月夜のモノガタリヒメ

たそかれぼたん生雨(きう)

文字の大きさ
8 / 29

8 我が儘――愛ゆえに恐ろしき

しおりを挟む
 蔀戸の軋むたびに兄が寝返りをうつ。
 豪雨である。それを切り裂く烈風も時折ふきつける。
「いっそ起きていたらどう?」
 横たわる兄が溜め息を漏らす。来訪者はまだそこにいるのである。
 また蔀戸が鳴る。御簾が揺れ,蒸れた風が肌を撫でた。
「戸を補修しておけばよかったな……」
 寝返りをうちなおし,両眼を閉じたまま,ついた片肘の手で側頭を支える。
「どうして,こうもキシキシと――一睡もさせないつもりか。せめて風がやんでくれればよいのに。誰かの忍びこむ足音も,紛れて聞きとれやしない」
「御応対申しあげなくて宜しいかしら」
「大丈夫さ」
「本当に?」
「本当だ,殿ではないし」
「殿ではない?」
「うん,考えてみろ――こちらが無反応なのを黙ってひきさがるような御性分でもあるまい。疾うに遠慮なく入っておいでだろうよ」
「外にいるのが殿ではないなら,いらしているのは誰?」
 返答はない……
 内裏焼亡の夜が脳裏に蘇った。局の戸が幾度も揺さぶられるが,外を確かめると誰もいない。そうしたことが続いたのち祐子内親王の訪問を受けたのである――
「まあ大変!」
 慌てて立ちあがる。
「内親王でもない」
 薄目をあけて座れと促す。
「内親王なら,そうだと告げる。待っていないで,すぐにでもおまえの名を呼ぶさ」
「それもそうね――でも,あのときと似た状態ね……」
「うん,あのときと同じだ。戸をあけてみても訪う者はいない……いや,いるのさ。身を潜めて何処からか見ている……俺が動けば,後を追い一緒についてくる……」
 眉間に皺を刻み,一つ頷いた。
「噓ではないのだ。あれは俺を追ってきた。俺の見た黒装束は――」
「頼成さまか,因幡の黒兎だわ」
「黒兎だな。背筋が湾曲していなかった――」
 兄が目をあけた。
 私は視線を右往左往させてしまう。
「おまえ,まさか……」
「勝手に聞こえてきたのよ,会話の声が――盗み聞きではないわ」
 ウワバミ到来の朝まだき,恋人たちの逢瀬に仕出かした無粋が,翌夜露顕した。
「節度のない中年変態女め」
 再度寝返りをうち,背をむける。
「足柄は無実よ――宮さまの暗殺計画にかかわったりしないわ。襲芳舎で毒を撒いたのは因幡の黒兎だったのね。きっと頼成さまが指示したのだわ。昨日の悪行も含めて殿にお話しするべきよ」
「女が政に口を出すな。何も知らぬほうがよいのだ」
「私は別に――足柄の潔白を証明したいだけだわ。政に興味があるというより,2人の関係に興味があるのよ」
 兄が身を起こし,むきなおる。
「何だと?」
 むっとしている。
「2人の関係よ――無理はよくないわ。足柄が好きなのでしょう。隠したって駄目。顔にはっきり出ていたもの。あの折の兄上の表情ときたら,情念に溺れゆく貴公子って感じだったわ」
 にじり寄ってきた兄に,拳で軽く頭をうたれた。
「盗み聞きだけでは物足りなかったらしいな」
「……」
 おおよそ見ました,美しい絵巻物のようでございました――とはまさか言えない。
「よく聞け」
 兄が声を潜める。
「――きっと好きなのだろう」
「ええっ……」
「あれのことだよ――でも俺には男色の趣味はない。公卿の誰彼が誘ってきても出世に響くと分かっていながら突っ撥ねてきたのさ。だのに,あれの場合はどうしてなのだろう。こちらから心が動いてしまうのだ」
「まあ素敵……」
「素敵であるものか。実に厄介だ。申し訳ないよ,妻たちにも殿にも……」
「そんな心配は無用だわ。彼女たちには新しいお仲間ができたと紹介すればいい。殿には偽りない気持ちをうちあけて許しを請えばいいわ――2人の仲を認めてくださいと」
「公然と人道に悖る態度がとれるものか――間違っているぞ。無責任だ。世間の納得する関係ではないのさ。外観はそうでも実は女人ではなく,こちらが献上し既に極位極官人の特別な相手でもある。罪だ,罪科だ,罪悪だよ」
 無性に腹立たしい気持ちに襲われた。
「心ある生きものなのよ――好きになってしまっても仕方ないじゃないの。人間らしくて私はいいと思うわ」
「俺はよしとしない。仕方ないで済まされるものか。世間の人間が欲望のままに行動してみろ――社会は忽ち無法地帯に落ちてしまうぜ。野蛮化,淫靡化してしまうだろう。所詮身勝手なのさ。俺は自制心に欠いている。そうさせるのは,あれなのだ。俺を支える道徳を破壊するのがあれなのだ」
「人のせいにしては駄目。弱いのは自分よ。自分に負けた自分が罪深いのだわ」
「――そうだな。そのとおりだよ。あれは俺の全部を受けとめてくれるのだ。弱い部分も汚い部分も全部を許してくれる。だから全部を曝けだし野性化してしまう。それをあれのせいにするとは軽蔑されるべき男だよ。あれに申し訳ない。こうした己になるのがいやで,俺はあれを避けようとするのだろう。愛しているが,恐ろしい――やはりあれと一緒にはいたくない」
「兄上――何だか,我が儘だわ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

