【完結】あなたの波を感じさせてー中将様とちじゅの夢恋物語

やまの龍

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第二章 いま

第19話 背

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「あっ、行ってまう!」
みやこちゃんが駆け出す。衡さんが振り返って手を上げた。
「じゃあ、またね」

そう言って、衡さんは背を向けた。

「あっ、あの!」そう口にしかけるが、既にみやこちゃんが車両に乗り込んでいた。
それを追う衡さんの背を見た時、突然
胸がギュッと痛くなった。

——待って。行かないで。置いていかないで。

樹里は咄嗟に手を伸ばして彼の背を追った。でもドアは樹里の目の前で閉まり、樹里は電車にゴンと当たり、側に居たらしい駅員さんに注意されてホームの内側へと誘導された。誰かが忍び笑う声が耳に届いて顔を俯ける。耳が熱い。恥ずかしい。

「私ったら何やってるんだろ」
トボトボと階段を上がる。少し頭を冷やしてから帰ろう。あんなかっこいい人と珍しくたくさん話をして名前まで呼んで貰えたから、のぼせ上がっちゃったんだ。からかわれただけなのに。妹の友達だから優しくしてくれただけなのに。

「私ったら馬鹿」

期待するだけ無駄なのに。自分みたいな地味でつまらない子、彼みたいな素敵な人が相手にしてくれるわけがない。そう、お祭りの余興みたいなもの。でもお祭りは終わった。現実に戻らなきゃ。

冷えた外の空気を胸いっぱい吸い込んでから各駅停車に乗り込む。空いてる車両の奥の扉の横に立ち、暮れた外の、ポツポツと灯された街の明かりをぼんやりと眺めて朝からのことを思い返す。

「じゃあ、また」

 そう言って手を上げた衡さんの顔が浮かぶ。でも、またなんてあるんだろうかと考えて首を横に振る。社交辞令だとわかってる。それでいいと思っている。もしかしたらまた会えるかもしれない。そんな希望を残して貰えただけで、それでもう十分。自分にとっては充分過ぎるくらい素敵な一日だった。まるで夢を見ていたような……。

——でも。


「樹里ちゃん」

まだ耳に残っている少し掠れた低い声。最初に触れた時のピリッとした感じ。握られて走った手の大きさ、温かさ。悪戯っぽい笑顔。それらを思い出した途端、ひどい後悔にかられた。

——私、何もしてない。

今日の出来事の中で、自分から動いたことって何かあっただろうか?全部、衡さんが話しかけてくれて、引っ張ってくれて、樹里を揺らしてくれた。なのに樹里自身は何も返せていない。頑なに自分を閉じて固まったまま。


「あなたを側に置きたい」

 そう言ってくれたのに。あの時、すごくドキドキして嬉しかったのに。なのに、どうしてもう一歩踏み出せなかったのか。

——弱虫。

傷付くのが怖いと尻ごみしてばかりで足を前に出せない臆病者。拒否されるのが怖いと、言いたいことも口に出せずに呑み込んで、出来ない言い訳ばかりを考えて目の前の本当に欲しいものから逃げ出す卑怯者。

——置いていかないで。どうか、あなたのお側にいつまでも——

 それで死んでも構わない。

 そう思っていたのに。



——え、思っていた?誰が——?


——誰のことを?


 その時、樹里の乗った各駅停車の出発のアナウンスが流れた。このまま帰ったら日常に戻ってしまう。

——駄目だ。

樹里は両頬をパンと叩くと、閉まりかけたドアを擦り抜けてホームに飛び降りた。樹里の背スレスレの所で閉じる扉。

——そう、ダメ。待ってばかりじゃもう駄目なの。諦めてばかりじゃ駄目。それじゃ何も変わらないから。

——私は変わりたかった。もっと自信に溢れて、ちゃんと自分の気持ちを伝えられる人に。あの人に好きだと、付いて行きたいと、置いて行かないでと、生きている内に自分の口で言いたかった。

——え、生きている内に?

僅か芽生えたその違和感を思い返す間も無く、ホームの向かいに止まっていた特急に飛び乗る。

 沢山の人でギュウギュウの車両。黒いジャンバーの男性が迷惑そうに樹里に目を落とすのを感じて、失敗に気付く。

——しまった。女性専用車両じゃなかった。

降りようと思ったけれど、樹里の後ろからも何人か乗り込んできて、ギュウギュウと奥の方へ押し込まれる。せめて女性の隣に。そう思えど、下手に動くと周りに迷惑がかかる。というより、既に身動きが取れない状況にあった。

——一駅だけ。そう、一駅だけ我慢して降りよう。やはり各駅停車でないと怖い。
 樹里は手を伸ばしてポケットの中のケータイを辛うじて探り当て、取り出す。
その時、電車が大きく揺れた。樹里はつんのめって前へ倒れこむ。誰かにぶつかってしまい顔を上げる。
「あ。ご、ごめんなさい」
謝罪の声を発した時、黒い影がのそりと動いたような気がした。

——一駅だけ。

そう思いながら真っ直ぐ立とうと懸命に足を踏ん張る。でも各駅停車と違い、次の駅はなかなかやって来ない。

その時、ゾワリと悪寒が走った。誰かに触られているような不快感。でも気のせいかもしれない。確かめなければ。でも。

——怖い。

誰かにじっと見られ、探られているような恐怖感に樹里は身動きが出来なくなった。

——駄目。動かなきゃ。声を出さなきゃ。じゃないともっと嫌な目に遭うかもしれない。樹里は懸命に自分を叱咤した。


ケータイにストラップとして取り付けていたホイッスルを摘む。

「痴漢された時に声を出せる女性は稀です。相手もそんな女性には最初から手を出しません。でも声が出せなくても、笛ならちょっと息を吹き込むだけ。相手を少し驚かせて手を引かせて、その隙に逃げるか助けを求めるんですよ」
 そう言われて購入したものだった。

——吹け。

自分に命じ、思い切って笛を口元まで持ち上げる。

でもその時、電車がまた大きく揺れた。周りの人たちが大きく揺らぎ、樹里も人波に流される。

——あ。

ストラップがケータイごと手から離れて飛んでいく。目で追うが、たくさんの人の足に阻まれて見えなくなる。

目の前に迫る黒い影。恐る恐る顔を上げれば、その黒い洋服にプリントされた白い髑髏マークが目に飛び込んできた。



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