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三崎早月について

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 そんなことがあったからと言って、わたしと小佐田さんの関係が劇的に変わるわけじゃない。
 学校では必要以上に絡んだりしないし、お互いに避けるでもない。小佐田さんはこれまでと同じように整った顔面に張り付けた柔らかな笑みでおはようを言うし、わたしもポーカーフェイスで挨拶を返す。
 まだ少し引きずっているのだろう、肩を落としていることもあるけれど、わたしが見ているのに気づくと反抗的な目をして背筋を伸ばす。何年も胸に秘めた恋だったようだから、時間がかかっても仕方ないのかもしれない。
 まあ、また寂しくて堪らなくなって、誰にも愛されないような気分になった時には、わたしを強引に連れ出すことだろう。それでいいと思う。
 後期の中間テストが終わる頃には、街はすっかり冬の景色だった。街路樹は葉を落とし、日差しは弱まって街並みは鮮やかさを失う。少し気の詰まりがちな景色に、人口塗料や点灯するランプで描かれた看板だけが調子外れで物悲しい。
 わたしはテストで初めてぴょんちゃんに勝った。と言っても英語の一教科だけで他は及ばないのだけれど、彼女は大層打ちひしがれていた。
「そんな。やのぴーと足してようやくいい勝負してたつっきーが……」
 流れ弾に当たったやのぴーが、テストなんかじゃあたしの価値は測れねーから!とか言っている。素晴らしい心意気だと思う。
「例のイケメン君と同じ学校に通いたいんでしょ。良かったね」
 みんこがにやりと笑う。わたしは思わず頬を染めた。
「うん……。まあね」
 その井上君とは、未だに連絡が取れないでいる。いつまでも悟さんに気持ちを打ち明けられなかった小佐田さんを笑えない。なんというか、井上君の迷惑にならないか心配している内に時間が経って、その間にもっとハードルが上がってしまった感じだ。
 まあ、来年になればまた会えるよねって、楽観的なことを考えている。
 しばらくして冬休みに入って、親戚の家に連れていかれたりしながらも基本はごろごろして過ごした。食っちゃ寝していたので気づいたら体重が二キロも増えていた。体重計の数字を見た時には血の気が下がる気配がした。
「三崎さん、太った?」
 小佐田さんにも言われた。
「えっ……。なんで」
「なんか、全体的にもちもち感が増えたかも」
「きっ、着ぶくれしてるだけっすよ」
 三が日を過ぎてから二人で初詣に出かけた。わたしはもう親族と一緒に済ませていたのだけれど、誘ってくれたのが嬉しくて、まだ行っていないことにして待ち合わせ場所に向かった。
 以前にも待ち合わせに使った学校近くの公園で落ち合った。透さんと悟さんも一緒かもしれないと思っていたけれど、二人は家で勉強をしているそうだ。
「だいたい、あの二人が一緒だと気まずくて仕方ないわよ」
 小佐田さんはぺっぺっとつばでも吐きそうな顔をして言った。それもそうかと曖昧に微笑んでいると、何笑ってんのと睨まれた。彼女の前で悟さんの話を出すと、気が立って危険だ。
 せっかくなので少し遠くの大きな神社まで行ってみることにした。まだ露店とかも出ているかもしれないし。
 バスの二人掛けの席に腰かけて、流れる街並みを眺めている。今朝は少し雪が降った。とっくに降り止んで今は景色にその気配すらうかがえないけれど、少しくたびれたバスの効きの悪い暖房が分厚い窓ガラスを曇らせて、外気の冷たさを教えてくれる。
 小佐田さんは薄桃色の可愛いニットの帽子を被って、細い身体に似合わない大きなダウンコートを着込んでいた。やっぱり肉付きが薄いから寒がりなのだろうか。ちょっともこもこさせ過ぎなんじゃないかと思う。おしゃれはガマンと言うだろうに。
 わたしの手に小佐田さんの手が重なる。指は氷のように冷たくて、わたしは温めてあげたくなって、両手でそっと包むようにしてさすってあげた。
「……こっちも」
「うん」
 小佐田さんは窓の外に視線を遣ったままで、わたしのことを見もしない。何を考えているんだろうか、窓枠に肘をついて、下唇を突き出すような変な顔をしている。わたしはその横顔を眺めながら、絵になる顔だなぁと思っている。
