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22 熊井君の苦悩
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僕――熊井健太郎は、母の美恵子と父の一郎の元に生まれた。
父の職業は精密部品を作るいわゆる町工場の仕事をしている。
元々はルミナスの子会社で貿易関係の仕事をしていたらしいけど、母と知り合ってから母の家族がやっていた工場に就職するようになったらしい。
自分の代で終わらせる気だった祖父はまさか父が仕事を辞めるとまでは思ってもみなかったようで、最初はかなり仲がギクシャクしたと親戚の叔母さんに祖父の葬式で聞いたことがある。
経営自体は本当に少しずつ少しずつ、紙を重ねるかのように良くはなっていっている。
でもちょっとしたトラブルや取引先の失敗などで積み上げた紙などすぐに吹き飛んでしまう。それが中小零細というものだそうだ。
そんな中、母が妊娠をした。
一人っ子だった僕に弟か妹が生まれると告げてきた頃にはすでに隠しきれないほどお腹が大きくなっていて、言われなくても気付いていた。
ずっと兄妹が欲しかった僕はそれを喜んだ。十六も歳の離れた兄妹はもうヘタをすれば子供みたいなもので、新しい家族としてすんなりと受け入れられたのが大きい。
どちらかと言うと頼れる兄か姉が欲しかったが、それはすでに無理だと分かっていたのであえては言わないけれど。
兄妹が生まれると知って途端に僕も何かをしなければと思うようになった。
訳も分からず河川敷を走ったり、家のお手伝いを積極的したりしてようやく考えついたのがアルバイトだ。
お金があればたいていのことはできるし、買ってあげられる。
それに、たぶんこれで僕は金銭面的に大学にはいけない。でも今から貯めれば短大分ぐらいなら何とかなると思ったからだ。
「熊井は遅刻もせず愛想が良くて良いやつだな」
新聞配達のバイトの先輩からそう褒められる。
本当は違う。僕が遅刻をしないのは時給を減らされたくないし、揉め事を起こしたくないからだ。
高校生が公認でできるアルバイトなんてそう数が多くない。新聞配達がダメになれば高卒で即就職。それが嫌なだけだ。
今でこそ慣れてきたが、まだ深夜の時間帯に起きて働き、学園に行くというのはとても辛かった。
どんな大雨でも雪が積もる凍えるような寒い日でも出掛けないといけなく、重い荷物を運ぶ重労働。
学園から帰っても夜の九時には寝ないといけなく、自分の自由時間もほとんどない。
何にもせずに数百万円のお金を出してくれる親がいるクラスメイトたちを憎らしく思ったこともある。
でも石に齧りついてでもやり遂げようと決めた。いつかきっと楽になると思って。
二年に進級し、新しいクラスになる。
そこには留年した一つ年上の男子がクラスメイトになった。
彼は誰から見ても荒れている感じであまり学園には来ない。ただたまにふらっと現れては何人か彼に呼応したやつらとつるんでいるのを見掛けるようになった。
「熊井君、ちょっと遊ぼうよ。面白い遊びを俺たち考えたんだ」
一月ほどするとあいつらは動き出した。
巧妙に獲物を見定めていたらしい。
何かがあった時にすぐに名前を呼ばれて槍玉に挙げられたり、パシリのようなこともさせられた。
それはどんどんとエスカレートしていき、暴力や金銭要求に発展するまで一月も掛かっていない。
クラスの同級生たちはだんまりだ。余計なことをすると次は自分になることを恐れた。
先生に相談しようと考えたこともあったが、一度、早朝に現れて僕の配達した新聞がポストから捨てられていた事件があった。
