼まれていたんだ。驚かせたいからと」
「そうだったんだ……!」
たしかに、とても驚いた。
サイコはどんなふうに人間に化けたのだろう。
そう考えると、何だかわくわくしてきた。
そんな子規の顔を見て、キュウビは親指をドアのほうに向けた。
「ちょうど、お客さまだ。サイコの接客ぶりを見に行こう」
「うん!」
エントランスには、子規と同じくらいの年齢の男の子がいた。
ソファに座り、スタッフの説明を聞いている。
初めて見る顔のスタッフだ。
「あれが、サイコだ」
「えっ? あれがーっ?」
白い髪に、幼げな顔。
見た目は高校生くらい。
無邪気な笑顔に、ハスキーな声。
そして、黒いスーツ姿のサイコは、確かに人間の姿をしていた。
「ユーレイも人間に化けられるんだ」
「というか、サイコが特別なんだ」
「え?」
「あれは、ただのユーレイじゃないからね」
「どういうこと?」
「サイコは〝ユーレイが怖い〟という人間の恐怖心から生み出された、生まれながらのユーレイなんだ。この世に生まれたときから、ユーレイ。だから、何でもありなのさ」
そういえば、出会ったばかりのときにサイコは自分のことを『史上最高のユーレイ』と、いっていた。
そういうことだったのか、と子規はようやく納得がいった。
「サイコって、すごいユーレイだったんだ」
さっそく二人はエントランスの柱に隠れながら、サイコの接客ぶりを観察しはじめた。
サイコの「ではー」という声が聞こえてくる。
「お名前を頂いてもよろしいですか~?」
男の子は、緊張しながらサイコを見上げる。
「ト、トウキです」
「ようこそ、ワタシたちのメゾンへ。では、さっそくVRゴーグルを着けましょう~。トウキさまは、どんなホラーがお好みですか?」
「えっと」
VRゴーグルを着ける、トウキ。
すると、たくさんのストーリーのアイコンが目の前に並んだ。
さまざまなタイトルをスクロールしていき、パッと目に着いたところで手を止めた。
「【フラッグマン】……これにしようかな。NEWって、書いてあるし」
「お目が高い!」
突然あがった、甲高い声に、トウキはビクッと肩を震わせた。
「たった今出来上がった、出来たてホヤホヤのお話なんですよお~! ぜったい面白いと思います。いやあ、トウキさまはラッキーだなあ」
「そ、そっすか……」
「はい! では、さっそく始めていきましょう!」
元気いっぱいのサイコに押されながら、トウキは【フラッグマン】のアイコンを選んだ。
おどろおどろしいBGMとともに、アトラクションがスタートしていく。
「いってらっしゃいませ~。いい悪夢を見てくださいネエ」
【フラッグマン】
家族とキャンプに来たトウキ。
はやばやとテントを建て、イスやテーブルの設置をおえると、双子の妹と弟はさっそく持ってきたバドミントンを始めた。
「トウキもやろうよ」
「いや。ごめん、いい……」
「え~!」
「父さん、叔父さん。俺、そのへん出かけてきていいかな。遠くには行かないから」
バーベキューの準備をしていた、父親と叔父。
彼らが手を止めないまま「いいぞ~」と答えたので、さっそくトウキは一人で辺りの探検に出かけた。
ていねいに整備されているキャンプ場の道路。
そこを少し外れただけで、もっさりと葉がおいしげった森に入ってしまう。
キャンプ場の受付スタッフにもこうクギをさされていた。
「くれぐれもキャンプ場の敷地内からは出ないで下さい」
父親が「クマでも出るんですか」と聞くと、スタッフは目を泳がせながらいった。
「規則ですので……」
あきらかにお茶をにごしているその態度に、叔父がイヤミのように「この山にクマなんていたかなあ」と、苦笑していた。
受付事務所を出ると、父親は子どもらを安心させるように、いった。
「まあクマに出会うことなんてそうそうないだろうし、万が一があっても山慣れしている叔父さんがいる。叔父さんはクマに対しての対処も心得ているからな。何かあれば叔父さんのいうとおりにするんだぞ」
トウキは父親らがテントを張っている、キャンプ地がぎりぎり見降ろせる場所まで来たところで、そうそうに引き返すことにした。
風が吹き、ざあと木々が音をたてる。
ふと、視界のはしで動くものがあった。
「まさか……本当に、クマっ?」
よくよく、目をこらして見てみると、すぐにわかった。
あれは……人だ。
遠くで、誰かが何かを持っている。そして、それを振っている。
――旗だ。
旗を振っている。
辺りを見渡すが、自分以外には誰もいない。
自分に何かを伝えたいのだろうか、とトウキは思った。
「何か、用ですかー!」
自分からその人まで、距離は百メートルほどしかないにも関わらず、相手が男なのか女なのかよくわからない。
木々が、その人に陰を作っているせいだろうか。
トウキの視力が悪いからだろうか。
いくら理由をつけようとしても、なぜその人のことが良く見えないのかわからなかった。
ただ、その人はゆるやかに旗を振っている。
