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昔の特急停車駅の少なさ(2)

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今からでも50年以上前になるが、国鉄は庶民にはやや高嶺の花である特急列車を
身近なものにして利用させよう(急行料金より収入も増える)と急行全盛時代
から徐々に昼間時間帯の短距離・中距離の特急列車を増発して、いわゆる
「L特急」
と称して各地に走らせていった。
 東京から距離的に近く、また地形が半島であった千葉県内の房総各線にも特急
を誕生させたが、他の地区の特急に比べると停車駅も多ければ評定速度も遅く、
料金だけ急行より高くなるので評判は良くなかった。
 実際に内房線に誕生した「特急さざなみ」は停車駅の平均数こそ同じ路線を
走る急行「内房」より少ないが、と特急が停車する駅なのに急行は停車しない
など、それ以降80年代、90年代以降に特急がチープになっていく「はしり」の
ような特急であった(外房線の特急「わかしお」も同様)。
 特急さざなみは新しく完成した東京地下駅から南房総観光の拠点ともいうべき
館山駅まで走る特急であり、当時としては特急の走行距離としては全国的にも
非常に短い区間で会った。
 それでもホームライナー化した現在の京葉線ホーム発の東京→君津を走る特急
さざなみよりは格上感があった。
 東京→錦糸町→千葉→木更津→(青堀)→(大貫)→(佐貫町)→(上総湊)
→(浜金谷)→(保田)→(岩井)→(冨浦)→館山
 と言う停車駅で、現在は全て停車する蘇我・五井・君津は全通過設定であった。
 ()内の駅から1~3駅ほどの選択停車であり、同4~5駅ほどは停車する
急行内房とは差別化はされていた。
 なお特急さざなみは全通過だが急行内房の一部は船橋にも停車していた。
 
                            <完>
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