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雨宿り

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~前回までのあらすじ~
 天外山脈を越えると今度は、森の中、谷また山の道程が続く。そんな中、ボクはシノ様とちょっとケンカをしてしまった。ケンカというには仕様もない理由で、お互いに意地を張ってしまって謝れない。
 ぎくしゃくした空気の中、森を歩く人を見つけた。

 ***

 その男たちは、クシディの村の者だと名乗った。
 今日は森に、雨期の終わり掛けに取れる特殊な苔を取りに来たのだという。

「メンモはこういう高い木の上に生えるんだ。見てろ」

 ペレと呼ばれていた褐色の肌の男はそう言うと、ほとんど下枝もない滑らかな木肌の木をするすると登っていく。
 ほんの少しの間に、彼は樹冠を抜けたところまで登って行ってしまった。

「は~、すげぇもんだな」
 アズマが上を見上げて感嘆の声を上げた。

 まもなく緑色のふわふわしたものがひと塊、あたりの葉っぱにぶつかりながら転がり落ち、それを皮切りに、同じ塊がいくつも足元に落下する。
 一つはシノ様の上に落ちてきて、うっかり笑ってしまったらめっちゃ睨まれた。

 ふええ……。

「これはおいしいんですか?」
 イチセが尋ねると、一人の若者が首を傾げて、食える、とだけ言った。
 味に期待はしない方が良さそうだ。

 ボクらは彼らの案内を受けて村まで連れて行ってもらうことになった。
 念のため妙な連中が村を出入りしていないかとそれとなく聞いてみたが、戸惑った様子でそんなことはないと答えた。

 まあ、大丈夫そうか。

 案内されたのは比較的なだらかな傾斜地に作られた森の中の村だった。

 木と竹で組んだ構造に泥を塗りこめた家が田畑の間に点在している。
 山奥の、おそらく人の訪れることの少ない貧しい村なのだろうが、ガラウイ山中の位置や滞在した村に比べて豊かに見えた。

 周囲の環境のせいだろう。

 ここは温かく、森に入れば食料も取れる。
 シュベットでは貴重品の野菜の類もここでは青々として育っていた。

 飯でも食っていけよ、とペレは誘ってくれた。

 是非ともご相伴に与りたいところだったが、丁重にお断りする。
 今のところ気配を感じないせいで忘れそうになるが、ボクらの背後には六人の追っ手が迫っているのだ。

 アズマによれば峠を越えた時には雪原は吹雪に包まれていたようだし、その日の夜も雪が降っていたように見えたらしい。
 であれば丸一日、いや雪原を越える時間を考えれば二日、雪が積もっていたことを考えればそれ以上の距離を稼げていると考えてもいいだろう。

 でもうち一日はボクのせいで潰してしまったし、道を探りながら歩いているせいで進める距離もゆっくりだった。
 村までやって来られたのだ、これからはもう少しは快調に歩いて行けると思うけど、あまり猶予があると考えない方がいい。

 というわけでボクらは、ほとんど休みもせずに足早に村を出ることになった。

「なんだこれ、辛っ!」

 アズマは別れ際にもらっていた赤い野菜をかじって慌てて吐き出した。
 イチセはそれを見て、あ~あ~、もったいない、と顔を顰める。

「吐き出すくらいなら食べないでください」
「だってあいつ、生で食えるって」

「食べられますよ。その辛味がいいって言う人もいますけど、わたしはぜひ煮てから食べたいですね。火を通せば甘くなるんです」
「なんだ、そうかよ。失敗した」

 アズマはぼやき、しかし時々においをかいでは口許にもって行き、ちょっとかじるのを繰り返している。
 辛い、えぐい、と文句を言いながらも食べるのはなんなんだろう。
 実は好きなんだろうか。

 村を出てからはしっかりとした道があって、かなり快適な旅を送ることができた。
 その日のうちにかなり歩いたと思う。

 夕方になると道からしばらく入った森の中に天幕を張って休んだ。
 眠っているうちに見つかって襲われたら大変だからね。

 村を出てから、ほとんど登りは無くなっていた。ひたすらに下ったせいか、かなり低い場所まで下りてきた気がする。
 もう振り返れば天外山脈の銀嶺は遠く、ほんの数日前まであの山で吹雪にまかれていたのが信じられないくらいだ。

 そのせいだろうか、夜になっても気温はあまり下がらなかった。

 狭い天幕は虫よけの為になるべく閉じられて、森の中にはあまり風が吹き抜けることもない。
 それはそれは暑いのだ。

 みんな慣れないぬかるみの山歩きに疲れていたはずだけど、イチセを除いて寝苦しそうにしていた。
 イチセだけは流石地元っ子で、平気そうにくかーと呑気な寝息を立てている。

「イヅルよ、なんか涼しくなる術でも知らねぇのか」
 アズマが呻くように言った。

「ぁあん、無茶言うなよ。また水でも出してやろうか」
「いや、いい。どうせすぐにでも熱くなっちまう」

 温めるのは簡単なのだけど、冷やすというのは中々難しいのだ。
 イザナがやっていたので火系統の術の応用でできるのは分かるのだが、どうして火で冷やせるのかが分からない。

 火は熱いものだろ!
 わけわかんないことすんな!