トウキに向かって、一定の速度で、旗を振り続けている。
「用があるなら、そこからいってください。旗を振るんじゃなく」
トウキはまた叫んだ。
しかし、相手は何のリアクションをするでもなく、変わらず一定の動作で旗を振っていた。
待てよ、とトウキは動きを止めた。
「あれ……道路工事の時にたまに見る、誘導人形なんじゃないか……?」
トウキは小さな頃からショベルカーやブルドーザといった重機に興味があり、道路工事をする人々をよく見ていた。
なので、誘導人形のこともよく見ていたのだ。
あの動きは、その誘導人形によく似ている。
男なのか女なのかよくわからなかったのも、そのせいだろう。
人形の動きに男らしいも、女らしいもないのだから。
真実がわかったとたん、トウキは大きく息をついた。
どうやら、とても緊張していたようだ。
いくら声をかけても反応のない相手に。
「ったく、なんなんだよ。もう」
わざと、ひとりごとを声に出す。
さっさと家族のところに戻ろう。
そろそろ、バーベキューの準備ができているはずだ。
トウキは来た道を戻りはじめた。
キャンプ場からここまで、五分とかからなかったはずだ。
すぐに、元の場所まで戻れるだろう。
しかし、トウキの足はだんだんと、早くなっていく。
この場から、すぐにでも立ち去りたかったのだ。
恐怖心が、どんどんとふくらんでいく。
まだ、トウキに向かって旗を振り続ける、あの誘導人形への恐怖心が。
あれから、十分はたっただろうか。
すでにキャンプ場に着いていてもおかしくない。
なのに、トウキはまだ山のなかをうろついていた。
背後には生いしげった森。道路はどこまでも続いている。
気づけば、キャンプ場が見えなくなっていた。
見下ろせばキャンプ場が確認できる位置にしか、移動しなかったはずなのに。
おかしい。ここまでは、一本道だった。
どうやったら、道に迷うというのだろう。
トウキは足を止め、道を確認するため後ろを振り返った。
――それは、まだ旗を振っていた。
「まだ……いる……」
トウキから百メートルほど離れた位置で、ゆらゆらと。
頭上で曲線を描くように、一定の動作で振り続けられる旗。
「あれは、誘導人形なんじゃ……ないのか……」
ざわっ、と風が吹く。
トウキの髪が、着ている服が、風によってあおられる。
強い風にトウキは腕で顔をおおった。
顔を上げると、誘導人形の姿がなくなっていた。
「どこにいった? 風で倒れたのか……」
そういえば、とトウキはキャンプ場の受付スタッフがいっていたことを思い出す。
——くれぐれもキャンプ場の敷地内からは出ないで下さい。
——クマでも出るんですか。
——規則ですので。
受付スタッフは、どうにも答えにくそうにしていた。
その顔は、どこか浮かない顔をしていたように思う。
まさか、クマではないものが出るということか。
では、何が出るというんだ。
「あれは、〝誘導人形じゃない〟。クマでも、ない……」
トウキは走り出す。
どこまでも続いている道路をただひたすらに。
さっきまではキャンプ場へと続いていたはずの、長い長い道路を。
母親は、双子の妹と弟を産んだ後に帰らぬ人となった。
トウキが五歳の時だ。
それから父は、叔父と二人でトウキと双子を育ててくれていた。
父と叔父は兄弟だ。
叔父は「どうせ結婚する予定もないし」という事で、一緒の家で暮らしてくれていた。
男手二人育児の五人家族。
毎日がとても楽しい。
だが、どうにも寂しくなるときもあった。
トウキに、母親の記憶はもうほとんど残っていない。
おぼろげになってしまったその顔を思い出しては、ひどく悲しくなるのだ。
母親のことを忘れそうになっている自分に、腹が立つのだ。
しっかりと覚えているのは、母親が自分に何かをいっているシーン。
それもなんていっているのかは、もう思い出せない。
——トウキ……があっ……す……げ……。
トウキは、日々おびえていた。
母親が自分の中からいなくなるかも知れないことを。
そのことが、とても怖かった。
もう一度。
わずかなあいだだけでもいいから、母親に会いたかった。
旗を振る何かは、トウキがどこに逃げようと、必ず背後に着いてきていた。
あれは自分をどうしようとしているんだろう。
走りながら考え続けるが、先に足のほうが限界を迎えてしまった。
もう、走れない。
トウキはむき出しの地面の上に座りこんだ。
とたん、手が空を切る——道路の先が、ない。
見ると、目の前は崖になっていた。
いつの間にか、山を登っていたらしい。
見下ろすとはるか下にテントが見える。
自分の家族がそこにいた。
事態をようやく理解する。
「あのまま走り続けていたら……ここから、落ちてた……?」
後ろを振り返る——やはりまだ、いた。
旗を振り続けている〝あれ〟が。
ぼんやりとした、人の影のようなもの。
ゆっくりと一定の速度で腕を動かし、トウキに向かって旗を振っている。
この距離なら、何色の服を着ているのかぐらいはわかりそうなものなのに。
