LYCAN

ナカハラ

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Chapter1

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「ミルク?」
 手放そうとしないそれに、彼が言いたいことを何となく理解する。
「了解。一寸待ってろ」
 獣だからなのだろうか。数ある飲料の中もで、特にそれが好みのようだ。普段は精一杯背伸びをし人間であることを演じているのだが、こういう時に垣間見える素直な一面が、ルカという者の二面性を現している。どこまでもアンバランスな存在。それでも、其処がまた可愛いんだ。そう思う辺り、相当に末期な状態なのだろう。
 頭に浮かんだ考えを振り払いながら買ってきたばかりのパックを受け取ると、キッチンへと移動する。
 開封したパックを傾けマグカップへと注がれていく液体。カップの中で揺れる乳白色は、ラップを被されレンジの中へ。温まるまでの間にルカには机の上を片付ける使命を与え、自分は巻いていたマフラーを解きながらジャケットを脱いでいく。仕事を済ませた衣服が椅子の背もたれで休憩を始めれば、今度は作業を進めているルカの元へと向かった。
 不規則に並べられていた品物たちは、一つずつ紙袋の中へ逆戻り。その作業を続けているルカの手から抜き取ったものはマドレーヌの袋である。
「?」
「まぁ、いいから」
 軽く肩を叩き再びキッチンに戻ると、棚を開け大きめの皿を取り出し進めるおやつの準備。音を立てて開かれた袋の中から逃げ出していく、甘い香りが部屋中に広がる。
「!」
 それに気付いたのだろう。いつの間にかキッチンへとやってきたルカが、そろそろと近付居てきたかと思うと、後ろから手を伸ばしてお菓子を盗もうと動いた。だが、その試みは寸でのところで阻止されてしまう。
「もう少し待ちなさい」
「うー……」
 袋から取り出していく甘いお菓子。美味しそうに見栄えを良くするなんて器用な事は苦手だから、適当に乗せて準備完了。用意した皿と温まったミルクを持ってダイニングに移動すると、テーブルの上にそれらを置きルカを呼ぶ。
「もういいぞ。先に食べてても大丈夫だからな」
「?」
 腰掛けろと引いた椅子に収まったルカは、皿の上のお菓子とグレイヴを交互に見ながら首を傾げた。
「俺も飲み物用意してくるから、少し外すだけだ」
 そう言ってルカをその場に残し、グレイヴは再びキッチンへと戻る。追いかけてくる気配が無いことに寂しさを感じつつ、手に取ったケトル。水を入れ火に掛けると、今度は珈琲の瓶を手にとり蓋を回していく。無意識に出た鼻歌は少しだけずれた旋律だが、そんなことは誰も気にしない。中身の無いカップもう一つを用意し、珈琲の粉を入れようとしたところでグレイヴは作業の手を止めた。
「……偶には紅茶にしとこうかな?」
 普段は滅多に口にすることの無い紅茶を楽しもうと思ったのはただの気まぐれだ。用意していた珈琲の瓶を片付けると、棚を漁って買ったまま放置されていたティーバッグを発掘する。賞味期限はつい数日前に切れているようだが、どうせ風味がどう落ちたかなんて分かりやしない。気にせずそれを開封しバッグをマグカップにセットする。
 湯が沸くまでは暫く掛かる。相変わらず口ずさんだ歌の音階は正しい音符を辿ることをしていないのだが、それを指摘してくれる人は誰も居ない。漸くケトルが蒸気を噴き出し、合図を出したタイミング。歌うのを止め火を止めると、カップの中に湯を注いでダイニングへと戻った。
「ん?」
 てっきりもう、皿の上に在るものは姿を消している。そう思っていたのだが、意外なことに、未だ皿の上に居座り続ける焼き菓子の存在に驚く。先に食べていても構わないと伝えていたはずの相手は、恨めしそうにマドレーヌを睨み付けながら、カップの縁をがじがじと噛み小さな唸り声を上げていた。
「なにやってんだよ、お前」
 カップの中を覗き見ると、確かにミルクは少しずつ無くなっているようだ。それなのに、皿の上のマドレーヌは用意したときから一個も減っていないように見える。
「食べなかったのか?」
 思わずそう尋ねれば、それを肯定する様にルカが小さく頷いてみせた。
「う」
 グレイヴの事を軽く睨むルカの頬は風船のように膨らんだ状態。
「もしかして、俺を待ってた?」
「う」
 その問いにもルカは同じように頷いて見せる。
「悪かったよ」
 未だにすれ違う互いの気持ち。相手の為をと思って出した指示は、どうやら裏目に出てしまったようだ。
「遅くなってごめんな」
「…………」
 持っていたカップを机の上に置くと、ルカの頬を軽く撫でてから、椅子を引っ張り彼の近くに腰掛ける。
「じゃあ、一緒に食べるか?」
「!」
 漸く始めることが出来るティータイム。お預けを自発的に行っていたルカが、嬉しそうに目の前のご褒美に手を伸ばす。いつの間にかルカの手にあるものは二つの御菓子。欲張りだなと笑うと、その内の一つがグレイヴの方へと差し出される。
「くれるのか?」
「う」
 受けとって欲しいと揺れるルカの右手。
「ありがとな」
「!」
 礼を言い素直にそれを受け取る。プレゼントは常にグレイヴからルカへの一方通行。だからこそ、逆の事をされると、感じてしまうむず痒さ。余り甘いものは得意ではないが、行為を無碍にすることはしたくない。口を開き一口囓ると、柔らかい甘さが口の中に広がった。
