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呪われた少女

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私ことエレーナ・フォン・ブラウン侯爵令嬢は、5歳で呪いにかかり現在進行中で絶賛呪われ中である。

両親やお兄様の話によると私が生まれたときは、愛くるしい大きな瞳にぷっくらとした頬、すっきりとした鼻筋にチェリーのように赤い唇を見て、間違って天使が生まれたかと思ったらしい。

鏡を見ると見慣れたぼってりとした鼻と分厚い唇。“子豚ちゃん”のようにまん丸の顔が今の私の顔。お父様とお兄様は必ず呪いを解くと意気込んでいるが、5歳までの記憶などあまりないので内心このままでもいいじゃないかと思っている。

醜くても天下の侯爵令嬢。私が結婚を望めば、お金や地位目当ての男がいくらでもいるかもしれない。
しかし~!そんな結婚は望まない、潔く結婚は諦める。そして、一生この居心地のいい屋敷でのんびりと暮らすのだ。1人ぐらい食い扶持が増えても問題はないはず。考え方によっては今の生活は、最高ではないかと本気で思っている。

***

5歳になったある日呪いのせいで、3日間意識がなかったらしい。目を覚ますとお母様に「エレーナが子豚ちゃんになっちゃったのよ」と言われた。

私の部屋にはお父様もお兄様、屋敷の使用人が全員この部屋に集まっているのではないかと思うぐらい所狭しと心配そうに私を見つめていた。そしてメイドのリズから鏡をもらって自分の顔を覗き込めば、そこには子豚のような私がいた。

子供だから美醜の感覚も分からず、笑ってしまった。

身体も重たいなと思ったら、ドラム缶のように太っていた。
慣れるまでは少し疲れたけど、普通に食べられるし、走ることもできる。生活をする上で何も問題がない。これの、どこが呪いなのだろうかと分からなかった。まあ、地味に好きな物が食べられない呪いだったら、泣き暮らしていたかも。

すでに学園に通っているお兄様や王宮で宰相を務めるお父様が呪いで別人のように変わってしまたら、対人関係で拗れたかもしれない。美しいお母様にはこのままでいて欲しい。そう思うとまだ外出をしたこともない私で、むしろ良かったのではないかと思ったぐらいだ。

***

エレーナが寝静まったころ、家族会議が開かれた。

エレーナが呪いにかかってからほぼ毎週行っているこの会議はすでに200回を超す。

「誰があんなに可愛いエレーナを呪ったのかしら」

犯人が見つからず、5年が過ぎた。会議はお母様のこの言葉から始まる。

「犯人が分かれば呪いを解く方法も見つかるかもしれませんね」

「そうだな。犯人探しは継続するとしてもエレーナは気丈で立派な子だ。アレンも良く支えてくれている」

お父様の大きな手がお兄様であるアレンの頭を優しく撫でた。

お父様は陛下の信頼も厚く、若い頃から宰相を務めている。政治や経済に強いお父様が行う領地経営の手腕も素晴らしく、毎年順調に農地の収穫量も増え、特産品の開発も盛んだ。領地は潤い領民からも親しまれている。
そんなお父様にあやかりたいと社交界でも引く手あまたなのだが、お父様は最低限の付き合いしかしない。
なぜなら、最愛の妻と一緒の時間を少しでも邪魔されたくないのだ。

そんな父は愛妻家でも有名だ。野性的で男らしく整った顔は仕事柄崩すことはないが、社交界でお母様にだけ見せる穏やかな眼差しにご婦人たちは熱いため息をこぼすのだ。

昔からお母様しか見えていなかったお父様は、学生の時からファンクラブが存在したことを知らない。

ファンクラブ歴30年を誇る公爵夫人は、若いころ手に入れた絵姿を今日も大切にハンカチで包むとファンの集いに向かった。


***


「でもエレーナはどうなるのでしょうか。僕の可愛い妹に変わりはありませんが・・・」

お兄様のアレンは父に似てとても頭が良く幼い頃から神童と言われている。そして、美しい両親から生まれたお兄様も恐ろしく整った顔をしている。

王都で人気の高いお兄様には婚約者がいない。貴族の子息たちの婚期が遅れると国王からも『早く婚約者だけでも決めてもらえないだろうか。なんなら王女はどうだろう』と言われているようだが、両親は貴族には珍しく恋愛結婚だった。『本人の意思を重んじる』と丁重にお断りをしている。