どれだけ目を凝らしても、あれが何なのかがわからない。
人影。
誘導人形。
ユーレイ。
化け物。
説明のつかない人ではない何か。
トウキは、先のない道を見下ろす。
「あいつ……俺をここから落としたかったのってのか……?」
百メートル、九十メートル、八十メートル……。
スーッと、地面を滑るように。
ゆらゆら、ゆらゆらと、旗を振りながら。
それは少しずつ、トウキへと距離を縮めてきている。
「待て……待てって……来んな……こっちに来ないで……」
声は、大部分がのどに引っかかり、蚊の鳴くようなものしか出てこない。
当然、〝あれ〟には届かないだろう。
いや、あれが言葉を理解できるのかもわからない。
七十メートル、六十メートル、五十メートル……。
やはり〝それ〟は人形なんかじゃない。
そして、人間でもない。
人影にしては影が濃く、動きも不自然だ。
四十メートル、三十メートル、二十メートル……。
〝これ〟が持つ旗は、思ったよりも大きかった。
トウキが見たことのある旗は通学団の班長が持っているような黄色い旗だが、あれより三倍ほどはありそうな大きさがあった。
それを一定の速さでずっと振り続けているというのは、冷静に考えてやはりおかしかった。
もう、トウキの目の前まで来てしまった。
旗は、いまだ振り続けられている。
「助けて……助けて……お父さん……叔父さん……」
呼んだって、誰も来ない。
一本道のはずだった道は、なぜかこの崖にたどりついた。
おかしいのだ。
もともと、何かがくるっている。
「お父さん……叔父さん……」
誰も来ないのは、わかっている。
でも、呼ばずにはいられないのだ。
「お母さん……」
もう、足は動かない。
涙が頬をつたい、地面にぼたぼたと染みを作る。
恐怖に震える腕で顔をおおった。
呼吸が、おかしい。
息が、できない。
旗なんか、もう見たくないのに。
「はあっ……はあっ……はあっ……」
意識が遠のきそうになったとき、ふとかすかに何かが聞こえた。
——があっ……が……す……あげ……。
遠くのほうで、いや、近くだろうか。
それは、すぐに木々のざわめきにかき消されてしまった。
――トウキ……。
最後に聞こえたそれは、確かに自分の名前を呼んでいた。
(あの声……あれは……)
何かが分かりかけた、と思いながらも長く続いた緊張がわずかに途切れた瞬間。
トウキは意識を手放していた。
気付くと〝あれ〟はいなくなっていた。
顔を上げると、そこはキャンプ場が目の前の草むらだった。
トウキはそこに座りこみ、膝に顔をうずめていた。
テントの前では家族がバーベキューの準備を終えていて、わいわいとにぎわっている。
トウキに気づいた父親が、にっこりとほほ笑んで手を振った。
「トウキ。肉焼くぞ。早く来い」
あれはどこに行ったのだろう。
なぜ、急に消えたのだろうか。
そして最後に聞こえた、あの声をトウキはどこかで聞いたことがあるような気がした。
どこか遠い昔の記憶。
そうだ——あれは。
「お母さん」
トウキは急いで父親に駆け寄ると、無我夢中で聞いた。
「あのさ、お母さんのことだけど」
すると父親はびっくりした顔をして、叔父と顔を見合わせた。
すぐに持っていた肉の皿をテーブルに置き、トウキの視線に合わせ身をかがめた。
「母さんのことで、聞きたいことがあるのか」
「うん。いいかな」
「もちろんだよ。何でも、聞いてくれ」
「あのさ。母さんが俺によくいっていた言葉があるはずなんだ。今でもそれだけは覚えてるんだけど、でももう忘れかけてて……」
「ああ……あれか。あれはな」
父親は、どこか懐かしむような穏やかな目をしていった。
「〝トウキに何があっても、お母さんが助けてあげるからね〟。母さんはいつも、トウキにこういっていた」
あの時、聞こえたかすかな声。
——トウキ……があっ……が……す……あげ……。
「そっか。そうだったんだ」
「トウキ。どうしたんだ。何かあったのか」
不思議そうにいう父親に、トウキは首を振る。
「大丈夫。何もないよ」
風が吹いた。
木々の葉のこすれる音。
そのざわめきに乗って、聞こえてきた。
忘れかけていた、優しい声が。
——んど……トウキ……が……。
わかったよ、お母さん。
トウキは、聞こえた声に応えるように空を見上げた。
〝今度は、トウキが弟と妹を守る番だよ〟。
そう、聞こえた——気がした。
トウキは弟と妹にかけよりそれぞれの手をつかみ、いった。
「ご飯が終わったら、バドミントンするか」
「いいのっ」
「やったあっ」
嬉しそうに喜ぶ双子に、トウキはほほ笑んだ。
トウキの頭に父の大きな手が乗る。
ふり向くと、優しい顔をしてトウキを見つめていた。
そして、今度は叔父が顔をのぞきこんでくる。
「よろしくな。お兄ちゃん」
「わざわざ、お兄ちゃんなんていうなよ」
すると、父がわしゃわしゃとトウキの髪の毛をなでまわしながら、いった。
「よーし。メシにするか。お前ら、あそこの手洗い場でしっかり手洗って来い」
