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生と死の狭間で 徐は現代に戻ろうともがいていた。水面の先に懐かしい 蛍光灯の光。
( あと少し……あと少しで死から免れる)
息を吸うように水から顔を出した。
けれど 真っ先に目に入ったのは沈天祐。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。
こっちの時代に来たら、二度と戻ってきたいと思わないほど、いたぶってやる。
しかし、怒気を含んだ視線に徐が怯えた表情を見せたかと思うと、容容に変わった。と思ったのも束の間、また、顔が入れ替わる。
「私を一人にするな。お前が居なければ生きて行けない!」
それは心からの叫びだ。今までは復讐心だけで生きて来た。しかし、それが無くなったら私に何が残る?
東岳国で過ごした二十七年間が無いものとされてしまいそうで耐えがたい。
まるですべてを否定されているようだ。
初めて敵と対峙した時のように手足が冷たくなり、心臓が止まりそうなほど ゆっくりになる。
記憶喪失ならまだしも、誰一人自分の事を知らないこの世界で生きるのは辛い。
それでは、何時までも異邦人だ。
過去を捨てるなど私には出来ない。それは自分を捨てるのも同じだ。過去があるから今の私が居て未来がある。その過去と今を繋いでくれるのは容容だけだ。彼女が居なければ私が私として生きていけなくなる。
「容容……私の容容……。行くな!……頼むから……。頼むから……」
彼女を抱き締めるとその冷たい頬に自分の頬を押し付けた。
頬に押し当てられたぬくもりに気持ちが奮い立つ。このぬくもりを手放さない。
共に
生きたい!
何であの男が……。
そんな疑問も痛みに目を開けた。
髪を掴まれ 顔を上げるとそこには俊豪の顔があった。どちらにも……。
(ああ、神様!)
死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。
ぴちゃん!
5の25 三年後 現代
中華飯店の壁はひび割れたタイル、入り口のマットは色を失い。剥げた赤い看板に、かすれた金色の文字。
湯気と油の匂いが混ざった厨房で男は無言で皿を洗っていた。
その顔には傷痕があった。
「おい! 皿、まだか? 早くしろ!」
若い店主の怒鳴り声が店内に響いた。
男はびっくりと肩を震わせ、慌てて皿の泡をすすぐ。
「はい、お待たせしました」
「まったく……あの娘の父親だから雇ってやったんだ。嫌なら辞めていいんだぞ」
皿洗いなんて 俺の仕事じゃない。
悔しさに歯を噛みしめ、唇を切った。それでも声を上げることはできない。腹が減る、何より生きるために、怒りを飲み込むと、笑顔を作る。
「何を言ってるんですか。頑張ります」
「ちっ」
若い店主の舌打ちに喉がひくつく。
胸の奥で 何かが盛り上がりそうになる。
昔は俺が怯える娘を怒鳴りつけ、 震え上がらせ、ねじ伏せていたのに……。
今ではその娘のお陰でクビにならずにすんでいる。バンと流し台を叩いた。
(………)
男はそっと息を吐き、濡れた手で顔を拭った。指の間から見える瞳には仄暗い光が落ちていた。
けたたましいアラームが枕元のスマホから鳴り響く。手探りで画面を探し 目も開けぬままスヌーズ 押す。数分の眠りが底なし沼のように体を沈めていく。
また鳴る。
また止める。
その繰り返しの中で時間だけが溶けていった。カーテンの隙間から白い朝が射し込む。それでも布団の重さが、体を縛り付けて離しなかった。
静寂。
天祐はハッとして目を覚ますと枕元のスマホを手に取る。
何時だ? 八時四十分。
遅刻だ!
飛び起きると、ベッドの上に脱ぎ捨てたスラックスを穿きながら靴下も穿こうとチェストの引き出しを開けた。が、空っぽだ。
何故だ?
百足も買ったのに肝心な時に無い。
ちっ! 軽く舌打ちすると靴下を諦めた。
今は1分でも早く出発する方が大事だ。
今度はシャツを求めてレジ袋を押しのけ乾燥機の蓋を開け取り出した。しかし、シャツに青い染みが。
(どうしてだ……)
説明書通りに動かしたのに。何処を間違ったんだ? 乾燥機を覗くと王元に貰った青いTシャツが張り付いていた。
くそっ!
これが色移りか。ティッシュの次の大惨事だ。
新品が無くて洗ったのに!
