幸運な家族

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新しい町

匂いがする

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 夕食後、正章は寝る準備をするため階段を上った。途中、その足が止まる。

「ううん……やっぱり、何か臭いがする」

 しかしそれは一瞬で、どこから匂うのか、それとも家全体が匂うのかすら分からない。

──まあ、すぐ慣れるでしょ。引っ越してきたばっかりで敏感になってるのかも。

 正章は顔を振ってまた上り出した。十月からは新しい学校に通わなくてはならない。こんな些細なことを気にしている場合ではないのだ。

 二階に着き、薄暗い廊下に明かりが差していることに気が付く。予想通り、真ん中のドアが開いていて、中から明かりが漏れている。

「いつも開けっ放し」

 二つ年下の妹に文句を言いつつ、ドアを閉める。その一瞬、中から風が吹いた。

「……窓も開けっぱなしなのか? ダメダメだな」

 そのすぐ後を軽快な足音が続く。美結が二階に着いたのは、正章が自室に入った後だった。

「ふふ~、明日のお出かけ楽しみ」

 夕食直後なのに、すでに美結の足取りは軽く、明日に行っている。

 ごろんと大きくベッドに寝転がる。しばらく右に左に動いてみたが、やがてもぞりと起き出し、毛布を持って下に下りていった。

「ママ」
「あら」

 風呂から上がり食器を洗っていた由里子は、美結の姿を見て目を丸くさせた。少し屈んで言う。

「寝られないの?」
「うん。ママと寝る」
「ママはもう少し家のお仕事が残ってるから、先にママのベッドに行ってて」

 それでも美結はキッチンから出ていかず、結局リビングのソファに座って母を待つことになった。

「四年生になって、一人で寝られるようになったのにねぇ。新しいお家だからちょっと怖かった?」
「慣れないだけ。慣れたら平気だよ」
「そっか」

 両足をぶらぶら揺らして答える。リモコンを手にしてテレビをつけても、由里子は何も言わなかった。

 三十分近く待っていると、ようやくスリッパの音が美結の傍までやってきた。美結がテレビを消す。

「おまたせ。寝ようか」
「うん」

 手を繋いで寝室に向かう。四年生になったと言っても、まだ九歳の子ども。たまにはこういうこともあるだろう。

 ドアを開けると、生温い空気が漂った。二つあるベッドのうち、手前に二人が寝転がる。

「パパは?」
「まだお仕事するって」
「へぇ、大変」
「そう、大変なの」

 毛布を被っていた美結が突然起き上がった。

「うーちゃん忘れてた!」

 うーちゃんとは、美結の親友であるうさぎのぬいぐるみだ。美結は慌てた様子でベッドから飛び下りた。

「危ないから飛び下りないで」
「ごめんなさい。でも、うーちゃんが泣いちゃうから」

 そう言って、ばたばたと廊下に出ていった。
 階段を上り、半開きのドアを通り抜け、自分のベッドに置きっぱなしのうーちゃんを抱き上げた。

「ごめんね、うーちゃん。一緒に寝よ」

 三歳の頃買ってもらったぬいぐるみは今でも一番の親友で、他のぬいぐるみたちに挨拶をしながら、美結は来た道を戻った。閉められた部屋の中、並べられたぬいぐるみの一つが床にころんと転がった。

「ただいま」

 今度はゆっくり上って由里子の隣に収まる。美結はうーちゃんを枕元に置いて目を閉じた。

 五分、十分、寝室の時計が静かに進む。十五分経って、由里子はベッドから音を立てないよう下りた。ドアを閉め、リビングに戻る。

「二十二時か」

 冷蔵庫からお茶を取り出し、コップに注ぐ。それをテーブルに置き、テレビの横にある本棚から文庫本を一冊選んでソファに座った。

 しおりを挟んであるページを開き、読み始める。あと一時間、由里子にとっての自由時間だ。専業主婦の趣味ともなると金をかけるものはできず、最近は専ら読書に勤しんでいる。これなら大して金もいらず、好きな時間、好きな場所でできる。

 今読んでいるのは時代小説で、幕末の出来事に少しのファンタジーを交えて話が進んでいく。

「ふふ」

 ことん。

 思わず声が漏れた時、それに呼応するかのような音が耳に届いた。とても小さな音で、聞き逃してしまいそうな音だった。

──美結が起きたのかな。

 本をテーブルに置き、立ち上がる。廊下に出てみるが、寝室のドアは閉まったままだ。見回してみても、音の出そうなものは見つからなかった。

「気のせいね」

 今日は荷物を沢山移動させたから、まだ段ボールから出していない何かが音を立てたのかもしれない。由里子はそれ以上探すことはせずリビングに戻った。
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