「余計なことをしたらもっとめちゃめちゃになるぞ?」
その言葉で誰がやったのはすぐに分かった。
バイト先や警察に相談すべきかとも迷ったが、もし捕まったとしても執念深いあいつらの報復を考えると黙ることを選ばざるを得なかった。
ただでさえ疲労する体に嫌がらせが呪いのように蓄積されていく。
そうした折、ダンジョンというものの存在を知った。
大金が稼げるという言葉に、もしかしたら短大どころか普通の四年生の大学にだって通えることが可能になるかもしれないと胸が高鳴る。
モンスターとの戦いは怖い。
いつだって足が竦み、慣れることはない。
だけど、背中に誰かがいると思うと少しだけ背がしゃんとした気分になれた。
美人だけど気が強くて怖い白藤先輩。
年下で小動物みたいな雨宮さん。
同じ歳で僕らのことを考え後ろから指示を出してくれる新堂君。
友達とも少し違う仲間の存在は僕に少しだけ勇気と安らぎ、そして居場所をくれた。
「……あいつらどうしたんだろう?」
僕は今、学園近くで掴まえたタクシーに乗り、神内ショッピングモールへ向かう途中でぽつりと言葉をこぼす。
昨日、新堂君に邪魔され恥をかかされたのにあいつらは今日は鳴りを潜めていた。
ちょっかいを掛けてくることも無くひっそりとしたもの。てっきりいつも以上のリアクションがあると思っていたので拍子抜けするほどだった。もちろん何も無いのが一番なんだけど。
そこに電話が鳴った。
スマホの画面を見ると父からだった。珍しい。この時間は仕事をしているはずだし、そもそも父からの電話は滅多にない。
着信に出る。
「もしもし、健太郎。落ち着いて聞いてくれ。母さんが破水したらしい。今救急車に乗って病院に向かっていると俺のところに連絡が来た。俺もすぐに向かうからお前も早く来てくれ」
矢継ぎ早に言われて電話が切れる。
予定日はまだ三週間先だ。少し早い。突然のことにおどおどとしてしまう。
とにかく行き先を変更だ。今日はダンジョンに行っている場合じゃない。
みんなもきっと分かってくれるはずだ。
「すみません、行き先を神内中央病院に変えて下さい」
『行キ先ヲ神内病院ニ変更デスネ? 了解シマシタ』
運転するAIに指示を出す。
「そ、そうだ、みんなにも早く連絡しないと……」
ドタキャンになっちゃって悪いけど、とにかくこういうことは早く連絡しておいた方がいい。
アプリを立ち上げ連絡用のメッセージを開こうとタップしていると、メールが受信していることに気付いた。
考え事をしていていつの間にか届いていたことに気付かなかったようだ。
送り主を見た途端、胃がぎゅっと苦しくなる。
今日、手を出して来なかったあいつらからだ。
開きたくもなかったが、気になって先にそっちを見ることにした。
『おい熊井、変なやつが来ているぞ』
短い文章にメール添付された写真には新堂君が映っていた。
場所は僕がよく授業終わりに連れて行かれて殴られたもう使われていない工場跡だ。
あいつらと、そして月島先輩がよくたむろしている。
一体どういう経緯があってそんなことになっているのかは知れるところではない。
だけど新堂君があいつらと話を付けるつもりだというのは分かった。
「すみません、行き先を――」
そこで唇が止まる。
僕が行ってどうにかなるんだろうか? そもそも新堂君はどうしてそんなところにいる? 考えがあるって言ってたから任すべきじゃないのか?
様々な疑問が頭を巡る。
『オ客様、行キ先ヲ変更ナサイマスカ?』
AIが急かすように僕に行き先を聞いてくる。
どうすればいいんだろうか?
母の元へ行くべきなのか、それとも母を無視してあいつらのところへ行くべきなんだろうか?