イライラと頭を掻いた。
今日は大切な日なのに。何から何まで上手く行かない。兎に角遅刻しない事の方が重要だと考えを切り替えて、全てを受け入れる事にした。どんな格好でも許してくれる。
きっと……。
青い染みの付いたシャツに袖を通すとソファに掛けてあるジャケットを羽織って、適当に選んだネクタイを掴むと玄関を出た。
5の26 東岳国 過去
山の中腹、苔むした岩肌に口を開けた石の門。風が吹き抜けるたびに乾いた 笛のような音が響いた。
俊豪は若渓と一緒に現代国の天祐の墓参りに来ていた。墓前の前に立ち、お供えの花をそって置く。山風が頬を撫で、裾を揺らした。鳥の声すら遠く、落ち葉が墓石をかすめる 音だけ。
若渓と並び 手を合わせる。他人が葬られているとは言え、誰かが参らなければ可哀想だ。
彼も被害者の一人。
ここに来るのに一年もかかってしまった。
池から引き上げられた徐は 暴れ回り、
「私を弄んで楽しかったか」、「神に騙された」、「助けるな 最後で責任を取れ」とか、罵っていた。気が触れたと周りのものは思っただろうが、我々には呪文のようで恐ろしかった。両手足を縛られ、猿轡され、最後の最後まで生きようともがいていた。首が切り落とされ 地面に転がるまで緊張が解けなかった。
「俊豪様、これで終わったのですよね?」
「 ああ 終わりだ」
彼女の 問いに答えて自分もそう 納得した。
あの日水面に映った男は間違いなく天祐だった。あの場に居た全員がそれを見た。
白昼夢の様な出来事だった。そして、それは信じられない程現実的だった。
小徐有蓉から現代国で生きていると聞かされても、心の底では疑っていた。
慰めでは無いと知って嬉しかった。
あの様子を見るに天祐も変わったようだ。
他人に弱みを見せるなどありえ無いと言っていたが、あの言葉を聞く限り 甘えているようだ。ふと 微笑んでしまう。
誰かに好意を持つと言うのは新しい自分に出会う事なのかもしれない。そのせいか日増しに、会いたいと強く思うようになった。
しかし、いくら手を尽くしても肝心の現代国は見つからない。二つの国を繋ぐ力を持つ徐が死んでしまった今、現代国への手掛かりは無い。
手を解いた若渓が立ち上がる。
「生きているうちに会えると思いますか?」
天祐は幾度も苦難を乗り越えて来た。両親が相次いで亡くなって若くして家督を継いだときも親戚たちを黙らせた。妹を守り挫けることなく前を進み続けた。両親も健在で身近な死に立ち会ったこと無い私からして見れば笑っていらっれるのが不思議だった。昔その事を問うと、彼奴は一言だけ。『人は守る者が居れば何処までも強くなれる』と。だから、何処までも強くなろうとしていた。
「彼奴の事だ。どんな事があってもしぶとく生き抜いて行くさ」
若渓が薄く笑う。天祐が恋しいのだろう。
笑みが消えた。何処となく暗い表情で私を見つめ返している。私の言っている事が本当ではあればと願っている。兄が生きているなら助けにくべきだと。妹としての使命感から来るものだろう。
「心配なら、現代国が何処にあるか分かったら探しに行こう」
「はい」
パッと花を咲かせた。その日が来るかどうかも 二人は知らない。だが二人とも諦めない。
そのことは知っている。
若渓を引き寄せて手を取ると力強く握る。
5の27 現代
長い廊下の両端には同じような 扉が並び、ドアプレートの文字が等間隔に並んでいる。白い床は磨かれすぎて 光を反射し 歩くたびに靴底のとこが乾いた調子で返って来た。
天祐は桃色を基調にした花束を抱えてスキップするみたいに廊下を歩きながら顔を埋める。初めて女性に花を贈るので少し心配だ。
(喜んでくれると良いが……)
ドアの前で髪を撫でつけネクタイの歪みを直すと最後に咳ばらいする。
今迄生きて来た中で二番目に緊張している。
ドアを開けるとハッとしたように蓉蓉が此方を見た。そして、笑顔で迎えてくれた。
あんなに大変な事を経験したのに涼し気な顔をしている。
カーテンの隙間から差し込む日差しが柔らかく広がっている。その光が、病室のベッドに寝ているのに更に輝かせる。
「天祐さん!」
「容容……」
