5 / 5
「黄色いおじさん」と僕のその後
しおりを挟む
──それから先の、黄色いおじさんとの思い出は、多すぎて語りきれない。
たくさんの挨拶と、他愛のない話と笑顔に囲まれて、僕は日々を過ごしていった。
あっという間に六年生になり、中学受験を前日に控えた日には、「頑張って」と飴玉をこっそり渡してくれた。
学校でお菓子は禁止だから、僕は「ありがとう」と受け取って、そっとコートのポケットに忍ばせた。
べっこう飴だったのが、おじさんらしいなと思う。
──そして、卒業式の日の朝。
通学路でおじさんと会う、最後の日。
僕は史上最速の時刻に家を出た。
もちろん、あの人とたくさん話すためだ。
「ハイ、おはよう!」
眩しい笑顔を浮かべるおじさんは、この日も、いつも通りだった。
「おはようございます」
最後の挨拶。
初めておじさんに話しかけたあの日から、とうとう最後まで「おはよう」は敬語のままだった。癖ってなかなか直らない。
「…実は、おじさんに渡したいものがあるんだけど」
「えっ、なになに?」
興味津々のおじさんに、僕はランドセルから取り出した一冊のノートを手渡した。
それを開き、ページをめくるおじさんの顔がみるみる明るくなっていく。
そして、いきなり大きな声で笑い出した。
「アハハハ!なんだこれ!」
プレゼントしたのは、その名も「黄色いおじさんの観察日記」だった。
僕はずっと、朝の会話で分かったおじさんの「生態」をその日の日付と共にノートにメモしていたのだ。
「三月五日 おじさんはピーマンが嫌い」「五月八日 おじさんは小さい頃から巨人ファン」
「十二月一日 おじさんの家は古くて雨漏りしている」
…などなど、書かれている文章は一言だけど、それを何百日も積み重ねればものすごい量になる。
「僕が持っててもしょうがないから、あげるよ」
よく考えれば、自分の観察日記を自分で読むというのもおかしな話だ。
センスのかけらもない贈り物かもしれない。でも、おじさんはきっと喜んでくれると信じていた。
「ありがとう、嬉しいよ!それにしても、この観察日記、面白いなぁ。これとか懐かしいよね。ほら、健斗君が遅刻しそうになってたとき…」
それから僕らは、観察日記──アルバム──をめくりながら、学校の子たちが来るまで思い出話をして楽しんだ。
…でも、おじさんは、最後まで気づかなかったみたいだ。
観察日記の最後に、手紙を挟んでおいたことを。
そこに、「僕も将来、おじさんみたいな交通誘導員になりたい」と書いたことを──。
僕は停留所からバスに乗り、座席に座った。
合格した中学校へのバスでの通学にも、やっと慣れてきたみたいだ。
窓を開け、春のあたたかな風のにおいを胸いっぱいに吸い込む。
信号が赤に変わり、バスが停止する。
窓から、黄色いおじさんの姿が見えた。
まだ朝早い時間帯、通学路の子供たちの姿はまばらだ。
一人の男の子が、横断歩道の前で立ち止まる。
「ハイ、おはよう!」
「おはよーイエローマン!」
「え、イエローマン!?」
「黄色いおじさんの新しい名前っ!」
思い返せば、僕とおじさんをつないでくれたのも「おはよう」の言葉だった。二年生のあの日、勇気を出して挨拶した自分を褒めてやりたい。
──『おはよう』って言うだけで、今日が良い一日になるから。
あの言葉は、本当だった。
僕がおじさんと過ごした日々は、一生の宝物だ。
あの手紙は読んでくれただろうか。
…でも、その感想を聞くのはまだ後。
僕が「横断中」の旗を手にしたときだ。
学校に着き、一旦荷物を置いてから、僕は校門へ向かった。
「生活委員会 挨拶運動」の腕章をつけ、校門の前に立つ。
ちょうど二人、生徒が歩いてきた。
「おはようございます!」
「それでさー、そいつがいきなり笑い出してよー」
「あっは、ウケる!」
あっけなく無視された。
…でも、まぁ想定内。
おじさんも、交通誘導員になりたての頃はこんな感じだったのかな、なんてことが頭をよぎる。
──僕も負けていられない。
また一人、生徒の姿が見えた。
姿勢を正して、前を向く。
大きく息を吸い込み、しっかりと相手の目を見つめ、
…ちょっとだけおじさんのことを考えて、笑顔と元気を忘れずに──。
「おはようございます!」
たくさんの挨拶と、他愛のない話と笑顔に囲まれて、僕は日々を過ごしていった。
あっという間に六年生になり、中学受験を前日に控えた日には、「頑張って」と飴玉をこっそり渡してくれた。
学校でお菓子は禁止だから、僕は「ありがとう」と受け取って、そっとコートのポケットに忍ばせた。
べっこう飴だったのが、おじさんらしいなと思う。
──そして、卒業式の日の朝。
通学路でおじさんと会う、最後の日。
僕は史上最速の時刻に家を出た。
もちろん、あの人とたくさん話すためだ。
「ハイ、おはよう!」
眩しい笑顔を浮かべるおじさんは、この日も、いつも通りだった。
「おはようございます」
最後の挨拶。
初めておじさんに話しかけたあの日から、とうとう最後まで「おはよう」は敬語のままだった。癖ってなかなか直らない。
「…実は、おじさんに渡したいものがあるんだけど」
「えっ、なになに?」
興味津々のおじさんに、僕はランドセルから取り出した一冊のノートを手渡した。
それを開き、ページをめくるおじさんの顔がみるみる明るくなっていく。
そして、いきなり大きな声で笑い出した。
