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僕の引っ越し
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市原清は、ビル群で遮られることのない青空をうんざり見上げていた。
「清、そんな顔するな。おばあちゃんが泣く」
運転席から父が清の様子を窘める。清はちらりと横の母を見遣り、小声で答えた。
「おばあちゃんは好きだよ。でも、仕方ないじゃん。急に引っ越しなんて」
中学一年生の夏、清は住み慣れた都会から、父の実家がある阿河町へ引っ越すことになった。荷物はすでに送られ、清たちは父の運転する車で祖母の家へと向かっている。
「おじいちゃんがいなくなって、おばあちゃんも足腰弱くなったから。ごめんな」
「うん」
祖父は去年亡くなった。祖母は数年前から足が悪く、一人で歩くことは出来るが、常に杖を持っている。彼女は一人暮らしでいいと遠慮していたが、転倒して骨折でもしたら、その後の生活が危ぶまれる。そのため、父は事故が起きる前に祖母の手助けをしたいと引っ越しを決めたのだ。
清だって理解している。もう泣いてばかりの幼児でもない。
「自然が多くてお母さんは結構好きよ。清君はお友だちと離れて寂しいだろうけど、新しいお友だちが出来たら楽しくなるんじゃない?」
そう言って、母が曖昧に笑った。清も同じように返す。
「駅だ」
最寄り駅らしい場所を通り過ぎた。それなのに、駅前商店街は無いし、ホームに人影も無い。本当にここは日本なのだろうか。今までとの差に不安が過る。
「ここは無人駅だからなぁ。お父さんが小さい時と駅舎も変わってない」
「無人駅って初めて見た」
都会では見られない光景に、少しだけ興味が湧いた。ゲームを買って、初めてプレイする時に似ている。
「後で見に来てもいい?」
「いいけど、駅までは家からバスで二十分かかるよ。お父さんたちは荷物の片付けがあるから車は出せないし」
「二十分かぁ。バスは一時間に何本出てるの?」
「一時間に二本だね」
どうやら、古き良き駅舎を見学するのはまだ先になりそうだ。清はすっかり大人しくなり、黙って家までの道を眺めた。遠くに山が見えた。
「お父さん、あの山は?」
父が山を見てから首を傾げる。
「ええと、お父さんはサンジン様って呼んでたよ。正しい名前は覚えてないなぁ」
「サンジン様?」
「ああ。サンジン様が住む山だかららしい。なんでも、町を守ってくれてるとか」
「へぇ」
山には神様がいて、町民を守る。いかにもな話だ。きっとそういう話がいくつもあるのだろう。
無人駅から十五分して、父の実家に着いた。車の音を聞き、横開きの玄関が開けられる。
「遠いところをご苦労様」
記憶よりやや小さくなった祖母が出迎えてくれた。
「おばあちゃん」
呼びかけると、祖母は目を細めて優しく微笑んだ。
「あら、清ちゃん。ようふとったねぇ」
「太ってないよ」
「成長したってことだよ」
横から父が教えてくれた。父の実家は数回来たことがあるだけで、ここの方言はいまいち分からない。
車に積んでいた荷物を運ぶ父に近づいたが、指で玄関を差されたので、大人しく母と中に入る。
靴を脱いで上がると、すぐ左にブラウン管のテレビが置かれていた。物珍しさに清が近づいて観察する。
「ブラウン管、初めて見た」
「今まではおじいちゃんの部屋にあったがよ。つけてもえい」
「ありがと!」
言葉に甘え、電源ボタンを押してみる。当然リモコンは無い。現れた映像に清は目を見開いた。
「白黒だ」
「もう五十年以上前やきねぇ」
初めての光景に目が離せなくなる。後ろからこつんと頭を叩かれた。
「ほら、手を洗って。自分の荷物は運ぶんだよ」
「うん」
手洗いとうがいを済ませ、玄関にまとめて置いてある荷物を持って二階に上がる。二部屋あるうち右側が清の部屋となる。
すでに引っ越し業者によってベッドや机が運び込まれていた。畳の上にベッドが設置されていて、アンバランスさに笑ってしまう。
手に持っていた荷物を地面に置き、置かれている段ボールから本や衣類を出して片付けていく。おおまかな整理が終わり、車で持参した細かい荷物を引き出しの中に仕舞ってようやく一段落した。
床に寝転がり、大きく息を吸う。今まで住んでいた部屋とは違う匂いがした。人の部屋の匂いだ。いつかこれにも慣れていくのか。
「清、おじいちゃんに挨拶して」
「はぁい」
仏間に連れていかれ、家族三人で引っ越しの報告をする。線香に慣れておらず、線香に火をつけるのも消すのも苦労した。
「ただいま、親父」
感慨深く父が目を瞑る。清は祖父に三度会っているのだが、一度目は赤ん坊だったため記憶に無い。二度目に少し話をしただけで、思い出らしい思い出はなかった。去年帰省した時は危篤だったので、話も出来ず旅立ってしまった。
「今日から宜しくお願いします」
これで子どもの仕事は終わりだ。挨拶もそこそこに清は立ち上がった。
「お母さん、外行ってもいい?」
火の始末をしている母は少し悩んでから答えた。
