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22 クワバラクワバラ……菅原の鬼
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足柄が平伏して邸外で待っていた。救出の遅延をひどく詫びる。兄が頼通に助力を求めたらしい。
頼通の手筈で輿にて自邸へ帰る運びとなる。足柄の随伴してくれるのはよいが,頼通の配下まで警護につくというから甚だ落ちつかない。辞退しても譲歩する相手ではないと,もとより分かっているので渋々承諾する。
輿が動きだした。
しばらく経ってから馬の蹄の音が追ってきて,輿とともに並進する。
「――あの――もしや殿でいらっしゃいますか?」
「ははははっ――すぐにひき返しましょう。一時だけお見送りをね。お話ししたいこともございます。それとも同乗しても構いませぬか?」
重い条件を後出しして,軽い交渉を難なく成功させてしまう。駆けひき巧手のずるい男である。
「頼宗の無礼は謝ります。このとおり平に御容赦を……」
輿のなかより関白左大臣の首を垂れる姿を思い描き,空恐ろしくなる。
「ときに――上さまとも御相談申しあげたのですが,今回の件につきてはこれ以上の詮議を慎むこととなりました。さように処断するのが内親王さま方にとっても宜しかろうと存じますので」
要するに真実を闇に葬り去るという意味である。しかも決定事項の案件ゆえに問答無用で承服せよと圧力をかけている。
承服しないと抗ってみたところで中流階級所属の一女房に何ができよう。ただ――
「宮さまはさぞや御無念でしょう――」
発言を頼通に遮られる。
「お弁えなされ――無闇に御内心を推し量ってよいお立場にあらせられるお方ではないのです」
「承知しております,重々承知はしておりますが,私の全感覚は,あのお方の高熱に侵されたお体の変色やにおい,重みや肌触りなど諸々を克明に覚えているのです。とても真実より目を背けたまま生きられそうにございませぬ。内侍さまのこととて,さようです。命の危うさがあったとは言え,過ぎた防御をしたために大変なお怪我を負わせてしまったのです――」
「義父の頼成も,あなたを怒らせたゆえ雷にうたれたのでしょう」
輿の簾が捲れあがり,覗きこむ細面の片側だけを,月が皓々と照らしだした。
いつしか輿はとまり,人払いがされている。轅の先に足柄だけが膝をつき,伏し目がちに夜色に馴染む両眼を見張らせながら,頼通に中座するよう命じられても,頑として居座りつづけている。
ついに根負けした頼通が,こちらへ手をのばす。
「少し歩かれませんか?……」
私は首を横に振った。
「はは……ははは,ははははは……」
簾が閉じられ,視界が鎖された。
「人力には御しかねる出来事であったのです。鬼です。鬼が幻を見せたのでしょう。あなたの目にし耳にしたのは鬼の見せた幻です」
輿の外の声がようよう聴取できる程度の音量で伝わる。
「雷を操り賊を退け,咎人を拘束し煮え滾る湯に潜りながらも怪我一つ負っていない――さような話があるでしょうか。もし誠にさような業を為しうる者があるならば,それこそが鬼なのです。たとえ道真公を祖神と擁する菅原の出自とはいえ,一族中のその者だけが何ゆえ稀有で恐るべき力を有しているのか――」
天空直上に燻ぶった轟きが生じ,馬が頻りに嘶いた。暴れているようである。
「クワバラクワバラもう申しますまい。馬も恐がっている……」
声が高い位置から降った。乗馬したのであろう。
「ただ内親王を不憫に思し召されよ――母の敵に対する憎悪を抱き生きていくことの虚しさを覚えさせたくはない」
暇乞いが告げられるなり,馬を触発する声があがった。瞬時に蹄の音が遠ざかっていく。
頼通の手筈で輿にて自邸へ帰る運びとなる。足柄の随伴してくれるのはよいが,頼通の配下まで警護につくというから甚だ落ちつかない。辞退しても譲歩する相手ではないと,もとより分かっているので渋々承諾する。
輿が動きだした。
しばらく経ってから馬の蹄の音が追ってきて,輿とともに並進する。
「――あの――もしや殿でいらっしゃいますか?」
「ははははっ――すぐにひき返しましょう。一時だけお見送りをね。お話ししたいこともございます。それとも同乗しても構いませぬか?」
重い条件を後出しして,軽い交渉を難なく成功させてしまう。駆けひき巧手のずるい男である。
「頼宗の無礼は謝ります。このとおり平に御容赦を……」
輿のなかより関白左大臣の首を垂れる姿を思い描き,空恐ろしくなる。
「ときに――上さまとも御相談申しあげたのですが,今回の件につきてはこれ以上の詮議を慎むこととなりました。さように処断するのが内親王さま方にとっても宜しかろうと存じますので」
要するに真実を闇に葬り去るという意味である。しかも決定事項の案件ゆえに問答無用で承服せよと圧力をかけている。
承服しないと抗ってみたところで中流階級所属の一女房に何ができよう。ただ――
「宮さまはさぞや御無念でしょう――」
発言を頼通に遮られる。
「お弁えなされ――無闇に御内心を推し量ってよいお立場にあらせられるお方ではないのです」
「承知しております,重々承知はしておりますが,私の全感覚は,あのお方の高熱に侵されたお体の変色やにおい,重みや肌触りなど諸々を克明に覚えているのです。とても真実より目を背けたまま生きられそうにございませぬ。内侍さまのこととて,さようです。命の危うさがあったとは言え,過ぎた防御をしたために大変なお怪我を負わせてしまったのです――」
「義父の頼成も,あなたを怒らせたゆえ雷にうたれたのでしょう」
輿の簾が捲れあがり,覗きこむ細面の片側だけを,月が皓々と照らしだした。
いつしか輿はとまり,人払いがされている。轅の先に足柄だけが膝をつき,伏し目がちに夜色に馴染む両眼を見張らせながら,頼通に中座するよう命じられても,頑として居座りつづけている。
ついに根負けした頼通が,こちらへ手をのばす。
「少し歩かれませんか?……」
私は首を横に振った。
「はは……ははは,ははははは……」
簾が閉じられ,視界が鎖された。
「人力には御しかねる出来事であったのです。鬼です。鬼が幻を見せたのでしょう。あなたの目にし耳にしたのは鬼の見せた幻です」
輿の外の声がようよう聴取できる程度の音量で伝わる。
「雷を操り賊を退け,咎人を拘束し煮え滾る湯に潜りながらも怪我一つ負っていない――さような話があるでしょうか。もし誠にさような業を為しうる者があるならば,それこそが鬼なのです。たとえ道真公を祖神と擁する菅原の出自とはいえ,一族中のその者だけが何ゆえ稀有で恐るべき力を有しているのか――」
天空直上に燻ぶった轟きが生じ,馬が頻りに嘶いた。暴れているようである。
「クワバラクワバラもう申しますまい。馬も恐がっている……」
声が高い位置から降った。乗馬したのであろう。
「ただ内親王を不憫に思し召されよ――母の敵に対する憎悪を抱き生きていくことの虚しさを覚えさせたくはない」
暇乞いが告げられるなり,馬を触発する声があがった。瞬時に蹄の音が遠ざかっていく。
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