ダイヴのある風景

mic

文字の大きさ
51 / 62
第四章

第四章 ⑳

しおりを挟む
 帰りのバスの中。ウエキを含めた全員が、大合唱。
 念のために言っておくけれど、僕は参加してない。それは決して音痴だからという理由じゃなく、単に、うるさくするのが嫌いなだけだ。
 以前、冴子が「祥一が歌ってるの、聞いたことがないわね。上手いの?」と尋ねてきたとき答えられなかったことは、はやく忘れたい出来事だ。
 僕が黙っていると、「わかった、下手なのね」と言って激しく笑ったことも、別に根に持ってはいない。いや、一応、言ってみただけだ。
 郵便局に到着する。バスが止まる前に、留守番役の信良と花江が飛び出してきた。
 信良と花江は、いつの間にかおそろいのエプロンをしていた。それを指さして、ジャックが夫婦みたいだな、とからかう。
「いや、局のカウンターの中にあったもんでさ。一応、服が汚れると困るから着けただけさ」信良がエプロンを慌てて外した。着けているのを忘れていたらしい。冴子がクスクス笑うのを見て、信良がなんだよ、とにらむ。
「でもねえ。証拠くらいは消しておきなさいよ」冴子が自分の口を指さす。「まさか、あなたがリップグロスを使ったわけじゃないんでしょ?」
「え」信良が鏡にダッシュする。自分の唇が赤く色づいているのを見て奇声を上げた。急いで手の甲でぬぐい取る。
「花江、よかったわねえ」冴子が花江の手をとって微笑むと、花江は赤くなってうなずいた。
「ねえ。それ、チュウの跡? ねえ、チュウなの?」とケンイチが信良に尋ねた。
「だから、違うって」両手をぶんぶん振る信良。「ちょっと唇をケガしただけだ。お前、マセたこと言ってないで向こうに行ってろ。っていうか、お前、しゃべれるのか?」
「ケガ? じゃあ、消防車じゃなく、救急車を持ってこようか?」ジャックの元に駆け寄りながら、ケンイチが言う。
「あはは。ケンイチ、そんなに大人をからかうもんじゃない」ジャックがケンイチの頭をなでた。「あ、信良君はまだ大人じゃないか。ケンイチ、もっとからかいなさい」
 郵便局では、世界最速の人事異動が発令された。局長が、ジュサブローに局長の引き継ぎを正式表明したのだ。みんなが盛大な拍手をした。
 僕と冴子は肩をすくめて苦笑しながらも拍手を送った。
 信良と花江は、意味がわからず首を傾げながら拍手をしていた。
 信良が僕に耳打ちする。「なんか、向こうでいろいろあったみたいだな。こりゃ、土産話が楽しみだ」
「ねえ信ちゃん。なんかおめでたいことでもあったの?」花江が信良に寄り添う。
「わかんねえや、そんなの。こういうときは、一緒に拍手しとけばいいんだよ。そうすれば、難しいことを考えなくてすむ。頭の省エネだ」
 その後、浮葉町のメンバーと僕たちは、またいつか会うことを約束して、お別れの握手をした。
 リリィは冴子にいつでも席を空けておくから、働きたくなったらおいで、と誘っていた。
 お絹さんは、信良と花江が本気で夫婦だと思ったらしく、「子供はまだかえ?」と尋ねて、信良をゆでダコのように真っ赤にさせていた。
 まだ中学生だと言うと、「ふざけるでない。中学生が結婚していいと思っているのか」と怒っていた。信良はそれ以上、なにも言えなかったようだ。
「また一緒に遊んでくれる?」とケンイチが僕たちに尋ねた。もちろん、イエスと答える。
 ファックスを受け取っていた局長、おっと、前局長がやってきた。「リチャードさんから君たちにファックスが入っている。次に来るときには、十五人ピラミッドに挑戦するから、練習しておくように、とのことだ」
「帰る前に、私の足を返してほしい」とゾンビがつぶやく。
「ごめん、はいこれ」そう言ったのは、ケンイチだ。ゾンビの足を隠していたらしい。
「じゃあ、またな」ジャックが微笑みながらお気に入りのキャメルのキャップを脱いだ。僕の頭に乗っける。「俺からのプレゼントだ。また会おうぜ、クールガイ」
 僕たちは歩きながらも、何度も振り返った。そして、いつまでも手を振り続けてくれる浮葉町の友人たちに、大きく手を振り返した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

処理中です...