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第2章 アナタに捧ぐ鎮魂歌
17 終わる悪夢の先に ③
しおりを挟む混沌の吹き溜まりとはこの世界に生きる者たちの負の感情が集まる場所。
元々、感情は目で見てカタチがあるものではないし、喜怒哀楽どれも大概が一過性ですぐに消えてしまう。しかし、強い感情は時として自身だけではなく、他人にまで後々強く影響を及ぼすことがある。
特にそれが顕著なのが、怒り、憎しみ、悲しみ、と言った負の感情だ。他の感情に比べ集まりやすく消えにくいそれは、時折、偶発的に発生した世界の澱みに堆積し、世界に悪影響をもたらす。
「っ、」
「アルヴィン!」
顔色を無くし傾きそうになる身体を、咄嗟に横から伸びて来た腕が抱き支えた。
「あー…すいません。能力封印の影響がこんなところにも来るとは思わなくて」
普段ならなんてことはないのに、場の感情に耐えきれなくなってふらつくとは、我ながら情けない。
混沌の吹き溜まりがもたらす悪影響の一つに、近くにいる生き物の負の感情を煽るという性質がある。それに飲み込まれ支配されると、最悪、異質な魔物と化してしまうことがある。
「推測ですがあの魔物の身体を媒介に、真ん中の赤い光の部分を核として、澱みを作ったんでしょうね」
負の感情に囚われた『彼』を逃がさない、牢獄にするためだけに。
閉鎖された空間を選んだのもそれが理由だろう。洞窟の入り口には自然災害により一部崩れ効力を失ったと思われる、自分のつけているブレスレットと似た結界の痕跡があった。
「ああ。私怨か好奇心か知らないが、ふざたことを。…アルヴィン、無理をするな。吹き溜まりのせいだけじゃない。外とは違い、ここが元凶だけあって毒の濃度が格段に高い。…ノワールの結界だけでは弱いな。上から新たな結界をかけてやる」
背中にギルフィスの腕が回され身体を預けた状態で、胸の中央に大きな手を当てられる。すると、そこからすうっと清涼感に似た感覚が広がり、黒い感情にささくれ立ちそうだった心が落ち着きを取り戻す。
「ありがとうございます。大分楽になりました」
「君の結界には負けるけどな」
「不法侵入の常習犯が何言っているんですか」
軽口に応酬するこちらの様子を傍から覗き、口元を緩めたギルフィスは、そのまま、離れた位置に待機していた幻獣の元へ行き、柔らかな黒い毛並みに僕の身体を預けた。
「ギルフィスさん…?」
ギルフィスの意図が分からず不安げに顔を上げると、慈愛の色を称えた瞳が細まり、あやすように頭に手を置かれ撫でられた。
「この場で魔物ごと全て浄化すれば、君の力がなくても問題ない。そこで少しの間休んでいてくれ」
勇者が混沌の吹き溜まりとなった地を結界で覆い被害を防ぎ、負の感情は魔王が浄化する。これがこの世界での勇者と魔王の役割。
僕が魔法を使えないがために、ギルフィスは結界の必要がないよう、洞窟一帯を一気に浄化するというのだ。
「ダメ!」
理解した僕はすぐ様、自分から離れようとした、ギルフィスの服の裾を掴んだ。
「アルヴ、」
「ダメったらダメだ!」
何か言おうとする声を遮り、僕はもう一度強い口調で反対の意を唱えた。
ここに来るまでに僕が知っている限りでも、ギルフィスは諸々の大きな魔法を使用している。ただでさえ、魔族は自領以外での魔力の回復がしにくいのに、魔力消費の激しい魔法を広範囲に一気に展開するなんて、自殺行為だ。
それにーー、
僕はある決心を胸に、幻獣から離れてギルフィスの正面に立った。
「僕は彼と話をしたいんです。だからやめて下さい」
「何を馬鹿なことを。相手は混沌に飲み込まれた魔物だぞ!!」