そのためお兄様が通う王都学園では、婚約者の座を巡って令嬢たちが水面下で火花を散らしている。

お兄様が受験した年は、学園には通わず家庭教師をつける傾向にあるはずの貴族令嬢たちがお兄様目当てにこぞって受験をした。突然巻き起こった受験ブームが女性の社会進出に大いに役立ったことをお兄様は知らない。

驚いたのは当たり前のように学園に通う予定だった貴族の子息たちだ。

今まで不合格と言うと病気や怪我で受験出来なかった不運な子息ぐらいしかいなかった。しかし、その年は受験をしたにも関わらず不合格になった子息が続出した。受験さえすれば受かると思っていた、子息の親たちは戦慄した。その反面令嬢たちは何年も前から家庭教師をつけ、お茶会を通じて情報を交換し対策を練っていた。

『キャスリン侯爵令嬢 隣国から入学予定だったセザン王子と婚約解消』とセンセーショナルなニュースが巷をにぎわした。王都学園に詳しい専門家(初めて聞いたが)のマイケル氏のコメントでは、留学予定だったセザン王子が試験に落ち学力的に釣り合わなくなったせいではないかと解説していた。

翌年の受験に向けて死に物狂いで勉強に励む子息たちに親たちが喜び、受験者数増加に学園側も嬉しい悲鳴を上げている。

***


「いつも元気なエレーナが屋敷でしか暮らせないなんて・・・」

お母様は悲しそうにうつ向きながら、絹のように流れる美しい金色の髪を指ですくい後ろに流した。慣れていなければ、お母様の色気に心奪われる男性が何人いるだろう。お母様がお父様からの求婚を受けた時は、ショックで社交界に出席できなくなった男性陣が多くいたようだ。

『傾国の美女』と謡われたお母様に一目ぼれしたお父様が、お母様の知らないところで男どもを蹴散らしていたことをお母様は知らない。

今でもエレーナと姉妹と勘違いされるほど若く見えるお母様は、一歩屋敷を出れば毎回花や果物をプレゼントされる。
もちろん、お父様にぞっこんのお母様が浮気をすることはない。
お母様のストーカーが屋敷の周りをうろつき、最初は気まずかったストーカー同士が照れくさそうにしゃべるようになり、妙に意気投合し誰も頼んでいないのに自警団を結成。

周辺の犯罪がめっきり減り、安全になったと地域の人は喜んでいる。

***

執事のベンは外見、性格ともに特に特徴はない。

特徴のないベンはお兄様のアレンやエレーナが産まれる前からこの屋敷で働く古株だ。家族会議の邪魔にならないよう存在を消しながら壁際に立ち、犯人の目星を考える。ベンにとっても産まれた時から知っているエレーナお嬢様が呪われたのだ、使用人の誰もが怒りを隠せない。

そして、ご家族の話を聞きながらご主人様であるクロード様の政敵か。アレンに恋する熱狂的な令嬢か。奥様をストーカーする男性かと思考を張り巡らすのだが、犯人の目星が多すぎると心の中で嘆く。


「とりあえず、エレーナは身体が弱わって屋敷から出ることができないと引き続き噂を流し様子を見よう」

「元気すぎるエレーナには可哀そうだけど、安全にはかえれないものね」


貴族の子供は誘拐を恐れ、幼い時は屋敷から出ることが少ない。だから、エレーナが外出しないことは、さほど珍しいことではなかった。

***

呪いにかかってから、少しでも屋敷の中で快適にエレーナが過ごせるようにと、庭師が丹精込めた花々が美しく咲き乱れ、いくつかのブースに分けられたロココ庭園やバロック庭園と言った趣の異なる庭に作り直された。

屋敷で働く料理人も異国の料理まで学び、王宮料理人顔負けの鮮やかな腕前を披露する。エレーナが喜ぶ顔見たさに多くのレシピを考案した。

メイド達も負けじとエレーナに教えるため刺繍や編み物を極め、美術作品のような大作を日々量産している。使用人のなかには、手品がプロ級の者や単独コンサートを行うほどバイオリンを極めた者までいる。どこに向かっているか不明な使用人たちは今日も努力を重ねている。

他の貴族の使用人を見比べることができないエレーナは、これが普通と思っている。

王宮からのヘッドハンティングを使用人たちが断っていることをエレーナは知らない。
それでもエレーナは使用人を家族のように思い、身内のいない使用人を看病し看取ったときは、家族も他の使用人たちも感動した。

庭師のヨハンが貴族の庭園を特集したプロフェッショナルズの新聞に『こんなに使用人を思ってくださる屋敷がどこにあるか言ってみろ』と語ったことは記憶に新しい。
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