乙女の痕跡

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Chapter 1 

小さい宇宙の台所にて

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「えー、というわけで、どうも。地域コミュニケーション委員担当の宗方です。」

化学の宗方先生が気だるげに教壇に立ってそれは始まった。
今日は忌々しいコミュニケーション委員の記念すべき今年度一発目。そう、ついに始まってしまったのだ。あたし、和泉奈々はひょんなことからこの委員会につくことになってしまった不幸な高校二年生。しばらくは現実を受け止めきれず学校に来ることすら億劫になるほどであったが、始まってしまった今や一周回ってどうでもよくなっていた。先生がひたすらこの委員会について説明している声を左から右へと受け流しながら、ぼんやりと校庭を見下ろす。外ではサッカー部と陸上部の生徒たちが活発に動き回っていた。
今日は委員会の始まり、とはいえど何をしているのか具体的に理解の浅いあたしたちのために学年別に説明会を開いているため、今日いるのは二年生の五人だけだった。(この委員会は一クラス一人ずつ選ばれるため、全部で一学年五人になるのだ。)ちなみに毎年メンバーは担任の先生によって選ばれており、二年生以降はそれぞれの年の素行を考慮して選ばれている、という噂だ。ゆえに二年から三年での変化はほんとんどない。一方、一年生の時は中学校からの引き継ぎの情報またはランダムに選ばれている、とかなんとか。まあ、先生たちが明確に口にしているわけでもないし、そんなこと所詮ただの予想でしかないのだけれど。

「和泉。」

まあ、すなわち、その中で選ばれるということは、この学校の生徒間ではもちろん”問題児”というレッテルを貼られることと同義である。
すっかり普通の高校生活から離れてしまったという事実に打ちのめされ、大きな壁の向こうの存在となった校庭の生徒たちを見下ろしながら再度ため息をついた。

「帰りたい気持ちはよーくわかるが、だからといって話を聞かないのは感心せんなあ。」

ふ、とあたしに影が降りて、つられるように視線だけ見上げるとそこにはにこりと微笑む先生がいた。げ、と思わず声に出し、頬杖をついていた手から思わずひきつる顔を離してしまう。しまった、すっかり聞いていなかった。なんの話だ、と助けを求めるように隣を盗み見るものの、隣の煌びやかな女の子は興味なさそうに自分のネイルを見ているばかりであった。おいおい、まじかよ。

「自己紹介。」
「へ?」
「お前から順に自己紹介しろっつってんの。」

内心焦るあたしをよそに、先生は案外どうでも良さそうに用件を告げた。そして先生の方こそだるそうに頭をぼりぼりとかきながら教壇へと戻って行く。なるほど。そういう時間ね。
思ったよりちゃんと委員会ぽいこともするんだなあ、なんてのんきに思いながら、重い腰をあげ一応席をたった。

「あー、2年A組の和泉奈々です。えーっと、なんだ、バスケ部、入ってまーす。よろしく?お願いしまっす!」

とはいえ、急な話で。しかもわざわざ二年生にもなってこんな改まった機会があるなんて、と困惑しながら当たり障りのない情報を詰め込んで教室を見渡した。しかし周りはほとんど私の方なんて見てなくて、爆睡している男子がいれば、隠す気もほとんどなさそうに携帯をいじるギャルもいて、なんというか余計先が思いやられる光景だった。唯一、私を見ていてくれていたのは隣の列の一つ後ろに座っていた、この中では逆に目立つくらい普通の男の子だけで。最後にばちりと目が合うと彼は小さめの声でよろしく、と柔らかく笑った。

「はい、次七瀬、ほれやれ。」

拍手もよろしくの一言もなく、淡々と宗方先生は言い放つ。こんなんでいいんかい、なんて心の中でつっこみながらも、先ほどの光景を思い出すとそれ以前の問題だな、とも思えて何も言えなくなった。
あたしが座ったあと一息つくように静寂が訪れ、続くはずだった自己紹介が平然と途切れてしまった。問題起きるの早くないか?と疑問を抱いて振り返ると、そこにはノートに必死に齧り付く女の子がいた。あたしが振り返ってもそれに気づく様子もなく、ただ彼女のふんわりとした髪が揺れているだけだった。

「お、おい。あんた、自己紹介…って言われてるぞ??」

あまりの静寂にいたたまれなくなったあたしは、椅子を僅かに引き、彼女がかじりつく机をとんとん、人差し指で叩いてやる。瞬間、ばっと彼女は顔をあげ、きらきらと光るビー玉みたいな瞳があたしを捉えた。なんて変哲もない普通の瞳のような気もするが、不思議な引力があるみたいに真っ直ぐと人を見つめる子だった。