そんな幸せを噛み締めて花束を渡そうとしたが、一瞬躊躇う。既に他にも見舞客が来ていたのか至る所に果物やぬいぐるみが飾ってある。その中に既に花があるのを見つけて先を越されたと渋い顔になる。しかし、だから何だ。私が選んだ花の方が絶対蓉蓉の好みのはずだ。気後れ せずに傍に行くと、
「ありがとう。容容」
想いを乗せて言葉を噤ぎ、花束を差し出す。
(また一つ私を幸せにしてくれた)
ところが彼女の目が丸くなる。まあ私が花を送るなど思っていなかっただろう。昔の男だがやる時はやる。しかし、花束でなく襟を掴んで引き寄せると中をめくる。
「どうしたんですか? これ」
「えっ?」
忘れていた。天祐は彼女の手を外すと代わりに花束を掴ませる。
「ほら、この花、色もいいし 香りもいいだろ気に入ったか?」
「明日。退院します」
真顔の容容に天祐は両手を振って止める。
次からは一点ずつ洗ってやる。
「何を言っている。私の事は気にしないでいい」
「でも……」
「休める時に休め」
「ですが……」
「容容」
ベッドに座ると、その手を握る。何時までも見るたびに愛しさに胸が締め付けられる。
今どきの言葉で言えば、キュンキュンする。
「退院したら忙しくなるんだから。一週間くらい一人でもどうにかなる」
大丈夫だからと彼女の頬を指の背で撫でる。
「んっ!?」
「………」
私を真剣に見ていたが蓉蓉が分かったと頷く。それでいい。彼女の顎を掴んで上を向かせると唇を合わせる。
ふっくらして柔らかい。
物足りないと彼女の背中に手を回して体を密着させると、容容の手が私のシャツを掴む。
あの事件をきっかけに二人関係が変わった。
二度と会えないかもしれない。そんな経験が互いを強く結びつけ 求め合った。
角度を変えて何度も唇を奪い合っていると、
「ふぎゃぁー! ふぎゃぁー!」
赤子の泣き声に唇が離れる。
その元気な鳴き声に微笑む。私がこの時代に来た証があった。彼女が息子を抱き上げると、直ぐに泣き止んだ。
仲間外れにされたと思ったんだろう。
拗ねた息子の頬を突く。
「現金な奴だ」
家族……。
自分が父親になると聞いた時身の引き締まる思いだった。この息子は、私と容容を、過去と現在を、つないでくれる存在。
「よーし、よし」
息子をあやす容容を見ていると、幸せな気持ちが溢れる。この時代に来た事は天からの贈り物なのかもしれない。
スモックで煙っている空に靄を押しのけるように太陽が顔を出していた。
終劇
最後まで読んでくださりありがとうございます。一 週間お休みして、新作を発表します。お楽しみ。
( あと少し……あと少しで死から免れる)
息を吸うように水から顔を出した。
けれど 真っ先に目に入ったのは沈天祐。
死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。
こっちの時代に来たら、二度と戻ってきたいと思わないほど、いたぶってやる。
しかし、怒気を含んだ視線に徐が怯えた表情を見せたかと思うと、容容に変わった。と思ったのも束の間、また、顔が入れ替わる。
「私を一人にするな。お前が居なければ生きて行けない!」
それは心からの叫びだ。今までは復讐心だけで生きて来た。しかし、それが無くなったら私に何が残る?
東岳国で過ごした二十七年間が無いものとされてしまいそうで耐えがたい。
まるですべてを否定されているようだ。
初めて敵と対峙した時のように手足が冷たくなり、心臓が止まりそうなほど ゆっくりになる。
記憶喪失ならまだしも、誰一人自分の事を知らないこの世界で生きるのは辛い。
それでは、何時までも異邦人だ。
過去を捨てるなど私には出来ない。それは自分を捨てるのも同じだ。過去があるから今の私が居て未来がある。その過去と今を繋いでくれるのは容容だけだ。彼女が居なければ私が私として生きていけなくなる。
「容容……私の容容……。行くな!……頼むから……。頼むから……」
彼女を抱き締めるとその冷たい頬に自分の頬を押し付けた。
頬に押し当てられたぬくもりに気持ちが奮い立つ。このぬくもりを手放さない。
共に
生きたい!
何であの男が……。
そんな疑問も痛みに目を開けた。
髪を掴まれ 顔を上げるとそこには俊豪の顔があった。どちらにも……。
(ああ、神様!)
死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。
ぴちゃん!
