月夜のモノガタリヒメ

たそかれぼたん生雨(きう)

文字の大きさ
7 / 29

7 賊の闖入――蛇雄,黒兎をのむ

しおりを挟む
「俺からは申し開きできぬ。自ら始末をつけよ」
「テイさま……テイさまが仰せになるのなら覚えのない罪も喜んで被りましょう。足柄を亡き者にせんと企む輩は,好機とばかりに忽ちこの身を八つ裂きにしてしまいましょう。でしたら,いっそテイさまのお手にかかりたい。どうぞ息の根をおとめくださいませ」
 緑の黒髪を梳る指が濡れた頰を伝い,氷柱のような首筋に落ちた。
 ぞくっと全身が凍りつく。
「死に急ぎたいならば,声をあげても結構ですぞ」
 譬えようもなく冷たい手に頸部が摑まれていた。
 覗き見に没入していた私は局の闖入者に気づかないでいたのである。悪漢は複数名――4人もいる。みな両眼以外は全身を黒布でおおっている。
「さあさ,はじめておしまい!」
 首を絞める1人が逸った様子で命ずれば,手下らしき1人が顎をしゃくり,それを合図に甚だ短軀の2人が抱えもつ自分たちより大きな袋を投下した。
 綾織り袋を抉じあけ現れたのは,先端の二つに分岐する舌を出しいれする暗緑色の蛇である。褐色の斑紋の浮かぶ太い胴をぬたりぬたりくねらせながら身の丈を増幅させるが,巨大化に際限はなく何処までのびても全長の尽きることはない。それでも人の坐高を遥かにこす高みまで垂直にのびあがり,広範囲の影を落とす鎌首を擡げたとき,ようやく胴が末細りして翡翠の装飾具を想わせる尾を揺らしつつ全貌を露わにした。優に一丈あまりはあろうかと見た。
ウワバミ大蛇の餌になってくだされよ――」
 賊の首領が囁く。
「兄妹共々かつての雑役も道連れにのう」
 くっくっくっと笑いを嚙み殺す。
「助けなんぞは呼ばんほうが宜しいですぞ。悲鳴に興奮したウワバミが嚙みつきますのじゃ。それはもう痛むのですぞ――ほに,過日検非違使何某の死骸が川に浮かびましたろう。満身創痍の汚らわしいありさまをしておった。あれをやったのは,これですぞ。大男のくせに七転八倒,のたうちまわっておりましたわい。大人しくしておるのが賢明得策でしょうな。なあに,あっという間に終わりますぞ,ようは知らんが。丸のみされて当分は苦しかろうが,こらえておいでなされよ」
 ――こらえられるものか!
「兄上,助けて頂戴!」
「今,叫ぶ奴があるか! やりおったな!」
 首領に突き飛ばされた。
 生臭い熱気が押し寄せる。見あげればウワバミの顔がある。目を丸めて小首を傾げた。
「ひぃやぁ!――」
 首領が転倒しそうなほど前屈みになって逃げだす。
 手下たちも一斉に背中をむけた。
 ウワバミが白濁する喉をさき,太く鋭い萌葱の牙を剝くなり,反り返り弾みをつけて胴をのばした。
 手下の一人の足が縺れる。倒れて起きあがろうとする矢先に捕まった。下半身は既にウワバミの口中にあり,腰部を銜えられた逆さづりの状態のまま,宙でひどくもがいている。黒頭巾がはらりと舞い落ち顔面が露出する。鬱血しているせいなのか肌が甚だ色黒である。
 人のものとは思われぬ身の毛も弥立つ声が耳を劈く――
 ウワバミのかっと目を見ひらいたのと同時に,色黒の目と鼻と口と耳から赤いものが噴出し,骨の砕ける音を聞く。悍ましい絶叫が再び響き渡り,ぴたりと動きをとめていた短軀の手下たちが二筋の黒煙と化し忽然と消えた。
「どうした,何があった!」
 兄が足柄をひきつれ局に駆けこんでくる。
「何としたこと――」
 足柄が兄の前に立ち,小袿の袖を広げた。
「因幡の黒兎でございますよ」
「因幡の黒兎――式部大夫頼成よりなり殿の雑役ではないか!」
 兄が青褪めた。
 式部大夫頼成こと藤原頼成は伊祐これすけの子息であり,かつては因幡守など地方官を歴任した。実母の身分が低かったために伊祐の養子とされた。しかし実父は村上天皇皇子具平親王ともひらしんのうである。つまり頼成は頼通正室の具平親王娘隆姫たかひめ女王の異母兄弟ということになり,頼通側室祇子ぎしの父でもある。
「助けねばなるまい,いかがすればよい……」
 兄が呆然と立ち尽くし呟いた。
 頼成の雑役,因幡の黒兎の頭部がすっかりのみこまれた。
「好い気味にございます。きゃつめに幾度命を狙われたことか」
 足柄が言った。
「それより御自身の保全にお気をお配りなさいませ」
 兄を導きながら,徐々に私へ近づく。
望子みつるこ――」
 兄が私を抱き寄せた。
「無事か――怪我はないか――」
「ええ,ええ――」
 兄に搔きつく。
「4人の悪者がおろちを放ったの!」
「4人? 1人しかおらぬが――いや,その1人も既に……」
「ちゃんと4人いたのよ。2人は消えて,1人は――」
 賊の首領の姿は何処にもなかった。
「逃げたのでございましょう」
 足柄が答えた。
「消えた者どもは黒兎の使う式神でございます」
「式神――黒兎も陰陽の術を操る者か!」
「さようです。足柄ほどの術師ではございませぬが」
 足柄が悠然と構え,眼前に並べた両の掌を重ねあわせてから何かぶつぶつ唱えはじめた――
 ウワバミの表皮が暗緑色から金色へと転化した。
 足柄が手も腕も足も体全部をゆっくり揺らす。その波動につられるようにウワバミも揺れた。波動に伴いウワバミも早く激しく,胴をねじり,撥ねあげ,うちつけするために,局は度重なる衝撃に襲われた。兄と手をとりあって床に伏せ,震動に耐えていると視線を感じる。
 ウワバミが見ている。彼の目はひどく充血し苦悶を泣訴するようであった。
「反省しているみたいだわ……」
「何だと?」
蛇雄へびおよ」
「蛇雄? あれはおのこなのか?」
「見るからに蛇雄という感じじゃなくて?」
「そうなのか――いや,そうだな。いかにも蛇雄だ」
「もうやめて。蛇雄は十分反省しているわ。もともと悪さなどしたくなかったのよ。でも飼い主に唆されて仕方なかったのね」
 足柄が高らかに掌をうち鳴らした。
 ウワバミの金色体が弾け,一帯に黄金の微粒子が飛び散った。目くるめく光の屈折や交錯と砂金の直接的な刺激に両眼の視力を奪われているうちに,いつの間にやら降り積もった金山の頂を破り,人の腕ほどの真白な蛇が波形を描きながら緩やかな斜面を滑りおりてくる。
 白蛇は近づき,しばし私を見あげてから項垂れた。
「何と,むくつけきこと……」
 兄が袂で口をおおい,妹と蛇とを交互に横目で見る。
「火の玉の群れを呼んだり百鬼夜行に出くわしたり物の怪に慕われたりと――何ゆえおまえには禍々しき出来事が起こるのだ? その異質な気性が,ゆゆしきえにしを結ぶのだろうさ。ああ薄気味悪い。父上の仰るとおり,おまえは月だの新世紀だの,異界より誤って堕ちてきたに相違ない!――しぃっ,しぃっしぃっ!」
 兄が息を吐きつけ袂で空をうつなり,雪の蜷局が巻かれた。
「命を救っていただいたのだ。御恩に報いんと滅私奉公いたせ――」
 足柄が片腕をのばす。
「約定するならば証しを示せ。さもなくば直ちに立ち去れ」
 白蛇が飛びあがり,さしのべられた片腕に巻きつくと,そのまま薄紫の袖中に滑りいった。
「よしよし蛇雄――」
 足柄が袂の膨らみにそっと触れた。
「力をあわせ,お二方にお仕えしよう」
 精気を復活させた陽が強烈な熱射を局内に放った。ずれた蔀戸の隙間に覗かれた靄も雲も干され,青空と暑気とが勢力を増していく。
 兄が蔀のずれを改めようと奮闘している。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