僕の行き先は僕が聞きたい気分だった。
本音を言うなら月島先輩とは関わり合いになりたくない。それが率直な気持ちだ。
悩んで悩んでその結果、
「あぁ……いや……。そのままで結構です」
声が震える。
どろりと気持ち悪いものが体内に流れ込んできた気がする。
僕は……仲間を見捨てたんだ。
もうタクシーの中で頭を抱え足元を見ていることしかできなかった。
父の職業は精密部品を作るいわゆる町工場の仕事をしている。
元々はルミナスの子会社で貿易関係の仕事をしていたらしいけど、母と知り合ってから母の家族がやっていた工場に就職するようになったらしい。
自分の代で終わらせる気だった祖父はまさか父が仕事を辞めるとまでは思ってもみなかったようで、最初はかなり仲がギクシャクしたと親戚の叔母さんに祖父の葬式で聞いたことがある。
経営自体は本当に少しずつ少しずつ、紙を重ねるかのように良くはなっていっている。
でもちょっとしたトラブルや取引先の失敗などで積み上げた紙などすぐに吹き飛んでしまう。それが中小零細というものだそうだ。
そんな中、母が妊娠をした。
一人っ子だった僕に弟か妹が生まれると告げてきた頃にはすでに隠しきれないほどお腹が大きくなっていて、言われなくても気付いていた。
ずっと兄妹が欲しかった僕はそれを喜んだ。十六も歳の離れた兄妹はもうヘタをすれば子供みたいなもので、新しい家族としてすんなりと受け入れられたのが大きい。
どちらかと言うと頼れる兄か姉が欲しかったが、それはすでに無理だと分かっていたのであえては言わないけれど。
兄妹が生まれると知って途端に僕も何かをしなければと思うようになった。
訳も分からず河川敷を走ったり、家のお手伝いを積極的したりしてようやく考えついたのがアルバイトだ。
お金があればたいていのことはできるし、買ってあげられる。
それに、たぶんこれで僕は金銭面的に大学にはいけない。でも今から貯めれば短大分ぐらいなら何とかなると思ったからだ。
「熊井は遅刻もせず愛想が良くて良いやつだな」
新聞配達のバイトの先輩からそう褒められる。
本当は違う。僕が遅刻をしないのは時給を減らされたくないし、揉め事を起こしたくないからだ。
高校生が公認でできるアルバイトなんてそう数が多くない。新聞配達がダメになれば高卒で即就職。それが嫌なだけだ。
今でこそ慣れてきたが、まだ深夜の時間帯に起きて働き、学園に行くというのはとても辛かった。
どんな大雨でも雪が積もる凍えるような寒い日でも出掛けないといけなく、重い荷物を運ぶ重労働。
学園から帰っても夜の九時には寝ないといけなく、自分の自由時間もほとんどない。
何にもせずに数百万円のお金を出してくれる親がいるクラスメイトたちを憎らしく思ったこともある。
でも石に齧りついてでもやり遂げようと決めた。いつかきっと楽になると思って。
二年に進級し、新しいクラスになる。
そこには留年した一つ年上の男子がクラスメイトになった。
彼は誰から見ても荒れている感じであまり学園には来ない。ただたまにふらっと現れては何人か彼に呼応したやつらとつるんでいるのを見掛けるようになった。
「熊井君、ちょっと遊ぼうよ。面白い遊びを俺たち考えたんだ」
一月ほどするとあいつらは動き出した。
巧妙に獲物を見定めていたらしい。
何かがあった時にすぐに名前を呼ばれて槍玉に挙げられたり、パシリのようなこともさせられた。
それはどんどんとエスカレートしていき、暴力や金銭要求に発展するまで一月も掛かっていない。
クラスの同級生たちはだんまりだ。余計なことをすると次は自分になることを恐れた。
先生に相談しようと考えたこともあったが、一度、早朝に現れて僕の配達した新聞がポストから捨てられていた事件があった。
「余計なことをしたらもっとめちゃめちゃになるぞ?」
その言葉で誰がやったのはすぐに分かった。
バイト先や警察に相談すべきかとも迷ったが、もし捕まったとしても執念深いあいつらの報復を考えると黙ることを選ばざるを得なかった。
