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第3章 偽りの王子と恋の試練?
8過ぎ去りし因果の中で⑤
しおりを挟む「それで、先輩はどうしてもその人にお礼をしたくて、弁当を作ってまた会う約束をした、というわけですか」
黙って話を聞いていた同僚兼後輩がなんとも言えない複雑な表情で、手にしていた紙コップから温くなったコーヒーを一口啜り飲んだ。
それに倣って僕もゼリー飲料のストローに口をつける。
フルーツ味の舌触りの良い柔らかな食感は、食欲が無くともつるり流し込めるから、非常に有り難かった。
自分もコーヒーでいいと言ったのに、おかん属性のこの同僚はコーヒーは胃に悪いからと有無を言わさずチャージ系ゼリー飲料を押し付けてきたのだ。職場である薬学の研究室にはコーヒーとお茶しか用意されていないから、予め自前で僕のために用意していたのだろう。
コイツとは大学からの付き合いだけれど、つくづく気の回る男である。
…気が回りすぎて人が持って来た渡すための弁当に目敏く目をつけて、尋問するために休憩室に引っ張ってくるのはどうかと思うけど。
しかし、逆らえない。逆らうことは悲しいかな出来ない。何故なら先日、体調不良で当番代わってもらったのがコイツだからだ。
それに下手に逆えば即説教コース(返答次第で延長有)だ。毎回ほぼ同じ内容を聞かされるのははっきり言って拷問に近い。
午後からチーム内で試薬に関してのレポート発表会があるのだ。ここで余計な精神力を使いたくなかった。
だから仕方なく、泣いてしまった部分は恥ずかしいからそこだけは伏せて、ことの顛末を言われるがまま話して聞かせたのだが…。
コイツの最後の締めの言い方が妙に引っかかる。
どうしても、何故強調するんだ。助けて貰ったんだからお礼をするのは当たり前じゃないか。
「あ、そこは深い意味はないんで気にしないで下さい。…しかし、少女漫画みたいな展開ですね。王道だと惚れる展開ですね。いやもう惚れてたりして?」
「ぶっ、」
淡々とアホなことを言われ、ストローの中身が逆流する。危ない危ない。危うく鼻に入るところだった。コーヒーよりかは胃に優しいかも知れないが、鼻にゼリーは決して優しくないと思うぞこの野郎。
お兄さんに是非とも助けて貰ったお礼がしたいから何がいいかと迷った挙句に直接聞いてみたら、それならと余程あのおにぎりを気に入ってくれたのか今度は弁当を作って来て欲しいと所望されたのだ。少女漫画の展開など知らないがそこに他意はないはずだ。
しかし、いかにもチャラそうな見た目のくせに少女漫画の内容を知っているとは。
中身はおかん属性だし、短くない付き合いのはずなのに、たまに突拍子も無いことを言う。全くコイツは見た目と中身のギャップがあり過ぎる。
「先輩には言われたくないです。貴方だって大人しそうな見た目の割に気が強いじゃないですか、でもってツンデレ。ついでに苦労性」
「昔さ、漫画で目薬をしびれ薬がわりにコーヒーに入れて相手を簀巻きにするって言うのがあったんだけど。あれ一度試してみたいんだけど…」
同僚が持つカップに目を落としわざとらしく大きな声で言ってみた。
薬学に興味を持って研究者を志したのはそれがきっかけだった。目薬が本当にしびれ薬になるのかってね。もちろん、そんなの漫画の中だけの話で、目薬にそんな副作用はない。ちょっとした嫌がらせに言ってみただけである。
狙い通り同僚は渋い顔をして押し黙り、そのまま紙コップをテーブルへと置いた。
「…犯罪ですからね」
「試してみたいとは言ったけど、試すとは言ってない。もし、やるならお前を実験台一号にしてやるよ」
有難いだろ?と攻撃的に目を眇めれば同僚は息を吐き出し肩を竦めて見せた。
どうやら僕は気心が知れると途端、愛想という他者への気遣いが著しく低下するらしい。こんな風に殺伐とした物言いになるのはコイツと後はほんの一握りぐらいだ。誤解されることもあるが大概が仲が良い証拠だからと受け入れてもらっている。
親愛の裏返しと言えば聞こえはいいが、要するに余計な労力を使いたくはないがための俗に言う精神の省エネモードというヤツだ。ん?エコモードの方が語呂がいいかな?どっちの方がいいだろう。やはり省エネの方が分かりやすか?