キャンプ道具を車につめこみ終えたトウキたちは、キャンプ場の受付でチェックアウトをする。
トウキは受付のスタッフとやりとりをしている父と叔父をそなえつけのベンチに座り、ぼんやりとながめていた。
双子はベンチの上で、それぞれ持って来ていたミニカーを走らせ遊んでいる。
ふと、奥にいる二三人のスタッフたちの顔が青ざめているのに気づいた。
ひそひそと話し声が聞こえてくる。
「また……もう……しょ……閉めたほうが……」
「……旗が……で……崖……」
「消えた……だめだよ……あ……が……〝フラッグマン〟が……」
やはり、ここはおかしかったのだ。
トウキは全身に冷や汗がふき出るのを感じた。
じんわりと辺りの空気が冷たくなっている気がする。
まさか。
いや。
そんなバカな。
トウキは、双子の腕をつかむとこちらに引きよせ、抱きしめた。
「お母さん……助けて……お母さん……」
受付小屋の窓の外に、影が見える。
ゆっくりと一定の速度で、何かを振っている。
あれは、旗だ。
【フラッグマン おわり】
「ギャ―――――――ッ!」
ストーリーが終わったとたん、トウキは叫びながらVRゴーグルを脱ぎ捨てた。
ソファから立ち上がり、出入口に向かって走り出す。
とたん、サイコがトウキの腰を押さえつけ、引き留めた。
「お客さま―――ッ! 建物内では走らないようにお願いしますう!」
「放せえ! 何なんだよ、これ。怖すぎるだろ! もう帰る――――ッ!」
「ふひひひひっ! いや、実にいい反応……じゃなくてえ……落ち着いて下さいっ! ほら、狐火キャンディです! おいしいですよお!」
トウキの口の中に、キャンディをポコンと放りこむ。
そのおいしさに、トウキはすぐさま落ち着きを取りもどした。
「めちゃうまい!」
「いやあ、大人しくなってよかったあ。フライパンではじけたポップコーンみたいにかけ出していくんですからあ。じっさい、時速何キロ出てました?」
「知るか! いやそれよりも。怖すぎるだろ! 何なんだよ、ここは!」
「オバケ屋敷ですよ。何いってるんですか?」
「お前もだよ。最初のほうはもうちょっとスタッフっぽかったのに。タメ口すぎるだろ。本当にスタッフなんだろうな」
「いえ、ワタシはスタッフではなく、サイコです~。ユーレイのサイコです!」
「……バカにしてんのか―――ッ! もう帰るッ! ……キャンディはうまかったよ! ごちそうさま!」
ダダダッと走りだし、トウキはそのまま出ていってしまった。
ポカン、とトウキのうしろ姿を見送るサイコ。
そして、ようやくハッと気が付いた。
「しまった。つい、正直にワタシがユーレイであることを話してしまいました」
「まったく。何やってるんだ、サイコ」
キュウビはため息をつきながら、サイコの肩を叩く。
すると、まばたきのうちに、サイコはユーレイの姿に戻ってしまった。
どこかで隠れていたらしいユーレイや妖怪たちの笑い声が、どっとエントランスに響き渡った。
「ア―――――――ッハッハッハ! いい叫び声を出す客だったな! サイコ! いい仕事したじゃないか! 最高だあッ!」
「ひい~ひい~っ、笑いで腹がよじれちまうっ。あの人間は次はいつ来るんだっ? ここのストーリー全部やってほしいなあ! 驚きっぷりがたまんねえ! ひ~ひひひ、最高の客だあ! ひっひっひ~!」
これまでで、一番の盛り上がりっぷりだ。
子規はニッコリ、笑顔になる。
この反応だけで、いい話が書けたんだ、と実感できたから。
メゾン・ド・ストレンジでは、恐怖の絶叫が響きわたっていた。
それを見て、ユーレイや妖怪たちは大はしゃぎ。
「ギャハハハハ! あの人間の男の表情見ろよ。さいっこうダゼ~! ああ、もう三百六十度に腹がよじれちまうヨ~! フヒヒ、フフヒッヒヒ」
「シヌ~! もうシんでるのに、笑いすぎてまたシぬ~! おかしすぎる、ヒッヒッ~!」
「見ろ、あの男! メゾンに来たときは偉そうな顔してたくせに、今ではもう涙で顔がぐっちょぐちょだ! ああ、おかしい~! 俺らを見たら、あいつどうなっちゃうのかなあ。グフフ、想像するだけで、笑いがこみあげる~。アーハッハッハハ!」
床を転げ回って、お腹をかかえる、ユーレイと妖怪たち。
メゾン・ド・ストレンジの平和な日常だ。
その間も、キュウビと子規は二階のワーキングスペースで、打ち合わせを繰り返していた。
「さーて。これでよければ、今すぐVR空間の製作にとりかかるが」
「うん。大丈夫そう。……お客さま、喜んでくれるかな」
「怖がってくれたら、それでオーケー。つまらないといわれたら、お客さまが離れていくだけ。子規くんは……」
ジッとキュウビに見つめられる。
青みを帯びた、きれいなその瞳はまるで狐火キャンディのようで。
人とはまた違う光を放っていた。
「お客さまのことがちゃんと見えている。心配はいらないよ」
「そういうものなのかな」
「ああ。私がそういうんだから、間違いない」
