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第三章 恐怖のメゾン、おおにぎわい!
八 落ち着かされたお客さま
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「子規くん。手を出してみてくれないか」
ある日。
突然、キュウビにいわれ、子規は「はい」と何の疑いもなく手のひらを差し出した。
すると、子規の手のひらに、コロンと何かが乗せられた。
親指の爪ほどの小さな火の玉が、子規の指先で燃えている。
しかも触っても、ちっとも熱くはなかった。
「これ、何?」
「日ごろのお礼だよ。私の狐火から作った特製の〝狐火キャンディ〟だ。おいしいよ」
「えっ、これ食べ物なの?」
「暑い日にぴったりの、ひんやりとした甘さが特徴。ほんのり感じる塩味が、夏バテに最適なのさ」
子規は意を決して、それをポイッと口の中に放りこんだ。
すると確かに感じられる、ひやっと冷たい甘さ。そして、ほのかな塩味。
「おいしいっ」
「そうだろう、そうだろう。私の狐火は優秀だからなあ」
夏バテに最適、とキュウビはいった。
確かに、このキャンディを食べたら、体の奥底からじんわりと力がわいてくるような感じがした。
「キュウビ。あの、相談があるんだけど。これ、たくさん作れたりする?」
「もちろんだ。でも、どうして?」
「これ、お客さまに配ってみたらどうかなって。いつもだいたいのお客さまは、恐怖に疲れて、ぐったりしながら帰っていくから。だから、帰りに狐火キャンディをプレゼントしたら、元気になってもらえるんじゃないかなあ。また、明るい気持ちでメゾンド・ド・ストレンジに来てもらいたいんだ」
「すてきな考えだ!」
ふふん、と鼻を鳴らすキュウビの指先に、大きな狐火がぽぽぽ、と現れる。
「狐火キャンディなら、一日に千個ほど作れるよ」
するとそこから、次々とキャンディが飛び出し、床に転がっていく。
あっという間に、山盛りの狐火キャンディが出来上がった。
「ではさっそく、我がメゾンの新規サービスと銘打って、SNSや新聞の朝刊に記事を載せ、アピールしていこう。これで明日もお客さまでににぎわうことになる。楽しみだな、子規くん!」
「うん!」
次の日、キュウビの思惑通りに、メゾンド・ド・ストレンジのエントランスはお客さまでにぎわった。
帰り際も、人間に化けた妖怪たちが出口に待機し狐火キャンディを配っているので、飛んで帰る人はすっかりいなくなった。
受け取る人々は、だいたい顔が青ざめていたけれど、食べてもらうとみるみるうちに顔色が良くなっていく。
ほとんどのお客さまが、すがすがしい顔で帰っていった。
すると、一度来店したお客さまが、再度来店してくれる確率が上がった。リピート率が高くなったのだ。
「子規くん」
やっとお客さまが空いてきたエントランスのはしっこで、キュウビがおいでおいでと手まねきをしている。
そばに駆けよると、キュウビがスマホの画面を見せてきた。
「昨日、SNSでバズったらしい」
「何が?」
「我がメゾンド・ド・ストレンジが、だよ」
スマホの画面には、SNSのとある投稿が表示されていた。
〝巷でウワサのメゾンド・ド・ストレンジに行ってきた! アトラクションのストーリーは【カフェオレの香り】ってやつをやってきたけど、マジでヤバイ! ガチで、不気味。なんなんだ、あれはッッッ!〟。
この投稿に、一万もの「いいね」がつけられている。
「この投稿のおかげで、【カフェオレの香り】が、我がメゾンのストーリーランキングで一位になっている」
スマホをタップしながらいうキュウビに、子規が答える。
「うん、ぼくもびっくりしたよ。あの話、一位になるような王道のホラーストーリーじゃないし」
「ああ、ごらん! まただ。【カフェオレの香り】のお客さまだよ」
学生くらいの女性のお客さまが、エントランスをぐるりと見渡している。
キュウビは妖術をドロンと使って、狐耳とシッポを消すと、お客さまのほうへと歩いていった。
「いらっしゃいませ。お客さまのお名前をいただけますか?」
「えっと、アキホ……といいます」
「アキホさま。【カフェオレの香り】がお目当てで、いらしてくださったんですよね」
「はい。どうしてわかったんですか?」
「手に持っているスマホ。SNSを開いてますよね。今、バズってますから。ふふ」
「あっ、本当だ。ばればれだった」
二人して笑いあうと、アキホはソファに座った。
VRゴーグルを装着し、体勢を整えると、キュウビが穏やかにいう。
「途中リタイアは、できませんので……ご了承ください」
「はい」
「よかった。それでは、アキホさまが心地よい恐怖に出会えますよう」
【カフェオレの香り】
アキホは、この季節が嫌いだった。
湿っぽい、じめじめとした空気が、アキホの肌にまとわりつく。
風はひんやりと冷たいのに、陽の光はやけに強くて、何だかちぐはぐとしているのが気持ち悪い。
アキホはイライラしながら、スマートフォンをタップした。
画像アプリを開き、なかの一覧をスクロールしていく。
そして、去年の今日の日付の写真を見つける。
それは、クラスメイトの一人を撮ったものだった。
