LYCAN

ナカハラ

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Chapter1

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「礼を言われる程のことは、何もしていないはずだが」
 グレイヴの言葉に対し、ウィルは予想外にも淡泊な反応を返す。
「君は私の友人だろう? 困っていたら助ける。それが当たり前のはずだ」
「え?」
 さも当然だと言いたげに、さらりと言われたそんな一言。
「俺とアンタは出会ったばかりだぞ」
 その言葉は、本当に真実なのだろうか。どうしても信じられず、グレイヴは顔を伏せる。
 こちらが友人であって欲しいと願う気持ちは本当のことだ。だが、相手がそれを望んでいるとは限らない。だからこそ、大きすぎる期待を寄せるのはリスクが高いはずだ、と。そんな気持ちで口に出す言葉は、どこまでも狡く秘境な自分の弱音だった。
「俺としては友人でありたいと願うが、実際はそうじゃねぇだ……」
「時間なんて関係無い」
 次の瞬間、グレイヴの耳に届いたものは、盛大な溜息だった。
「君が私の事をどう思って居るのかは自由だが、私は君のことを友人だと思って居るのだが?」
 何を今更。そんな風にグレイヴを睨み付けるウィルは、見るからに不機嫌な表情を浮かべ立ち上がる。
「友人が助けを必要としている時に手を差し伸べず、無視をするなんて事、私には到底不可能だ。だから気にすることは無い」
 ここまで断言されると、もう反論すら出来ない。妙に説得力のある言葉。それが嬉しくなり、グレイヴは思わず吹き出してしまった。
「何が可笑しいのかね?」
「いや」
 笑う度、針の刺さった腕が痛みを訴える。それでも、今は腹を抱えて笑いたい気分だ。
「只、純粋に嬉しいだけさ」
 それほどにまで、目の前に居る人の良い男の不器用な優しさが、心地良くて仕方ない。
「アンタ本当にいい人だったんだな」
 溢れ出る涙を手の甲で拭うと、今度こそ心からの笑顔を浮かべ、胸を張ってこう言える。
「アンタと出会えて、本当に良かったよ」
 今まで閉ざし固めていた感情が、少しずつ溶け出し流れ出していく。笑い声と溢れる涙と共に自分の外へと吐き出されていくそれが全部無くなってしまえば、漸く、欲しがって手を伸ばし諦めた大切なものに手が届くのだろう。目の前の見え無い暗くて長い道に射す光。何かを変えることの出来る兆しの片鱗を見つけられた事が、何よりの幸運だと感じてしまう。
『随分と遠回りをしたんだな』
 そっと右肩を叩かれ顔を上げれば、いつの間に現れたのだろうか。黒い影が自分のことを見下ろしながら直ぐ傍に立っていた。
『答えを見つけだすまでにどれだけの試練を定めるかは、その人次第だ』
「ああ、その通りだ」
『だが、それに辿り着く前に諦めてしまえば、それを手に入れることは難しい』
 それは常に自分と共にあり、いつでも自分に囁きかけていたもので。失望が深くなる毎に濃くなっていた陰りは少しずつ薄まり、殆ど黒に近かった色が徐々に薄くなっていることに気が付く。
『手遅れになる前に気付けて、良かったじゃないか』
 影の表情はよく見えない。それでも、それが自分に敵意や嫉妬という感情を向けているわけでは無いという事だけは分かる。
 とても柔らかな慈愛に似た何か。
 影が自分に向ける感情が、どこまでも柔らかく暖かいことを朧気に感じとると、グレイヴはそれに応えるように小さく頷いた。
『もう、間違うんじゃないぞ』
「分かっているさ」
 望んだ物は、自分から欲しいと願わない限り、その手の中に掴み取ることは叶わない。
 そのことにやっと気が付けたのだから、もう二度と躊躇うことはしない。
『出来ることなら、もう俺を作り出さないでくれ』
「え?」
 薄くなって透明に近くなった影が、微かに空気を震わせて伝えるメッセージ。
『不幸せを望むんじゃなく、幸せは掴むもんなんだ。そうすれば俺は、お前の中で安らかな夢を見続けていられる』
 かき消えそうで朧気な陽炎の中に見えたのは、自分に良く似たもう一人の男の姿。
『もう二度とお前に会わないで済むように、心から祈っているよ。じゃあな、グレイヴ』
「グレイヴ?」
「ん? ああ」
 ウィルに名を呼ばれたことで、グレイヴの意識は現実へと引き戻される。
「どうかしたのかね?」
 突然口を閉ざし、動きを止めてしまったことに違和感を感じたのだろう。そのことを心配するように、肩を叩くウィルの手を制しながらグレイヴは笑う。
「自分の中で色々と答えが見つかった。ただ、それだけだよ」
 そう答えたところで、今まで頭を撫でられていたルカが大きな欠伸を零した。
「眠いのか? ルカ」
 グレイヴの声に一度顔を上げたルカは、目を瞑りながら面白い表情を浮かべ口を尖らせてみせる。どうやらその言葉通り、彼は眠気を必死に堪えているらしい。
「疲れてしまったんだろう。君に会えるまで、彼は色々と気を張りつめていた様だし」
「……そうか」
 眠りたい。でも眠りたくない。本能と理性が葛藤を繰り返す。そんな意思の現れなのか、ルカの手がグレイヴの被っている白いシーツを強く握り込む。
「食事を取らせるのも、睡眠を取らせるのも、随分と苦労させられたぞ」
「へぇ」
「君以外に心を開くつもりはないのか、酷く我が儘なんだ、彼は」
 そんなルカに無理はするなと声を掛けながら、グレイヴはウィルとの会話を楽しむ。
「はははっ」
 病室の中で何度も考えたのは、託した獣が苦労を掛けていないかという事。「大変だった」とウィルは愚痴を零すが、その表情は思ったよりも明るいもので。何だかんだとルカとの同居は、それなりに楽しいと感じてくれていたのかも知れない。
「俺も始めはそんな感じだったさ」
 ルカは元々獣だったのだから、人間の言葉を理解しないし、実に気まぐれで我が儘だ。それでも、そんなところも含めて好きなのだとグレイヴは改めてそう感じる。
「俺の知らない間にそうやって、我が儘をされていたアンタが羨ましいくらいだよ」
 自分の知らないルカの一面。それはウィルという友人の目を通してしか分からない情報。
「私としては、迷惑以外の何ものでもなかったのだがな」
 本当に大変だった。そう言いたげに大げさなジェスチャをしながらウィルは続ける。
「それでも、まぁ。それなりに楽しい時間は過ごさせて貰いはした」
 小さな病室に響く二つの笑い声。
 それに不思議そうに首を傾げた後、ルカは柔らかなシーツに顔を埋め、小さな寝息を立て始める。深い眠りへと意識を落とすまであと少し。
「なぁ……ウィル」
 笑いすぎて目に溜まる涙を手で拭いながらグレイヴは問う。
「俺はアンタの友達。そう思っても構わないだろうか」
 そう尋ねると、それは愚問だと言うように、彼は意地の悪い笑みを浮かべながらこう答えた。
「お好きなように。その判断は君に任せよう」

