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「キース殿、この雨の中をよく来てくれた」
土砂降りの雨の中をまさか客人が来ると思わず、訪ねてきたキースに使用人達は一様に驚いていた。しかし、執事だけは冷静にカミュール卿を呼んでくれたのだ。
「カミュール卿もハンナ夫人もお元気そうで何よりです」
「ええ、ありがとう。貴方も元気そう良かったわ」
キースは以前王宮の訓練場で行われた試合の後、カミュール卿と夫人のハンナに会っている。その時リリアンがキースのことをオーロラ商会のノル王国支店長だと紹介したので、ふたりはドルトムント一族だとは気づいてはいない。
湧いて出たような結婚話だったが、リリアンが喜んだのも束の間一度は破談になった相手だ。誰もが困惑したようにキースを見つめていた。
「リリアンが病気だと聞きました。今更だとは十分に理解していますが、リリアンに一目でも会わせてもらえないでしょうか」
「病気・・・」
「貴方!」
「あ、ああ。く、薬も効かない病気でな」
「そうなのよ。お医者様にも手の施しようがないと言われて、どうしていいのか途方に暮れていたところなのよ」
「そんなに酷いのか・・・」
「それより、リリアンに会う前にお風呂で体を温めてきなさい。貴方まで倒れたら意味がないわ」
びしょ濡れのキースの足元には水たまりができていた。
「客間にお連れします。さあ、こちらへ」
「ああ、すまない」
客室に向かったキースを見って、ふたりは顔を見合わせた。
「思わずあんなことを言ったが、大丈夫だろうか?」
「貴方にしては機転が利いて良かったわよ」
「そうか?お前も良かったぞ。お医者様にも手の施しようがないと言われたなどと上手くいいおって」
「ふっふっふ。アンヌに鍛えられましたからね。これからは貴族社会で上手くやっていかないといけないと言われてね」
リリアンはキースに振られてから、確かにショックで熱が続き食欲がなかった。それは、ずっと誰かも分からない命の恩人に淡い恋心を抱いていたが、今になってそれがキースだったと分かったのだ。
リリアンと同じ年頃の女の子であれば過去の気持ちを消化する時間もあっただろうが、暗殺者として常に気を張った生活を強いられていたリリアンにそんな時間はなかった。
キースへの気持ちは消化されず、リリアンは心のバランスを崩したのだ。
カミュール卿とハンナは時間が解決するのを待つしかないと見守っていたが、キースの登場で案外早くに治るかもしれないと安堵したのだった。
***
「体が相当冷えていたようだ・・・」
キースは用意された熱い湯船につかりながら、リリアンを初めて見た時のことを思い出していた。
服も顔も薄汚れ、食事も満足に与えられていなかった幼いリリアンは見ていても痛々しかった。
敵対する組織に売られた子供の中でふたりに目を付けたのは、リリアンが余りにも幼かったからだ。両親を亡くしたミカエルが12歳で組織に売られた時、腕には3歳になるリリアンを抱いていた。
幹部の男が妹を引き離そうとするが、そうするとミカエルは狂犬のように暴れ出す。その内に組織の者もリリアンにさえ手を出ださなければ、ミカエルが大人しくなると気づいたようだ。それ以降は組織もリリアンを上手く利用すればミカエルを言いなりにできると黙認するようになった。
そして、組織に与えられた末粗な隠れ家に住み、物乞いやゴミを漁ってふたりは生き延びてきたのだ。
そんなミカエルが、キースの宿泊している宿のゴミを漁りに来ていることは知っていた。キースはミカエルが来る頃を見計らって、油紙で包んだパンや肉をゴミにさり気なく入れておくようになったのだ。
ミカエルはそれを見つけると嬉しそうに隠れ家に持って帰っていく。そんな姿を宿の2階の窓から確認するのがキースの日課になっていた。
キースは幼いリリアンを見て、長くは生きれないだろうと考えていたが、ミカエルは持ち前のバイタリティーで妹を育てあげたのだ。
感情もなく人をも殺すキースですらこの兄弟に強く感動した。