彼の名前は、イヅル。
アキホは高校に入学した一学期のはじめまで、イヅルと付き合っていた。
しかし、イヅルはもういない――。
一学期のおわりに、この世を去ってしまった。
写真は、その日イヅルが亡くなる直前に撮ったものだった。
イヅルの叔父が経営する、素朴な喫茶店。
スマートフォンのなかにいる、無邪気な笑顔のイヅルに懐かしさを感じる。
だが、もう一度会いたいとは思わなかった。
「イヅルは、もういない。いないはずなのに……」
アキホはしばらく道路に立ちつくし、イヅルの写真をながめていた。
そして、ようやくスマートフォンの画面を落とすと、サコッシュのなかに放りこむ。
「イヅル……どうして……どうしてなの」
うなじを太陽にこがされながら、ふらふらと歩く。
しばらく歩いて見えてきたのは、青い屋根に白壁の建物。
喫茶・クインテット。イヅルの叔父の喫茶店。
よくイヅルと二人で遊びに来ていた。
イヅルがいなくなってからは、一度もおとずれていない。
ずいぶんと久しぶりだ。
お昼どきだからか、駐車場には車は一台もとまっていなかった。
ドアを開けると、すぐに鼻をくすぐるコーヒーの香り。
レジ近くの棚には可愛らしい雑貨や、手作りのお菓子が売られていた。
カウンターの後ろには、有名な陶磁器ブランドの食器たちがならんでいる。
「アキホちゃん! 来てくれたんだね」
「シズクさん。お久しぶりです」
「ああ、本当に。イヅルがああなってから……いや、ごめん。いつもの席に、座るかい?」
「……はい」
イヅルとアキホの特等席だった窓際の奥のソファ席。
「暑いよね。ロールカーテン、さげようか」
「ううん、大丈夫。これくらい」
「そうか……暑かったら、いうんだよ。注文は、決まってる?」
「ココアがいいかな。コーヒーじゃなくて、ごめんなさい」
「いいんだよ。いつもそうだったじゃないか。アキホちゃんがココアで、イヅルがカフェオレだったもんな」
冗談混じりに、ニコッと笑いカウンター裏に入っていくシズク。
アキホはそれをぼんやりとながめていた。
すると店内のスピーカーから流れる音楽が、唐突に変わった。
アキホの肩が、ビクッと震える。
「さっきの曲、まだ途中だったのに……」
流れてきたのは、生前イヅルがよく、シズクリクエストしていたものだ。
アキホが来店したので、シズクが気を利かせたのだろう。
曲名『ダンス・ウォーキング・ダンス』。
アップテンポの曲調から、急にゆっくりとした雰囲気になり、また最後には明るいテンポにもどる、変わった曲だ。
懐かしい、と同時に、耳をふさぎたくなる衝動にかられる。
せっかく、シズクがかけてくれたのに。
今、アキホはイズルのことを考えたくなかったのだ。
――死んだはずのイヅルが、なぜか自分の前に現れているから。
イヅルは、いわゆるイケメンというやつだった。
なので、アキホはとても驚いたのだ。
まさか、女の子に大人気のイケメンに、自分が告白されるとは思わなかったから。
イヅルと付き合ったら、女の子たちの嫉妬にかられるに決まっている。
しかし、結局アキホはイヅルと付き合うことにした。
アキホも、イヅルのことをひそかに想っていたのだ。
しかし、やはりその選択は間違っていた。
アキホは、当然のように女の子たちから嫌がらせを受けるようになった。
日を追うごとにだんだんエスカレートしていく嫌がらせに、アキホはついに耐えられなくなった。
「ごめん。私たち、別れよう」
ある日、ついにイズルに告げた。
しかし、イズルは首を横にふった。
「別れるなんて、嫌だよ。俺はアキホのことが好きなんだ。他の女子なんて関係ない」
何度、別れることを提案しても、この一点張りだった。
それからもアキホは、イヅルのファンから陰湿な嫌がらせを受け続けた。
いよいよガマンの限界にきたアキホは、イヅルにいった。
「先生に相談してみる」
「俺もいっしょに行くよ。アキホが心配だから」
職員室に向かうアキホに、イヅルは黙ってついてきた。
そして。
——その日の夕方、イヅルは事故にあった。
イヅルを轢いた車の運転手。
それは、イヅルの近所に住むクラスメイトの姉だったらしい。
なぜこんなことをしたのかは、アキホにはわからない。
イヅルは、もうこの世からいなくなってしまったのだから。
それから、一年が経ったころのことだ。
アキホの部屋で、不思議な現象が起こるようになった。
朝起きると、かすかにカフェオレの香りが漂ってくるのだ。
イヅルが好きだった、喫茶・クインテットのカフェオレに似ていた。
ゾクッとして、自室を見渡すアキホ。
当然、誰もいない。
もちろん、カフェオレも置いていない。
気のせいだ。
アキホはカフェオレの香りをふりはらうように、部屋中の窓を開け放つ。
そんなことが、ここ最近で二、三回は続いた。
そして、ついに。
不思議な現象はそれだけにとどまらなくなってしまった。
ある日の夜、ベッドに入り、眠りにつこうとすると、遠くのほうで音楽が流れている。
曲名は、すぐにわかった。
『ダンス・ウォーキング・ダンス』。イヅルが好きだった曲だ。
近所の誰かがかけているのだろうか、こんな時間なのに……と寝返りを打つ。
すると、音楽がどんどんと近づいてくるのを感じた。