 神社に着くと人込みは少し和らいで、けれどまだたくさんの人でにぎわっていた。露店も出ていて、小佐田さんはからあげとかフライドポテトとか揚げ物ばかりを見ていて、あれ食べたい!と指さした。わたしは寒いから温かいうどんとかが食べたい。
 神殿に詣でて、折角だからおみくじを引いた。わたしは末吉だった。小佐田さんは小吉で、これってどっちがいいの?と首をひねっていた。
「なにお願いした?」
 小佐田さんが串に刺した唐揚げをかじりながら言った。
「そういうのって、言っちゃだめなんじゃないの?」
「わたしはね、兄貴と悟さんが、末永く幸せでいますようにって」
 わたしは目を丸くした。このわがまま娘がそんな殊勝なことを言うなんて。
「いい女でしょ」
「うん。見直した」
「えへへ」
 小佐田さんは唐揚げを一つわたしにくれた。食べてみるとかりっとして、ちょっと肉はしわかったけど、熱くておいしい。はふはふしながら飲み込んでお礼を言うと、どういたしまして、と笑った。
「ほんと言うとね、入試失敗しますように、とかも考えたんだ。悟さんだけこっちに残ることになって、兄貴のいない内にげっとしちゃえ、みたいな」
「うん」
「でも、二人でルームシェアするって楽しそうに計画立ててるの見てたら、なんかばかばかしくなっちゃった。きっとこいつらは離れてもお互いのことを裏切らないし、もし悟さんだけこっちに残ることになっても、ちょくちょく会いに行って、わたしのことになんて目もくれないんだろうなぁって」
 小佐田さんはため息を吐きながらわたしにしなだれかかる。なにも自分で傷つきにいくことないのに、とわたしは思う。
 悟さんが絡むと、彼女は少し自罰的になる。たぶんそれだけ好きだったし、必死だったのだと思う。失恋の気持ちすらも捨てきることができなくて、時々かさぶたをはがすのだ。
 わたしは焼きいかを買って彼女に与えた。
「なにこれ」
「食え」
「いや、わたし、今度はフランクフルトが食べたいんだけど」
「肴は炙ったイカっていうでしょ」
「なにそれ。酒の肴ってこと?お酒ないのに?」
 小佐田さんはくっくっと身体を震わせるようにして笑うと、わたしからイカのパックを奪った。結構うまい、とか言いながら満足そうにしていて、わたしにもあーんしてくれた。


 井上君が県外の高校に行ってしまうことが発覚した。三月の半ばを過ぎた頃のことだ。
 厳しい寒さは過ぎ去って、今はもう、雪解けの風が春の長閑さの内側に氷の冷たさをはらんで吹き過ぎる。街はどこか気が抜けた様子で、かすみ初めの空をぽっかりと見上げている。
 小佐田さんの健気な願い事のおかげか、まあまるきり関係なかったのだと思うけど、透さんと悟さんはそろって都会の大学に行くことが決まっていた。
 小佐田さんは少し複雑そうな顔でわたしに報告してくれた。良かったね、とわたしが頷きかけたら、少しためらった後、うん、と嬉しそうに頷いた。二人が幸せでいられるようにと願った気持ちは、少なくとも嘘ではないのだ。
 それからしばらくしてわたしも志望校への入学が晴れて決定して、さて、もういい加減に井上君に合格の報告をしてもいいだろうとメッセージを送った。
 流石に忘れられていることはないと思いたいけれど、慎重になりながらいろいろとフォローを入れながら書いたので、結構長文になってしまった。
 緊張とわくわくでそわそわしながらスマホの前に正座して待っていると、十分ほどして返信があった。
 まずはわたしへのお祝いの文。それから近況と、謝罪。わたしには伝えていなかったけれど、途中から志望校を県外の難関高校に変えたということ。既に入学も決まって、引っ越し準備に忙しい日々を過ごしていること。わたしと一緒の高校生活を過ごせないことは残念だけれど、それぞれの場所でお互いに頑張りましょう。そんな流れのメッセージが、わたしに負けない長文で返ってきた。
 なんて返信したかはあんまり覚えていない。たぶん差しさわりの無い内容だろう。早とちりしちゃってごめーん、これからも友だちでいようね、てへっ、みたいな。
 わたしは呆然としてベッドに倒れ込んで、しばらく立ち直れなかった。
 そして卒業式があった。みこちんとやのぴーは私立の高校、みんことぴょんちゃんはわたしとは別の公立高校に決まっていた。わたしだけ一人で、疎外感と言うか、置いて行かれてしまうような心地がしている。
 元気がないわたしを、ちょくちょくメッセージ送るね、とか放課後遊びに行こうね、とか言ってみんなが慰めてくれる。わたしは感極まって、おまえら~!とか叫びながら四人まとめて抱きしめてやった。