「甘いな……」
 カップの中で揺れていたティーバッグを取り出し、役目を終えたそれをマドレーヌを盛り付けた皿へと移動させる。琥珀色の液体は濁りが無く、カップの底がよく見えるのが不思議で。ゆっくりと口を付けると、菓子とは異なる苦みがじんわりと広がっていく。口の中に居座る甘さと緩和されて、丁度良い味わいが心地良い。偶にはこんな時間も良いな、と。ぼんやりと菓子を口に運びながら紅茶の味を楽しんで居ると、目の端にちらちらと映るルカの行動が気になってしまった。
「はははっ」
 誰も盗みやしないのに、食べる事に必死な同居人は、まだどこか獣らしさを残している。
「そんなに焦らなくても盗られやしねぇのに」
「?」
 口いっぱいに御菓子を頬張るルカが、不思議そうに向ける視線。
「なーんか、可愛いなぁって思ってさ」
「?」
 言われた言葉の意味が分かりらない。そんな風に反応を返されるが、それはどうでも良い事だ。
「うん。いいよ、別に」
 ルカの口の端に付いた菓子屑。そっと指で摘み取ると、ぼんやりと見てしまう。食べるわけでもなく、捨てる訳でも無く曖昧な態度を取っていると、ルカの手がゆっくりと動きグレイヴの腕を掴んだ。
「?」
 指に貼り付いた小さな欠片は、ルカの舌が奪い去った。まるで、取られたパーツを取り返そうとでも言う様に。
「食い意地が張りすぎだろう、お前」
「うー」
 行儀が悪い。そう小言を言われるのは分かっていたが、それでも反省はしない。そんな風に目で訴えたルカは、口の中に有る甘い誘惑を噛み砕くと、ミルクで全て流し込みほうっと息を吐いてみせた。
「はふ……」
 両手でしっかり抱えたマグカップ。それをゆっくりと机に置き、目を伏せて肩を落とす。
「満足したか?」
「…………?」
 ルカは暫く考えてこくりと頷いてみせる。
「そうか、良かったな」
「!」
 一通り腹が膨れたところでルカが椅子から立ち上がった。
 この後は、いつものようにグレイヴの膝の上に乗って甘える時間が始まる。それがいつものパターンである。どうせそうなるのだろうと予想したグレイヴは、椅子を引いて手を広げ、ルカを受け入れる準備を済ませる。
「……ん?」
 しかし、どうやら今回は違った様だ。ルカはそわそわとリビングの方へと視線を向けると、グレイヴの方を見ずにそのままリビングへ歩いて行ってしまう。
「お?」
 予想が外れたことに驚きつつ、感じたのは寂しさ。ゆっくりと席を立つと、ルカの後を追いかけ移動する。
「……………」
 リビングでルカの姿を探すと、彼は直ぐに見つかった。定位置であるソファを無視し立った窓の前。締めていたカーテンを開き、ガラス越しに広がる外を眺めているようだ。
「………もしかして、もう、この家に居るのが嫌になっちまったのか?」
 勿論、それは冗談のつもりだった。それでも、そこで素直に頷かれると、冷静で居られる自信が無いグレイヴは顔を伏せ小さく溜息を零す。
「…………?」
 外を恋しがるようにガラスに手を乗せていたルカが、ゆっくりと振り返る気配。
「ルカ」
「?」
 いつもならば、名前を呼べば直ぐに傍に来てくれるはずなのに、今は近付く気配を感じられない。それがとても嫌で、途端に不安に囚われてしまう。
「俺の傍に居るのはもう厭きちまったとか?」
 お願いだから拒まないで欲しかった。飽きたというその言葉に、肯定を見せないで欲しいと願ってしまう。だが、どこまでも臆病で卑怯な自分は、それを確かめる事から逃げ、瞼を伏せ視界を閉ざす。暫くして自分の右手に感じた違和感。
「…………」
 ゆっくりと瞼を開き見れば、自分の右の手を握り絞めているものがルカの両手だと言う事に気が付いた。
 嗚呼、まだ大丈夫だ。
 そう感じそっと撫で下ろす胸。感じる不安はまだ完全に拭えそうには無いが、今はそうなるべき時では無い。そう自分に言い聞かせ、グレイヴはゆっくりと顔を上げる。
「!」
 意外なことに、目の前にいるルカは笑顔だった。今日はグレイヴが沈んでいてもルカの不安は煽られないようだ。ルカの手がグレイヴの腕を引っ張る。誘われるまま足を動かせば、窓の前で立ち止まり、ガラスを軽く叩いて何かを訴えられた。
「……開けて欲しい、のか?」
 その問いには即答で。躊躇うこと無くこくりと頷く頭。
「開けたら、逃げていかない……よな……?」
「?」
 先程大丈夫だと吹っ切ろうとした不安は、直ぐにまたグレイヴの腕を掴もうとする。
 不安そうに揺れるグレイヴの目に、何かを感じ取ったのだろう。窓を開けてくれと催促していたルカの表情が微かに曇った。
「ここを開けたら、ルカがどっかに消えちまいそうで恐いんだけど」
 あくまでも軽いノリで。そう装うのは、傷付くことが怖いと本能的に感じているからだろう。
 大切なものになってしまったこの存在が、余りにも好きで堪らず家の中に閉じ込めている。
 その異常性は自分でも薄々気が付いてはいた。それでも、こうでもしないと、相手を繋ぎ止めておく術が無い。それほどにまで、この関係は脆弱で稀薄な細い糸のようなもの。
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