少しずつ、少しずつ、楽器の音が鮮明になっていく。
いい音楽も、恐怖心がつのればそれはただの雑音となってしまうようだった。
アキホは、ぎゅうっと耳を押さえてタオルケットにうずくまる。
音楽は、じょじょにアキホとの距離を縮めてきた。
ざわざわと、アキホの心臓を震わせる。
気がつけばそれは耳元で——いや、耳の中に入りこみ、騒がしく鳴りひびいた。
「うるさい……もう、だまって……っ」
気が狂いそうだった。
アキホは叫び出しそうになるのを必死で耐え、時が過ぎるのを待った。
何も考えないように。
あぶら汗が頬をつたうのをぬぐうこともせず。
気づけば、朝になっていた。
どうやら知らぬ間に、気絶していたようだった。
鏡をのぞくと、顔は血の気が引いて真っ青になっていた。
髪は汗でぐっしょりとぬれ、頬にはりついている。
シーツも湿っていた。
洗濯をしなければならない。
しかしまたカフェオレの香りがしてきたら……と、頭を抱えこむ。
寒気が止まらない。
もう何も、考えたくなかった。
「イヅルが、来たんだ……この部屋に……」
「お待たせ。ココアだよ」
シズクの声と、ココアの香りで我に返った。
「あ……ありがとうございます」
「何か、悩みごと? ぼくでよかったら、話を聞くよ」
店内では、相変わらず『ダンス・ウォーキング・ダンス』がかかっている。
しかし、シズクが気を利かせてくれているがわかるので、アキホは何もいうことができなかった。
「いえいえ、悪いです。この曲もシズクさんがかけてくれてるんですよね。なので、もうこれ以上は……」
「曲?」
シズクが不思議そうな顔をする。
「ダンス・ウォーキング・ダンス。かけてくれてますよね、今」
「いや。今は、何もかけてないよ」
「え……」
「アキホちゃんがいるのに、ダンス・ウォーキング・ダンスはかけないよ。その曲……イヅルが好きだった曲だよね。イヅルの思い出の曲をアキホちゃんがいるときには、かけないよ……。ますます辛い思いをさせるかもしれないのに」
「そんな……」
何かが、ずっとおかしかった。
ないのに香ってくる、カフェオレ。
近づいてくる、ダンス・ウォーキング・ダンス。
かけられていないのに、かかっている、店内BGM。
(何も、流していないなんて……)
今もアキホの耳には、イヅルの好きだったあの曲がしっかりと聞こえている。
しかし、シズクは何も流していないという。
たちの悪い冗談、なのだろうか。
「アキホちゃん、あの……今まで黙ってたんだけどね」
シズクがあらたまったようすで、口を開いた。
「イヅルが死ぬ日の夕方……電話があったんだ。イヅルから」
アキホが顔をあげると、シズクはやわらかくほほえんだ。
「〝アキホのこと、俺……死んでも忘れたくないんだ〟って」
「え?」
「こうもいってたよ」
——アキホに別れようっていわれたときも、考えられなかった。本当に、好きだから。だからさっき、アキホに嫌がらせしている女子たちにいってやったんだ。俺がアキホと別れるなんてありえない、死んでも好きだから……って。あいつら、泣き叫んでたよ。でも、これで胸がスッとした。これでずっとアキホと、いっしょにいられる……!
「……ってさ。まあ、その電話が終わったすぐに、イヅルは天国に行ってしまったけどね」
違う、とアキホは思った。
イヅルは、天国になんて行っていない。
今でもずっと、自分のそばにいるのだ。
ダンス・ウォーキング・ダンスと、カフェオレとともに。
「あと、アキホちゃんに嫌がらせをしていた女子たちのリーダーが、イヅルのファンのお姉さんだったみたいだね」
「それって……っ?」
「ああ。そうとうイヅルのことが好きだったんだろう。それでイヅルがかけてきた、さっきの電話の会話を聞いたんだろうね。何もかもどうでもよくなって、あんなことをした、といっていたようだよ」
シズクの話は、初めて聞くことばかりだった。
「そのこと、どうして今になって話してくれるんですか。今まで、黙ってたのに」
「アキホちゃん。イヅルは今でも、君のそばにいてくれていると思うかい」
「え、それは……」
何もいえなかった。
だって、〝いる〟のだから。
でも、こんなことをいえばおかしな人間だと思われるかもしれない。
なので、アキホはただ黙っていた。
「アキホちゃんは、ココアが好きだよね」
「は、はい……」
「そして、音楽だと最近はシンガーソングライター・ケセラの『カップケーキ』をよく聞いている。食べ物だと、カルボナーラと親子丼。今まで読んだ本でお気に入りなのは、佐久間イルオの『陽光の空』。観覧車は苦手だけど、ジェットコースターは好き」
アキホの背筋にぞわっとしたものが走る。
「なんでそんなこと……知ってるんですか」
「全部、イヅルから聞かされるんだよ。そして、全部覚えてしまった。……いつの間にか、ぼくも君のことを好きになってしまったんだ」
ニコニコと、変わらない口調で話すシズク。
さわやかな笑顔、優しい声、まっすぐな視線。
しかし、アキホにはそれすらうすら寒く思えた。
シズクが何をいっているのか、わからなかった。