「それでも、話がしたいんです」
自分に向けて放たれる怒声とともに両肩を掴み揺さぶられるが、僕の決意は変わらない。
一時でも意識を共有したから分かる。『彼』の心は完全に飲み込まれてはいない。
寂しいと誰かを欲する孤独さに苛まれる存在に、どうしても気づかせてやりたい。
重苦しい空気の中、僕は険を孕んだギルフィスの黒曜の瞳をじっと見据える。
黒は全ての色を取り込んで断つ色。負を浄化する魔王様に相応しい色だと思う。
「……分かった。ただし、俺もついて行く。じゃないと行かせない」
やはりというか、先に折れてくれたのはギルフィスだった。
この男はなんだかんだで僕に甘い。
「ありがとうございます」
「上っ面だけの礼は要らない。いくら止めても君のことだ、最初から譲る気はないだろう。俺は必要な時に手を貸せればそれでいい」
「殊勝な性格ですね。貴方本当に魔王なんですか?」
「少なくとも、君が勇者でいる限りは魔王でいるつもりだ。…さあ、行こう。相手の懐内とはいえ、あまり待たせると痺れを切らせて見境なく攻撃されるかもしれないからな」
「そんな考えなしなこと、するもんか」
いつの間にか、手を伸ばせば届きそうな程近くに『彼』はいた。
紺色のローブについているフードを頭から被り、更には新緑色の前髪が目元まで伸びているせいで、その表情はっきりと分からない。だが、纏っている空気はどこか剣呑とした雰囲気を醸し出していた。
「寂しいって言ったくせに、嘘つき」
「それはっ、」
「裏切られて傷つけられて、同じだと思ったのに、なんで許すの許すことが出来るの!?」
実体のない半透明な『彼』は、突然癇癪を起こし大声で喚き散らす。
体格も声も確かに大人のものなのに、幼子を思わせる言動が『彼』の異質さを際立たせている。青年が言っていた性格とは程遠い目の前の存在は、人が変わったというより、自我を守るために自身でもう一人の自分を作り上げたものなのかもしれない。
「ねえ、なんで!?ーくっ、」
僕に体当たりせんと勢いよく詰め寄ろうとした瞬間、先に動いたギルフィスが足元に放った青い炎に阻まれその場で『彼』はたたら踏んだ。
「ギルフィスさんっ」
「肉体なき魂が、生者に触るな」
僕の非難の声を無視し、冷ややかなに『彼を』見下し牽制するギルフィス。
『彼』が怒りに小刻みに震える様子に、僕はふと、『彼』の背後にいる魔物が気になりそちらに目を向けた。
ここに生息しているはずのない魔物に抱かれ、血のごとく赤い光が眼前の『彼』と同調し、先程よりも強い輝きを放ち禍々しさを強調している。
やはり、あの中に『彼』は…。
「…ひとつ貴方に聞きたいことがあります。どうして川の支流に毒を流したんですか?」
「は?」
突然、脈絡なく投げかけた質問に『彼』は意味がわからないと言わんばかりに、嘲りに口端を歪めた。が、そんなことはお構いなしに僕は繰り返し淡々と問う。
「貴方がやったんでしょう?答えてください」
「なんでそんなことは聞きたいの?…まあ、いっか。決まってるじゃない、皆を苦しめるためだよ。せっかく、結界が壊れて毒をバラまけるようになったんだ。使わない手はないよね?僕を裏切った人間がいる世界なんて、たくさんたーくさん苦しめばいいんだ!!」
「っ、!」
狂気を帯びた笑い声に、苛立ちに身を乗り出しかけたギルフィスを、僕は無言で片手を上げて制した。
寂しいと誰かを欲するくせに、自分を裏切ったからと誰かを苦しめたいと願う。この矛盾を本人は、きっと、分かってない。
だからこそ、僕は『彼』に伝えなければならない。嘘偽りのない真実を。
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