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将来の為に

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 クロエは大騒ぎするエミリアを何とか宥めて、自室でお茶を飲んでいた。

「前々から嫌な人だと思っていたけど、そんなことをするなんて許せないわ!」
そう言うと レディーらしからぬ仕草で、音を立ててエミリアがカップ置く。 家族にさえ その素顔を見せなかったのだ。 他人ならなおさら 気づかない。
「お母様も 驚いたんじゃないの?」
二人はライバル関係だ。好き嫌いは別として、ライバルが犯罪者になったのだ 複雑な気持ちだろう。
しかも 殺人未遂。ショックも 大きかったはずだ。ところが エミリアが首を横に振る。
「破産してること知ってたみたい」
「えっ? どうして?」
エミリアの母親が社交界のドンだということは知っている。だからと言って、他人の家の 台所事情まで知っているとは思えない。
メイドたちの口は固い。自分の雇い主のことをペラペラ喋ると、そのメイド自身の価値を下げる。
そういう口の軽い子は嫌われる。

 エミリアが内緒話するみたいに顔を近づけてくると、口元を手で隠した。
「不動産詐欺にあったみたい」
「 詐欺!?」
驚いて声が裏返る。
人を見下して、自分が正しいと思っている伯母が騙された。にわかには信じられない。
「お母様のところにも、その詐欺師が来たらしいのよ」
「それで?」
「興味ないと追い払ったんだけど、 他の人は買ったらしいの。その中にマーガレット伯母様の名前があったらしいわ」
「 ……… 」
なるほど。相手を信用させるのに名前を使われたわけか。伯母も その手で引っかかったんだ。
「じゃあ、他に被害者がいるのね」
「実はそうなの。みな 口をつぐん
でいるけどね 」
「 ……… 」
急にお金に困るようになったのは、そう言うことだったんだ。納得した。
「ところで、おば様の爵位はどうするの?」
「えっ?」 
クッキーを放り投げて食べていた エミリアが、私に向かって投げてくる。難なくキャッチしたが、食べる気にはなれなかった。

 「マーガレットおば様の身内は、おば様とあなただけでしょ」
「 ……… 」
伯母が捕まって、終わりだと思っていたのに……。事後処理が山のようだ。
「誰かに売るっていう手もあるけど、周りからの反発があるから難しいかもね」
そういうとクッキーに手を伸ばす。
「 ……… 」
たとえ 売れたとしても、地元意識が強いからよそ者を排除しようとするだろう。 このまま クレール領
に帰ってしまいたいけど、相続となると 私の意見も聞かれるだろう。母様の実家だ。 他の人に渡すのは寂しい気持ちになる。 

 母が相続したら私は、一人で二つの爵位を継ぐことになる。
( こんな時 兄弟がいれば悩まなくて済むのに……)
まだ膨らんでもいない胸を見る。
この体で二人も子供を産む?
自分と体だと自覚したからと言って体質が変わるわけじゃない。
なにより、婚約 だって……ううん。好きな人だって いないのに想像もつかない。
それなのに、先のことを今、考えなくてはいけないなんて、気が重い。 
「はぁ~」
将来のことを考えると ため息が出てしまう。すると、トンと机に手をついてエミリアが身を乗り出す。
「殿下と結婚すればいいのよ」
「また、その話」
こっちでは当たり前でも 私は受け入れがたい。だって 十一歳といえば 小学校五年生だ。 その年で婚約 なんて、いくらなんでも早すぎる。
「私、まだ十一歳なのよ 」
「私だって 十一歳よ」
「 ……… 」
自分の考えを押し付けてくるなと言うと、エミリアも押し返してきた。 

 この国では十五歳で成人とみなされる。子供だからと逃げられるのも あと四年。一 人娘の私は いずれ その責任と義務に 向き合わなくてはならなくなる。
( どうしよう……)
顔を両手で覆う。領主としての勉強もある。結婚も真剣に考えないと……。いつまでも 先送りできない。
「婚約しなくてもいい方法を、教えてあげようか?」
いつの間にか隣に来ていたエミリアが、私の肩に腕を回して顔を覗き込んできた。 見ると、ニヤリと口角を思い切り上げている。自信あり、でも悪いこと。そんな笑顔だ。クルリと体をひねって エミリアと向き合うと、両手を掴む。
「是非、教えてください」

