LYCAN

ナカハラ

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Chapter1

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「ルカ」
 突然足を止めたグレイヴが、ゆっくりと振り返りルカと向き合う。背中越しに覗く白い月。その淡い光が、ルカという存在の輪郭を曖昧に暈かし掻き消してしまいそうで歪める表情。だが、ここでルカのことを抱きしめ、腕の中に閉じ込める訳にはいかない。静かに繰り返す深呼吸。漸く気持ちを落ち着けると、グレイヴは月を仰ぎ見ながら、静かに言葉を紡いでいく。
「俺の言葉は理解できるよな?」
「?」
 それはただの確認だった。
 神秘的に輝く月からルカへと視線を移せば、向かいに立つルカが困ったように考え込んだ後で、ゆっくりと頷いて見せる。
「そうか」
 良かったと思いながらも感じてしまう寂しさ。それに悟られないように無理に笑うと、グレイヴは真剣な顔でこう続けていく。
「それならお願いがあるんだ」
 これが最後。ルカの頬を優しく撫でながら呟く音にならない想い。
「狼になって欲しいんだが、出来るか?」
 グレイヴから言われた「狼になれ」という催促は予想外だったらしい。ルカとしては、グレイヴに狼になった姿を見られたくないと思っているのだから、そのお願いは嫌で仕方が無かった。今、グレイヴが何を考えているのかが分からないルカが、狼狽えながら提案を嫌がるように首を横に振り断る。
「俺が見たいんだよ。お前のその姿を」
 それでも、グレイヴが折れる事は無く、尚もルカに姿を変えて欲しいと要求を続けてくる。
「俺のお願い聞いてくれないの? ルカ」
「っ!!」
 グレイヴから言われたお願い。ルカは息を呑み唇を噛んだ後揺れる瞳でグレイヴを真っ直ぐに見つめる。
「どうしても見たいんだよ、お前が狼になった姿を。こんなに頼んでも、駄目なのか?」
 譲れ無い駆け引きで手繰り寄せられる結論はたった一つだけ。初めから選択肢なんて用意していないのだ。ルカがどんなに嫌がったとしても、最後はその首を縦に下ろす事しか出来ない様に誘導をかけていく。
「…………」
 ルカの顔に当てられたガーゼ。それをゆっくりと剥がしながら頼み込めば、握り返していた手からすっと力が抜ける。そのことに気が付いたグレイヴも、繋いでいた手を解くとそっと離し、帆舞えるように彼の頭を撫でてやる。
「…………」
 納得は言っていない。それは不機嫌な態度から分かった。それでもルカはグレイヴの願いを叶えようと懸命に動く。
 グレイヴから数歩離れた場所でルカが立ち止まり、頭上に浮かぶ月を真っ直ぐに見上げる。
 その変化は実に緩やかだった。
 改めて見る身体の変化は、いつだって驚かされるもので。何度か姿を変えると言うことを経験しているからなのだろうか。始めに見た時よりも随分落ち着いた様子で、ルカは己の身体を組み替えていく。まだ月が完全に満ちていない影響は変化の速度にも影響するらしく、いつもよりも随分と時間が掛かってしまった。しかし、いつかはその不思議な光景も終わりを告げるのだろう。先程まで人間だった【ルカ】が消え、狼になった【ルカ】が目の前に現れた事に、グレイヴはほっと胸を撫で下ろした。
「良い子だ」
 辺りに散らばる衣服。それらを拾い集めまとめると、たった一枚だけ残ったシャツも脱がせていく。人であった痕跡を完全に拭い去ると、そこに在るものは一匹の美しい獣だけ。完全に狼にへと変わったルカの柔らかい毛を、愛おしそうに撫でながらグレイヴは小さく呟く。
「俺が護ってやる。だから、安心して欲しい」
 一度瞼を伏せ視界を閉ざし切り替える意識。最後にもう一度だけ。ルカの両頬を手で包みながら目を合わせ微笑むと、グレイヴは立ち上がり大きく息を吸い込んでから強く怒鳴りつけた。
「出ていけっ!! ルカッ!!」
 突然張り上げられた声にルカは驚いて身を屈める。
「お前はもう必要無いんだっ!! お前が居たら、俺が大変な目にあっちまうんだよ!! 迷惑なんだ!! もう、尻拭いは沢山だからなっっ!!」
 吐き出される暴言は、相手を傷つけるという明確な意図がありぶつけられるもの。だが、その言葉にグレイヴの本心は、何一つも含まれてはいない。目の前の狼を怒鳴りつける度、心が痛みを訴える。それでも、今はこうするしかないのだと。そう自分に言い聞かせながら、グレイヴは必死に声を張り上げ続ける。
「お前なんか初めから嫌いだったんだ!! 姿が変わるなんて気味が悪いだろ!?」
 これだけ攻撃的な言葉を投げつけても、ルカは戸惑うだけでグレイヴから離れようとしない。怯えるように耳を伏せ尾は垂れているが、その瞳は悲しそうで、今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。
「二度とここには来るな! 俺の前に顔を見せるんじゃねぇよっっ!!」
 言葉だけでは無理だ。そう判断したグレイヴが、振り上げた手でルカの身体を叩く。
「キャインッ!!」
 乾いた音が響き狼の身体が跳ねると、ルカが悲痛な叫びを上げながら、反射的にグレイヴから離れ距離を置いた。
「そうだ…………」
 それで良いんだ。心を鬼にしてもう一度手を振り上げると、威嚇するようにルカに気持ちのこもらない暴言を投げつける。