不倫妻への鎮魂歌 ―サレ夫が選んだ、最も残酷で静かな復讐―

MisakiNonagase
大衆娯楽
「サレ夫、再生。不倫妻、転落。──その代償は、あまりに重い。」 「嘘で塗り固めた20年より、真実で歩む明日がいい。」 失って初めて気づく、守られていた日々の輝き。 46歳の美香にとって、誠実な夫と二人の息子に囲まれた生活は、退屈で窮屈な「檻」だった。若い男からの甘い誘惑に、彼女は20年の歳月を投げ打って飛び込んだ。 しかし、彼女が捨てたのは「檻」ではなく「聖域」だったのだ。 不倫、発覚、離婚、そして孤独。 かつての「美しい奥様」が、厚化粧で場末のスナックのカウンターに立つまでの足取りと、傷つきながらも真実の幸福を掴み取っていく夫・徹の再生を描く。 家族とは何か、誠実さとは何か。一通の離婚届が、二人の人生を光と影に分かつ。

二重のカーテン (スカートの下の黒い意志)

MisakiNonagase
青春
洗濯物の隙間に隠したのは、母としての祈りと、娘のプライド。 かつて、女子高生という生き物はもっと無防備で、自由だった。 44歳の主婦、愛子が朝のベランダで手にするのは、娘たちが毎日履き替える漆黒のオーバーパンツ、通称「黒パン」。それは、令和を生きる娘たちが自らの尊厳を守るために身に着ける、鉄壁の「鎧」だった。 小学校時代のママ友たちとのランチ会。そこで語られるのは、ブルセラショップに下着を売っていた奔放な50代、無防備なまま凛と歩くしかなかった40代、そして「見せないこと」に命を懸ける10代の、あまりに深い断絶。さらには、階段で石像のように固まる父、生徒の背後に立たないよう神経を削る教師……。 一枚の黒い布を通して浮き彫りになる、現代社会の歪さと、その根底にある不器用なまでの「優しさ」。 ベランダに干された黒いカーテンの向こう側に、あなたは何を見ますか?

妻に不倫され間男にクビ宣告された俺、宝くじ10億円当たって防音タワマンでバ美肉VTuberデビューしたら人生爆逆転

小林一咲
ライト文芸
不倫妻に捨てられ、会社もクビ。 人生の底に落ちたアラフォー社畜・恩塚聖士は、偶然買った宝くじで“非課税10億円”を当ててしまう。 防音タワマン、最強機材、そしてバ美肉VTuber「姫宮みこと」として新たな人生が始まる。 どん底からの逆転劇は、やがて裏切った者たちの運命も巻き込んでいく――。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

処理中です...