「もちろん初めは二人のこと、応援していたよ。でも、イヅルは相変わらずだった。自分がモテることをいいことに、アキホちゃんに嫉妬させたくて、女子たちをたぶらかし続けた。アキホちゃんに見せつけるためにね。女子たちはもちろん勘違いして、アキホちゃんへの嫉妬はエスカレートしていっていた。バカなやつだよな。そんなことでもしないと、アキホちゃんを繋ぎとめられないと勘違いしてたんだよ。もう、見てられなかった。もどかしかった。ぼくだったら、アキホちゃんを幸せにしてあげられるのにさ。だから、あの日……ぼくが決着をつけてやろうと思った」
「え?」
「イヅルのファンたちのリーダーをつきとめて、教えてやったんだよ。ぼくにかけてきた電話の内容をね。一語一句、間違えずに……すべて」
――アキホのこと、俺……死んでも忘れたくないんだ〟。
――アキホに別れようっていわれたときも、考えられなかった。本当に、好きだから。だから今さっき、アキホに嫌がらせしている女子たちにいってやったんだ。俺がアキホと別れるなんてありえない、死んでも好きだから……って。あいつら、泣き叫んでたよ。でも、これで胸がスッとした。これでずっとアキホと、いっしょにいられる。
「じゃあ、電話の話は結局、シズクさんが彼女に教えたってこと……?」
「うん」
「そのせいで、イヅルは車に……?」
何もかも、信じられなかった。
初めて知ることばかりで、アキホの頭のなかは真っ白になっていた。
「イヅルは今も、君のそばにいるんだね。あの……遺言どおりに」
涙が、こぼれた。
悲しいからなのか、恐ろしいからなのかは、わからない。
イヅルのために泣いているのかも、シズクのせいで泣いているのかも、わからない。
「君は、イヅルと別れたかったんだろう? だが、イヅルは聞き入れなかった。よかったじゃないか。イヅルと離れられて」
アキホは何もいわなかった。
「ぼくは今でも、君のことが好きだよ。君のために、毎日ココアをいれてあげられる」
アキホは震える手でカップの取っ手をつかむと、ココアを一気に飲み干した。
そして財布からコインを出すと、カップの隣に置いた。
すると、すかさず「また来てね。ずっと、待っているから」と、シズクは落ち着きはらった声でいった。
「ごちそうさまでした」といって、アキホは店を飛び出した。
遠くで、音楽が流れている。
少しずつ、少しずつ、こちらに近づいてくる。
「ダンス・ウォーキング・ダンス……私も好きな歌だった。だから、気があうねってなかよくなって……イヅルと付き合いだしたんだよね」
アキホの目から、涙がこぼれた。
そしてアキホは、あきめたかのようにつぶやいた。
「本当に、いい曲だよね。私も……大好きだった……」
【カフェオレの香り おわり】
アキホはVRゴーグルをそっと外し、元の位置に戻した。
キュウビが「お疲れさまでした」とキャンディボックスに入った、狐火キャンディをひとつぶ、アキホに手渡した。
「いかがでしたか? 楽しんでいただけましたでしょうか」
「……怖いというか、気味が悪かったです。最後のほうとか」
「おやおや。まあ、確かにあのラストはSNSのほうでも、賛否両論なんですよ。だから、多くの人に来ていただけているのですけどね」
すると、アキホは不思議そうに首をかしげた。
「あの……すみません。〝否〟なのに、たくさんの人が来るんですか? 〝賛〟ばっかりじゃないのに?」
「ええ、ふふふ。好きじゃない、というレビューがつけば、それで興味を持ってくれる人もいるのですよ、逆にね。そんなことをいわれるのは、いったいどうしてだろう? と、確認がてら、来て下さるようで」
「なるほど。いろんな人がいるってことですね……」
アキホは、狐火キャンディを口にふくんだ。
舌の上に、ひやっと冷たい甘さ。そして、ほのかな塩味が広がる。
「VRって初めてだったので、かなり疲れてたんですけど、何だか力がわいてきました。不思議なキャンディですね。正直、VRオバケ屋敷よりも、こっちめあてで来たので、とても満足です」
「おやおや。それはそれは」
キャンディをコロコロと口の中で転がしながら、アキホは「また来ます」といって、帰って行った。
アキホが扉をバタン、と閉めたあと、キュウビの後ろにドバっとユーレイたちが降ってくる。
「あんまり怖がってなかったなあ。ツマンネー。やっぱりジワジワ系よりも、ビックリ系のほうがオレは好きカモ」
「ラストあたりの彼女の表情、見てなかったのかっ。シズクっていう、キモいキャラクターに心の底から恐がってたゾ。あの子はあんまり表情に出ないみたいだから、見逃したのかもな」
「ナニー! そんなレア表情、おがめてたのかっ。そういうこぼれた恐怖顔をひろえたのは、うらやましいワ~。お宝感あるよな~」
ユーレイたちのざわざわとした雑談に、子規は耳を澄ませる。
内容的にも来客的にも、だいぶ盛り上がってきた、メゾン・ド・ストレンジ。
その時、キュウビは子規が浮かない顔をしていることに気づいた。
「子規くん。どうした」
キュウビが、キャンディボックスを持ったまま近づいてきた。
「SNSで、いわれているんです。メゾン・ド・ストレンジの最高傑作は【百物語】だって。悔しいですよ。ぼく……もっと、もっと怖い話が書けるのに! って」
すると、キュウビはニヤリと狐のキバを見せながら笑った。