5の25 三年後 現代
中華飯店の壁はひび割れたタイル、入り口のマットは色を失い。剥げた赤い看板に、かすれた金色の文字。
湯気と油の匂いが混ざった厨房で男は無言で皿を洗っていた。
その顔には傷痕があった。
「おい! 皿、まだか? 早くしろ!」
若い店主の怒鳴り声が店内に響いた。
男はびっくりと肩を震わせ、慌てて皿の泡をすすぐ。
「はい、お待たせしました」
「まったく……あの娘の父親だから雇ってやったんだ。嫌なら辞めていいんだぞ」
皿洗いなんて 俺の仕事じゃない。
悔しさに歯を噛みしめ、唇を切った。それでも声を上げることはできない。腹が減る、何より生きるために、怒りを飲み込むと、笑顔を作る。
「何を言ってるんですか。頑張ります」
「ちっ」
若い店主の舌打ちに喉がひくつく。
胸の奥で 何かが盛り上がりそうになる。
昔は俺が怯える娘を怒鳴りつけ、 震え上がらせ、ねじ伏せていたのに……。
今ではその娘のお陰でクビにならずにすんでいる。バンと流し台を叩いた。
(………)
男はそっと息を吐き、濡れた手で顔を拭った。指の間から見える瞳には仄暗い光が落ちていた。
けたたましいアラームが枕元のスマホから鳴り響く。手探りで画面を探し 目も開けぬままスヌーズ 押す。数分の眠りが底なし沼のように体を沈めていく。
また鳴る。
また止める。
その繰り返しの中で時間だけが溶けていった。カーテンの隙間から白い朝が射し込む。それでも布団の重さが、体を縛り付けて離しなかった。
静寂。
天祐はハッとして目を覚ますと枕元のスマホを手に取る。
何時だ? 八時四十分。
遅刻だ!
飛び起きると、ベッドの上に脱ぎ捨てたスラックスを穿きながら靴下も穿こうとチェストの引き出しを開けた。が、空っぽだ。
何故だ?
百足も買ったのに肝心な時に無い。
ちっ! 軽く舌打ちすると靴下を諦めた。
今は1分でも早く出発する方が大事だ。
今度はシャツを求めてレジ袋を押しのけ乾燥機の蓋を開け取り出した。しかし、シャツに青い染みが。
(どうしてだ……)
説明書通りに動かしたのに。何処を間違ったんだ? 乾燥機を覗くと王元に貰った青いTシャツが張り付いていた。
くそっ!
これが色移りか。ティッシュの次の大惨事だ。
新品が無くて洗ったのに!
イライラと頭を掻いた。
今日は大切な日なのに。何から何まで上手く行かない。兎に角遅刻しない事の方が重要だと考えを切り替えて、全てを受け入れる事にした。どんな格好でも許してくれる。
きっと……。
青い染みの付いたシャツに袖を通すとソファに掛けてあるジャケットを羽織って、適当に選んだネクタイを掴むと玄関を出た。
5の26 東岳国 過去
山の中腹、苔むした岩肌に口を開けた石の門。風が吹き抜けるたびに乾いた 笛のような音が響いた。
俊豪は若渓と一緒に現代国の天祐の墓参りに来ていた。墓前の前に立ち、お供えの花をそって置く。山風が頬を撫で、裾を揺らした。鳥の声すら遠く、落ち葉が墓石をかすめる 音だけ。
若渓と並び 手を合わせる。他人が葬られているとは言え、誰かが参らなければ可哀想だ。
彼も被害者の一人。
ここに来るのに一年もかかってしまった。
池から引き上げられた徐は 暴れ回り、
「私を弄んで楽しかったか」、「神に騙された」、「助けるな 最後で責任を取れ」とか、罵っていた。気が触れたと周りのものは思っただろうが、我々には呪文のようで恐ろしかった。両手足を縛られ、猿轡され、最後の最後まで生きようともがいていた。首が切り落とされ 地面に転がるまで緊張が解けなかった。
「俊豪様、これで終わったのですよね?」
「 ああ 終わりだ」
彼女の 問いに答えて自分もそう 納得した。
あの日水面に映った男は間違いなく天祐だった。あの場に居た全員がそれを見た。
白昼夢の様な出来事だった。そして、それは信じられない程現実的だった。
小徐有蓉から現代国で生きていると聞かされても、心の底では疑っていた。
慰めでは無いと知って嬉しかった。
あの様子を見るに天祐も変わったようだ。
他人に弱みを見せるなどありえ無いと言っていたが、あの言葉を聞く限り 甘えているようだ。ふと 微笑んでしまう。
誰かに好意を持つと言うのは新しい自分に出会う事なのかもしれない。そのせいか日増しに、会いたいと強く思うようになった。
しかし、いくら手を尽くしても肝心の現代国は見つからない。二つの国を繋ぐ力を持つ徐が死んでしまった今、現代国への手掛かりは無い。
手を解いた若渓が立ち上がる。
「生きているうちに会えると思いますか?」