ただでさえ疲労する体に嫌がらせが呪いのように蓄積されていく。
そうした折、ダンジョンというものの存在を知った。
大金が稼げるという言葉に、もしかしたら短大どころか普通の四年生の大学にだって通えることが可能になるかもしれないと胸が高鳴る。
モンスターとの戦いは怖い。
いつだって足が竦み、慣れることはない。
だけど、背中に誰かがいると思うと少しだけ背がしゃんとした気分になれた。
美人だけど気が強くて怖い白藤先輩。
年下で小動物みたいな雨宮さん。
同じ歳で僕らのことを考え後ろから指示を出してくれる新堂君。
友達とも少し違う仲間の存在は僕に少しだけ勇気と安らぎ、そして居場所をくれた。
「……あいつらどうしたんだろう?」
僕は今、学園近くで掴まえたタクシーに乗り、神内ショッピングモールへ向かう途中でぽつりと言葉をこぼす。
昨日、新堂君に邪魔され恥をかかされたのにあいつらは今日は鳴りを潜めていた。
ちょっかいを掛けてくることも無くひっそりとしたもの。てっきりいつも以上のリアクションがあると思っていたので拍子抜けするほどだった。もちろん何も無いのが一番なんだけど。
そこに電話が鳴った。
スマホの画面を見ると父からだった。珍しい。この時間は仕事をしているはずだし、そもそも父からの電話は滅多にない。
着信に出る。
「もしもし、健太郎。落ち着いて聞いてくれ。母さんが破水したらしい。今救急車に乗って病院に向かっていると俺のところに連絡が来た。俺もすぐに向かうからお前も早く来てくれ」
矢継ぎ早に言われて電話が切れる。
予定日はまだ三週間先だ。少し早い。突然のことにおどおどとしてしまう。
とにかく行き先を変更だ。今日はダンジョンに行っている場合じゃない。
みんなもきっと分かってくれるはずだ。
「すみません、行き先を神内中央病院に変えて下さい」
『行キ先ヲ神内病院ニ変更デスネ? 了解シマシタ』
運転するAIに指示を出す。
「そ、そうだ、みんなにも早く連絡しないと……」
ドタキャンになっちゃって悪いけど、とにかくこういうことは早く連絡しておいた方がいい。
アプリを立ち上げ連絡用のメッセージを開こうとタップしていると、メールが受信していることに気付いた。
考え事をしていていつの間にか届いていたことに気付かなかったようだ。
送り主を見た途端、胃がぎゅっと苦しくなる。
今日、手を出して来なかったあいつらからだ。
開きたくもなかったが、気になって先にそっちを見ることにした。
『おい熊井、変なやつが来ているぞ』
短い文章にメール添付された写真には新堂君が映っていた。
場所は僕がよく授業終わりに連れて行かれて殴られたもう使われていない工場跡だ。
あいつらと、そして月島先輩がよくたむろしている。
一体どういう経緯があってそんなことになっているのかは知れるところではない。
だけど新堂君があいつらと話を付けるつもりだというのは分かった。
「すみません、行き先を――」
そこで唇が止まる。
僕が行ってどうにかなるんだろうか? そもそも新堂君はどうしてそんなところにいる? 考えがあるって言ってたから任すべきじゃないのか?
様々な疑問が頭を巡る。
『オ客様、行キ先ヲ変更ナサイマスカ?』
AIが急かすように僕に行き先を聞いてくる。
どうすればいいんだろうか?
母の元へ行くべきなのか、それとも母を無視してあいつらのところへ行くべきなんだろうか?
僕の行き先は僕が聞きたい気分だった。
本音を言うなら月島先輩とは関わり合いになりたくない。それが率直な気持ちだ。
悩んで悩んでその結果、
「あぁ……いや……。そのままで結構です」
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もうタクシーの中で頭を抱え足元を見ていることしかできなかった。
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