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第1話 父の死に目
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「ギジチョートー、ギジチョートー」
幼い子らの歌う声が洩れ聴こえてきて顔を上げる。
まだ歌ってる子もいるのか」
——ギジチョートー
それは「義時、打頭」の呪詛詞だ。過去、承久の変が起きる前に、後鳥羽の上皇が父の死を願って京童に歌わせていた。
父、北条義時は既にこの世にない。あの変の年の夏に急死した。兄泰時と、叔父時房が承久の変を収め、鎌倉に到着する、その直前に息を引き取った。
私は北条重時。北条義時の三男だ。初代将軍源頼朝公が亡くなる前年に生まれ、鎌倉で育ったが、六つの時に、父が母の血族である比企氏を滅ぼし、以来、母と共に京で暮らしていた。
三代将軍源実朝公が、その甥の公暁に鶴岡八幡宮で殺され、頼朝公の直系男児の血が途絶えたので、頼朝公の妹姫の血を引く九条家の三寅君を鎌倉幕府の四代目将軍として迎えることになり、京から鎌倉へとお連れした。それ以来、望んでもない役職を与えられ、奔走する毎日。好きな和歌や楽を楽しむ暇もなく、ただ三寅君の世話に明け暮れた。そして今は鎌倉幕府の京に於ける出先機関である六波羅探題の長官として、京の治安維持や西国の御家人らの統括、朝廷の監視をしている。はっきり言って物凄く忙しい。
初代の六波羅探題北方だった泰時の嫡男、時氏が病で早くに身罷ったのは、あまりに仕事が多すぎ、また心労が重なったからだ。だから自分は出来るだけ適当にやろうと決めた。早死にしたくはないから。
父は生前、鎌倉幕府の執権として権力を一手にしていた。幕府存続の妨げとなると思えば、誰であっても、またどんな手を使ってでも叩き潰し、完膚なきまでに討ち滅ぼした。平賀氏、畠山一族、和田一族。そして、自らの父親すらも。計略に長けた冷酷な執権。それが北条義時という男だった。そして遂には、京の朝廷をその武力で完全に制圧して皇位継承にまで口を挟むようになった。配流された上皇、新しく即位された帝。京のありようは鎌倉の幕府の思惑如何となった。
官位は昇り詰めていたものの、武家の領分を大きく逸脱した父のやりように、未だ京の人々は大きな反感を持っている。それも北条は貴種ですらないのだ。一応、桓武平氏を名乗ってはいるが、真実かどうかわからない。
承久の変の時、自分は合戦には参加しなかった。京に住み慣れ、土地勘のある身。出陣を命じられるだろうと覚悟していた。なのに声はかからなかった。そして父もまた、上洛せずに鎌倉に留まった。大将軍として上洛したのは長兄の泰時と同母兄の朝時。十八騎だけの出陣を不安の中見送った。だが出てすぐ、突然戻ってきた泰時兄上。一言、二言、父に何かを尋ね、父の返答を聞くなり笑顔を見せると、また馬の首を廻らせて駆け去った。寂しい出陣。だがその後、置いていかれた御家人らが慌てて彼らを追いかけ、あれよあれよと言う間に何万騎もの大軍になって京を護る兵らを討ち滅ぼした。圧勝だったらしい。
でも何故、父は京に行かなかったのか。ずっと腑に落ちなかった。
父は常に戦さ場に身を置いていた。平家追討も奥州征討も、いつでも攻め手の前線にいたと聞いている。でも、「義時を討て」と宣旨の出た承久の変では鎌倉から一歩も出なかった。それこそ最前線で指揮をとるべきだったのに。母が眠る京の地を訪れるべきだったのに。母は父との離縁の後に再婚した源具親殿に丁寧に弔われ、京の一画で静かに眠っている。
せめてその墓前に手を合わせに行くべきだったのだ。
そう、死ぬ前に。
——シャワシャワシャワシャワ
蝉の鳴き声に顔を上げる。クマゼミだ。
そう言えば、あの日も蝉が鳴いていたと思い出す。
それは父の亡くなる前日のこと。突然、床に伏したと聞いて慌てて駆けつけたら、枕元には継母である伊賀の方と、その長男の政村がいた。父は真っ白な顔で、その手は力なく垂れていた。もう長くないことがわかった。詰っってやろうと握っていた拳から力が抜け、問い詰めようと勇んでいた心が萎える。
でも駆けつけた以上、何かを口にしなくてはならない。とりあえず声をかける。
「父上」
すると父の目が開いた。こちらを認めて一瞬大きく見開かれる瞳。そこに熱を感じてハッと息を呑む。だが父はすぐに目を閉じた。
「ああ、重時か」
——なんだ、とでも言いたげな響きに胸がざわりと粟立つ。
「▽◇」
「え、何?」
何を言ってるのかわからない。
「*□△」
「何を言ってるのか聞こえません!」
つい声を荒げてしまい、政村を驚かせてしまう。
「あ、ごめん。だって聞こえなくて」
とりあえず謝る。伊賀の方が睨んでくる。でも仕方ないじゃないか。聞こえないんだから。
——ミーンミーンミーン。
部屋に満ちるアブラゼミの鳴き声が耳障りで耳を塞ぎたくなる。
東国の蝉はやかましい。京の蝉はまだ風情があるのに。煩いは煩いが、どこか耳に心地良い。鳥や虫も土地によって気性が違うのだろうか。暑さ寒さは、鎌倉の方が幾分過ごしやすいけれど、それでもすぐにでも京に戻りたい。
でも、この状態の父を置いて鎌倉を離れるわけにはいかなかった。
奥歯を噛み締めて父の顔を見つめる。細く角ばった顔。まともに見るのは久しぶり。いや、初めてかもしれない。昔からこんな顔をしていたっけ?