 わたしの入試へのモチベーションの大半は井上君が占めていた。
 時間が経つに連れてそれも薄まってはいたが、それでもわたしのレベルに見合わない高校を受験することを選んだのは彼がいたからだ。勉強の合間に妄想していた通りになるとは思わないけれど、彼と一緒の高校生活に夢があったからだ。
 それが今、前提から崩れてしまって、そんなことなら友人たちと同じ高校にしておけばよかったと後悔している。
 頑なに凍えた花壇から緑が萌え立ち、賑やかに花咲かせる頃、高校に入学した。
 ともあれ友だちを作らなくちゃと同じクラスの隣の子に話しかけたところ、なんだか冷たい反応をされた。出鼻をくじかれて怯んだところで、塾の夏期講習で見たことがある子だと気が付いた。
 わたしの高校生活は灰色だ。
 ともあれクラスにはもっと田舎の方から出てきた子や、同じ塾じゃない子もたくさんいた。既に反対勢力に取り込まれている子も多かったけれど、とりあえず、友だちというほどじゃないけれど、何人かに渡りをつけることには成功した。
 ちっちゃい子と友だちになった。冷たい反応の子と反対隣の席で、座ったかと思えばいきなり一人で本を読みだしたから引いちゃったけど、話してみると快活な女の子だった。まあ、ちょっと独特なところはあるかな。小佐田さんみたいな。
「原田巴。あなたは?」
 お互いに自己紹介して、握手した。すると話はお終いとばかりにまた本を読み始めてしまった。マイペースな人だ。でも、嫌いじゃない。
 初日は午前中だけでお終いだった。カバンを持って教室から出ると、ちょうど隣のクラスから小佐田さんが顔を出すところだった。こいつとだけは同じ高校だったのだ。
「おう」
 わたしが言ったら、ふん、とか言って顔を背けた。なんだ、こいつ。
 それから、どちらからともなく並んで帰った。しばらく無言だったのだけれど、自転車置き場で急に、残念だったわね、と小佐田さんが言った。
 わたしは初め何のことか分からなかった。小佐田さんがいらいらと、彼、あんたの男、と言ったので、井上君のことかと思い至った。あれ、言ったことあったっけ、わたし。小佐田さんに、井上君のこと。
「……別に」
「ふぅん」
 小佐田さんは自転車に乗ろうとしなかった。二人でしばらく自転車を引いたまま歩いている。
「なんで、わたしには言わないのよ」
 しばしの沈黙の後、小佐田さんが口を開いた。振り向くと彼女はきりっとした美しい目許を怒らせてわたしを睨んでいる。
「えっ」
「兄貴には愚痴ったくせに、なんでわたしには何にも言ってこないのかって言ってるの」
 春休みの間、忙しい透さんをわざわざ呼びつけて愚痴を聞いてもらった。
 透さんはわたしと小佐田さんが付き合っていないことに驚いて、苦笑いしていたけれど、わたしは透さんにどんな風に思われるのかなんて考えてもみなかった。と言うより、透さんなら大丈夫だと思っていたんだろう。わたしは透さんを信頼しているのだ。
 それに引き換え、妹の方はどうか。いつまでも失恋をひきずってうじうじして、わたしを襲って、急に泣き出すような奴だ。あまり、わたしが頼るのに向いているとは思えない。わたしだって別に、他人のことを言えた義理ではないのだけれど。
「相談してほしかったの?」
 わたしが尋ねると、小佐田さんはちょっと狼狽えて顔を赤らめた。口をへの字に結ぶ。こんな反応をされれば、何も言わなくたって言いたいことは分かる。
「へへ」
 わたしがだらしなく笑うと、小佐田さんは無言でわたしの脇腹を突いてきた。結構力が強い。痛い。痛いって。
「今からでも、慰めてあげてもいいよ」
 小佐田さんの指が、わたしの制服の端っこを摘まんでいる。真っ直ぐに前を向いたままの耳が赤らんで、わたしの答えを待っている。
 今までの半ば無理やりな感じと違う。
 わたしは生唾を呑み込む。ごくりと喉が鳴る。やっぱりわたしって性欲強いんだろうか。ちょっと誘われただけでその気になってしまう。
 小佐田さんがちらとわたしを見る。聞こえてしまっただろうか。恥ずかしい。
「わたしの家、今日、親いない」
 わたしがぽつりと言ったら、そう、とだけ小佐田さんは言った。
 ひらりと自転車にまたがる。
「帰ろ。早く」
 さっさと漕ぎ出してしまう小佐田さんを追って、わたしも慌ててペダルを踏みこんだ。
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