「さっさと行け!! 消えちまえよっっ!!」
 いつもは嬉しそうにピンと立った耳は、完全に伏せられてしまった。怯えながら縮こまるルカに対し、とまる事の無い怒号を上げながら、更に追い込み逃走を促す。
「ルカなんか消えちまえっっ!!」
 頼むから大人しく居なくなって欲しかった。
 ルカに向かって投げつける言葉は、何もルカだけを傷つけているわけではない。ルカが嫌がる度、同じだけグレイヴの心も傷付き抉られていく。それでも持ちこたえているのは、精一杯の虚勢を張っているからだ。なんとかギリギリのところで自分を保ちながら、グレイヴはルカに対して殺気を放つ。これ以上ここに留まるつもりならば、殺してしまうぞという脅しを篭めて。
「…………クゥン……」
 酷く弱々しい声でルカが鳴いた。
 まだ小さな望みに縋りたいと、グレイヴの様子を覗う目の前の狼。思わず手を伸ばし抱きしめてやりたいと、無意識に心が叫び声を上げる。
 だが、その衝動を必死に堪えると、グレイヴは右足を振り上げルカの身体を蹴り飛ばした。
「キャンッ!!」
 夜の空気を震わせる狼の甲高い鳴き声。
「早く消えろ!! さっさと居なくなっちまえよっっ!!」
 荒くなった息で肩が大きく揺れる。頼むから、もうこれくらいで諦めて欲しい。崩すことの出来ない態度で睨み付けると、暫くは縋るような眼でグレイヴを見て居たルカがゆっくりと背を向ける。何をやってもグレイヴが態度を変えることがない。その事を漸く理解してくれたらしい。とても重い足取りで開いていく互いの距離。
「……………」
 森へ入る手前で一度、ルカは立ち止まりゆっくりと振り返った。
「……………」
 時間にしたらほんの数十秒程度。
 何かを言いたげに見えたルカが、再び背を向けて歩き出す。闇に飲まれ姿を消していく一匹の狼。その姿が完全に見えなくなったところで、漸く強張っていた身体から力を抜くと、グレイヴはゆっくりと息を吐き涙をながした。
「………ごめんなぁ、ルカ……」
 もっと他にもいい方法がないのかと。そう、自分に問い掛ける暇もない程、グレイヴ自身も焦り、追いつめられていたのかも知れない。
 またしても間違ってしまった選択。
 こんな風に傷つけたかった訳では無かった。
 こんな風に別れを経験させたかったわけではなかった。
 腕に残る確かな温もりと、最後に見せられた寂しそうな顔が忘れられず胸が痛い。
「幸せに…………なれよ…………」
 しゃくり上げる声に胸元を押さえながら俯いたグレイヴの姿は、とても小さく……そして、酷く寂しいものに見えた。
 規則正しく繰り返す音は耳慣れないものだ。それに違和感を覚え、僅かに眉を動かすと、重たい瞼をゆっくりと開いていく。
「…………ここは……?」
 ぼんやりとする頭で瞬きを繰り返すのは老年の刑事である。
「ど……こ…………だ……?」
 見慣れない天井が目の前にある。霞がかかる頭を働かせながら記憶を辿ると、一気に覚醒する意識。ここが何処であるかを思いだした刑事は、勢いよく上半身を起こしながら大声を上げる。
「しまっ……」
「ああ、お早う御座います」
 起きた反動で床の上に落ちるブランケット。
「タイラーさん! アンタ……」
「どうかなされましたか?」
 目の前には、きょとんとした表情を浮かべながら首を傾げる家主の姿。それに苛立ちを覚えた刑事は、立ち上がるとグレイヴの胸元を捕まえて怒鳴りつけた。
「俺達に薬を盛ったな!? 犯人はどうしたっ!!」
「犯人……です、か?」
 刑事の手をゆっくりと外しながらグレイヴは困ったように笑うと、軽く肩を上げてゆっくりと首を振りこう答る。
「ここには俺しか居ませんよ」
「な……に……」
 刑事の目が巫山戯るなと物語っている。
「ルカって言う奴はアンタの親戚なんだろう!? 奴を何処に隠したんだっっ!!」
「ルカですか?」
 捕まれた胸元から刑事の手を解くと、床に落ちたブランケットを拾いながらグレイヴは言葉を続ける。
「ルカは既に亡くなっているんですが」
「……なんだ……と……?」
 老年の刑事は、その言葉に混乱しているようだ。それもそうだろう。この家に来るまで、確かに彼は【ルカ】という存在を認識していたのに、目覚めたら突然【死んでいた】と言われてしまったのだ。どう考えてもグレイヴが嘘を吐いている。そう判断し疑うのも仕方が無いだろう。
「確かに、俺の弟の名前はルカと言います」
 それが分かっているからこそ、グレイヴは慌てることなくその疑問に答えていく。
「でも、弟は死産だったので、生まれてきては居ないんです」
「はぁ?!」
 その反応も想定済みのものだ。
「疑うなら、俺が生まれた病院に問い合わせてみるといいですよ。多分、記録が残っているんじゃないですかね?」
「どういう……こと、だ……」
 予想外の新事実に刑事が混乱するのは当たり前で。彼はグレイヴを睨み付けながらも、急いで電話を掛け【グレイヴ】という個人の情報を調べるよう指示を出す。
「嘘だったら容赦しねぇぞ」
 獲物を狩るような鋭い目でそう脅しをかけるのは、グレイヴの言動に苛立ちを覚えて居るからだろう。
「嘘なんかじゃありませんって」
 その言葉に困ったように眉を下げ笑うと、グレイヴは彼が求める情報を手に入れるまで黙って待つことにした。
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