漆黒の騎士と紅蓮の皇帝

太白

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騎士サイドⅨ 影

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 こっそりと例の日記を持ち出した私は、内容を一字一句違わず、頭の中に記憶した。
 まさかメモを取るわけにもいかない。そして時間もかけられない。日記がなくなっているという事実を陛下に知られることは最悪の展開だ。
 足りない記憶力を総動員して、必死に叩き込んだ。一字一字、一語一語、魂に刻み付けるように。
 それが功を奏したか、なんとか夜のうちに全てを覚え、そして闇に沈んだ王宮の一室、執務机の抽斗ひきだしへと戻した。
 さて、これから私がすべき事は。

「ふむ……ここのところ、何やら市井では、不審死が相次いでいるようだな」
 パリッとアイロンのきいた新聞を無造作に捲りながら、陛下は仰った。
「なんでも、警察は犯人の手がかりどころか、影も形も掴めていないだとか……。民の間では白い亡霊がどうとかいう噂も流れておりますが」
 ブレックファストティーを御用意しながら私が答える。最近は陛下のお茶の用意も任されるようになった。なんと光栄なことか。
「民はさぞ不安だろうな。見たところ、貴族も平民も、身分関係なく殺されている」
 お優しい陛下。慈悲深い我が君。
「軍にも協力させよう。候補生」
「はい、陛下。そのように手配致します」
「警察と軍は犬猿だが、この際罪人を捕らえることこそ先決だ。民の憂いは我の憂いでもある」
「はっ、心得ております」
 恭しく頭を下げるときに、口角が少しだけ上がってしまったのが分かった。


 リアナ・マルクスはメイドである。しかしただのメイドではない。王宮で皇帝陛下に仕えているのだ。大変な仕事だけれど、誰もに羨まれる仕事だ。お給金も良い。そして、愛しい人の役に立てる仕事でもある。
 下弦の月が、東の空に浮かんでいる。
 に指定された路地は、王宮から近くも遠くもない絶妙な場所だった。
 暗い色の服を着、頭には黒い布を被っている。灯りはここへ到着したときに消した。待つだけなのだから、目立つ灯りは消しなさいと言われたのだ。それに今日はまだ月明かりがある。満月のときほどではないけれど、真っ暗でもない。
 まだかまだかとそわそわする。外で待ち合わせをするには、まだ少し冷える。もう一枚上着を着てくるべきだったかと思案していると、
「やぁ、すまない、待たせてしまったね」
 潜められた声のしたほうをパッと見ると、果たして待ち人はそこへ立っていた。
「ユール!」
 彼女はユールと呼ばれた男に抱きつく。
「会いたかった! 会いたかったわ!」
 ぎゅうぎゅうと抱きつく彼女の唇に人差し指をあて、男は言った。
「しー。レディがそんな大きな声を出すものではないよ」
 にこりと笑った顔は、目が笑っていない。それに彼女は気づかない。
「あっ、ごめんなさい私ったら……」
 先程よりも随分と小さな声で、彼女は己を恥じる。
「いやいや、元気があっていいと思うよ、うん。でも今は時間が時間だからね」
「そうね、ごめんなさい」
 くすくすと笑い合いながら男女は話しだす。
「今日は僕に伝えたいことがあるとか聞いたけれど?」
「そう、そうなのよユール。私聞いてしまったの、皇帝陛下の大事な大事な秘密」
「ほう、それは興味深いね。是非聞かせておくれ」
「ふふ、あのね、」
 これ以上、静観している必要はなかった。
 夜闇の濃い部分から影が動き出す。
「リアナ・マルクス」
 影が低くメイドの名前を発した。
 女が体を固くするのがわかる。
「国家重要機密漏洩未遂、不敬罪、大逆罪により、貴様の命をここで絶つ」
 咄嗟に身を翻して逃げようとする女へと、断罪の刃が閃く。
「ぁ、ュ……ル」
 それが、リアナ・マルクスの最期の言葉だった。

 肉体から流れ出す血液が水溜まりを作っていく。

「背後から心臓をひと突き、かぁ。エグいなぁ」

 女からいつの間にか距離を取っていた男がどこか楽しそうに呟く。
「こんばんは、白い亡霊さん?」
 影は一瞥をくれただけで、何も発しない。
「おや、その眼……。なるほどなるほど」
 男はひとり、得心したようだった。
「『白い亡霊』というのも、あながち間違いではないようだね」
 くすくすと笑いながら男は続ける。
「君はそういう選択をしたわけだ。いやいや、それはそれで尊い選択だよ」
 影の纏う雰囲気が変わった。何の気配も存在も感じさせないものだったそれは、明確な殺意へ。

「貴様にはまだ利用価値がある。ただそれだけだ、肝に銘じておけ」

 鋭くそう言い残すと、出てきた時と同様、濃い闇の中へ沈んでいった。
 路地にひとり残された男は、ひとつ肩を竦めると、どこかへと歩き去っていった。
 地面に転がっている死体は、彼にとって最早路傍の石と同義であった。
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