(しかし、危なっかしくて見ていられなかったがな。3歳の子供を隠れ家に残して仕事に行くのだから)
そんな時は部下にリリアンの世話をさせた。暗殺集団であるドルトムント一族の屈強な男共が、愚図るリリアンをあやし、お馬さんになって床にハイハイするのだ。
部下は『これは仕事なのか?』と不満を漏らしていたが、実態を知るための手掛かりだとキースは言い切った。
そして、ある程度の年齢になるとリリアンも暗殺者としての修業が始まった。体を売ることを頑なに拒んだからだ。そんなリリアンが裏社会で仕事を始めた時もキースは心配で仕方なかった。
そして、何回目かの仕事でリリアンが貴族の家に忍び込んだ時、逃げ遅れたリリアンが護衛に背中を切られるという事故が起きた。
小さな体で器用に町中を逃げまわったが、人気のない裏道でリリアンは意識をなくしたようだ。一瞬見失ったリリアンをキースが見つけた時は、血だまりに倒れるリリアンを見て息が止まるかと思った。
キースはその場で素早く止血を施し、オッド卿の元にリリアンを運んだのだ。
「それで、その子をどうしろと?」
「助けて欲しい・・・」
「・・・・・これは血なのか?」
「ああ、貴族の屋敷に忍び込んで背中を剣で切られたようだ」
「こんな子供をドルトムントは手先に使うのか?」
「違う!例の組織に売られた子供だ。私は顔を明かせない。だから貴方に頼んでいるのだ」
「針鼠の黒針の連中が子供を売買しているだけでも腹立たしいのに、こんな危険な仕事まで子供に・・・。いいだろう。だが、私は屋敷をあけることも多い・・・。信頼できるカミュール卿に頼んでみるか」
「恐らく組織は死んだと思っている。足は付かないだろう。よろしく頼む」
「ああ、できるだけのことをしてみよう」
そうやってリリアンはカミュール卿と出会うことになる。
(あんなに幼かった子供が、もう18歳になるのか。時間が経つのは早いものだな)
風呂から上がったキースは執事が用意してくれた服に着替えて、リリアンお部屋に向かった。
土砂降りの雨の中をまさか客人が来ると思わず、訪ねてきたキースに使用人達は一様に驚いていた。しかし、執事だけは冷静にカミュール卿を呼んでくれたのだ。
「カミュール卿もハンナ夫人もお元気そうで何よりです」
「ええ、ありがとう。貴方も元気そう良かったわ」
キースは以前王宮の訓練場で行われた試合の後、カミュール卿と夫人のハンナに会っている。その時リリアンがキースのことをオーロラ商会のノル王国支店長だと紹介したので、ふたりはドルトムント一族だとは気づいてはいない。
湧いて出たような結婚話だったが、リリアンが喜んだのも束の間一度は破談になった相手だ。誰もが困惑したようにキースを見つめていた。
「リリアンが病気だと聞きました。今更だとは十分に理解していますが、リリアンに一目でも会わせてもらえないでしょうか」
「病気・・・」
「貴方!」
「あ、ああ。く、薬も効かない病気でな」
「そうなのよ。お医者様にも手の施しようがないと言われて、どうしていいのか途方に暮れていたところなのよ」
「そんなに酷いのか・・・」
「それより、リリアンに会う前にお風呂で体を温めてきなさい。貴方まで倒れたら意味がないわ」
びしょ濡れのキースの足元には水たまりができていた。
「客間にお連れします。さあ、こちらへ」
「ああ、すまない」
客室に向かったキースを見って、ふたりは顔を見合わせた。
「思わずあんなことを言ったが、大丈夫だろうか?」
「貴方にしては機転が利いて良かったわよ」
「そうか?お前も良かったぞ。お医者様にも手の施しようがないと言われたなどと上手くいいおって」
「ふっふっふ。アンヌに鍛えられましたからね。これからは貴族社会で上手くやっていかないといけないと言われてね」
リリアンはキースに振られてから、確かにショックで熱が続き食欲がなかった。それは、ずっと誰かも分からない命の恩人に淡い恋心を抱いていたが、今になってそれがキースだったと分かったのだ。