天祐は幾度も苦難を乗り越えて来た。両親が相次いで亡くなって若くして家督を継いだときも親戚たちを黙らせた。妹を守り挫けることなく前を進み続けた。両親も健在で身近な死に立ち会ったこと無い私からして見れば笑っていらっれるのが不思議だった。昔その事を問うと、彼奴は一言だけ。『人は守る者が居れば何処までも強くなれる』と。だから、何処までも強くなろうとしていた。
「彼奴の事だ。どんな事があってもしぶとく生き抜いて行くさ」
若渓が薄く笑う。天祐が恋しいのだろう。
笑みが消えた。何処となく暗い表情で私を見つめ返している。私の言っている事が本当ではあればと願っている。兄が生きているなら助けにくべきだと。妹としての使命感から来るものだろう。
「心配なら、現代国が何処にあるか分かったら探しに行こう」
「はい」
パッと花を咲かせた。その日が来るかどうかも 二人は知らない。だが二人とも諦めない。
そのことは知っている。
若渓を引き寄せて手を取ると力強く握る。
5の27 現代
長い廊下の両端には同じような 扉が並び、ドアプレートの文字が等間隔に並んでいる。白い床は磨かれすぎて 光を反射し 歩くたびに靴底のとこが乾いた調子で返って来た。
天祐は桃色を基調にした花束を抱えてスキップするみたいに廊下を歩きながら顔を埋める。初めて女性に花を贈るので少し心配だ。
(喜んでくれると良いが……)
ドアの前で髪を撫でつけネクタイの歪みを直すと最後に咳ばらいする。
今迄生きて来た中で二番目に緊張している。
ドアを開けるとハッとしたように蓉蓉が此方を見た。そして、笑顔で迎えてくれた。
あんなに大変な事を経験したのに涼し気な顔をしている。
カーテンの隙間から差し込む日差しが柔らかく広がっている。その光が、病室のベッドに寝ているのに更に輝かせる。
「天祐さん!」
「容容……」
そんな幸せを噛み締めて花束を渡そうとしたが、一瞬躊躇う。既に他にも見舞客が来ていたのか至る所に果物やぬいぐるみが飾ってある。その中に既に花があるのを見つけて先を越されたと渋い顔になる。しかし、だから何だ。私が選んだ花の方が絶対蓉蓉の好みのはずだ。気後れ せずに傍に行くと、
「ありがとう。容容」
想いを乗せて言葉を噤ぎ、花束を差し出す。
(また一つ私を幸せにしてくれた)
ところが彼女の目が丸くなる。まあ私が花を送るなど思っていなかっただろう。昔の男だがやる時はやる。しかし、花束でなく襟を掴んで引き寄せると中をめくる。
「どうしたんですか? これ」
「えっ?」
忘れていた。天祐は彼女の手を外すと代わりに花束を掴ませる。
「ほら、この花、色もいいし 香りもいいだろ気に入ったか?」
「明日。退院します」
真顔の容容に天祐は両手を振って止める。
次からは一点ずつ洗ってやる。
「何を言っている。私の事は気にしないでいい」
「でも……」
「休める時に休め」
「ですが……」
「容容」
ベッドに座ると、その手を握る。何時までも見るたびに愛しさに胸が締め付けられる。
今どきの言葉で言えば、キュンキュンする。
「退院したら忙しくなるんだから。一週間くらい一人でもどうにかなる」
大丈夫だからと彼女の頬を指の背で撫でる。
「んっ!?」
「………」
私を真剣に見ていたが蓉蓉が分かったと頷く。それでいい。彼女の顎を掴んで上を向かせると唇を合わせる。
ふっくらして柔らかい。
物足りないと彼女の背中に手を回して体を密着させると、容容の手が私のシャツを掴む。
あの事件をきっかけに二人関係が変わった。
二度と会えないかもしれない。そんな経験が互いを強く結びつけ 求め合った。
角度を変えて何度も唇を奪い合っていると、
「ふぎゃぁー! ふぎゃぁー!」
赤子の泣き声に唇が離れる。
その元気な鳴き声に微笑む。私がこの時代に来た証があった。彼女が息子を抱き上げると、直ぐに泣き止んだ。
仲間外れにされたと思ったんだろう。
拗ねた息子の頬を突く。
「現金な奴だ」
家族……。
自分が父親になると聞いた時身の引き締まる思いだった。この息子は、私と容容を、過去と現在を、つないでくれる存在。
「よーし、よし」
息子をあやす容容を見ていると、幸せな気持ちが溢れる。この時代に来た事は天からの贈り物なのかもしれない。
スモックで煙っている空に靄を押しのけるように太陽が顔を出していた。
終劇
最後まで読んでくださりありがとうございます。一 週間お休みして、新作を発表します。お楽しみ。
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人生と運命を静かに書き換えていく物語。
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