「さっそく、打ち合わせを始めようか。我がメゾンの次の最高傑作を生み出すために。人間たちの叫び声で、このメゾンを埋めつくすために!」
ある日。
突然、キュウビにいわれ、子規は「はい」と何の疑いもなく手のひらを差し出した。
すると、子規の手のひらに、コロンと何かが乗せられた。
親指の爪ほどの小さな火の玉が、子規の指先で燃えている。
しかも触っても、ちっとも熱くはなかった。
「これ、何?」
「日ごろのお礼だよ。私の狐火から作った特製の〝狐火キャンディ〟だ。おいしいよ」
「えっ、これ食べ物なの?」
「暑い日にぴったりの、ひんやりとした甘さが特徴。ほんのり感じる塩味が、夏バテに最適なのさ」
子規は意を決して、それをポイッと口の中に放りこんだ。
すると確かに感じられる、ひやっと冷たい甘さ。そして、ほのかな塩味。
「おいしいっ」
「そうだろう、そうだろう。私の狐火は優秀だからなあ」
夏バテに最適、とキュウビはいった。
確かに、このキャンディを食べたら、体の奥底からじんわりと力がわいてくるような感じがした。
「キュウビ。あの、相談があるんだけど。これ、たくさん作れたりする?」
「もちろんだ。でも、どうして?」
「これ、お客さまに配ってみたらどうかなって。いつもだいたいのお客さまは、恐怖に疲れて、ぐったりしながら帰っていくから。だから、帰りに狐火キャンディをプレゼントしたら、元気になってもらえるんじゃないかなあ。また、明るい気持ちでメゾンド・ド・ストレンジに来てもらいたいんだ」
「すてきな考えだ!」
ふふん、と鼻を鳴らすキュウビの指先に、大きな狐火がぽぽぽ、と現れる。
「狐火キャンディなら、一日に千個ほど作れるよ」
するとそこから、次々とキャンディが飛び出し、床に転がっていく。
あっという間に、山盛りの狐火キャンディが出来上がった。
「ではさっそく、我がメゾンの新規サービスと銘打って、SNSや新聞の朝刊に記事を載せ、アピールしていこう。これで明日もお客さまでににぎわうことになる。楽しみだな、子規くん!」
「うん!」
次の日、キュウビの思惑通りに、メゾンド・ド・ストレンジのエントランスはお客さまでにぎわった。
帰り際も、人間に化けた妖怪たちが出口に待機し狐火キャンディを配っているので、飛んで帰る人はすっかりいなくなった。
受け取る人々は、だいたい顔が青ざめていたけれど、食べてもらうとみるみるうちに顔色が良くなっていく。
ほとんどのお客さまが、すがすがしい顔で帰っていった。
すると、一度来店したお客さまが、再度来店してくれる確率が上がった。リピート率が高くなったのだ。
「子規くん」
やっとお客さまが空いてきたエントランスのはしっこで、キュウビがおいでおいでと手まねきをしている。
そばに駆けよると、キュウビがスマホの画面を見せてきた。
「昨日、SNSでバズったらしい」
「何が?」
「我がメゾンド・ド・ストレンジが、だよ」
スマホの画面には、SNSのとある投稿が表示されていた。
〝巷でウワサのメゾンド・ド・ストレンジに行ってきた! アトラクションのストーリーは【カフェオレの香り】ってやつをやってきたけど、マジでヤバイ! ガチで、不気味。なんなんだ、あれはッッッ!〟。
この投稿に、一万もの「いいね」がつけられている。
「この投稿のおかげで、【カフェオレの香り】が、我がメゾンのストーリーランキングで一位になっている」
スマホをタップしながらいうキュウビに、子規が答える。
「うん、ぼくもびっくりしたよ。あの話、一位になるような王道のホラーストーリーじゃないし」
「ああ、ごらん! まただ。【カフェオレの香り】のお客さまだよ」
学生くらいの女性のお客さまが、エントランスをぐるりと見渡している。
キュウビは妖術をドロンと使って、狐耳とシッポを消すと、お客さまのほうへと歩いていった。
「いらっしゃいませ。お客さまのお名前をいただけますか?」
「えっと、アキホ……といいます」
「アキホさま。【カフェオレの香り】がお目当てで、いらしてくださったんですよね」
「はい。どうしてわかったんですか?」
「手に持っているスマホ。SNSを開いてますよね。今、バズってますから。ふふ」
「あっ、本当だ。ばればれだった」
二人して笑いあうと、アキホはソファに座った。
VRゴーグルを装着し、体勢を整えると、キュウビが穏やかにいう。
「途中リタイアは、できませんので……ご了承ください」
「はい」
「よかった。それでは、アキホさまが心地よい恐怖に出会えますよう」
【カフェオレの香り】
アキホは、この季節が嫌いだった。
湿っぽい、じめじめとした空気が、アキホの肌にまとわりつく。
風はひんやりと冷たいのに、陽の光はやけに強くて、何だかちぐはぐとしているのが気持ち悪い。
アキホはイライラしながら、スマートフォンをタップした。
画像アプリを開き、なかの一覧をスクロールしていく。
そして、去年の今日の日付の写真を見つける。
それは、クラスメイトの一人を撮ったものだった。
彼の名前は、イヅル。
アキホは高校に入学した一学期のはじめまで、イヅルと付き合っていた。
しかし、イヅルはもういない――。
一学期のおわりに、この世を去ってしまった。
写真は、その日イヅルが亡くなる直前に撮ったものだった。