「い、いやだから…自己紹介…。」 
「自己紹介…?」

あたしの言葉に不思議そうに首を傾げた彼女は、もっていたえんぴつを顎に当てながら教壇の方をちらりと見つめた。そして数秒後には、ふわっと花が舞うように笑顔になり、あたしは女だというのになぜかその顔にすこしどきり、としてしまった。そのあとせわしなく彼女は席を立ち上がる。

「七瀬結愛ですっ。え、えと、B組ですっ。え、えええ絵を描くことがすきで、いつもシャーロットと絵を書いてます!よろしくです!」

あまり慣れていないのか彼女は少し上ずった声でほんのり頬を染めてそう生徒たちに言い放った。もちろんその意気込みには好感が持てるものの、いかんせん言っていることがいまいち分からず。心の中でシャローットって誰だよ、とつっこみながらもこれ以上彼女に触れる方が危険だとあたしの経験が語り掛けていたので、白けた教室と同様あたしもそっと前を向くことにした。

「えー、D組の井川爽太です。何の縁か実は去年もこの委員会をやってたので、多少は委員会のことを知ってます。先生や先輩よりも聞きやすいと思うので、分からないことがあれば何でも聞いてください。よろしくお願いします。」

床と椅子が擦れた時の特有の音ともに、今度はむしろ違和感のあるくらい至極まともな自己紹介がやってきた。声が聞こえてくる方向から考えてどうやらあたしの右斜め後ろの席の子らしい、とそろりと目を向けると、そこには先ほど唯一あたしの自己紹介を聞いていた素朴な男の子がいた。なるほど、やはりあの子か、とやけに納得しているあたしと、座り終えた彼の目が再びばちりと合わさって、あたしは慌ててまた前を向いた。

「田崎礼魅でぇーす。ん~、と、まぁ、よろしくぅ~。」

自己紹介は順繰り進み、今度は平凡男子の前に座っていたギャルが口を開く。途端に甘ったるい声が響き渡り、その声のわりには愛想もひったくれもない簡素な言葉だけ並べてすぐに席に着いた。正直少しあっけにとられ、机に肘ついた手で顔を半分隠しながら彼女のことを盗み見る。話している間、誰一人として彼女は教室の生徒に目を向けていなかったように思う。興味がないという表現が適切なのだろうか。それすらも迷うほど、なんというか、今まで見たそういう系の女の子とは少し違う、不思議な温度差を感じる子だった。

「…き!おいっ、起きろ!こうき!」
「んあ?」

たかだか五人だというのにも関わらず、ここでの自己紹介はそうすんなりとは進まない。また途切れたかと思えば、今度は囁くような小さな声が聞こえ、同時に寝起きのような間抜けな声も聞こえてくる。そこで先ほど爆睡していた男子がいたことを思い出した。

「やべ、あー、おはようこざいます!…ちげぇか。えーあー、芝晃輝っす!C組っす!特技は購買の焼きそばパンを誰よりも早くかうことっす!ヨロシク!!」

彼の覚醒したところを目にしたのは初めてで、名前を聞いて少しだけ思い出す。聞いたことがあった。芝晃輝。やけに喧嘩っ早くて有名で、頭が悪く、問題児。この一年でやたら悪い噂が飛び交っていた彼だが、なんだかんだといってあたしは彼を初めて見たのだった。そう言い終わった後に、タイミングよく彼と目が合わさり、彼は音が出そうなほど綺麗にニカッと笑った。思っていたよりも無邪気なその様子は正直想定外で、こちらもぎこちない会釈でしか答えられなかった。

「ほい、みんなご苦労さん。じゃあまあとりあえず、今日はこんなもんで。具体的な活動はまた来週、全員で顔合わせしたときにでもってことで。じゃ。また来週~。」

芝晃輝の自己紹介が終わり、五人全員の自己紹介が終わると、あまりにもあっけなく宗方先生はその場を締めた。その姿はさも早く帰りたいと言わんばかりで。この人は昔からそういうやけにやる気のないところを全面に押し出す、教師らしからん珍しい先生だった。それにやけに生徒たちへの理解がある分、本人は嫌がっているがわりと人気がある人だ。あたしはあたしで早く終わってくれるの非常に好都合で、そういう意味では利害が一致する。あざす、と気持ちを込めて軽く敬礼すると、先生はうざったそうに追い払うジェスチャーをして笑ってしまった。