 あれから数ヶ月。時間が過ぎるのはあっという間だった。
 無事に退院した後、グレイヴは住んでいたロッジを引き払い住む場所を変えた。元の場所に居づらくなったと言うのもあるが、もう少し広い土地が欲しかったというのが、引っ越しを決めた一番の理由である。
「またロッジにしたのかね?」
 あれ以来、友人として付き合っている自然保護官は、車から降りて早々に呆れた様にそう呟く。
「ルカの為にはこっちの方が都合が良いからな」
 歓迎するよ。そう言って手を挙げ客人を中へと招き入れた後、そのままテラスへと誘う。
「随分と安定したみたいじゃないか」
 先に座るように指示を出し移動するキッチン。未だ日が高いからアルコールは保留に。代わりに最近仕入れたばかりのコーヒー豆を取り出すと、慣れた手つきで豆を挽きフィルター越しに熱い湯でその成分を漉していく。
「まぁな。漸く落ち着いたって所だ」
 鼻を擽るのは芳醇な香りである。淹れ立てのコーヒーは二人分。その他には、適当に摘まむために用意したクッキーを乗せた皿が一つ。それらを器用に持ちテラスへ移動すると、グレイヴは既に椅子に腰掛けていたウィルへとコーヒーカップの一つを手渡す。
「有り難く頂くよ」
「是非そうしてくれ」
 もう一つのカップとクッキーの皿は机の上に。準備が全て整ったところで、空いている方の椅子へ腰を下ろし、カップの中の香りを楽しむ。
「ルカとアレックスはどうしたんだ?」
 横から伸びてきた手がクッキーを摘まみ上げる。
「向こうで仲良く追いかけっこをしているよ」
 そう言ってグレイヴが指を指した先には、一人の人間と一匹のボルゾイが楽しそうにじゃれ合っていた。
「両方とも上手くやっているようだな」
「ああ」
 数ヶ月前までは、こんな風に穏やかな日々が再び訪れるなんて考えてもみなかった。
「始めは心配したんだが、アレックスがルカの事を気に入ってくれたらしい。今では、アレックスの方が面倒見が良すぎてな。正直困っているくらいなんだ」
 グレイヴも隣に座る友人と同様に、皿の上のクッキーに手を伸ばす。
「妬けるか?」
「多少は」
 乾いた音を立てて砕かれるお菓子は、砂糖の分だけ甘い。奪われてしまった口の中の水分を取り戻すべく、カップを持ち上げ、中で揺れる黒い液体を流し込む。広がっていた甘さが苦みで上書きされた事を確認すると、カップから口を離し、肩を竦めたグレイヴが苦笑を浮かべこう答えた。
「今じゃあ、俺の方が邪魔者扱いされることもあるしなぁ」
 グレイヴの目は一人と一匹の姿を追っている。どちらも彼にとっては大切なもので、家族と呼ぶべき存在で。
「良い遊び相手が出来て良かったではないか、互いに」
 それが分かって居るからこそ、ウィルも不執拗にからかうことはしなかった。
「まぁ、そうなんだけどな……少し寂しいとは感じてはいるかな」
「はははは。欲張りなんだな、君は」
「お陰様でね」
 遠くから聞こえてくるのはルカの笑い声。言葉を話すことは出来ないが、声を出すことは出来るのだから、こうやって笑い声を聞けることはとても自然な事である。それに呼応するように、アレックスも元気に吠える。
 ルカと出会ってからそれほど長く時を過ごした訳では無いが、今まで色々なことがあった。思い返せば始めから、振り回されてばかりで息を吐く暇も無かったのかも知れない。ずっと続いていた緊張も今はなく、驚くほど穏やかな時間が目の前にある。それは昔、グレイヴが失ってしまった家族と共に過ごしていた時にとても良く似ていて。心の底で欲しいと願いながら、それを手に入れることを恐れ居ていたはずのものが、確かに此処には存在している。
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