イヅルの叔父が経営する、素朴な喫茶店。
スマートフォンのなかにいる、無邪気な笑顔のイヅルに懐かしさを感じる。
だが、もう一度会いたいとは思わなかった。
「イヅルは、もういない。いないはずなのに……」
アキホはしばらく道路に立ちつくし、イヅルの写真をながめていた。
そして、ようやくスマートフォンの画面を落とすと、サコッシュのなかに放りこむ。
「イヅル……どうして……どうしてなの」
うなじを太陽にこがされながら、ふらふらと歩く。
しばらく歩いて見えてきたのは、青い屋根に白壁の建物。
喫茶・クインテット。イヅルの叔父の喫茶店。
よくイヅルと二人で遊びに来ていた。
イヅルがいなくなってからは、一度もおとずれていない。
ずいぶんと久しぶりだ。
お昼どきだからか、駐車場には車は一台もとまっていなかった。
ドアを開けると、すぐに鼻をくすぐるコーヒーの香り。
レジ近くの棚には可愛らしい雑貨や、手作りのお菓子が売られていた。
カウンターの後ろには、有名な陶磁器ブランドの食器たちがならんでいる。
「アキホちゃん! 来てくれたんだね」
「シズクさん。お久しぶりです」
「ああ、本当に。イヅルがああなってから……いや、ごめん。いつもの席に、座るかい?」
「……はい」
イヅルとアキホの特等席だった窓際の奥のソファ席。
「暑いよね。ロールカーテン、さげようか」
「ううん、大丈夫。これくらい」
「そうか……暑かったら、いうんだよ。注文は、決まってる?」
「ココアがいいかな。コーヒーじゃなくて、ごめんなさい」
「いいんだよ。いつもそうだったじゃないか。アキホちゃんがココアで、イヅルがカフェオレだったもんな」
冗談混じりに、ニコッと笑いカウンター裏に入っていくシズク。
アキホはそれをぼんやりとながめていた。
すると店内のスピーカーから流れる音楽が、唐突に変わった。
アキホの肩が、ビクッと震える。
「さっきの曲、まだ途中だったのに……」
流れてきたのは、生前イヅルがよく、シズクリクエストしていたものだ。
アキホが来店したので、シズクが気を利かせたのだろう。
曲名『ダンス・ウォーキング・ダンス』。
アップテンポの曲調から、急にゆっくりとした雰囲気になり、また最後には明るいテンポにもどる、変わった曲だ。
懐かしい、と同時に、耳をふさぎたくなる衝動にかられる。
せっかく、シズクがかけてくれたのに。
今、アキホはイズルのことを考えたくなかったのだ。
――死んだはずのイヅルが、なぜか自分の前に現れているから。
イヅルは、いわゆるイケメンというやつだった。
なので、アキホはとても驚いたのだ。
まさか、女の子に大人気のイケメンに、自分が告白されるとは思わなかったから。
イヅルと付き合ったら、女の子たちの嫉妬にかられるに決まっている。
しかし、結局アキホはイヅルと付き合うことにした。
アキホも、イヅルのことをひそかに想っていたのだ。
しかし、やはりその選択は間違っていた。
アキホは、当然のように女の子たちから嫌がらせを受けるようになった。
日を追うごとにだんだんエスカレートしていく嫌がらせに、アキホはついに耐えられなくなった。
「ごめん。私たち、別れよう」
ある日、ついにイズルに告げた。
しかし、イズルは首を横にふった。
「別れるなんて、嫌だよ。俺はアキホのことが好きなんだ。他の女子なんて関係ない」
何度、別れることを提案しても、この一点張りだった。
それからもアキホは、イヅルのファンから陰湿な嫌がらせを受け続けた。
いよいよガマンの限界にきたアキホは、イヅルにいった。
「先生に相談してみる」
「俺もいっしょに行くよ。アキホが心配だから」
職員室に向かうアキホに、イヅルは黙ってついてきた。
そして。
——その日の夕方、イヅルは事故にあった。
イヅルを轢いた車の運転手。
それは、イヅルの近所に住むクラスメイトの姉だったらしい。
なぜこんなことをしたのかは、アキホにはわからない。
イヅルは、もうこの世からいなくなってしまったのだから。
それから、一年が経ったころのことだ。
アキホの部屋で、不思議な現象が起こるようになった。
朝起きると、かすかにカフェオレの香りが漂ってくるのだ。
イヅルが好きだった、喫茶・クインテットのカフェオレに似ていた。
ゾクッとして、自室を見渡すアキホ。
当然、誰もいない。
もちろん、カフェオレも置いていない。
気のせいだ。
アキホはカフェオレの香りをふりはらうように、部屋中の窓を開け放つ。
そんなことが、ここ最近で二、三回は続いた。
そして、ついに。
不思議な現象はそれだけにとどまらなくなってしまった。
ある日の夜、ベッドに入り、眠りにつこうとすると、遠くのほうで音楽が流れている。
曲名は、すぐにわかった。
『ダンス・ウォーキング・ダンス』。イヅルが好きだった曲だ。
近所の誰かがかけているのだろうか、こんな時間なのに……と寝返りを打つ。
すると、音楽がどんどんと近づいてくるのを感じた。
少しずつ、少しずつ、楽器の音が鮮明になっていく。
いい音楽も、恐怖心がつのればそれはただの雑音となってしまうようだった。
アキホは、ぎゅうっと耳を押さえてタオルケットにうずくまる。
音楽は、じょじょにアキホとの距離を縮めてきた。