「アハハハ!なんだこれ!」
プレゼントしたのは、その名も「黄色いおじさんの観察日記」だった。
僕はずっと、朝の会話で分かったおじさんの「生態」をその日の日付と共にノートにメモしていたのだ。
「三月五日 おじさんはピーマンが嫌い」「五月八日 おじさんは小さい頃から巨人ファン」
「十二月一日 おじさんの家は古くて雨漏りしている」
…などなど、書かれている文章は一言だけど、それを何百日も積み重ねればものすごい量になる。
「僕が持っててもしょうがないから、あげるよ」
よく考えれば、自分の観察日記を自分で読むというのもおかしな話だ。
センスのかけらもない贈り物かもしれない。でも、おじさんはきっと喜んでくれると信じていた。
「ありがとう、嬉しいよ!それにしても、この観察日記、面白いなぁ。これとか懐かしいよね。ほら、健斗君が遅刻しそうになってたとき…」
それから僕らは、観察日記──アルバム──をめくりながら、学校の子たちが来るまで思い出話をして楽しんだ。
…でも、おじさんは、最後まで気づかなかったみたいだ。
観察日記の最後に、手紙を挟んでおいたことを。
そこに、「僕も将来、おじさんみたいな交通誘導員になりたい」と書いたことを──。
僕は停留所からバスに乗り、座席に座った。
合格した中学校へのバスでの通学にも、やっと慣れてきたみたいだ。
窓を開け、春のあたたかな風のにおいを胸いっぱいに吸い込む。
信号が赤に変わり、バスが停止する。
窓から、黄色いおじさんの姿が見えた。
まだ朝早い時間帯、通学路の子供たちの姿はまばらだ。
一人の男の子が、横断歩道の前で立ち止まる。
「ハイ、おはよう!」
「おはよーイエローマン!」
「え、イエローマン!?」
「黄色いおじさんの新しい名前っ!」
思い返せば、僕とおじさんをつないでくれたのも「おはよう」の言葉だった。二年生のあの日、勇気を出して挨拶した自分を褒めてやりたい。
──『おはよう』って言うだけで、今日が良い一日になるから。
あの言葉は、本当だった。
僕がおじさんと過ごした日々は、一生の宝物だ。
あの手紙は読んでくれただろうか。
…でも、その感想を聞くのはまだ後。
僕が「横断中」の旗を手にしたときだ。
学校に着き、一旦荷物を置いてから、僕は校門へ向かった。
「生活委員会 挨拶運動」の腕章をつけ、校門の前に立つ。
ちょうど二人、生徒が歩いてきた。
「おはようございます!」
「それでさー、そいつがいきなり笑い出してよー」
「あっは、ウケる!」
あっけなく無視された。
…でも、まぁ想定内。
おじさんも、交通誘導員になりたての頃はこんな感じだったのかな、なんてことが頭をよぎる。
──僕も負けていられない。
また一人、生徒の姿が見えた。
姿勢を正して、前を向く。
大きく息を吸い込み、しっかりと相手の目を見つめ、
…ちょっとだけおじさんのことを考えて、笑顔と元気を忘れずに──。
「おはようございます!」
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
友達婚~5年もあいつに片想い~
日下奈緒
恋愛
求人サイトの作成の仕事をしている梨衣は
同僚の大樹に5年も片想いしている
5年前にした
「お互い30歳になっても独身だったら結婚するか」
梨衣は今30歳
その約束を大樹は覚えているのか
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
遠回りな恋〜私の恋心を弄ぶ悪い男〜
小田恒子
恋愛
瀬川真冬は、高校時代の同級生である一ノ瀬玲央が好きだった。
でも玲央の彼女となる女の子は、いつだって真冬の友人で、真冬は選ばれない。
就活で内定を決めた本命の会社を蹴って、最終的には玲央の父が経営する会社へ就職をする。
そこには玲央がいる。
それなのに、私は玲央に選ばれない……
そんなある日、玲央の出張に付き合うことになり、二人の恋が動き出す。
瀬川真冬 25歳
一ノ瀬玲央 25歳
ベリーズカフェからの作品転載分を若干修正しております。
表紙は簡単表紙メーカーにて作成。
アルファポリス公開日 2024/10/21
作品の無断転載はご遠慮ください。
恋い焦がれて
さとう涼
恋愛
小学校時代の担任教諭・佐野に七年ぶりに再会し、話の流れで佐野の恋人へのエンゲージリングを選ぶために一緒にジュエリーショップに行くことになってしまった二十歳の女子大学生・輝。
最初はそんなつもりはなかったのに、次第に佐野を意識してしまうようになり、自分でも困惑してしまう。
必死に自分の想いを打ち消そうとする輝。
だけど佐野も恋人との関係に悩んでいるようで、複雑な想いを抱え続けることになる。
そんな輝を見守る(ちょっかいをかける?)バイト先の店長。
さらに佐野の恋人は意外な人物で、輝は大混乱。
※ドロドロではなく純愛系を目指していますが、ビターテイストなお話です
※理想的で格好いいヒーローではありません(…すみません)
※調べながら執筆をしているのですが、無知なところも多々あるので、間違っているところがありましたら教えてください。ツイッターでも受け付けています。
https://twitter.com/SATORYO_HOME
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる