番に監禁された孤独なΩは運命の愛を知る

にゃーつ

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1巻

1-3

 腕でゴシゴシと涙をぬぐって優は蔵から出ていった。かなり名残なごり惜しそうではあったけど。

「楓君、君の子供はすごく優しいね。優はずっと君のことを見守っていたんだよ、君は一人なんかじゃなかった」

 解熱剤は飲ませた。電気毛布を買ってきて彼にかけているがまだ寒いんだろう、ガタガタと震えている。起きたら胃に何か入れてからバース薬を飲んでもらわなくちゃいけない。

「っ、ぅ」

 泣いてる? いや、うなされているのか?
 そう思ったが、楓君の表情は少し柔らかくなった。と同時にその目が開いた。
 良かった。このまま目が覚めなかったらどうしようかと不安だったが、意識がしっかりある。おでこに置いたタオルが少しぬるくなってきたので替えてやると、気持ち良さそうな顔をしてくれた。
 買ってきたものを見せてどれか食べられそうか聞くと、楓君の目線がみかんゼリーに向いているのに気がついた。
 これが食べたいのか?
 ゼリーをスプーンに載せ運んでやると、素直に口を開く。一口、二口と食べ進め、楓君は涙を流した。
 最初は俺に食べさせられるのが怖いのかと思った。番のいるΩである彼は俺に拒絶反応が出る。可能な限りの接触は避けているものの、俺がいることで何か気にさわったのかと思ったのだ。
 だが、彼は食事に感動していた。涙を流しながら次の一口を求めて口を開ける姿は、俺にとって衝撃だった。
 たった百円のゼリーだぞ? 小学生だってお小遣いで買える。
 だが楓君は体が動かないから自分で買うことなんてできない。なのに、この場で彼のために百円のゼリーを買ってくれる人はいないんだ。
 それに大きくはないゼリーを半分ほどでもう食べられないと首を横に振るなんてことあるのか? 優はもちろん日和だって食べ切れるサイズだ。
 布団から出ている腕を見るにガリガリに痩せていて、これは一刻も早く病院で精密検査をしないと内臓がどれほど弱っているのか。
 この少量のゼリーだけでは薬を飲ませるのが怖かったので、コンビニで温めた茶碗蒸しも口に運んでやる。幸い、口を開いてくれた。これもまた涙を流しながら食べてくれる。
 温かいものに甘いもの……ここにある用意された食事を見るに、そんなものはなかなか食べられなかったんだろう。
 ここは柊の本家で、金がないなんてありえない。楓君がこの家に何をした? 優たちを産んでくれた恩人なんじゃないのか? 義姉は子供が産めないんだろう? 出産はいのちけだ、楓君は年々弱っていたのに三人も産んでくれた。彼が今日まで無事だったのは奇跡だと言っていい。それなのにこの仕打ちって……
 悪魔にたましいでも売ったのか? そう思えるほど人とは思えない所業だ。本来であれば何一つ不自由のない環境を用意し、頭を下げてお願いする事案だ。それでも許されることではないが……
 楓君がどこから連れてこられたのかはっきり分かっていない今の状況では、どうしてこうなったのか分からないが、兄たちが大きな間違いを起こしているのは明白だ。
 なのに、楓君は兄さんのことを悪く言わない。
 だからこそ、早く救い出さなければいけないんだ。兄さんの弟として、優のおじさんとして、俺は楓君のためにできることはなんでもやりたい。
 多分ここに入ったあの日あの瞬間から、俺は楓君に心底夢中になってしまった。
 兄さんを思う気持ちを俺に向けてくれたら、なんてそんな気持ちが芽生えていることに気づかないふりをしていたけれど、やはり想いというのは止めることができない。
 それでも、俺はこの気持ちを今、楓君にぶつけることなんてしたくない。してはいけない。
 そんなの、強欲なαそのものだ。兄さんのしてきたことと相違ない。
 俺はαだ。大切なΩを守るための存在だ。
 楓君、もう少し待っててくれ。俺に君の手をつかませてくれ。



  【幹也】


 柊家の息子なんて大物が後輩にいる。
 だが、そいつは家に反抗して会社を作って大成功するようなはみ出し者。敷かれたレールに沿って歩いたって成功間違いなしの人生なのに、わざわざ違うレールを自分で敷いて成功を収めた男。
 そんな奴が俺に頭下げて頼んだのは、柊木家で起きている事実の証拠集め。
 俺は優秀な探偵だが、柊家相手となると油断できねえ。それでも可愛い後輩がこうして頼むんだから、受けねえわけにはいかねえだろ。
 それにしても、あいつの兄貴がΩを監禁して子供産ませてるなんて、この時代にそんなことが起きているとは信じられねえってのが普通だ。
 だが実際、金持ちがΩを囲っているって話は裏の世界ではよく聞く。
 Ωはまだまだ社会的地位が低い。だからこそ、そんな犯罪に巻き込まれてしまう。仕事に就けないからと自ら身売りする奴もいるしな。
 もちろん、今回はそうじゃない。だまして連れてきたという証拠を得た。
 柊にいるΩは水城楓、生まれてすぐに児童養護施設ひまわり園の前に捨てられていて親は不明。園長の苗字である水城を名乗っていた。高校までの成績は可もなく不可もなく、平凡といった感じ。これまでに彼氏や彼女はなし、親しい友人もなし。六歳頃まで同じ施設にいた水城はやという人物と仲が良かったが、彼が里親に引き取られてからはえんのようだ。
 Ωであると分かってからは施設内に離れが建てられ、そこで生活。十八歳の時に柊から縁談の話が来た。当時、園長が周囲に楓が結婚することになったと嬉しそうに報告していて、楓にも料理を教えたり裁縫を教えたりと花嫁修業のようなことをしていたようだ。このことから園長は今起きている事実を知らない可能性が高い。

「闇深ぇ~、柊家やばすぎんだろ」
「吉良さん~これ、ゲットできましたよ~!」
「お! よくやった! 一週間以内に集まらねえとタダ働きだからな~」

 俺にかかれば一週間なんて余裕だ。続々と集まる証拠を前に事実が重くのしかかる。
 理玖は、楓って奴の産んだ一人目の子供の優は母親の存在を知っているって言ってたよな。……こんなこと、何年も自分の中に溜め込んでいたのか。やっぱ柊家の奴らはおかしいのばっかだ。
 集まった証拠
 一つ目、柊結弦がひまわり園に送った縁談話の書面。これは園長が取っておいたらしい。
 二つ目、柊の子供三人と柊結弦、水城楓のDNA鑑定の結果報告書。もちろん、親子関係と結果が出ている。
 三つ目、柊の子供三人と柊静香のDNA鑑定結果。これももちろん親子関係なしと結果が出ている。
 四つ目、柊の監視カメラをハッキングして得た、医者があの蔵に通っていた映像とその医者が多額の金を柊結弦から受け取っていた証拠。
 五つ目、理玖に撮ってきてもらった楓の首の噛み跡写真と、その跡をかたどってもらったものと柊結弦の歯形が一致するという証拠。
 この五つの物的証拠をもとにして園長と医者から証言が取れれば有罪は間違いない。
 理玖が来てから五日か。
 さすが柊だな、思ったよりも時間がかかっちまった。もういつでも行けるぞ、お前の思うように動けよ理玖。

「もしもし? 理玖か? そろったぞ、証拠」

 理玖に電話をかけると、あいつは電話の向こうで何度も何度も俺にありがとうを言った。
 楓が風邪をひいてしまい、今の状態では危険すぎて一刻も早く医者に診せたいそうだ。
 送ってもらった首の写真を見ただけで分かる、痩せすぎとかいうレベルじゃねえ。命の危険がある細さだ。今がその状態ってことは、子供を産んだ一年前でも危険なレベルの体重だったはずだ。
 その体で出産し母子共に死ななかったのは奇跡としかいえない。特に母胎のほうは死んでもおかしくなかったはずだ。それなのに妊娠させるなんて頭がおかしい。
 園長は何度か楓に会わせてくれと手紙を出したが格式高い柊の名を武器に断られ、ここ数年は手紙を出すのを諦めたそうだ。だが、心配はずっとしているらしく、園長の机には施設を出る日に一緒に撮った楓の写真が飾られているという。その写真の楓はΩらしく線が細くはあるが健康的な男の子という感じで、今の状態の彼と同一人物だとは思えないほどだった。
 理玖、早く助けてやらねえとな。
 そのまま理玖と助け出す算段を話し合った。
 決行は明後日、柊結弦も静香も大阪でのパーティーに出席するため、昼から次の日の夕方まで留守にするそうだ。その間に医者立ち会いのもと、彼を連れ出す。
 それと同時に、この証拠をマスコミと警察に一斉に突き出し、今後二度と楓に近づけなくする。
 今回のパーティーの一泊二日の間、子供たちは静香の実家に行くようなので、本家を訪れるマスコミからは離せる。あいつらが大阪でパーティーに参加する頃には、日本中のバッシングがあいつらに向くという算段だ。
 長男の優だけは、静香の実家には行かずに理玖と過ごしたいと言ったらしい。
 電話で聞いた話だと、優は周りの目を盗んで何度も何度も楓のもとを訪れていたらしい。
 今回俺が恐れているのは、楓が拒否しないかだ。
 番というのは思ってる以上に強力なものだから、こんな目にあっていても楓は結弦の近くにいたがるかもしれない。そうなると、少し苦労しそうだ。
 だが、楓がどれだけ望もうと結弦の近くにいてはいけない。
 ……結弦は近くの火葬場に金を渡し、楓が死んだ時、誰にもバレないように火葬することまで頼んでいた。
 楓が死ぬことを分かっていて何もせずに死ぬのを待っているんだ。
 そんな奴のこと、想う必要はない。



   三、


 風邪をひいてからずっと咳が長引いていて、寝苦しい日が続いていた。でも、理玖さんがくれた薬を呑むと体が少し楽になる。
 施設にいた頃もここに来てからも薬を飲む機会なんてあまりなかったし、こういうのって耐性がないほうが効くって耳にしたことがあるから、そのおかげかも。
 なかなか完治しない風邪のせいなのか、頭がぼーっとする。顔はほてっているのに、手先足先など体の末端はすごく寒い。意識がフワフワする感覚が不思議だ。でもやっぱり苦しいって感じだ。
 俺ってあとどれくらい生きていられるのかな。やり残したことがあるのかすら分からない。
 そういえば、施設にいた頃に読んでいた漫画は完結したかな。主人公が悪の組織のボスで、立ち向かってくる勇者と何度も戦う話。悪役が主人公なんて珍しくて夢中になって読んだ覚えがある。
 俺を捨てた親って元気に生きてるのかな。会ってみたいとかそんなことは思わないけど。俺を施設の前に捨てたとはいえ、それでも命懸けで産んでくれたんだよな。
 自分が妊娠して出産して分かった。妊娠中は怖くて仕方なかったのに、生まれる時はどうか無事で生まれてくれって、自分の命なんてどうでもいいからって。命懸けっていう言葉がこんなにも当てはまることってあるんだって、そう思った。
 だから、俺を捨てた親も生まれる瞬間だけは命を懸けてくれたんだろう。元気に生きているといいなってそう思う。
 もう死ぬんだって際には後悔とかやり残したこととかが自分の中にどんどん溢れるもんだと思っていたけど、実際はそんなことない。今の願望と言えば、自分の産んだ子供に会ってみたいことと、ひまわり園の園長に最後に会いたいこと、くらいだ。
 俺がひまわり園にいた頃に施設にいたみんなは、もうほとんどが成人して施設を出ているか、里親に引き取られているだろうな。そういえば、はや君は今どこで何をしているんだろう。
 俺が人生で唯一仲良くしていた友達と呼べる存在。それも彼が引き取られてからは疎遠になってしまったけど。
 俺にだって小さい頃は夢があったはずなのに、それすら思い出せなくなった。
 まだ少し動く腕をの巣の張った天井に向かって伸ばす。
 伸ばした手は誰からも握られることなんてなかった。親からも、番からも、自分の子供からも。
 来世というものがあるのなら、ぜいたくは言わない。貧乏でいいし、容姿だって整ってなくていい。一人でいいから俺の手をとって握ってくれる人がいる人生を歩みたい。それくらい叶えてくれよ、神様ってやつがいるならさ。
 今日は子供たちの声が聞こえない。
 毎日の楽しみなんだけどな。一番下の子はそろそろ歩けるようになったかな。真ん中の子は多分女の子だと思うんだけど、今は幼稚園に行っているのかな。一番上の子は、ゆうって名前か、あだ名だ。もう十歳だよな、多分だけど。俺の子供たちってどんな子なんだろう。
 ――ギィ。

「……楓君」
「……? 理玖さん?」

 この人また来たのか。すごいな、飽きもせずに。あ、でもこの間の薬のおかげで少し楽だったからお礼言わないといけない。
 でも、ダメだ。もう声が出ない、なんでだろ。

「酸素マスク早く!! すぐにストレッチャーに乗せて救急車へ!!」

 なんだかすごく騒がしい。この蔵にたくさん人がいる。出産の時でさえお医者さんと看護師さんの二人だったのに。
 俺、ここから出されるの?
 体が浮いたと思うとストレッチャーに乗せられた。やっぱり、この蔵から出されるんだ。
 ……嫌だ。ここにいないと柊さんが来ない。

「ゃ、いや、ここにいる」
「楓君?」
「柊さ、ん、ひ、らぎさんのとこにいる! 離れたくない」

 ここにいなくちゃ、柊さんが来るかもしれない。
 俺が頑張れば、俺が元気になれば、柊さんは来てくれるかもしれないんだ。
 でも、俺がここを離れてしまえば会えなくなる。そんなの嫌だ、俺はここにいたい。
 思う通りには動かない体を必死に動かして抵抗するが、俺の抵抗なんて微々たるもので、ストレッチャーから降りられない。それでも抵抗し続けたかった。
 俺は柊さんの番だから、彼の近くにいなくちゃいけない。番だから、子供だって産めと言われたら産まなくちゃいけない。どれだけ体がボロボロになったって産まなくちゃいけないんだ。
 ここから連れ出されたら、柊さんともう会えなくなる。

「楓!! 死んだらなんの意味もないだろ!!」

 知らない人がそう叫んだ。さっき色々指示してた人だ。

「……っ」

 死んだら意味がない。そんなこと分かっている、でも、柊さんはそれを望んでるでしょ? 番が望むことなら、叶えなきゃ。

「楓!! お前の人生だろ!! 生きろ!!」

 今日初めて会った人にそんなふうに叫ばれて響くわけがないのに、どうしてか俺の心にその言葉がスッと入ってきた。見て見ぬふりをしていた生きたいって気持ちに俺自身、気づいてしまった。
 俺は抵抗するのも嫌だと言うのもやめた。
 俺が抵抗する気がなくなったのが分かると、すぐに蔵から運び出される。
 太陽を直接体に浴びたのはかなり久しぶりで、まぶしくて仕方ない。理玖さんがすかさず日傘を差してくれたみたいで目を開けられたが、太陽ってこんなに眩しかったんだな。
 救急車に乗せられたところまでは覚えているが、その後すぐに俺は意識を失った。
 こうして俺は十一年もの間過ごした土地を後にした。



  【理玖】


 柊の家が関与していない医療機関であるまつもと総合病院に楓君を運んだ。
 ここは俺自身が抑制剤を貰いに来ている病院で、主治医の松本先生に相談したところ楓君の入院を提案されたのだ。
 今から治療を始めるが、番の解除と投薬があるため少しの間は意識が戻らないそうだ。
 だから俺はその間にしなければいけないことを済ませる。
 病室で眠っている楓君の顔を見てから病院を後にし、ある場所に幹也先輩と共に向かう。

「楓君、抵抗したんだって?」
「あぁ、兄さんのこと恨んでいるとばかり思っていたんで驚きました。ここにいるって言って体も動かないのに必死に抵抗していました」
「本能的なものだろうな。それに、十一年もあんな所にいて人と会わないような生活してたんだぞ? 依存するに決まってるし、番関係ってのはそこがちょっとややこしいよな。ただでさえ、あんな生活してて心が死なねえはずがねえよ。番解除も吉と出るか凶と出るか」
「番解除すれば良くなるんじゃ?」
「体はな? そりゃ良くなるだろうよ。番欠乏の心配がなくなるからな。といっても、もうかなり進行してただろうから、すぐにってわけではないだろうけどな。俺が心配なのは、番解除したことによってパニックになっちまうことだな。見たことあんだよ。レイプで番にされた娘を思って親が勝手に番解除させてな、娘は番に捨てられたってんで自殺しちまった」

 そんなことが。無理やりされたのに、そんなふうに追い詰めるまで相手を想ってしまうのか? いや、想うというよりは本能ということか。

「そこは周囲が支えるしかないですよね」
「まぁ、松本先生いるしな。あの人、楓君と友達だし」

 ……は?

「え、なんですかそれ、俺、聞いてないんですけど」
「あれ? 言ってなかったっけ? 松本先生はひまわり園の出身だぞ? 楓君の一番仲良かった友達だ。六歳の時に当時抜きん出ていた頭の良さで松本会長にめられて養子になったんだよ。松本会長が厳しい人で、ひまわり園とは連絡取れなかったらしいな。松本先生驚いてたな、今回助ける人が楓君だって知って。……もうとっくに施設を出ている年齢だからどこかで幸せに暮らしてるんだと思ってたって泣いてたよ。成人した時にひまわり園に行ったらしいんだ。その時に園長から結婚したって聞かされたらしい」

 仲の良かった友人が、幸せに暮らしてると思っていた友人が、命が消えかけるほどの目にあっているなんて信じられない、いや、信じたくないよな。

「俺の兄さんは、楓君だけじゃなくたくさんの人の心を傷つけたんですね」
「そうだ、それに俺たちは今から自分たちの目の前で人が傷つくのを見なくちゃいけねえ。覚悟しろよ、理玖」
「はい」

 タクシーが目的地に止まり、扉が開いた。
 児童養護施設ひまわり園――楓君が育った場所。
 俺たちはこれからひまわり園の園長に楓君のことを伝えなければならない。
 今日の夕方には、全テレビ局のトップニュースとして今回のことが流れる。園長にはその前に話さなければならないから。
 ――ピンポーン。

「本日お約束させていただいていました吉良です」

 そう告げると、門に六十代くらいの女性が近づいてきた。幹也先輩に写真を見せてもらっていたからすぐに分かる。この人が園長の水城さん。

「こんにちは。こちらへどうぞ。今、子供たちはほとんどが学校に行っていていないのよ。小さい子たちはお昼寝中なの」

 通されたのは園長室。子供たちから貰ったであろう絵や折り紙が壁にたくさん貼ってあって、この人がどれだけ子供たちから親しまれているのかが分かる。

「電話ではご挨拶させてもらいましたが改めまして、私、吉良幹也といいます」
「私は柊理玖といいます」
「柊?」
「はい、柊です。ご想像した柊の家で間違いありません」
「あら!! じゃあそちらの柊結弦さんに嫁いだ水城楓のことはご存知? あの子元気なのかしら?」

 楓君のことを聞けると分かったからか嬉しそうにニコニコと俺に問いかけるこの人に、一気に罪悪感が押し寄せる。
 だが、話さなければいけない。

「本日こちらに伺ったのは、楓君のことでお伝えしなければいけないことがあってなんです」
「楓の? か、楓の身に何かあったんですか?」
「楓君は今、松本総合病院に入院して治療を受けています」
「あの子、何か病気なの? 大丈夫なの?」
「そのことを話すために、先に確認させていただきたいことがあります。柊結弦は、楓君を妻にとこちらに話しましたよね?」
「ぇ、ええ。すごく立派な家の方だから施設の子をなんて、私には経験がなくてかなり驚いたわ」
「……実は、柊結弦にはその時点ですでに妻がいました」

 スッと園長の目から光が消えたような気がした。それと同時に、俺の背中にも嫌な汗が垂れるような感覚がして、これまで経験したことのない恐怖と緊張が走る。

「どういうことですか?」
「彼の妻は子供が産めない体でした。その妻の代わりに子供を産んでくれるΩを求めて身寄りのない楓君を騙して屋敷に連れ込んだんです」

 俺は楓君の身に起きたことを全て園長へ伝えた。
 番にされてしまったことも、三人の子供を産まされたことも、満足な食事も与えられず放置されていたことも、番欠乏で死にかけていたことも、何もかもを包み隠さずに。

「あの子は、幸せに暮らしてるんじゃなかったんですか!?」
「申し訳ありません。柊の本家で起きた出来事です。謝ることしかできません」

 涙を流すでもなく、こちらをまっすぐ見て怒りのこもった声を飛ばす園長。十八年育てて幸せを願い嫁ぐのを見送った子が実際には酷い目にあわされていたなんて知らされて怒らない人はいない。
 柊の家がしたことは許されることじゃない。俺には謝ることしかできない。

