LYCAN

ナカハラ

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Chapter2

03

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 まだ宵も訪れていないというのに、ベッドのシーツはすでに草臥れた状態。乱れてしまったシーツの皺をなぞりながら腰掛けるグレイヴの隣には、先程まで肌を合わせていた相手であるルカが横たわり、小さな寝息をたてている。
「…………」
 今日の行為は。やけに積極的だったように思う。
 珍しくルカの方から誘われ、こちらが引く間も無く煽られた。欲しいとねだられれば、断る理由なんて一つもない。欲しいと請われるままに欲望を吐き出した結果が、このシーツの状況ということだ。
「…………」
 直ぐ傍では、瞼を閉ざし自分の方を見てくれないルカの姿。悪戯に指を動かし、彼の髪を弄ぶ。未だ今は、己の手が届く場所にある存在。そのことに安堵しつつ、さらに強くなっていく不安感。どんなに触れていても全然足りないと感じてしまう。満たされれば満たされる程、底に空いた小さな穴から幸せが逃げていくような感覚にずっと囚われていると思い始めたのはいつの頃からだっただろうか。
「……?」
「悪い。起こしちまったか?」
 指に伝わる感覚に、ルカの意識が覚醒し始めた事に気が付く。だが、まだ意識は微睡みに捕らわれたままのようで、無理に体を起こしたルカは、大きな欠伸を一つ零し息を吐く。
「ん?」
 そろそろと伸ばされた手。それが、グレイヴの腕を掴む。何かを求めている事に気が付き好きにさせると、身体を寄せ腕の中に収まったルカはいつものように甘え始めた。
 漸く戻ったリズムを肌で感じたのだろう。安心したように吐き出された息。顔を上げグレイヴを見ると、ルカが嬉しそうに笑う。
「怠くないか?」
 腕の中に抱き込み甘やかしながらそう問えば、即座に首を振り大丈夫だと告げられる。
「それじゃあ、腹は?」
 今度は目を大きく見開かれた後、直ぐに首が縦に動いた。
「そうか。なら、何か作るか」
 簡単に事後処理は済ませたとは言え、身体にある違和感はそう簡単に拭えるものでもないだろう。ルカに風呂場に行くよう指示を出し、自分はそのままキッチンへと向かう。……はずだった。
「うーう」
 離れていくのが嫌だと言いたげにルカがグレイヴの腕を引っ張る。まだまだ甘えたりないらしい。困ったように眉を下げながらもその手を振り解くことはしない。
「俺に身体を洗って欲しい……とか?」
 そう問いかけると素直に頷かれるからたまったものではない。咄嗟に出来ない切り返し。真っ白になった頭で固まると、ルカが不思議そうに首を傾げた。
 見慣れているとはいえ、自分の付けた紅い痕を意識するなと言う方が無理な話。目のやり場に困りながらも何とか汚れた身体を綺麗にし、やっと離脱したバスルーム。まだ髪の毛が濡れていることが気になるのだろう。ルカが勢い良く頭を降って水気をとばす。
「うわっ!」
 まだ脱衣所に居はするが衣服は既に着衣した後だ。飛んできた水滴から顔を守るべく、グレイヴは自分の右腕を犠牲にする。
「こーら! ルカっ!」
「う?」
 不穏な空気を感じ取ったらしい。一度大きく肩を震わせてから、ルカが慌ててその場を逃げ出した。
「ルカっ!」
 本気で怒っている訳ではないため表情は柔らかい。仕方がない奴だと肩を竦めた後、グレイヴも後を追って脱衣所を出る。
「うわっ!?」
 廊下に出た直後のことだ。右側に軽い衝撃が走りよろめいた。咄嗟に踏ん張りを利かせ倒れていかないように安定を図る。
「ルカ……お前は……」
 犯人は考えなくても一人しかいない。怒鳴られたことで逃げ出したは良いが、離れていたくなくて扉の前で待っていた。概ねそんなところだろう。
「こ、い、つ、は……」
 脇腹に手を差し込み軽く擽ってやる。小さな抗議行動。引っかかれる前に手を離し身を離せば、やられたことが悔しかったのかルカが不服そうに頬を膨らませた。
 帰宅したいつは何時もより早かったはずなのに、夕飯を食べる時間はいつもより遅い。出会った頃に比べ大分器用に道具を使い、食事を行えるようになったルカのことを見ながら、グレイヴはぼんやりと考える。
「ほんと………見た目は人と変わらないのにな」
 ゆっくりと席を立ちルカの傍に移動する。無意識に伸びた指先は彼の白い頬の上を軽く滑る。どうかしたのかと訴えられた視線。
「ここに、食べかすが付いてるぞ」
 適当な言葉で隠す本音。勘は良い方だからそれは直ぐにばれる言い訳なのかも知れないが、特に追求されることはない。ルカは気にしない様子でグレイヴの手を掴み、触れていた右手の指を口の中に含む。今はまだ大丈夫。しかし、何度自分にそう言い聞かせても、感じている不安は拭えそうに無かった。