「俺はそっちの方が良いと思いますけどね」
「省エネモードがか?」
「何の話ですか。今先輩が一緒にいるクズよりかはその人の方が先輩に優しそうだし、マシだろうなって話ですよ」
あ、なんだそっちか。てか、ちょっと待て。そりゃ前からお前はアイツの話をすると気に食わないって態度だったけど、人の前で人の恋人にクズ呼ばわりって酷過ぎるだろ、それ。
「十人中八人はそう思うと思いますよ。残り二人はクズと同等かそれ以上のドクズです。料理を作って夜中まで待っていてくれた恋人が寝てるのを無視して、具合が悪くなっても知らんふりって。とても恋人が取る行動とは思えませんけどね」
「それはっ、…それは僕が勝手にしていることだし。体調崩したのだって自業自得で、もし、風邪とか移る病気だったら迷惑をかけたくないっていう、僕の気持ちをアイツが考慮しただけで…」
蓋をしていた心細さを思い出し、俯き加減で言葉尻が弱くなる。
一応、体調が悪くて仕事を休むとアイツに連絡したけれど、返信どころか部屋で休んでいる僕に、帰ってきても声をかけてくれることは無かった。でも、それだって仕事が忙しいせいだし寂しいけど仕方がないことなんだ。
「どうしてそう、あのクズに卑屈にというか盲目的なんですか。そんなの全然先輩らしくない」
頭上から落ちてきたため息混じりの呆れた声に、縋るように握り締めていたゼリー飲料のパウチが意図せず潰してしまった。
らしくないってなんだよ、お前は僕の何を知っているんだと怒鳴りつけたい衝動をどうにか堪え、代わりに震える息を吐き出した。
怒鳴ったところで、きっとコイツに僕の気持ちなんて分かりっこない。
チャラいけど整った顔立ちのコイツに比べ、自分は平凡な顔立ちだし特別何かに秀でているわけじゃない。
両親にも愛情どころか興味すら持って貰えなかった自分が、誰かに愛して貰えるだなんて期待すらしてなかった。同性が恋愛対象と分かった時点でそれはより顕著になった。
そんな僕に愛している、一緒にいて欲しいと言ってくれる相手が現れるなんて奇跡としか言いようがない。僕にはアイツしかいないんだ。
「ねえ先輩」
泣きそうな心持ちで顔を上げると瑠璃色の双眸が真っ直ぐにこちらを見据えていた。
いつもの軽薄そうな雰囲気は消え去り、真摯な眼差しにたじろぎそうになる。
「先輩、俺はね先輩が一人で抱え込むのは性分だろうからそこに踏み込む気はないんです」
でもね、とそこで一旦言葉を区切り同僚が更にその先の言葉を続ける。
「それで貴方が苦しんだり不幸になるのは許せないんです」
「許せないって…」
「自分の顔、鏡で見てなんとも思いませんか?無理に笑うことはあってもここ最近、楽しいと思って笑ったことないでしょう?なんでそこまで自分を追い詰める必要があるんですか。そこまでする価値が本当にあるんですか?」
話を聞いているだけなのに胸の奥に重苦しいものがつっかえて、ひどく息苦しい。
激しい運動をしたわけじゃないのに、やけに心臓の音が大きく聞こえ、指先の感覚がなくなり冷えていく。
「逃げないで考えて下さい」
嫌だ聞きたくない。
胸が痛い耳を塞ぎたい。
同僚の声を聞くたび、その欲求に頭が塗り潰されてされていく。
「本当にそれが貴方の望んでいる、欲しかっていたもののカタチ、なんですか?」
ダンッ、と狭い室内に硬質な音が鳴り響いた。
その拍子にテーブルに置いてあった紙コップが転がり、残っていた褐色の液体がゆっくり広がっていく。
耐えきれず、叩き付けられたパウチを握り潰す拳に驚いたふうもなく、それでも問うことをやめ口を閉ざした相手を無言で睨みつけた。
暫し互いの間に重い沈黙が流れる。
「手、退けて下さい」
先に視線を外し動き出したのは同僚の方だった。
要求に従い、テーブルに付いていた手をおずおずと持ち上げる。
溢れたコーヒーを拭くには自分の手は邪魔となっていたようだ。空いたそこを含め床まで滴り落ちそうになっていたコーヒーを同僚が手近にあった布巾で拭き取っていく。
その様子を僕は黙って見つめていた。
自分は悪くない。そう思いたいのに溢したことを責めることなく一人片付ける姿に罪悪感に似た感情が勝手に頭をもたげてくる。
「…本人が気づかなければ意味がないこととはいえ、遠回しにというのはなんとも歯痒いものですねぇ……」
気まずさにかける言葉を探している最中、忙しなく手を動かしている背中からぽつり小さな呟きが聞こえて来た。
誰に聞かせるでもない、くぐもったそれは当然ながらなんと言ったか聞き取れたわけはなく、聞き返せる雰囲気ではなかったため聞き流すことしか出来なかった。
テーブルを拭き終えた際、何をするわけでもなく立ち尽くしたままだった僕に同僚が先に戻るよう促して来た。
「午後からのレポート発表の準備まだ終わってなかったですよね。さっさと準備しないと周りの迷惑になるから早く戻って準備して下さい。くれぐれも直前になってから忘れ物をしたなんて慌てないようにして下さいね」
気まずくてもおかん属性は健在である。
「分かった、先行くからお前も早く戻って来いよ」
色々言い返したい気持ちはあったが、これ以上拗れるのはごめんなので素直に従い先に休憩室を後にすることにした。
そんな僕の後ろ姿を同僚が不安げに見つめていたことになんて気づくことはなかった。
「種は撒きました。不本意ですが後はお願いしますよギルフィスさん」
そして、いなくなった後に呟かれた言葉も僕に知る由は無かった。
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