そういって、キュウビは子規の頭を猫にしてやるようになでた。
そしてついに完成した、新たなVR空間。その名も【フラッグマン】。
「今回は山の自然や、虫の声など、最上級にこだわりぬいて作ったぞ。さらに、われわれの妖力の精度をあげまくった。草木の匂いや太陽光の熱さをよりリアルなものに近づけた。このような五感への刺激も、ホラー要素につながっていくからな。やれることには、とことんこだわっていきたい」
パソコン画面を指さしながら、キュウビがいう。
「そういえば、最近サイコを見ないけど……」
あたりを見渡しながらサイコを探す、子規。
するとキュウビが「フフフ」と目を細めた。
「急に、自分も接客がしてみたいといい出してね」
「ええっ。サイコが接客?」
「ああ。なので、人間に化けることが得意な妖怪たちにサイコを指導してもらっていたんだ。人間に化けるということは、〝人間に見えるようにならなければ〟いけないからな。かなり疲れるはずだが……意外にがんばっていたよ」
人間に見えるようになるために特訓をするオバケなんて、初めて聞いた。
「それで、サイコは化けれるようになったのっ?」
「ちょうど今日、サイコが接客デビューする日だ」
子規はむっとふてくされたようにいう。
「全然、知らなかったーっ。教えてよ」
「サイコに、子規くんには内緒にしてくれ、と頼まれていたんだ。驚かせたいからと」
「そうだったんだ……!」
たしかに、とても驚いた。
サイコはどんなふうに人間に化けたのだろう。
そう考えると、何だかわくわくしてきた。
そんな子規の顔を見て、キュウビは親指をドアのほうに向けた。
「ちょうど、お客さまだ。サイコの接客ぶりを見に行こう」
「うん!」
エントランスには、子規と同じくらいの年齢の男の子がいた。
ソファに座り、スタッフの説明を聞いている。
初めて見る顔のスタッフだ。
「あれが、サイコだ」
「えっ? あれがーっ?」
白い髪に、幼げな顔。
見た目は高校生くらい。
無邪気な笑顔に、ハスキーな声。
そして、黒いスーツ姿のサイコは、確かに人間の姿をしていた。
「ユーレイも人間に化けられるんだ」
「というか、サイコが特別なんだ」
「え?」
「あれは、ただのユーレイじゃないからね」
「どういうこと?」
「サイコは〝ユーレイが怖い〟という人間の恐怖心から生み出された、生まれながらのユーレイなんだ。この世に生まれたときから、ユーレイ。だから、何でもありなのさ」
そういえば、出会ったばかりのときにサイコは自分のことを『史上最高のユーレイ』と、いっていた。
そういうことだったのか、と子規はようやく納得がいった。
「サイコって、すごいユーレイだったんだ」
さっそく二人はエントランスの柱に隠れながら、サイコの接客ぶりを観察しはじめた。
サイコの「ではー」という声が聞こえてくる。
「お名前を頂いてもよろしいですか~?」
男の子は、緊張しながらサイコを見上げる。
「ト、トウキです」
「ようこそ、ワタシたちのメゾンへ。では、さっそくVRゴーグルを着けましょう~。トウキさまは、どんなホラーがお好みですか?」
「えっと」
VRゴーグルを着ける、トウキ。
すると、たくさんのストーリーのアイコンが目の前に並んだ。
さまざまなタイトルをスクロールしていき、パッと目に着いたところで手を止めた。
「【フラッグマン】……これにしようかな。NEWって、書いてあるし」
「お目が高い!」
突然あがった、甲高い声に、トウキはビクッと肩を震わせた。
「たった今出来上がった、出来たてホヤホヤのお話なんですよお~! ぜったい面白いと思います。いやあ、トウキさまはラッキーだなあ」
「そ、そっすか……」
「はい! では、さっそく始めていきましょう!」
元気いっぱいのサイコに押されながら、トウキは【フラッグマン】のアイコンを選んだ。
おどろおどろしいBGMとともに、アトラクションがスタートしていく。
「いってらっしゃいませ~。いい悪夢を見てくださいネエ」
【フラッグマン】
家族とキャンプに来たトウキ。
はやばやとテントを建て、イスやテーブルの設置をおえると、双子の妹と弟はさっそく持ってきたバドミントンを始めた。
「トウキもやろうよ」
「いや。ごめん、いい……」
「え~!」
「父さん、叔父さん。俺、そのへん出かけてきていいかな。遠くには行かないから」
バーベキューの準備をしていた、父親と叔父。
彼らが手を止めないまま「いいぞ~」と答えたので、さっそくトウキは一人で辺りの探検に出かけた。
ていねいに整備されているキャンプ場の道路。
そこを少し外れただけで、もっさりと葉がおいしげった森に入ってしまう。
キャンプ場の受付スタッフにもこうクギをさされていた。
「くれぐれもキャンプ場の敷地内からは出ないで下さい」
父親が「クマでも出るんですか」と聞くと、スタッフは目を泳がせながらいった。
「規則ですので……」
あきらかにお茶をにごしているその態度に、叔父がイヤミのように「この山にクマなんていたかなあ」と、苦笑していた。