 今日も狼の遠吠えが聞こえている。
 普段なら特に気にすることもないそれ。だが、今のグレイヴにはとてつもなく耳障りな音に聞こえて仕方がなかった。無駄に広かったはずのリビングには、友人たちが理由を付けて持ち込んだ様々なものが置かれている。アンティーク調の棚もその一つで、中に様々な種類の酒がラベルが見えるように陳列されている。その中で一本だけ、ラベル面が表を向いていないボトルに目を付けガラス戸を開く。一本だけ雑に扱われたこの酒は、この棚に並んでいる酒の中ではかなり安い物で、グレイヴが偶に買ってくるものである。
 普段はあまり手に着けない安い酒。それを取り出して飲もうと思ったのも、狼の遠吠えに気が滅入っているせいかもしれない。
「…………」
 狼の遠吠えが聞こえ初めてから、どうもルカの様子がおかしかった。やたらと外を気にし、心ここにあらずと言った雰囲気で落ち着かない。昨日と同じように今日もまた、声が聞こえてくる方へと視線を向けぼんやりとしている。何時もならグレイヴの飲酒に気がつくと嫌な顔をされるのに、それすらも今日は気にされない。グレイヴにはそれが更に面白くないと感じ、段々機嫌が悪くなり始める。それでも、珍しくルカの意識がこちらに向くことはなく、悪かった機嫌も時間が経つにつれ別のものへと変化し始めた。
「う?」
 ソファの上で背もたれ越しに窓を見ていたルカが小さく声を上げる。
「う、う」
 隣に座るグレイヴの腕を引っ張り、窓を開けてくれとせがまれる。
「……んだよ……そんなに、おれのそばにいたくねぇのかよ……」
 言葉が通じないのはこれほどに不便なことなのかと。ルカの伝えたいことはグレイヴには判らない。
「くそっ!」
 いっそのこと、鎖と首輪でも買って繋ぎ閉じこめてしまおうか。そしたら少しは気が楽になるのか。だが、それを望んでいるわけではない。出きることなら、ルカ自信が自分のことを選んで欲しい。疑念がぐるぐると頭の中で回り、冷静に物事を考えることは難しかった。そんなグレイヴの態度に痺れを切らしたのだろう。隣に腰掛けていたルカが唐突に腰を上げる。
「…………」
 追いかける気力もなく視線だけで後を追う。ルカが真っ直ぐに向かったのは何時もは鍵の開かれた窓。ガラスを押したり引いたりした上で鍵が開いていないことを悟ると、悪戦苦闘しながらも窓の鍵を開ける。小さく音を立てて開かれたガラス。吹き込んできた風が小さくカーテンを揺らす。
「………あ……」
 そこで漸くグレイヴは焦り始めた。ルカの興味は未だに外に向けられたままで、自分の方へとかえってこない。もう、足は半分外に出てしまっている。いじけて酒を飲んでいる場合ではない。
「待てよっ、ルカっ!」
 持っていたグラスを置き、慌てて腰を上げ後を追う。早く引き留めなければ、腕の中からその存在が消えてしまう。
「ルカ!」
 その声はもう、泣き声に近かった。今にも部屋の中から出て行きそうなルカに向かって伸ばした腕。だが、それは虚しく空を切っただけで終わってしまった。
「ルカっ……」
 何故自分の声が届かないのだろう。このままルカを失うことになってしまうのだろうか。ふと過ぎった最悪に気が狂いそうになり吐き気を覚える。胸を強く押さえることで何とかやり過ごそうとする胃のむかつき。浅い呼吸を数回繰り返した時だった。
「うーっ! うっ!」
 グレイヴのことを見向きもせず外に出て行ったルカが、焦ったように部屋に戻ってくる。強い力で掴まれた右腕。付いて来いと言うように引っ張られ訳が分からないままグレイヴは外に出た。
「ルカ?」
 どこかに誘われているのは分かる。然し、目的が未だ見えてこない。大人しくルカに従い歩き続けること数分。
「これ……は……」
 月明かりの届かない木立の中。高く背を伸ばす木の根元に身体を預けるようにして横たわる一匹の狼がそこにいた。
「まさか……お前……」
 よく見ると、その狼の毛は所々赤く塗れていた。どうやら傷ついてしまっているらしい。直接触れてみた訳ではないため怪我の具合の詳細は判らないが、ぐったりとうなだれ動かないところを見ると、状況はあまり芳しく無さそうである。
「…………」
 さて、どうしたものかとグレイヴは思う。怪我をしているのならば助けてはやりたい。だが、相手は野生動物だ。ルカの時は彼がグレイヴへと好意を寄せていたため抵抗もそれほど無かったが、今回の相手もルカのように抵抗しない保証はない。
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