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本編
13. 記憶に刻む祈り
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任務先の集落は、風すら止んだかのように沈黙していた。
半ば崩れた小屋の内部には、消えかけた魔力の残滓がわずかに漂っている。僕は周囲を警戒しつつ、柱の陰に目を向けた。
そこにひとつ、横たわる人影があった。
静かに歩を進め、その隣に膝を折る。
身体は輪郭すら溶けかけ、魔力の暴走の痕跡を物語っていた。腕の中に、小さな石板が抱かれている。その表面には、魔力で刻まれた文字があった。
お前たちと家族になれて幸せだった。
俺は先に行くが、どうか必ず、幸せになってくれ。
簡素で、静かで、けれどどうしようもなく、あたたかい最期の言葉だった。
――だめだ、揺らいではいけない。感情の揺れは魔力の乱れに繋がる。今はアブソーバの任務中だ。ここで崩れるわけにはいかなかった。
そのとき、異臭が鼻を掠めた。風が止み耳が痛いほどの静寂が広がった次の瞬間、黒い影が天井を突き破った。
「――静環障壁!」
反射的に防御陣を展開するより早く、魔力の濃度に引き寄せられた魔物の爪が腕を掠める。
「く……っ!」
咄嗟に距離を取り、魔力の流れを制御しながら、次の衝撃に備えて再び結界を張ろうとしたとき、背後で風が吹きすさんだ。
「千景さん――!」
聞き慣れた声が、凍りついた空気を破った。振り返ると、土煙の向こうで琥珀色の瞳が閃いている。
「……っ!? 天城? なぜここに」
「ぐ、偶然です! ……たまたま近くを通りかかって」
魔物が再び咆哮を上げ、壁を打ち砕く。氷の奔流が飛び散り、空気が裂けた。
僕が反応するよりも早く、レオが駆け出した。
「下がってください!」
彼の身体が、まるで突風のように加速した。剣が閃き、一瞬で魔物の胸を貫く。青い閃光が視界を焼き、魔物は地に崩れ落ちた。
「……大丈夫ですか」
「ええ、問題ありません」
そう答えると、レオは安堵の吐息をこぼし、汗に濡れた額を乱暴に拭いながら、子どものように笑った。
遺体に抱かれた石板は、まだ微かに光を放っていた。
「……間に合わなかったんですね」
背後から届いたレオの声は、静かに震えていた。まっすぐに遺体を見つめ、拳を握りしめている。
「どれだけ怖かったか、わからないのに……それでも、誰かの幸せを祈れるなんて……」
その目尻から、雫がこぼれ落ちる。レオの声は震えていた。
「あのときも、目の前に横たわっていたんです。温もりを失った体が、ただ冷たく、静かに……」
「……レオ?」
「いきなり男たちが家に入ってきて、父も母も……妹も。俺はただ見ているしかなかった。奪われていく家を、家族を、何ひとつ守れなかった」
吐き出された言葉に、長い沈黙が重なる。
「その時は……涙すら出ませんでした。泣いたら、本当に終わってしまう気がして。だからただ、歯を食いしばって……」
琥珀の瞳から、堰を切ったように雫がこぼれ落ちた。
「なのに、おかしいな。すみません……俺、涙が止まらなくて……」
彼の涙は、幼子のように無防備で、胸の奥にずっと閉じ込めていた自分の叫びを映すようだった。
「……謝ることじゃありません」
気づけば、僕は彼の肩を引き寄せていた。驚いたようにレオの身体がわずかに強張る。僕は顔を隠すように、そっと彼の肩へ額を預けた。
「千景さんは、泣かないんですね」
「泣いても、仕方のないことですから」
冷たく言い切る。そう言えば、感情を封じ込められる気がした。
「そうですね。すみません、俺も本当は冷静に対処できないといけないのに……」
遠慮がちにレオの腕が背中に回る。
泣きたくても泣けない。泣いてはいけない。その理性に縛られて、ずっと生きてきた。
一滴の熱が頬を伝い、レオの肩に落ちた。大丈夫だ、泣き顔は見られていない。
