義時という父 姫の前という母

やまの龍

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第2話 母の迎え

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 父は殆ど声を発さない人だった。人に指示を下す時だけ、はっきりと大きく声を発する。そんな所も大嫌いだった。

 でも今は起き上がれず、このザマ。死ぬ前の言葉くらい聞いて、文句の一つも言ってやろうと駆け付けたが、政村に任せれば良かった。自分は先妻の子だから伊賀の方とはあまり反りが合わないが、政村は気の優しい大人しい性質で、おっとりしてるから話も合う。彼が看取ってくれるなら父も安心して旅立てるだろう。泰時兄上と朝時兄上はまだ京で戦後処理をしてる筈。危篤の知らせはきっと間に合わない。彼らに父の最期の様子を聞かれるだろうが、それも政村に任せればいい。

 そんなことを考えていた時、

「シゲ」

 掠れた低い声で呼ばれ、背が震えた。


——え、シゲ?


重時のトキまで言えなかったのか、それとも幼名を呼んだのか分からない。でも、その場を離れられなくなった。

「シゲ」と最後に父にそう呼ばれたのはいつだったか。記憶を辿る。

 京に経つ前、母も一緒に居た時。そう、伊豆の江間だ。自分は母と共に江間の屋敷で絵巻物を眺めていた。母の綺麗な横顔にはどこか翳りがあって、それが自分はいつも気がかりだった。放っておいたら消えてしまいそうで、なるべく側につくようにしていた。

 でも、ふと低い声がして顔を上げたら、母が満面の笑みで父を迎えていた。

——ああ、父を待っていたのか。


 チラリと胸を掠める嫉みの炎。

——いつも母の側にいるのは自分なのに、母上は自分よりも父上が大事なんだ。

 幼かったその時の失望感が蘇ってきて、咄嗟に頭を振る。


「重時殿、どうかされましたか?」

 冷ややかな声に顔を上げれば、盆を手にした伊賀の方に見下ろされていた。

「殿、そろそろお薬を飲まなくては。政村、貴方はお水を取って来てくれる?それから重時殿、貴方はそろそろ将軍様の元にお戻りいただいて結構ですよ。お忙しいでしょう?」


——出て行け。


 そう聞こえた。

フッと鼻で嗤う。悪いけど、出て行けと言われると出て行きたくなくなる性分なんだ。

 にっこりとやわらに微笑み返す。

「私は戦では役に立てぬ親不孝者ゆえ、最期くらいはお側に控えておりませんと。それとも私がここにいては具合の悪いことでも何かおありですか?」
 京風にゆるゆると嫌みを滲ませて聞いてやる。

 途端、伊賀の方の気配が一変した。


——ガチャン。


 手にしていた盆から溢れ落ちて割れた茶碗と床にぶちまかれた粥。


「ああっ、丁度良い頃合いに冷ましたのに」

 その声で急ぎ戻ってきた政村が粥を片付けようと手を伸ばしたら伊賀の方がまた叫んだ。

「いけません!政村は触れてはなりませぬ!誰か!早く片付けに参りなさい!」


 死にかけた病人の枕元に下女を呼びつける伊賀の方。さすがに政村も眉を顰めて伊賀の方を諌めようとするが、伊賀の方はまるで聞く耳を持たない。政村を部屋の外に追いやって、入ってきた下女に片付けを言いつけるとさっさと出て行った。置いて行かれてホッと息を吐き、あちこちに飛び散った粥を拭き取っていく下女を見やる。

 部屋の中のどこか何かがひどく歪んでいるように見えて首を傾げる。

 父は殆ど食事を摂らない人だった。酒もやらず、たまに誰かと碁を打つ時だけ付き合い程度に口に含んでいた。なのに、何故、今この時に粥?


 そう。自分はあの時にひどい違和感を感じたのだ。なのに何もしなかった。それを後で悔やんだが、もうどうしようもない。
 騒ぎの中、目を下ろせば、父の目がこちらを向き、その口が小さく動いた。でも音としては届かない。屈んで父の口元に顔を近付ける。



 目に映る動く父の口と耳に届く低い声。

「ヒミカ」

 その響きに息を呑む。

 それは母の真名。

 聞き間違いかと父の目を覗き込む。でもその目には強い光が宿っていた。声にも。

「やっと迎えに来たか」

思わず後ろを振り返る。自分の後ろに何かいる、そんな目をしていたから。

「重時兄上?どうかされました?破片がそちらに?」
 政村に問われるが、答えられない。


 だって、迎えになんか来るはずない。母は京で寂しそうだったのだから。いつも明るく笑っていたけれど、ふとした時に空を見上げていた。東の空を。そして言っていた。「明日は雨になるかもね」と。

 明日の天気を見るなら西の空の筈なのに、東の遠い空を見てそう言っていた。

 そうして、まだ少し肌寒い春の晴れた日に桜の花びらが散るように静かに息を引き取った。だから…。

 父は、母が亡くなっても何の沙汰も寄越してこなかった。

継父である源具親殿は、鎌倉に戻っても京に残っても、どちらでもいいから好きに選べと言ってくれた。同母兄の朝時兄上は既に元服の為に鎌倉に戻っていた。

 自分もいずれ呼び戻されるのだろう。でも、まだ幼い頃に離れた鎌倉よりも、京の方がずっと馴染みがあった。具親殿の言葉に甘えて京に残ることにする。父はそれでも何も言って来なかった。でもそれすらも父の計略だったのか。

 結果、自分は具親殿の縁で京の公卿らと親睦を深め、京の風習に馴染み、九条家の三寅君を将軍に迎え、こうして朝廷近くで京を監視する役目を担わされることになったのだから。

 一体どこまで先読みをして生きてきたのか。どこまで人を陥れて生きてきたのか。いつから?何から?母との結婚もそうなのか?将軍お声掛りという箔をつけたかったのか?


「何故、離縁したの?」
 ずっと聞きたかった言葉。それだけが中空に浮いている。
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