幼い子らの歌う声が洩れ聴こえてきて顔を上げる。
まだ歌ってる子もいるのか」
——ギジチョートー
それは「義時、打頭」の呪詛詞だ。過去、承久の変が起きる前に、後鳥羽の上皇が父の死を願って京童に歌わせていた。
父、北条義時は既にこの世にない。あの変の年の夏に急死した。兄泰時と、叔父時房が承久の変を収め、鎌倉に到着する、その直前に息を引き取った。
私は北条重時。北条義時の三男だ。初代将軍源頼朝公が亡くなる前年に生まれ、鎌倉で育ったが、六つの時に、父が母の血族である比企氏を滅ぼし、以来、母と共に京で暮らしていた。
三代将軍源実朝公が、その甥の公暁に鶴岡八幡宮で殺され、頼朝公の直系男児の血が途絶えたので、頼朝公の妹姫の血を引く九条家の三寅君を鎌倉幕府の四代目将軍として迎えることになり、京から鎌倉へとお連れした。それ以来、望んでもない役職を与えられ、奔走する毎日。好きな和歌や楽を楽しむ暇もなく、ただ三寅君の世話に明け暮れた。そして今は鎌倉幕府の京に於ける出先機関である六波羅探題の長官として、京の治安維持や西国の御家人らの統括、朝廷の監視をしている。はっきり言って物凄く忙しい。
初代の六波羅探題北方だった泰時の嫡男、時氏が病で早くに身罷ったのは、あまりに仕事が多すぎ、また心労が重なったからだ。だから自分は出来るだけ適当にやろうと決めた。早死にしたくはないから。
父は生前、鎌倉幕府の執権として権力を一手にしていた。幕府存続の妨げとなると思えば、誰であっても、またどんな手を使ってでも叩き潰し、完膚なきまでに討ち滅ぼした。平賀氏、畠山一族、和田一族。そして、自らの父親すらも。計略に長けた冷酷な執権。それが北条義時という男だった。そして遂には、京の朝廷をその武力で完全に制圧して皇位継承にまで口を挟むようになった。配流された上皇、新しく即位された帝。京のありようは鎌倉の幕府の思惑如何となった。
官位は昇り詰めていたものの、武家の領分を大きく逸脱した父のやりように、未だ京の人々は大きな反感を持っている。それも北条は貴種ですらないのだ。一応、桓武平氏を名乗ってはいるが、真実かどうかわからない。
承久の変の時、自分は合戦には参加しなかった。京に住み慣れ、土地勘のある身。出陣を命じられるだろうと覚悟していた。なのに声はかからなかった。そして父もまた、上洛せずに鎌倉に留まった。大将軍として上洛したのは長兄の泰時と同母兄の朝時。十八騎だけの出陣を不安の中見送った。だが出てすぐ、突然戻ってきた泰時兄上。一言、二言、父に何かを尋ね、父の返答を聞くなり笑顔を見せると、また馬の首を廻らせて駆け去った。寂しい出陣。だがその後、置いていかれた御家人らが慌てて彼らを追いかけ、あれよあれよと言う間に何万騎もの大軍になって京を護る兵らを討ち滅ぼした。圧勝だったらしい。
でも何故、父は京に行かなかったのか。ずっと腑に落ちなかった。
父は常に戦さ場に身を置いていた。平家追討も奥州征討も、いつでも攻め手の前線にいたと聞いている。でも、「義時を討て」と宣旨の出た承久の変では鎌倉から一歩も出なかった。それこそ最前線で指揮をとるべきだったのに。母が眠る京の地を訪れるべきだったのに。母は父との離縁の後に再婚した源具親殿に丁寧に弔われ、京の一画で静かに眠っている。
せめてその墓前に手を合わせに行くべきだったのだ。
そう、死ぬ前に。
——シャワシャワシャワシャワ
蝉の鳴き声に顔を上げる。クマゼミだ。
そう言えば、あの日も蝉が鳴いていたと思い出す。
それは父の亡くなる前日のこと。突然、床に伏したと聞いて慌てて駆けつけたら、枕元には継母である伊賀の方と、その長男の政村がいた。父は真っ白な顔で、その手は力なく垂れていた。もう長くないことがわかった。詰っってやろうと握っていた拳から力が抜け、問い詰めようと勇んでいた心が萎える。
でも駆けつけた以上、何かを口にしなくてはならない。とりあえず声をかける。
「父上」
すると父の目が開いた。こちらを認めて一瞬大きく見開かれる瞳。そこに熱を感じてハッと息を呑む。だが父はすぐに目を閉じた。
「ああ、重時か」
——なんだ、とでも言いたげな響きに胸がざわりと粟立つ。
「▽◇」
「え、何?」
何を言ってるのかわからない。
「*□△」
「何を言ってるのか聞こえません!」
つい声を荒げてしまい、政村を驚かせてしまう。
「あ、ごめん。だって聞こえなくて」
とりあえず謝る。伊賀の方が睨んでくる。でも仕方ないじゃないか。聞こえないんだから。
——ミーンミーンミーン。
部屋に満ちるアブラゼミの鳴き声が耳障りで耳を塞ぎたくなる。
東国の蝉はやかましい。京の蝉はまだ風情があるのに。煩いは煩いが、どこか耳に心地良い。鳥や虫も土地によって気性が違うのだろうか。暑さ寒さは、鎌倉の方が幾分過ごしやすいけれど、それでもすぐにでも京に戻りたい。
でも、この状態の父を置いて鎌倉を離れるわけにはいかなかった。
奥歯を噛み締めて父の顔を見つめる。細く角ばった顔。まともに見るのは久しぶり。いや、初めてかもしれない。昔からこんな顔をしていたっけ?
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