不倫妻への鎮魂歌 ―サレ夫が選んだ、最も残酷で静かな復讐―

MisakiNonagase
大衆娯楽
「サレ夫、再生。不倫妻、転落。──その代償は、あまりに重い。」 「嘘で塗り固めた20年より、真実で歩む明日がいい。」 失って初めて気づく、守られていた日々の輝き。 46歳の美香にとって、誠実な夫と二人の息子に囲まれた生活は、退屈で窮屈な「檻」だった。若い男からの甘い誘惑に、彼女は20年の歳月を投げ打って飛び込んだ。 しかし、彼女が捨てたのは「檻」ではなく「聖域」だったのだ。 不倫、発覚、離婚、そして孤独。 かつての「美しい奥様」が、厚化粧で場末のスナックのカウンターに立つまでの足取りと、傷つきながらも真実の幸福を掴み取っていく夫・徹の再生を描く。 家族とは何か、誠実さとは何か。一通の離婚届が、二人の人生を光と影に分かつ。

二重のカーテン (スカートの下の黒い意志)

MisakiNonagase
青春
洗濯物の隙間に隠したのは、母としての祈りと、娘のプライド。 かつて、女子高生という生き物はもっと無防備で、自由だった。 44歳の主婦、愛子が朝のベランダで手にするのは、娘たちが毎日履き替える漆黒のオーバーパンツ、通称「黒パン」。それは、令和を生きる娘たちが自らの尊厳を守るために身に着ける、鉄壁の「鎧」だった。 小学校時代のママ友たちとのランチ会。そこで語られるのは、ブルセラショップに下着を売っていた奔放な50代、無防備なまま凛と歩くしかなかった40代、そして「見せないこと」に命を懸ける10代の、あまりに深い断絶。さらには、階段で石像のように固まる父、生徒の背後に立たないよう神経を削る教師……。 一枚の黒い布を通して浮き彫りになる、現代社会の歪さと、その根底にある不器用なまでの「優しさ」。 ベランダに干された黒いカーテンの向こう側に、あなたは何を見ますか?

妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲
ライト文芸
不倫妻に捨てられ、会社もクビ。 人生の底に落ちたアラフォー社畜・恩塚聖士は、偶然買った宝くじで“非課税10億円”を当ててしまう。 防音タワマン、最強機材、そしてバ美肉VTuber「姫宮みこと」として新たな人生が始まる。 どん底からの逆転劇は、やがて裏切った者たちの運命も巻き込んでいく――。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

処理中です...