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21 女はかくも欲深い
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頼宗従者により妹の捕縛されたという知らせは急ぎ伝えられたが,依然兄は検非違使庁にも頼宗邸にも姿を現さなかった。
「一体全体我が家司は何を考えておるのかのう?……」
頼宗は畳に座る人質前の床間に座り,食膳を勧めながら扇で眉を搔いた。
「妹が心配ではないのか? 居ても立ってもおられず,すぐさま馳せ参じるのが道理であろうに……」
「――兄は私と共倒れになりとうはないのです。拷問された挙げ句,無実の罪を着せられ,惨めに死んでいくのを危惧しておるのでございます」
「無実の罪とな?」
「さようです!――頼宗さまは,私と兄とが宮さまの暗殺を謀り,悪事に与した勾当内侍さまの口を封ぜんがため共謀者まで手にかけたという筋書きで,菅原兄妹を罪に陥れようとされるおつもりなのでございましょう!」
「なるほど,その手があったのう」
頼宗の膜のおりたような両眼に爛々としたものが燃え盛った。それが瞬時に消滅した途端,扇で口を隠しつつ,科をつくって笑う。
「召されよ――3日も飲まず食わずでは体に障りますぞ。絶命されでもしたら,それこそ拷訊の途中で事切れたのだと世人よりわしは謗りを受けよう。それともそれがそなたの狙いか」
蓋をとった碗を人の口もとに寄せる。上品なにおいのする湯気が鼻孔に燻り,食欲がそそられた。
「毒など盛っておらんぞ」
碗の蓋に汁物を移し,一気に呷る。が――顔を歪めるなり胸を搔き毟りつつ倒れて声を嗄らせた。
「物語の君にやられ申した……」
「う,噓?――噓,噓,噓です!」
助けを呼ぼうとすれば,嚙み殺した笑いが漏れる。視線を落とせば,頼宗が手足をばたつかせ,子供のように喜んでいた。まんまと騙された。
「そなたが食さぬなら――」
身を起こしながら,まだ笑いを含みながら烏帽子を正した。
「あの者たちの食も断ってしまおうかのう」
「あの者というのはともにとらわれた方々のことにございますか? あの方は――俊通さまは既にお食事なさっているので?」
「大飯食らいで困っておる。家人の分まで平らげてしまうのじゃ」
「まあ……あきれた。こちらは瘦せ我慢しているというのに……」
頼宗が捧腹した。思わず私もつられた。
「わしは退散するゆえ,存分に召されよ――命あっての物種ですぞ」
立ちあがり,背をむけてから両袂を広げながら徐に足を進める。
「内侍さまを何ゆえ?――」
頼宗が立ちどまる。
「致し方なかろう。みなに危害が及ばぬようにするためじゃ。長橋殿は狂乱しておった。放置すれば,従者やそなたたちにも死傷者が出たであろう」
「あの場にお連れしなければよかったではありませぬか――内侍さまを伴えば,騒ぎになると予測できたはずです」
「最初にそなたの拉致を企図したのは長橋殿じゃ。そなたを亡き者にせんと一計を巡らせ,要職を餌に麗子をひきいれた。しかし麗子は事前に告発したのじゃ。わしは家司に揺さぶりをかけるため,そなたを質にとる方策を思いついた。そこで長橋殿の奸計に荷担する振りをしたのじゃ」
「私は頼宗さまや麗子さまに腹をたてておりましたが,逆に命を救っていただいたのですね――でも,でも……」
「何を申したい?」
「内侍さまもお気の毒です。せめて生きていれば,別に道もあったかもしれませぬ」
「わしはそうは思わぬ――気位の高い女じゃ。中宮暗殺の咎人として余生を送る屈辱に耐えられるような女ではない。わしは長橋殿をも救うてやったのじゃ」
「内侍さまや私たちをお救いになりたいという理由だけなのでしょうか? 内侍さまを殺されたのは口封じのためでは?」
頼宗が険しい顔つきで振り返った。
「宮さまのお命を奪われたのは,内侍さまと頼成さまと,頼宗さまではございませぬか。それを語らせぬよう内侍さまを葬り去られたのでございましょう」
頼宗が苦笑して顔を伏せた。
「わしは知らぬ――何も存ぜぬ――」
「頼宗さま!――」
「黙れ,黙らぬか!――」
頼宗が肩で息をした。
「女はかくも欲深い!――そなたは知や好奇に!――長橋は嗜虐に!――中宮は権威に貪欲過ぎたのじゃ! 脅しだけという盟約を結ばせていたはずじゃった! しかし長橋は度を弁えず執拗で常軌を逸する所業に及んだ。更にまた中宮の屈することもなかった! 中宮が脅しに屈し早々に内裏より逃避しておれば死なずに済んだのに! 中宮の座にとどまろうとする権威欲に溺れて自ら身を滅ぼしたのじゃ!」
「宮さまがお逃げにならなかったのは,お子さまたちを守られたかったからです! 敵だらけの内裏でお子さまたちをお守りになるため必死に戦っていらしたのです! 決して権威保持などのためではございませぬ!」
壁代の絹間をさいて入ってきた者がある。頼通だった――
「あ,兄上……」
頼宗ががたがたと震えながら崩れ落ちた。