受付事務所を出ると、父親は子どもらを安心させるように、いった。
「まあクマに出会うことなんてそうそうないだろうし、万が一があっても山慣れしている叔父さんがいる。叔父さんはクマに対しての対処も心得ているからな。何かあれば叔父さんのいうとおりにするんだぞ」
トウキは父親らがテントを張っている、キャンプ地がぎりぎり見降ろせる場所まで来たところで、そうそうに引き返すことにした。
風が吹き、ざあと木々が音をたてる。
ふと、視界のはしで動くものがあった。
「まさか……本当に、クマっ?」
よくよく、目をこらして見てみると、すぐにわかった。
あれは……人だ。
遠くで、誰かが何かを持っている。そして、それを振っている。
――旗だ。
旗を振っている。
辺りを見渡すが、自分以外には誰もいない。
自分に何かを伝えたいのだろうか、とトウキは思った。
「何か、用ですかー!」
自分からその人まで、距離は百メートルほどしかないにも関わらず、相手が男なのか女なのかよくわからない。
木々が、その人に陰を作っているせいだろうか。
トウキの視力が悪いからだろうか。
いくら理由をつけようとしても、なぜその人のことが良く見えないのかわからなかった。
ただ、その人はゆるやかに旗を振っている。
トウキに向かって、一定の速度で、旗を振り続けている。
「用があるなら、そこからいってください。旗を振るんじゃなく」
トウキはまた叫んだ。
しかし、相手は何のリアクションをするでもなく、変わらず一定の動作で旗を振っていた。
待てよ、とトウキは動きを止めた。
「あれ……道路工事の時にたまに見る、誘導人形なんじゃないか……?」
トウキは小さな頃からショベルカーやブルドーザといった重機に興味があり、道路工事をする人々をよく見ていた。
なので、誘導人形のこともよく見ていたのだ。
あの動きは、その誘導人形によく似ている。
男なのか女なのかよくわからなかったのも、そのせいだろう。
人形の動きに男らしいも、女らしいもないのだから。
真実がわかったとたん、トウキは大きく息をついた。
どうやら、とても緊張していたようだ。
いくら声をかけても反応のない相手に。
「ったく、なんなんだよ。もう」
わざと、ひとりごとを声に出す。
さっさと家族のところに戻ろう。
そろそろ、バーベキューの準備ができているはずだ。
トウキは来た道を戻りはじめた。
キャンプ場からここまで、五分とかからなかったはずだ。
すぐに、元の場所まで戻れるだろう。
しかし、トウキの足はだんだんと、早くなっていく。
この場から、すぐにでも立ち去りたかったのだ。
恐怖心が、どんどんとふくらんでいく。
まだ、トウキに向かって旗を振り続ける、あの誘導人形への恐怖心が。
あれから、十分はたっただろうか。
すでにキャンプ場に着いていてもおかしくない。
なのに、トウキはまだ山のなかをうろついていた。
背後には生いしげった森。道路はどこまでも続いている。
気づけば、キャンプ場が見えなくなっていた。
見下ろせばキャンプ場が確認できる位置にしか、移動しなかったはずなのに。
おかしい。ここまでは、一本道だった。
どうやったら、道に迷うというのだろう。
トウキは足を止め、道を確認するため後ろを振り返った。
――それは、まだ旗を振っていた。
「まだ……いる……」
トウキから百メートルほど離れた位置で、ゆらゆらと。
頭上で曲線を描くように、一定の動作で振り続けられる旗。
「あれは、誘導人形なんじゃ……ないのか……」
ざわっ、と風が吹く。
トウキの髪が、着ている服が、風によってあおられる。
強い風にトウキは腕で顔をおおった。
顔を上げると、誘導人形の姿がなくなっていた。
「どこにいった? 風で倒れたのか……」
そういえば、とトウキはキャンプ場の受付スタッフがいっていたことを思い出す。
——くれぐれもキャンプ場の敷地内からは出ないで下さい。
——クマでも出るんですか。
——規則ですので。
受付スタッフは、どうにも答えにくそうにしていた。
その顔は、どこか浮かない顔をしていたように思う。
まさか、クマではないものが出るということか。
では、何が出るというんだ。
「あれは、〝誘導人形じゃない〟。クマでも、ない……」
トウキは走り出す。
どこまでも続いている道路をただひたすらに。
さっきまではキャンプ場へと続いていたはずの、長い長い道路を。
母親は、双子の妹と弟を産んだ後に帰らぬ人となった。
トウキが五歳の時だ。
それから父は、叔父と二人でトウキと双子を育ててくれていた。
父と叔父は兄弟だ。
叔父は「どうせ結婚する予定もないし」という事で、一緒の家で暮らしてくれていた。
男手二人育児の五人家族。
毎日がとても楽しい。
だが、どうにも寂しくなるときもあった。
トウキに、母親の記憶はもうほとんど残っていない。
おぼろげになってしまったその顔を思い出しては、ひどく悲しくなるのだ。