「今、あの子は病院に?」
「はい、番欠乏によって命が危ないので、私の兄である結弦との番を解除する処置をしています。診てもらっている医者によると栄養失調によって内臓も弱っていますので当分は入院生活になるそうです」
「……病院に行きます。柊の人だからってあなたのことを怒ったってどうにもならない。あの子をそんな地獄へ送り出してしまった私にも責任はあります。あの子に謝らなくちゃ」

 この人、なんて広い心を持っているんだ。
 俺は今日、ののしられ殴られる覚悟でここに来た。どんなことを言われたって償いにすらならない。なのにこの人は俺を責めることなく、楓君のもとへ行きたいなんて。
 乗ってきたタクシーにまた乗り、楓君のいる松本総合病院へ向かう。

「……あの子には苦労させたんです。長く施設の職員をしていますけどΩの子は初めてで、当時どう対応していいかも分からなかった。多くの子供たちがいて、中には楓より大きい中学生・高校生もいる。何か起きてしまってからでは遅いと、寂しい思いをさせました。それでもあの子はいつも笑顔でいってきますと言って休むことなく学校に通って、帰ってきてからも施設のことをよく手伝ってくれました」
「楓君は一度も兄のことを責めませんでした。それに、楓君の長男の優という男の子がいるんです。その子は群を抜いて優しいんです。きっと楓君に似たんです」
「小さい頃は施設の子たちとも仲良くしていたんです。里子として引き取られた男の子とすごく仲が良くて毎日二人で楽しそうにしてました。でも、その子が施設を去ってからはだんだん他の子とも話さなくなって……Ωだと診断を受けてからは人と関わらなくなってしまったんです」
「そうだったんですね。……私はαです。周りのαの友人たちといつか自分のただ一人のΩを見つけられたら、なんて話をしていたことがあります。αにとってΩは唯一無二の存在です。本来Ωはけむたがられ差別される存在ではないんです。αは番のΩには逆らえません。そんなことして嫌われたら私たちαなんて生きていけません。本当は一番優位な存在なんです」

 Ωである楓君は兄さんの所に来なければ別の場所で笑っていたかもしれない。誰か大切な人ができてその人と家庭を築いていたかもしれない。
 そんな誰かを想像して気分が下がるなんて、楓君の笑顔は俺の力で、と思う権利もないことを考えている俺は、所詮意地汚いαなんだ。反抗し続けた柊のαなんだ。

「あ、着きましたね。ご案内します」

 病院の中を一言も話さずに歩き続ける。
 今からこの人は変わり果てた姿の楓君のもとへ行く。
 エレベーターが上がっていくのと比例して、自分の心臓の音が大きく速くなる気がした。
 エレベーターが着いた音にビビるくらいには気を張り詰めていたみたいだ。
 病室の近くには優が立って待っていた。

「……理玖おじさん」
「優、偉いな。病室入らずに待ってたのか?」
「うん。本当は近くにいたいけど、僕がいるせいでママの容態悪くなったら嫌だから」
「……この子が?」
「はい。優といいます。十歳です」
「優君、こんにちは。私はあなたのママのお母さんみたいなものよ。小さい頃のママを知ってるの。優君は小さい頃のママによく似てるわね」

 その言葉に優がすごく嬉しそうにした。大好きなママと似ていると言われて嬉しかったんだろう。

「柊さん」
「松本先生! 楓君は!」
「……とりあえずは大丈夫です。でも、これからの本人の頑張り次第って感じですかね。まだまだ油断できないです」
「……あなた、もしかして?」
「園長先生、お久しぶりです。隼人です」

 は、やと?? ……あ! ひまわり園で楓君が仲良くしてたっていう友達か!!

「松本先生、楓君と友達だったんですよね」
「俺も驚いたんですよ、あなたから楓の名前が出るなんて思ってもみなかったし。それに、成人して園を訪れた時に、楓は結婚したって聞いてましたから。幸せに暮らしてると、そう思ってました。それが、楓のことを治療するなんて思ってなかった。それも危険な状態の楓を」

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