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第四章 葵
第1話 婚儀の夜
しおりを挟む「姫御前、ちょお宜しいか?」
戸の外からかけられた声に応じる。戸を開けて入って来たのは摂津局だった。
「うちん人からこれを預かって来ましてん」
それは先程コシロ兄が書いた起請文だった。
「何やえらい急やったみたいやけど、おめでたいこと。ほんま良かったなぁ。御目出度う御座います」
言って摂津局は頭を下げた。慌ててヒメコも礼を返す。
「ちゅうわけで、これよりお支度を大急ぎでさせて貰いますわ。お母君は間に合わんちゅうことで、将軍様より母代わりを命じられましてん。お父君はお支度が整い次第、お迎えに来られるらしので、それまでにどうにか仕上げさせて貰いますよってちょお忙しないけど堪忍したってな」
言って、摂津局は女房連中を招き入れた。
「ヒメコはあっという間に着物を全て脱がされ身を丁寧に拭われ、髪を梳かされ結われ、真新しい白の単を着せられる。
摂津局がうーんと唸った。
「顔に白粉塗らなあかんねんけど、この肌を隠してしまうんはほんまは惜しなぁ。でもま、決まりやしな、一応塗っとこか」
摂津局の言葉に女房連中が刷毛を片手にヒメコの首と顔にベタベタと白粉を塗っていく。
紅もサッサッと目尻や口元に引かれ、手を取られて立ち上がる。その後はどんどん着物を重ねられた。
「ま、こんなもんやろ」
摂津局の言葉にヒメコの前に鏡が差し出される。
確かに如何にも婚礼の儀に向かう女の姿だ。
でもどこか自分ではないような気がしてそっと息を吐く。婚儀に向かう女の心境とはこんなものなのだろうか?
「ほな、行きまっせ!」
威勢の良い掛け声を合図にヒメコは重ねられた着物の重さに耐えながら、うんせと立ち上がって履物を履いた。ふと人の気配に目を上げれば父が立っていた。
「とう、いえ、父上」
笑顔で手を差し出す父に掴まり、ヒメコは御所の外へと出る。大路には松明が焚かれ、町の人々が興味深げに顔を覗かせていた。
「本当は比企の屋敷から、お前の母と共に送りたかったがな、今日の今晩では仕方がない。母には起請文を渡してきちんと話をしておくから安心して嫁ぎなさい」
父の言葉にヒメコは首を何度か頷かせた。何か言わなくてはと思うが言葉が出て来ない。
父は優しく微笑んだ。
「何、江間殿はすぐお隣。何の心配もない。江間殿、北条殿に可愛がられて立派にお家を守りなさい」
松明の火に沿って歩く内に江間の屋敷に着く。江間の門の脇には大きな門火が焚かれ、その下では北条時政が待っていた。父は深く一礼をして挨拶をした。
「至らぬ娘ですが、何卒宜しくお願い申し上げる」
礼を返す北条時政。その時、戸が開いて緊張した面持ちで出迎えにと顔を出すフジが見えた。その顔を見て、少しだけヒメコの気持ちが解れる。
フジと時政の二人にヒメコが両手の指先を委ねると、父と摂津局は後ろへと下がった。ヒメコは手を引かれ、江間の屋敷の奥へと進む。
見慣れた江間の屋敷が今日は全く違って見える。
明々と焚かれた灯明に照らされる、一段上げられた床に敷かれた紅の毛氈
その上に導かれ、コシロ兄の隣に腰を下ろし、すすめられる盃を受け取り、口を付ける。
やがて始まる口上を聞き、促され、コシロ兄と互いに顔を見合わせた。
交わる視線。
その瞳の奥に僅かな躊躇いを感じ取りつつも、ヒメコは唇を噛んで自分に言い聞かせた。何があろうと前に見えるこの道を突き進むだけ。
式が終わると床入りとなる。ヒメコは白粉を落とし、髪も横に流して白の単だけになり、用意された部屋へと入り、床の上に正座する。
少ししてコシロ兄もまた白の単だけで入って来た。
ヒメコはその場に手をついて頭を下げた。
「申し訳ありません」
コシロ兄が目を見開いてヒメコを見る。
「起請文だなんて、そんな大それたものを書かせてしまって本当に申し訳ございません」
コシロ兄は、ああ、と答えた。
「あの場では話せませんでしたが、でも母はきちんとわかってくれてますので。どうかお許し下さい」
「いや、それはこちらこその話。こんな急なことになってしまい、手順もしかと踏めなかった。済まない」
「謝らないでください。私はこうやってコシロ兄の元に嫁げただけで嬉しいのです。だから」
言いかけて、あ、と思い出す。慌ててズリズリと床から下りて手をつき頭を下げる。
「あの、不束者ですが、幾久しく宜しくお願い申し上げます」
と、コシロ兄が口元を綻ばせた。
「普通は謝るより先に、俺が入った時にその『不束者ですが』というのをやるんじゃないのか?」
言われて、そうだったと思い出す。
「あの、御免なさい。やり直ししていいですか?」
願ったらコシロ兄は笑ったまま、いいやと首を横に振った。
「お前らしくていい」
それから手を伸ばしてヒメコの横髪に触れた。
「化粧も落としたか」
はい、と頷く。
「良かった。あんな祭りの時のような顔のままではどうしようかと思っていた」
まぁ、とヒメコは笑った。
「摂津局様がお聞きになったら何て仰るか」
コシロ兄が首を竦める。
「そりゃあ」
「あんたら、そんなこと言うたらあかんで」
「だな」
「ですね」
真似る二人の声が重なる。頰に触れていたコシロ兄の手がヒメコの肩を捕らえて引き寄せられた。床の上へと押し倒される。乗しかかる重みと熱に胸が高鳴る。
「長く待たせた」
はい、と頷き、答えた。
「十五年待ちました」
十五年、と繰り返される。
ええ、と答えたらコシロ兄はそうか、と呟いた。
「ヒミカ」
低い声に名を呼ばれ、胸が大きく震える。頭の奥が痺れる。
やっぱりこの人だ。恋していた十五年は辛くもあったけれど、同時に何て幸せだったんだろうと思う。
ずっと好きでいられた。そしてこれからもっと好きになっていいのだ。
「少しして落ち着いたら比企のお母君の元に共に行こう」
ヒメコは頷く。
「北条の父のことだが、済まない。千幡君が産まれて頭に血が上っているのだ。幕府にては御台所の父と名ばかりで、京での働きも叶わず鬱屈しているのだろう」
抑えた声に滲む、どこか他人行儀な色。
「俺はもっと将軍の信を得て、父からは早く離れるつもりだ」
「離れる?」
ヒメコの問いにコシロ兄は頷いた。
「信を置けない相手に命を預けるつもりはない。俺は将軍の為なら命を捨てるが、父の為にはけして死なぬ」
その時、ヒメコはコシロ兄の心の中の声を初めて聴いたような気がした。
「もしや、三郎殿のことでお父君と何か?」
ふと口をついて出てしまった言葉にヒメコ自身が驚く。コシロ兄は目を見張ってヒメコを見た後に、その瞳の色を消した。横を向く。
「いや、戯れ言だ。忘れてくれ」
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