*****

 ネイサンは ゆったりした気分でカップを揺らす。不思議とクロエの入れてくれたお茶を飲んでいると、どこでも我が家だと感じられる。
( いつまでも、こんな時間が続けばいいのに……)
しかし、そうもしていられない。カップを置くと組んだ足に手を重ねた。するとクロエが 小さく首を傾げる。

 「それで、これからどうする気だい」
「どうするとは?」
質問の意味が分からず聞き返してきた。ネイサンは、例え伯爵夫妻がクロエを切り捨てるとしても、繋いだ手を離すつもりは無かった。クロエを守りたかった。 
だから、クロエの気持ちを尊重するつもりだ。
「このまま実家に残るかと 聞いてるんだ。もう気兼ねすることも無くなったし……」
クレール領に居る必要もなくなった。そう言葉を続けたかったが、 言い切れなかった。
このまま両親の元に居たいと言うなら、受け入れる。家族は離れ離れにならない方が良い。
(恋しさは、寂しさを生む。そして、寂しさは……)
医療用の魔法石だって 死ぬまで無償で送り続けても良い。 私にできることなら何でも願いを叶えてあげたい。

「いいえ、ネイサンと一緒に帰ります。原因が分かったけど体質が治った訳じゃありませんから」
「そうか……」
首を振って私と一緒に居ることを決めてくれた事に、無意識に溜めていた息を吐く。
(良かった……)
私から去って行かない。 クロエにとっては安全に生きるため という単純な理由なのかもしれない。 
私がいなければ 魔力不足で倒れることはない。 
しかし私にとっては、そのことが生きる理由になる。そんな風に執着する自分 が怖い。
「嬉しかったんです」
「えっ?」
クロエのつぶやきに顔を向けると晴ればれとした顔で私を見つめている。その穏やかで、力強い眼差しが眩しい。
「絶対、誰も私を分かってくれない。……そんな風に思うほど大きな秘密を抱えていたのに……。ネイサンに救って貰いました」
「それは……」
「ありがとうございます」
クロエからの大きな信頼に、それは違うと否定したくなる。
私はクロエに尊敬してもらえるような人間では無い。ただ、贖罪の為の日々を送っているだけだ。

 助けたかったのは、個人的な事情だ。だけど、眩しいほどまっすぐに 純粋な好意を向けられては沈黙するしかない。本心を隠すように カップの底を覗き込むと、見つめ返してきたのは強張った顔の私だった。
「だからネイサン様も 私を信じて下さい」
「……… 」
その言葉に 顔を上げる。
自分は味方だと約束してくれる。
だけど、私が人を殺した事がると言っても、彼女は私の側に居てくれるだろうか? そんな後ろめたい気持ちの私に、クロエが手を差し出す。
「それじゃ帰りましょうか。私たちの家に」
(私たちの家……)
素敵な言葉だ。聞くだけで温かい気持ちになる。差し出された手は小さく、頼りないと思っていたけど、そうでは無い。美味しい料理を作ってくれて、手にタコが出来るくらい努力を惜しまない素晴らしい手だ。

 その小さな手を掴んで歩き出した。
「でも良いのか? もう少しゆっくりして行っても良いんだぞ」
つないだ手を揺らすクロエは年相応の十一歳の子供だ。
子供の心と、大人の心。 二つを持っている不思議な女の子。
「良いんです」
きっぱりと言い切るクロエは晴れやかな顔をしている。 そんな顔を見つめていると、自分の気持ちも浮き立つ。
「そうだな。ジェームズが首を長くして待っている」
クロエがピタリと立ち止まると指を一本立てる。
「その前に一つお願いがあります」


***

 帰ると決めた。そこで荷造りを始めたが……。
クロエは山と積まれた服を前に腕を組む。着の身着のままで来たのに、帰りは大荷物になってしまった。どうやって持って帰ろう……。
一年経てば、背が伸びて着れなくなってしまう。 だからと言って置いていくのは……。
魔法石に閉じ込めれば、かさばらない。でも、そうやってしまうと増える一方だ。
「う~ん」
「クロエ」
悩んでいると母様が入って来た。
「本当にかえってしまうのね。もっとゆっくりしていけばいのに」
「母様!」
駆け寄るとチュッと頬にキスする。 すると お母様もキスしてくれる。今迄は甘えられなかった分、甘えたい。 まるで憑き物が落ちたみたいに、私たち三人の関係は クリアになった。だから、素直に愛情表現出来る。
「丁度良かった。話があるの」
「なあに?」
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