母親のことを忘れそうになっている自分に、腹が立つのだ。
しっかりと覚えているのは、母親が自分に何かをいっているシーン。
それもなんていっているのかは、もう思い出せない。
——トウキ……があっ……す……げ……。
トウキは、日々おびえていた。
母親が自分の中からいなくなるかも知れないことを。
そのことが、とても怖かった。
もう一度。
わずかなあいだだけでもいいから、母親に会いたかった。
旗を振る何かは、トウキがどこに逃げようと、必ず背後に着いてきていた。
あれは自分をどうしようとしているんだろう。
走りながら考え続けるが、先に足のほうが限界を迎えてしまった。
もう、走れない。
トウキはむき出しの地面の上に座りこんだ。
とたん、手が空を切る——道路の先が、ない。
見ると、目の前は崖になっていた。
いつの間にか、山を登っていたらしい。
見下ろすとはるか下にテントが見える。
自分の家族がそこにいた。
事態をようやく理解する。
「あのまま走り続けていたら……ここから、落ちてた……?」
後ろを振り返る——やはりまだ、いた。
旗を振り続けている〝あれ〟が。
ぼんやりとした、人の影のようなもの。
ゆっくりと一定の速度で腕を動かし、トウキに向かって旗を振っている。
この距離なら、何色の服を着ているのかぐらいはわかりそうなものなのに。
どれだけ目を凝らしても、あれが何なのかがわからない。
人影。
誘導人形。
ユーレイ。
化け物。
説明のつかない人ではない何か。
トウキは、先のない道を見下ろす。
「あいつ……俺をここから落としたかったのってのか……?」
百メートル、九十メートル、八十メートル……。
スーッと、地面を滑るように。
ゆらゆら、ゆらゆらと、旗を振りながら。
それは少しずつ、トウキへと距離を縮めてきている。
「待て……待てって……来んな……こっちに来ないで……」
声は、大部分がのどに引っかかり、蚊の鳴くようなものしか出てこない。
当然、〝あれ〟には届かないだろう。
いや、あれが言葉を理解できるのかもわからない。
七十メートル、六十メートル、五十メートル……。
やはり〝それ〟は人形なんかじゃない。
そして、人間でもない。
人影にしては影が濃く、動きも不自然だ。
四十メートル、三十メートル、二十メートル……。
〝これ〟が持つ旗は、思ったよりも大きかった。
トウキが見たことのある旗は通学団の班長が持っているような黄色い旗だが、あれより三倍ほどはありそうな大きさがあった。
それを一定の速さでずっと振り続けているというのは、冷静に考えてやはりおかしかった。
もう、トウキの目の前まで来てしまった。
旗は、いまだ振り続けられている。
「助けて……助けて……お父さん……叔父さん……」
呼んだって、誰も来ない。
一本道のはずだった道は、なぜかこの崖にたどりついた。
おかしいのだ。
もともと、何かがくるっている。
「お父さん……叔父さん……」
誰も来ないのは、わかっている。
でも、呼ばずにはいられないのだ。
「お母さん……」
もう、足は動かない。
涙が頬をつたい、地面にぼたぼたと染みを作る。
恐怖に震える腕で顔をおおった。
呼吸が、おかしい。
息が、できない。
旗なんか、もう見たくないのに。
「はあっ……はあっ……はあっ……」
意識が遠のきそうになったとき、ふとかすかに何かが聞こえた。
——があっ……が……す……あげ……。
遠くのほうで、いや、近くだろうか。
それは、すぐに木々のざわめきにかき消されてしまった。
――トウキ……。
最後に聞こえたそれは、確かに自分の名前を呼んでいた。
(あの声……あれは……)
何かが分かりかけた、と思いながらも長く続いた緊張がわずかに途切れた瞬間。
トウキは意識を手放していた。
気付くと〝あれ〟はいなくなっていた。
顔を上げると、そこはキャンプ場が目の前の草むらだった。
トウキはそこに座りこみ、膝に顔をうずめていた。
テントの前では家族がバーベキューの準備を終えていて、わいわいとにぎわっている。
トウキに気づいた父親が、にっこりとほほ笑んで手を振った。
「トウキ。肉焼くぞ。早く来い」
あれはどこに行ったのだろう。
なぜ、急に消えたのだろうか。
そして最後に聞こえた、あの声をトウキはどこかで聞いたことがあるような気がした。
どこか遠い昔の記憶。
そうだ——あれは。
「お母さん」
トウキは急いで父親に駆け寄ると、無我夢中で聞いた。
「あのさ、お母さんのことだけど」
すると父親はびっくりした顔をして、叔父と顔を見合わせた。
すぐに持っていた肉の皿をテーブルに置き、トウキの視線に合わせ身をかがめた。
「母さんのことで、聞きたいことがあるのか」
「うん。いいかな」
「もちろんだよ。何でも、聞いてくれ」
「あのさ。母さんが俺によくいっていた言葉があるはずなんだ。今でもそれだけは覚えてるんだけど、でももう忘れかけてて……」
「ああ……あれか。あれはな」
父親は、どこか懐かしむような穏やかな目をしていった。