「いいけど、遠くまで行って迷子にならないようにね。スマホ持った?」
「うん。いってきます」
「清、そんな顔するな。おばあちゃんが泣く」
運転席から父が清の様子を窘める。清はちらりと横の母を見遣り、小声で答えた。
「おばあちゃんは好きだよ。でも、仕方ないじゃん。急に引っ越しなんて」
中学一年生の夏、清は住み慣れた都会から、父の実家がある阿河町へ引っ越すことになった。荷物はすでに送られ、清たちは父の運転する車で祖母の家へと向かっている。
「おじいちゃんがいなくなって、おばあちゃんも足腰弱くなったから。ごめんな」
「うん」
祖父は去年亡くなった。祖母は数年前から足が悪く、一人で歩くことは出来るが、常に杖を持っている。彼女は一人暮らしでいいと遠慮していたが、転倒して骨折でもしたら、その後の生活が危ぶまれる。そのため、父は事故が起きる前に祖母の手助けをしたいと引っ越しを決めたのだ。
清だって理解している。もう泣いてばかりの幼児でもない。
「自然が多くてお母さんは結構好きよ。清君はお友だちと離れて寂しいだろうけど、新しいお友だちが出来たら楽しくなるんじゃない?」
そう言って、母が曖昧に笑った。清も同じように返す。
「駅だ」
最寄り駅らしい場所を通り過ぎた。それなのに、駅前商店街は無いし、ホームに人影も無い。本当にここは日本なのだろうか。今までとの差に不安が過る。
「ここは無人駅だからなぁ。お父さんが小さい時と駅舎も変わってない」
「無人駅って初めて見た」
都会では見られない光景に、少しだけ興味が湧いた。ゲームを買って、初めてプレイする時に似ている。
「後で見に来てもいい?」
「いいけど、駅までは家からバスで二十分かかるよ。お父さんたちは荷物の片付けがあるから車は出せないし」
「二十分かぁ。バスは一時間に何本出てるの?」
「一時間に二本だね」
どうやら、古き良き駅舎を見学するのはまだ先になりそうだ。清はすっかり大人しくなり、黙って家までの道を眺めた。遠くに山が見えた。
「お父さん、あの山は?」
父が山を見てから首を傾げる。
「ええと、お父さんはサンジン様って呼んでたよ。正しい名前は覚えてないなぁ」
「サンジン様?」
「ああ。サンジン様が住む山だかららしい。なんでも、町を守ってくれてるとか」
「へぇ」
山には神様がいて、町民を守る。いかにもな話だ。きっとそういう話がいくつもあるのだろう。
無人駅から十五分して、父の実家に着いた。車の音を聞き、横開きの玄関が開けられる。
「遠いところをご苦労様」
記憶よりやや小さくなった祖母が出迎えてくれた。
「おばあちゃん」
呼びかけると、祖母は目を細めて優しく微笑んだ。
「あら、清ちゃん。ようふとったねぇ」
「太ってないよ」
「成長したってことだよ」
横から父が教えてくれた。父の実家は数回来たことがあるだけで、ここの方言はいまいち分からない。
車に積んでいた荷物を運ぶ父に近づいたが、指で玄関を差されたので、大人しく母と中に入る。
靴を脱いで上がると、すぐ左にブラウン管のテレビが置かれていた。物珍しさに清が近づいて観察する。
「ブラウン管、初めて見た」
「今まではおじいちゃんの部屋にあったがよ。つけてもえい」
「ありがと!」
言葉に甘え、電源ボタンを押してみる。当然リモコンは無い。現れた映像に清は目を見開いた。
「白黒だ」
「もう五十年以上前やきねぇ」
初めての光景に目が離せなくなる。後ろからこつんと頭を叩かれた。
「ほら、手を洗って。自分の荷物は運ぶんだよ」
「うん」
手洗いとうがいを済ませ、玄関にまとめて置いてある荷物を持って二階に上がる。二部屋あるうち右側が清の部屋となる。
すでに引っ越し業者によってベッドや机が運び込まれていた。畳の上にベッドが設置されていて、アンバランスさに笑ってしまう。
手に持っていた荷物を地面に置き、置かれている段ボールから本や衣類を出して片付けていく。おおまかな整理が終わり、車で持参した細かい荷物を引き出しの中に仕舞ってようやく一段落した。
床に寝転がり、大きく息を吸う。今まで住んでいた部屋とは違う匂いがした。人の部屋の匂いだ。いつかこれにも慣れていくのか。
「清、おじいちゃんに挨拶して」
「はぁい」
仏間に連れていかれ、家族三人で引っ越しの報告をする。線香に慣れておらず、線香に火をつけるのも消すのも苦労した。
「ただいま、親父」
感慨深く父が目を瞑る。清は祖父に三度会っているのだが、一度目は赤ん坊だったため記憶に無い。二度目に少し話をしただけで、思い出らしい思い出はなかった。去年帰省した時は危篤だったので、話も出来ず旅立ってしまった。
「今日から宜しくお願いします」
これで子どもの仕事は終わりだ。挨拶もそこそこに清は立ち上がった。
「お母さん、外行ってもいい?」
火の始末をしている母は少し悩んでから答えた。
「いいけど、遠くまで行って迷子にならないようにね。スマホ持った?」
「うん。いってきます」
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