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5:僕は僕じゃないけど、君をきっと迎えに行きます

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 ただ……明日それだけ多くの死刑が執行されるというのは、不謹慎だが、僕にとって都合が良くもあった。

 

「お気をつけて」

 看守の言葉を背に、僕は出口に向けて歩き出した。念のため、事前に手に入れた建造図と変わっているところがないかもチェックする。玄関までたどり着いたときには、かなり精神力を消耗していた。

 車のエンジンをかけながら、ふと、彼女の最後の言葉を思い出す。

「別の人間、か……」

 大学時代、『僕』は友人と議論をしたことがあった。題材は『人を形作るのは記憶か否か』。学生らしい、青臭い哲学論議は『僕』が否定派を言いくるめて決着が付いたはずだった。『僕』はこの時の意見を最後まで信じていた。だからこそ、自分のバックアップとしてクローンを作ったのだ。全く同じ記憶を持ったこの僕を。

 けれども、今なら簡単にその主張を覆せる。そう自信を持って言えるほどに、同じ記憶を持っている僕と『僕』は別の人間だった。

僕は『僕』の性格を嫌悪し、『僕』が彼女にした行為に対して怒り、そして、僕として新しい人間として彼女を愛した。

 今でも、時々無意識に『僕』の行動を反復したり、彼女を悲しませるような言動を取ってしまうことがあるけれど、そのような『僕』の幽霊は時間と共に消え去っていくだろう。

僕は『僕』とは違う。

 僕は彼女をきっと幸せにしてみせる。

 そのためにも、明日の計画は失敗できなかった。死刑囚を囲う鉄の檻。それは恐ろしく頑丈で、とても隙間は無いように思えるが……大丈夫。緻密な計画は針のように細い。それに、三人もの死刑を執行するのならば、その準備、看守たちの精神状態は必ず計画に有利に働いてくれるはずだった。

 彼女を連れだしたら、遠くへ逃げよう。手配は出来ている。彼女も、最初は大いにとまどうだろうが、きっと説得してみせる。そして、別の人間だと納得させた上で、改めて告白するのだ。もしかしたら断られるかもしれないし、愛想を尽かされてしまうかもしれない。それは、仕方がない。でも、せめて『僕』が奪った明日を返しておきたかった。

 そう、彼女に明日を返す事は、『僕』と同じ記憶を持った僕の償いであり、僕という新たに生まれた人間の願い。だから、もし失敗しそうになったならば、残念だけれども、彼女だけでも逃がさなければならない。たとえ、それで命を落とすことになったとしても。 

 彼女が怯えた死は生まれたばかりの僕にも、もちろん、とても恐ろしいものとしてのし掛かる。恐ろしいという思いさえ消滅してしまうのが、さらに怖い。僕は、昔の彼女のようにしばらくはただ怯えるだけだった。

 でも、今では少しの間だけなら、彼女のために死を忘れることができる。死は巨大で、正面から立ち向かってもとてもかなわないけれど、ほんの小さな抵抗だったらできる。僕は神は信じてないけれど、もし人間を作った奴がいたのならその事だけは感謝していいと思った。

 

 考え事をしているうちに、車は家の前まで来ていた。たぶん、この家で食べるのは最後だからと、好物のカレーライスを昨日作っておいた。しっかりと栄養をとらなければならない。そして、食べ終わったなら、今日は無理矢理にでもゆっくりと休むのだ。

 成功するかもしれない、失敗するかもしれない。

 
 でも……。
 
 僕は僕じゃないけど、君をきっと迎えに行きます。
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