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捨て子の勘助

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 天保二年四月、間もなく陽が傾くという頃、半次郎は田原町に続く道を急いでいた。

「まずいぞ、早くしないと雨に濡れちまう」

 今日は店が休みで、必要な道具を隣町まで買い足してきたところだった。自宅兼店を出たところでは空はすっきり晴れていたというのに、今はどうだろう。薄暗い雲が辺りをどんよりと覆っていた。

 道具は懐に仕舞っているが、大雨がきたらひとたまりもない。

「おや」

 途中、道の脇で男児が蹲っているのが見えた。すぐに走り寄って声をかける。

「おう、どうしたんだい。お母ちゃんとはぐれたのか?」

 しかし、男児は俯いてふるふると力なく首を振るばかりだった。よく見れば、男児の着ている服はところどころ破れている。半次郎は空を見上げて短い息を吐いた。

「間もなく雨が降る。とりあえず、俺と一緒に行こう」

 手を取ると、男児の体がびくりと震えた。

「すまん。びっくりしたか」
「ううん」
「お、ようやく口を開いてくれた」

 握った手を振ってみると、男児がそれを不思議そうに見つめた。

「お前、名前はなんていうんだい」
「勘助」
「勘助か、良い名だ」

 半次郎が言うと、勘助はまた俯いてしまった。

──随分恥ずかしがり屋だ。

 先ほどより少し速度を落として歩く。勘助は畑の方をぼんやり眺めているだけで、騒ぐことも泣くこともなかった。

「どこから来たんだい?」

 半次郎に聞かれた勘助が口を開けて空を眺める。

「わかんない」
「そうか、困ったな」

 まだ幼くて親から教えられていないのかもしれない。

 この辺りは田畑以外は店がほとんどだ。近所の子どもなら顔を見たことがありそうなものだがさっぱりだった。きっと少し歩いたところにある長屋で探せば見つかるだろう。明日には雨も止む。そうしたら探しに行けばいい。

「今日は雨が降るから俺の所に泊まりな。明日お父ちゃんとお母ちゃんに会わせてやるから」
「ううん、もう会えない」

 勘助ははっきりした声で答えた。半次郎が眉を下げる。

──捨てられちまったのか。

 捨て子に会ったのは初めてではない。数年前、勘助と同じように一人で座り込んでいたらしい。その子どもを見つけたのは近所の料理人で、その親戚が引き取ったと聞いた。引き取り先が決まる前、一度見かけたことがあったが、静かに泣きながら土いじりをしていた。

「困ったなぁ」
「ごめんなさい」
「いや、お前が謝るこたない」

 半次郎が頭を乱暴に掻く。

 四半刻もせず、二人は半次郎の家に着いた。その間、二人にほとんど会話はなかった。

「とりあえず、中に入りな」

 先に入った半次郎が後ろを向いて言う。勘助が一歩踏み出したところで、敷居に躓いてころんと転がった。半次郎がしゃがんで尋ねる。

「ありゃ、痛いとこはねぇかい」
「うん」

 半次郎が手を差し出す。勘助は右手をそちらに伸ばし、右に左に動かしてから触れた。勘助を立たせながら首を傾げる。

──何を迷っているんだか。

「上に上がったら水瓶があるから、そこで手を洗うんだぞ」
「うん」

 すると、そこでも勘助は両手をぱたぱたと動かしてから草履を脱いで上がった。そしてどうだろう、半次郎が指し示したというのに、勘助がうろうろと水瓶を探し始めた。これには半次郎も怪訝な顔をする。

「水瓶はここだ」

 勘助の横に立って改めて指を差す。勘助はその先を顔を動かして眺め、やがて水瓶にたどり着いた。

「もしかして、目が」
「見えるよ」

 言い終わる前に、勘助が遮った。下唇を噛んで俯いてしまう。半次郎が勘助の肩に手を乗せた。

「大丈夫。俺は勘助がどうだって、叱ったりはしない」
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