 アズマと話しているうち、急にシノ様がボクの背中に手を当ててきた。

 えっ、何ですか?
 もうケンカは終わりですか?
 仕様がないですね~、まあね、ボクも悪かったしね、許してあげますよ……って熱うっ!

 この感覚は、何度かアズマにしてあげたやつだ。
 身体を温める術。
 それにしては、少々強火だけど。

 ボクが悲鳴を上げて飛び跳ねると、シノ様は一言、わたしにもできたわ、とか言ってぷいっと向こうを向いてしまった。

 なんだなんだ、ボクにだけできて自分にできなかったのをまだ根に持っていたのか。

 別に普通に、できたよって言ってくれればいいじゃん、こんな風にひとの身体を炙らなくってもさ。
 も~っ、シノ様ってば訳わかんない!



 翌日は雨だった。
 夜明け前から空がごろごろと唸り声を上げ始め、そして八つ当たりみたいな土砂降り雨が降り始めた。

「山を下ってからで良かったですね」
 イチセがポツリと言った。
 雨が降れば谷川は増水し、村まで行き付くことは困難になっていただろう。

 色濃い緑の森に雨が降り注ぎ、ただでさえ鮮やかな緑を一層鮮やかに際立たせた。
 山に降った雨が流れ下り、道は増水している。
 雨粒が枝葉を叩く音が響き渡り、その音の間にはいつも聞かないような生き物たちの鳴き声が聞こえていた。

 ボクたちは急いで起き上がり敷物を畳んだ。

「どうする?」
「どうするって……。イチセはどう思う?」

 アズマとシノ様に視線を向けられて、イチセは難しい顔で首を捻った。

「今は季節の変わり目ですから、何日もこの雨が続くとも思えません。それを考えれば止むまで待つのが得策かと思いますけど、問題は……」
 イチセは不安げに来た道の方を振り返った。

「別にあいつらも、俺たちのことを常時監視してるわけじゃない。この雨で足跡も消えてるだろうし、ここで身を潜めて行っちまうのを待つってのもありだな。雨くらいで追跡を止めるとは思えねぇし、気づかずに行っちまうかもしれねぇぞ」

 アズマの言葉にシノ様が賛同して、雨が行き過ぎるまでしばらく森の中で待つことになった。

 そうなると水浸しにならない野営場所を見つけなければならない。
 呪術で炎を起こして、その光を頼りにしばらく探し回った。

 しかしやはり完全に雨の被害から免れられそうな場所は見つけられなかった。
 結局は妥協して、森の奥の高い岸壁の下に天幕を張った。傾斜が付き、眠っている間に足元が洪水という心配はなさそうだ。
 難点は岸壁を伝って水が流れてくることだが、降り積もった落ち葉のおかげでぬかるんではいない。

「じゃあ、各自しばらく休憩ね」
 シノ様が号令すると、アズマは真っ先に敷物の上に寝転がって寝息を立て始めた。昨夜はよほど寝づらかったらしい。

 イチセは辺りを見回して、何か見つけて嬉しそうな顔をした。天幕の下から出ると、やがて一抱えほどの一房の木の実を持って帰ってくる。

「それ、どうするの?」
「煮だします」

 イチセの一時間ちょっとクッキング!
 用意するのは怪しげな木の実一房。
 それから適当な鍋一つと、呪術で生成したたっぷりのお水。

 まずは木の実を鍋に適当に放り込みます。そして水を並々注ぎこんで火にかけ、吹きこぼさないように待つこと一時間。
 水が次第に黄色味を帯びてとろみが出たら完成!

 イチセはこれを椀に入れ、雨水と混ぜて冷ますとリタの首筋にゆっくりと垂らした。
 そして手のひらでごしごしとこすっていく。

 擦ったところは白く泡立ってきて、じきにリタは泡まみれのちょっとみすぼらしい感じになった。
 そんなことをされてもリタはあまり嫌そうな感じじゃない。
 むしろイチセに撫でられて気持ちよさそうだ。

「へえ。それって石鹸?」
 シノ様が尋ねると、はい、とイチセは頷いた。

「お姉ちゃんも使ってみてください。こっちは雨が多いので、ちゃんと身体を洗わないとくさくなりますよ」
「えっ……」

 シノ様はびくっと身体を震わせて慌てて自分のにおいを確認した。

 大丈夫ですよ、シノ様。
 シノ様なら、どんなにおいだってフレグランスです!

「手伝おうか?」
 ボクはイチセに尋ねてみたけど、断られた。

「これはわたしからリタへの感謝の気持ちだから。
 それより、イヅルもお姉ちゃんと身体洗ってきたら?
 最近お姉ちゃんがあんたに冷たいのって、臭いからなんじゃない?」

 ぬあっ……!
 こ、こいつめ、ひとが善意で言ってみれば……。
 臭いって言われるの、結構傷つくんだぞ!

「そうなんですか、シノ様?」
 一応おそるおそる尋ねてみたら、違う、違う!って大慌てで否定された。

 う~む、気を遣われたのか、どうなのか。
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