「存じませぬ……私は何も存じませぬ……」
「謹慎中の身でありながら女人を拉致するとは何事ぞ。追って沙汰が下るゆえ,いっそう自重して待て」
頼宗がその場に跪いた。
「一体全体我が家司は何を考えておるのかのう?……」
頼宗は畳に座る人質前の床間に座り,食膳を勧めながら扇で眉を搔いた。
「妹が心配ではないのか? 居ても立ってもおられず,すぐさま馳せ参じるのが道理であろうに……」
「――兄は私と共倒れになりとうはないのです。拷問された挙げ句,無実の罪を着せられ,惨めに死んでいくのを危惧しておるのでございます」
「無実の罪とな?」
「さようです!――頼宗さまは,私と兄とが宮さまの暗殺を謀り,悪事に与した勾当内侍さまの口を封ぜんがため共謀者まで手にかけたという筋書きで,菅原兄妹を罪に陥れようとされるおつもりなのでございましょう!」
「なるほど,その手があったのう」
頼宗の膜のおりたような両眼に爛々としたものが燃え盛った。それが瞬時に消滅した途端,扇で口を隠しつつ,科をつくって笑う。
「召されよ――3日も飲まず食わずでは体に障りますぞ。絶命されでもしたら,それこそ拷訊の途中で事切れたのだと世人よりわしは謗りを受けよう。それともそれがそなたの狙いか」
蓋をとった碗を人の口もとに寄せる。上品なにおいのする湯気が鼻孔に燻り,食欲がそそられた。
「毒など盛っておらんぞ」
碗の蓋に汁物を移し,一気に呷る。が――顔を歪めるなり胸を搔き毟りつつ倒れて声を嗄らせた。
「物語の君にやられ申した……」
「う,噓?――噓,噓,噓です!」
助けを呼ぼうとすれば,嚙み殺した笑いが漏れる。視線を落とせば,頼宗が手足をばたつかせ,子供のように喜んでいた。まんまと騙された。
「そなたが食さぬなら――」
身を起こしながら,まだ笑いを含みながら烏帽子を正した。
「あの者たちの食も断ってしまおうかのう」
「あの者というのはともにとらわれた方々のことにございますか? あの方は――俊通さまは既にお食事なさっているので?」
「大飯食らいで困っておる。家人の分まで平らげてしまうのじゃ」
「まあ……あきれた。こちらは瘦せ我慢しているというのに……」
頼宗が捧腹した。思わず私もつられた。
「わしは退散するゆえ,存分に召されよ――命あっての物種ですぞ」
立ちあがり,背をむけてから両袂を広げながら徐に足を進める。
「内侍さまを何ゆえ?――」
頼宗が立ちどまる。
「致し方なかろう。みなに危害が及ばぬようにするためじゃ。長橋殿は狂乱しておった。放置すれば,従者やそなたたちにも死傷者が出たであろう」
「あの場にお連れしなければよかったではありませぬか――内侍さまを伴えば,騒ぎになると予測できたはずです」
「最初にそなたの拉致を企図したのは長橋殿じゃ。そなたを亡き者にせんと一計を巡らせ,要職を餌に麗子をひきいれた。しかし麗子は事前に告発したのじゃ。わしは家司に揺さぶりをかけるため,そなたを質にとる方策を思いついた。そこで長橋殿の奸計に荷担する振りをしたのじゃ」
「私は頼宗さまや麗子さまに腹をたてておりましたが,逆に命を救っていただいたのですね――でも,でも……」
「何を申したい?」
「内侍さまもお気の毒です。せめて生きていれば,別に道もあったかもしれませぬ」
「わしはそうは思わぬ――気位の高い女じゃ。中宮暗殺の咎人として余生を送る屈辱に耐えられるような女ではない。わしは長橋殿をも救うてやったのじゃ」
「内侍さまや私たちをお救いになりたいという理由だけなのでしょうか? 内侍さまを殺されたのは口封じのためでは?」
頼宗が険しい顔つきで振り返った。
「宮さまのお命を奪われたのは,内侍さまと頼成さまと,頼宗さまではございませぬか。それを語らせぬよう内侍さまを葬り去られたのでございましょう」
頼宗が苦笑して顔を伏せた。
「わしは知らぬ――何も存ぜぬ――」
「頼宗さま!――」
「黙れ,黙らぬか!――」
頼宗が肩で息をした。
「女はかくも欲深い!――そなたは知や好奇に!――長橋は嗜虐に!――中宮は権威に貪欲過ぎたのじゃ! 脅しだけという盟約を結ばせていたはずじゃった! しかし長橋は度を弁えず執拗で常軌を逸する所業に及んだ。更にまた中宮の屈することもなかった! 中宮が脅しに屈し早々に内裏より逃避しておれば死なずに済んだのに! 中宮の座にとどまろうとする権威欲に溺れて自ら身を滅ぼしたのじゃ!」
「宮さまがお逃げにならなかったのは,お子さまたちを守られたかったからです! 敵だらけの内裏でお子さまたちをお守りになるため必死に戦っていらしたのです! 決して権威保持などのためではございませぬ!」
壁代の絹間をさいて入ってきた者がある。頼通だった――
「あ,兄上……」
頼宗ががたがたと震えながら崩れ落ちた。
「存じませぬ……私は何も存じませぬ……」
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