ざわざわと、アキホの心臓を震わせる。
気がつけばそれは耳元で——いや、耳の中に入りこみ、騒がしく鳴りひびいた。
「うるさい……もう、だまって……っ」
気が狂いそうだった。
アキホは叫び出しそうになるのを必死で耐え、時が過ぎるのを待った。
何も考えないように。
あぶら汗が頬をつたうのをぬぐうこともせず。
気づけば、朝になっていた。
どうやら知らぬ間に、気絶していたようだった。
鏡をのぞくと、顔は血の気が引いて真っ青になっていた。
髪は汗でぐっしょりとぬれ、頬にはりついている。
シーツも湿っていた。
洗濯をしなければならない。
しかしまたカフェオレの香りがしてきたら……と、頭を抱えこむ。
寒気が止まらない。
もう何も、考えたくなかった。
「イヅルが、来たんだ……この部屋に……」
「お待たせ。ココアだよ」
シズクの声と、ココアの香りで我に返った。
「あ……ありがとうございます」
「何か、悩みごと? ぼくでよかったら、話を聞くよ」
店内では、相変わらず『ダンス・ウォーキング・ダンス』がかかっている。
しかし、シズクが気を利かせてくれているがわかるので、アキホは何もいうことができなかった。
「いえいえ、悪いです。この曲もシズクさんがかけてくれてるんですよね。なので、もうこれ以上は……」
「曲?」
シズクが不思議そうな顔をする。
「ダンス・ウォーキング・ダンス。かけてくれてますよね、今」
「いや。今は、何もかけてないよ」
「え……」
「アキホちゃんがいるのに、ダンス・ウォーキング・ダンスはかけないよ。その曲……イヅルが好きだった曲だよね。イヅルの思い出の曲をアキホちゃんがいるときには、かけないよ……。ますます辛い思いをさせるかもしれないのに」
「そんな……」
何かが、ずっとおかしかった。
ないのに香ってくる、カフェオレ。
近づいてくる、ダンス・ウォーキング・ダンス。
かけられていないのに、かかっている、店内BGM。
(何も、流していないなんて……)
今もアキホの耳には、イヅルの好きだったあの曲がしっかりと聞こえている。
しかし、シズクは何も流していないという。
たちの悪い冗談、なのだろうか。
「アキホちゃん、あの……今まで黙ってたんだけどね」
シズクがあらたまったようすで、口を開いた。
「イヅルが死ぬ日の夕方……電話があったんだ。イヅルから」
アキホが顔をあげると、シズクはやわらかくほほえんだ。
「〝アキホのこと、俺……死んでも忘れたくないんだ〟って」
「え?」
「こうもいってたよ」
——アキホに別れようっていわれたときも、考えられなかった。本当に、好きだから。だからさっき、アキホに嫌がらせしている女子たちにいってやったんだ。俺がアキホと別れるなんてありえない、死んでも好きだから……って。あいつら、泣き叫んでたよ。でも、これで胸がスッとした。これでずっとアキホと、いっしょにいられる……!
「……ってさ。まあ、その電話が終わったすぐに、イヅルは天国に行ってしまったけどね」
違う、とアキホは思った。
イヅルは、天国になんて行っていない。
今でもずっと、自分のそばにいるのだ。
ダンス・ウォーキング・ダンスと、カフェオレとともに。
「あと、アキホちゃんに嫌がらせをしていた女子たちのリーダーが、イヅルのファンのお姉さんだったみたいだね」
「それって……っ?」
「ああ。そうとうイヅルのことが好きだったんだろう。それでイヅルがかけてきた、さっきの電話の会話を聞いたんだろうね。何もかもどうでもよくなって、あんなことをした、といっていたようだよ」
シズクの話は、初めて聞くことばかりだった。
「そのこと、どうして今になって話してくれるんですか。今まで、黙ってたのに」
「アキホちゃん。イヅルは今でも、君のそばにいてくれていると思うかい」
「え、それは……」
何もいえなかった。
だって、〝いる〟のだから。
でも、こんなことをいえばおかしな人間だと思われるかもしれない。
なので、アキホはただ黙っていた。
「アキホちゃんは、ココアが好きだよね」
「は、はい……」
「そして、音楽だと最近はシンガーソングライター・ケセラの『カップケーキ』をよく聞いている。食べ物だと、カルボナーラと親子丼。今まで読んだ本でお気に入りなのは、佐久間イルオの『陽光の空』。観覧車は苦手だけど、ジェットコースターは好き」
アキホの背筋にぞわっとしたものが走る。
「なんでそんなこと……知ってるんですか」
「全部、イヅルから聞かされるんだよ。そして、全部覚えてしまった。……いつの間にか、ぼくも君のことを好きになってしまったんだ」
ニコニコと、変わらない口調で話すシズク。
さわやかな笑顔、優しい声、まっすぐな視線。
しかし、アキホにはそれすらうすら寒く思えた。
シズクが何をいっているのか、わからなかった。
「もちろん初めは二人のこと、応援していたよ。でも、イヅルは相変わらずだった。自分がモテることをいいことに、アキホちゃんに嫉妬させたくて、女子たちをたぶらかし続けた。アキホちゃんに見せつけるためにね。女子たちはもちろん勘違いして、アキホちゃんへの嫉妬はエスカレートしていっていた。バカなやつだよな。そんなことでもしないと、アキホちゃんを繋ぎとめられないと勘違いしてたんだよ。もう、見てられなかった。もどかしかった。ぼくだったら、アキホちゃんを幸せにしてあげられるのにさ。だから、あの日……ぼくが決着をつけてやろうと思った」