「あ、あの…っ!」

早速帰ろうと机の横にかけていた学生鞄に手をかけたときだった。周りも席を立ち上がっている中、後ろからか細い声が聞こえる。呼ばれたと思い、鞄を肩にかけながら振り返るとたしか七瀬さん、が、あたしではなくあたしの隣にいたギャルもとい田崎さんに声をかけていた。しかもなんなら声をかけられた当の本人には全く気づいておらず、七瀬さんの呼びかけもむなしくすぐ様席から立ち去ろうとしていた。

「あ、田崎さん!呼ばれてんぞ!」

そこであたしはつい、彼女を呼び止めてしまう。関係なかったのに手を出してしまったと少し後悔しながら七瀬さんをちらりと見ると、目をまんまるにしたままあたしをじっと見つめていた。その目は人よりも水分量が多いのか、夕日に照らされきらきらと光っていて少しだけ後ずさりしてしまった。

「…何か?」

田崎さんはというと、先程の自己紹介の時とは一転。やけに落ち着いたトーンであたしたちのことを冷めた顔して見ていた。あれ、なんかさっきと全然違う印象だな…。単純に先程から感じられない敵意みたいなものすら感じてしまうくらいの変貌ぶりだった。

「あ、ああああああの……その、そのそのそのクマ!」
「「………は?」」

しかしながら驚くことに彼女は、そんな雰囲気を察することもなく、挙げ句の果てにはクマ、なんていう場違いなことを言い出し、ついにはあたしと田崎さんは声を揃えて疑問の声を上げてしまう。何を言いだすんだこの子は。初めから思ってはいたが、なんだか空気が読めないというか、なにかズレたものを感じる子であった。というかよくそんなこと言えたな。あたしは素直にそう思ってしまった。

「そのクマ!!!かっ、かっかわいいでしゅね!」

あ、噛んだ。そのことに自分でも気づいたのか、目に見えるほど耳を真っ赤にさせて彼女が指差したのは、田崎さんのもつ鞄についていたテディベアのキーホルダーだった。なるほど、クマのキーホルダーのことだったのか。言いたいことをなんとなく理解していると、七瀬さんが指差したクマを辿るように見つめた田崎さんはゆっくりこちらに視線を戻し眉をしかめた。

「…で?」

要件を早く言えと言わんばかりの顔だった。初めに感じた敵意、なんてものではない。簡単に拒絶を感じられる表情だった。あたしでさえどきりとして、七瀬さんは大丈夫なのだろうかとちらりと盗み見ると声を出さずに、口だけぱくぱくと動かしていた。言葉に出来ない様子が手に取るように伝わって、あたしは苦虫を噛み潰したような気持ちになる。

「なんもないなら帰るわ。」

その間に痺れを切らした田崎さんは立ち去ってしまい、あ、と切ない声をあげた七瀬さんは伸ばした手をそのままに田崎さんの背中をまっすぐ見つめていた。あたしはあたしでやけに面倒なことを仲介しようとしたせいで、下手に帰りづらくなってしまった。どういう状況だよこれ。
固まる田崎さんを横目に見ると、彼女が置いた机の上の鞄からはファスナーを押しのけてぬいぐるみサイズのクマが顔を出していた。なるほど、だから声をかけたのか。クマが好きなのだろうか。とにかく共通点を持っていると思い声をかけたのかもしれない。状況が少しわかり、変ではあるが悪い子ではないのかな、なんてあたしは甘っちょろいことを考えていた。

「ありがとう。和泉さん。」

すると固まっていたはずの七瀬さんは、今度はあたしを見てやけに落ち着いてふんわり笑った。思ったよりダメージを受けていないのだろうか。少しだけ面を食らって、お、おう、と情けない返答を返す。

「優しいね。」

まだほんのり紅い頬をそのままに、こてりと首を傾げながら彼女は笑った。女の子相手にどきりとしたのは、たぶんその表情だけではなく聞きなれない言葉に、という部分が大きいような気がした。あたしはこういう男っぽい性格柄、ガサツなイメージとか怖いイメージを与えがちなのだが、初対面の相手から初めて言われる印象で優しい、というのは初めてだった。言われなれない言葉のせいか、なんと返すのが正しいのか困惑し、あたしはキョドキョド目を泳がせた。
なんだか、むずがゆい。

「奈々。」

この委員会に入るのは不本意だった。それはやっぱり"普通"の生活をしたかったからで。ここの委員会は"ハズレもの"ばかりだと噂がたっていたからで。

「へ?」

関わりたくないと思っていた。たぶんこの委員会に入らなければずっとそう思っていたと思うし、なんならまだそう思ってる。

「名前。奈々でいいよ。」

でも、ちょっとだけ、そんなに悪くもないのかな、なんて、そう思えてしまえて、少し怖かった。


小さな宇宙の台所にて


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