リリアンと同じ年頃の女の子であれば過去の気持ちを消化する時間もあっただろうが、暗殺者として常に気を張った生活を強いられていたリリアンにそんな時間はなかった。
キースへの気持ちは消化されず、リリアンは心のバランスを崩したのだ。
カミュール卿とハンナは時間が解決するのを待つしかないと見守っていたが、キースの登場で案外早くに治るかもしれないと安堵したのだった。
***
「体が相当冷えていたようだ・・・」
キースは用意された熱い湯船につかりながら、リリアンを初めて見た時のことを思い出していた。
服も顔も薄汚れ、食事も満足に与えられていなかった幼いリリアンは見ていても痛々しかった。
敵対する組織に売られた子供の中でふたりに目を付けたのは、リリアンが余りにも幼かったからだ。両親を亡くしたミカエルが12歳で組織に売られた時、腕には3歳になるリリアンを抱いていた。
幹部の男が妹を引き離そうとするが、そうするとミカエルは狂犬のように暴れ出す。その内に組織の者もリリアンにさえ手を出ださなければ、ミカエルが大人しくなると気づいたようだ。それ以降は組織もリリアンを上手く利用すればミカエルを言いなりにできると黙認するようになった。
そして、組織に与えられた末粗な隠れ家に住み、物乞いやゴミを漁ってふたりは生き延びてきたのだ。
そんなミカエルが、キースの宿泊している宿のゴミを漁りに来ていることは知っていた。キースはミカエルが来る頃を見計らって、油紙で包んだパンや肉をゴミにさり気なく入れておくようになったのだ。
ミカエルはそれを見つけると嬉しそうに隠れ家に持って帰っていく。そんな姿を宿の2階の窓から確認するのがキースの日課になっていた。
キースは幼いリリアンを見て、長くは生きれないだろうと考えていたが、ミカエルは持ち前のバイタリティーで妹を育てあげたのだ。
感情もなく人をも殺すキースですらこの兄弟に強く感動した。
(しかし、危なっかしくて見ていられなかったがな。3歳の子供を隠れ家に残して仕事に行くのだから)
そんな時は部下にリリアンの世話をさせた。暗殺集団であるドルトムント一族の屈強な男共が、愚図るリリアンをあやし、お馬さんになって床にハイハイするのだ。
部下は『これは仕事なのか?』と不満を漏らしていたが、実態を知るための手掛かりだとキースは言い切った。
そして、ある程度の年齢になるとリリアンも暗殺者としての修業が始まった。体を売ることを頑なに拒んだからだ。そんなリリアンが裏社会で仕事を始めた時もキースは心配で仕方なかった。
そして、何回目かの仕事でリリアンが貴族の家に忍び込んだ時、逃げ遅れたリリアンが護衛に背中を切られるという事故が起きた。
小さな体で器用に町中を逃げまわったが、人気のない裏道でリリアンは意識をなくしたようだ。一瞬見失ったリリアンをキースが見つけた時は、血だまりに倒れるリリアンを見て息が止まるかと思った。
キースはその場で素早く止血を施し、オッド卿の元にリリアンを運んだのだ。
「それで、その子をどうしろと?」
「助けて欲しい・・・」
「・・・・・これは血なのか?」
「ああ、貴族の屋敷に忍び込んで背中を剣で切られたようだ」
「こんな子供をドルトムントは手先に使うのか?」
「違う!例の組織に売られた子供だ。私は顔を明かせない。だから貴方に頼んでいるのだ」
「針鼠の黒針の連中が子供を売買しているだけでも腹立たしいのに、こんな危険な仕事まで子供に・・・。いいだろう。だが、私は屋敷をあけることも多い・・・。信頼できるカミュール卿に頼んでみるか」
「恐らく組織は死んだと思っている。足は付かないだろう。よろしく頼む」
「ああ、できるだけのことをしてみよう」
そうやってリリアンはカミュール卿と出会うことになる。
(あんなに幼かった子供が、もう18歳になるのか。時間が経つのは早いものだな)
風呂から上がったキースは執事が用意してくれた服に着替えて、リリアンお部屋に向かった。
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