「え?」
「イヅルのファンたちのリーダーをつきとめて、教えてやったんだよ。ぼくにかけてきた電話の内容をね。一語一句、間違えずに……すべて」
――アキホのこと、俺……死んでも忘れたくないんだ〟。
――アキホに別れようっていわれたときも、考えられなかった。本当に、好きだから。だから今さっき、アキホに嫌がらせしている女子たちにいってやったんだ。俺がアキホと別れるなんてありえない、死んでも好きだから……って。あいつら、泣き叫んでたよ。でも、これで胸がスッとした。これでずっとアキホと、いっしょにいられる。
「じゃあ、電話の話は結局、シズクさんが彼女に教えたってこと……?」
「うん」
「そのせいで、イヅルは車に……?」
何もかも、信じられなかった。
初めて知ることばかりで、アキホの頭のなかは真っ白になっていた。
「イヅルは今も、君のそばにいるんだね。あの……遺言どおりに」
涙が、こぼれた。
悲しいからなのか、恐ろしいからなのかは、わからない。
イヅルのために泣いているのかも、シズクのせいで泣いているのかも、わからない。
「君は、イヅルと別れたかったんだろう? だが、イヅルは聞き入れなかった。よかったじゃないか。イヅルと離れられて」
アキホは何もいわなかった。
「ぼくは今でも、君のことが好きだよ。君のために、毎日ココアをいれてあげられる」
アキホは震える手でカップの取っ手をつかむと、ココアを一気に飲み干した。
そして財布からコインを出すと、カップの隣に置いた。
すると、すかさず「また来てね。ずっと、待っているから」と、シズクは落ち着きはらった声でいった。
「ごちそうさまでした」といって、アキホは店を飛び出した。
遠くで、音楽が流れている。
少しずつ、少しずつ、こちらに近づいてくる。
「ダンス・ウォーキング・ダンス……私も好きな歌だった。だから、気があうねってなかよくなって……イヅルと付き合いだしたんだよね」
アキホの目から、涙がこぼれた。
そしてアキホは、あきめたかのようにつぶやいた。
「本当に、いい曲だよね。私も……大好きだった……」
【カフェオレの香り おわり】
アキホはVRゴーグルをそっと外し、元の位置に戻した。
キュウビが「お疲れさまでした」とキャンディボックスに入った、狐火キャンディをひとつぶ、アキホに手渡した。
「いかがでしたか? 楽しんでいただけましたでしょうか」
「……怖いというか、気味が悪かったです。最後のほうとか」
「おやおや。まあ、確かにあのラストはSNSのほうでも、賛否両論なんですよ。だから、多くの人に来ていただけているのですけどね」
すると、アキホは不思議そうに首をかしげた。
「あの……すみません。〝否〟なのに、たくさんの人が来るんですか? 〝賛〟ばっかりじゃないのに?」
「ええ、ふふふ。好きじゃない、というレビューがつけば、それで興味を持ってくれる人もいるのですよ、逆にね。そんなことをいわれるのは、いったいどうしてだろう? と、確認がてら、来て下さるようで」
「なるほど。いろんな人がいるってことですね……」
アキホは、狐火キャンディを口にふくんだ。
舌の上に、ひやっと冷たい甘さ。そして、ほのかな塩味が広がる。
「VRって初めてだったので、かなり疲れてたんですけど、何だか力がわいてきました。不思議なキャンディですね。正直、VRオバケ屋敷よりも、こっちめあてで来たので、とても満足です」
「おやおや。それはそれは」
キャンディをコロコロと口の中で転がしながら、アキホは「また来ます」といって、帰って行った。
アキホが扉をバタン、と閉めたあと、キュウビの後ろにドバっとユーレイたちが降ってくる。
「あんまり怖がってなかったなあ。ツマンネー。やっぱりジワジワ系よりも、ビックリ系のほうがオレは好きカモ」
「ラストあたりの彼女の表情、見てなかったのかっ。シズクっていう、キモいキャラクターに心の底から恐がってたゾ。あの子はあんまり表情に出ないみたいだから、見逃したのかもな」
「ナニー! そんなレア表情、おがめてたのかっ。そういうこぼれた恐怖顔をひろえたのは、うらやましいワ~。お宝感あるよな~」
ユーレイたちのざわざわとした雑談に、子規は耳を澄ませる。
内容的にも来客的にも、だいぶ盛り上がってきた、メゾン・ド・ストレンジ。
その時、キュウビは子規が浮かない顔をしていることに気づいた。
「子規くん。どうした」
キュウビが、キャンディボックスを持ったまま近づいてきた。
「SNSで、いわれているんです。メゾン・ド・ストレンジの最高傑作は【百物語】だって。悔しいですよ。ぼく……もっと、もっと怖い話が書けるのに! って」
すると、キュウビはニヤリと狐のキバを見せながら笑った。
「さっそく、打ち合わせを始めようか。我がメゾンの次の最高傑作を生み出すために。人間たちの叫び声で、このメゾンを埋めつくすために!」
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