「〝トウキに何があっても、お母さんが助けてあげるからね〟。母さんはいつも、トウキにこういっていた」
あの時、聞こえたかすかな声。
——トウキ……があっ……が……す……あげ……。
「そっか。そうだったんだ」
「トウキ。どうしたんだ。何かあったのか」
不思議そうにいう父親に、トウキは首を振る。
「大丈夫。何もないよ」
風が吹いた。
木々の葉のこすれる音。
そのざわめきに乗って、聞こえてきた。
忘れかけていた、優しい声が。
——んど……トウキ……が……。
わかったよ、お母さん。
トウキは、聞こえた声に応えるように空を見上げた。
〝今度は、トウキが弟と妹を守る番だよ〟。
そう、聞こえた——気がした。
トウキは弟と妹にかけよりそれぞれの手をつかみ、いった。
「ご飯が終わったら、バドミントンするか」
「いいのっ」
「やったあっ」
嬉しそうに喜ぶ双子に、トウキはほほ笑んだ。
トウキの頭に父の大きな手が乗る。
ふり向くと、優しい顔をしてトウキを見つめていた。
そして、今度は叔父が顔をのぞきこんでくる。
「よろしくな。お兄ちゃん」
「わざわざ、お兄ちゃんなんていうなよ」
すると、父がわしゃわしゃとトウキの髪の毛をなでまわしながら、いった。
「よーし。メシにするか。お前ら、あそこの手洗い場でしっかり手洗って来い」
キャンプ道具を車につめこみ終えたトウキたちは、キャンプ場の受付でチェックアウトをする。
トウキは受付のスタッフとやりとりをしている父と叔父をそなえつけのベンチに座り、ぼんやりとながめていた。
双子はベンチの上で、それぞれ持って来ていたミニカーを走らせ遊んでいる。
ふと、奥にいる二三人のスタッフたちの顔が青ざめているのに気づいた。
ひそひそと話し声が聞こえてくる。
「また……もう……しょ……閉めたほうが……」
「……旗が……で……崖……」
「消えた……だめだよ……あ……が……〝フラッグマン〟が……」
やはり、ここはおかしかったのだ。
トウキは全身に冷や汗がふき出るのを感じた。
じんわりと辺りの空気が冷たくなっている気がする。
まさか。
いや。
そんなバカな。
トウキは、双子の腕をつかむとこちらに引きよせ、抱きしめた。
「お母さん……助けて……お母さん……」
受付小屋の窓の外に、影が見える。
ゆっくりと一定の速度で、何かを振っている。
あれは、旗だ。
【フラッグマン おわり】
「ギャ―――――――ッ!」
ストーリーが終わったとたん、トウキは叫びながらVRゴーグルを脱ぎ捨てた。
ソファから立ち上がり、出入口に向かって走り出す。
とたん、サイコがトウキの腰を押さえつけ、引き留めた。
「お客さま―――ッ! 建物内では走らないようにお願いしますう!」
「放せえ! 何なんだよ、これ。怖すぎるだろ! もう帰る――――ッ!」
「ふひひひひっ! いや、実にいい反応……じゃなくてえ……落ち着いて下さいっ! ほら、狐火キャンディです! おいしいですよお!」
トウキの口の中に、キャンディをポコンと放りこむ。
そのおいしさに、トウキはすぐさま落ち着きを取りもどした。
「めちゃうまい!」
「いやあ、大人しくなってよかったあ。フライパンではじけたポップコーンみたいにかけ出していくんですからあ。じっさい、時速何キロ出てました?」
「知るか! いやそれよりも。怖すぎるだろ! 何なんだよ、ここは!」
「オバケ屋敷ですよ。何いってるんですか?」
「お前もだよ。最初のほうはもうちょっとスタッフっぽかったのに。タメ口すぎるだろ。本当にスタッフなんだろうな」
「いえ、ワタシはスタッフではなく、サイコです~。ユーレイのサイコです!」
「……バカにしてんのか―――ッ! もう帰るッ! ……キャンディはうまかったよ! ごちそうさま!」
ダダダッと走りだし、トウキはそのまま出ていってしまった。
ポカン、とトウキのうしろ姿を見送るサイコ。
そして、ようやくハッと気が付いた。
「しまった。つい、正直にワタシがユーレイであることを話してしまいました」
「まったく。何やってるんだ、サイコ」
キュウビはため息をつきながら、サイコの肩を叩く。
すると、まばたきのうちに、サイコはユーレイの姿に戻ってしまった。
どこかで隠れていたらしいユーレイや妖怪たちの笑い声が、どっとエントランスに響き渡った。
「ア―――――――ッハッハッハ! いい叫び声を出す客だったな! サイコ! いい仕事したじゃないか! 最高だあッ!」
「ひい~ひい~っ、笑いで腹がよじれちまうっ。あの人間は次はいつ来るんだっ? ここのストーリー全部やってほしいなあ! 驚きっぷりがたまんねえ! ひ~ひひひ、最高の客だあ! ひっひっひ~!」
これまでで、一番の盛り上がりっぷりだ。
子規はニッコリ、笑顔になる。
この反応だけで、いい話が書けたんだ、と実感できたから。
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