レオの肩からそっと手を離す。
「天城、このことを隊長に報告してください」
自分の声が、思っていたより冷静だった。
「……今は二人きりなんですから、天城じゃなくて、レオって呼んでください」
思いがけない言葉に、言葉が一瞬遅れる。
「任務中です」
「さっきはレオって呼んでくれたのに。それに千景さん今日は休暇ですよね。どうしてこんなところに?」
「……私的な用事です」
言葉を選びながら答える。アブソーバの任務だとは言えない。
「そう、ですか」
レオはほんの一瞬、目を伏せた。
「千景さんが何をしていたのかはわからないけど、もしよかったら、俺も手伝わせてくれませんか」
さきほどまで泣いていたとは思えないほど、真剣な眼差しだった。
「いいえ。もう十分です。あなたは戻ってください」
「でも……」
「天城。早く行ってください。今は隊長への報告が先です」
「千景さんも一緒に行かないんですか?」
「私は、もう少しここを調査してから戻ります」
レオの唇がわずかに震える。納得していないことは、目を見ればわかった。
一瞬の沈黙の後、一足先に報告へ向かったレオの背中を見送りながら、崩れかけた小屋を振り返る。
なぜ、救えなかったのか。
なぜ、こんなことが起きるのか。
必ず、辿り着く。
この連鎖の根を見つけ出し、自らの手で断ち切ってみせる。
あの石板の言葉は、きっともう誰の記録にも残らない。――それでも僕は、僕だけは忘れない。
***
【作者コメント】
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次話では、千景とレオの涙をひとり静かに見つめていた“影の守護者”の視点が描かれます。
***
半ば崩れた小屋の内部には、消えかけた魔力の残滓がわずかに漂っている。僕は周囲を警戒しつつ、柱の陰に目を向けた。
そこにひとつ、横たわる人影があった。
静かに歩を進め、その隣に膝を折る。
身体は輪郭すら溶けかけ、魔力の暴走の痕跡を物語っていた。腕の中に、小さな石板が抱かれている。その表面には、魔力で刻まれた文字があった。
お前たちと家族になれて幸せだった。
俺は先に行くが、どうか必ず、幸せになってくれ。
簡素で、静かで、けれどどうしようもなく、あたたかい最期の言葉だった。
――だめだ、揺らいではいけない。感情の揺れは魔力の乱れに繋がる。今はアブソーバの任務中だ。ここで崩れるわけにはいかなかった。
そのとき、異臭が鼻を掠めた。風が止み耳が痛いほどの静寂が広がった次の瞬間、黒い影が天井を突き破った。
「――静環障壁!」
反射的に防御陣を展開するより早く、魔力の濃度に引き寄せられた魔物の爪が腕を掠める。
「く……っ!」
咄嗟に距離を取り、魔力の流れを制御しながら、次の衝撃に備えて再び結界を張ろうとしたとき、背後で風が吹きすさんだ。
「千景さん――!」
聞き慣れた声が、凍りついた空気を破った。振り返ると、土煙の向こうで琥珀色の瞳が閃いている。
「……っ!? 天城? なぜここに」
「ぐ、偶然です! ……たまたま近くを通りかかって」
魔物が再び咆哮を上げ、壁を打ち砕く。氷の奔流が飛び散り、空気が裂けた。
僕が反応するよりも早く、レオが駆け出した。
「下がってください!」
彼の身体が、まるで突風のように加速した。剣が閃き、一瞬で魔物の胸を貫く。青い閃光が視界を焼き、魔物は地に崩れ落ちた。
「……大丈夫ですか」
「ええ、問題ありません」
そう答えると、レオは安堵の吐息をこぼし、汗に濡れた額を乱暴に拭いながら、子どものように笑った。
遺体に抱かれた石板は、まだ微かに光を放っていた。
「……間に合わなかったんですね」
背後から届いたレオの声は、静かに震えていた。まっすぐに遺体を見つめ、拳を握りしめている。
「どれだけ怖かったか、わからないのに……それでも、誰かの幸せを祈れるなんて……」
その目尻から、雫がこぼれ落ちる。レオの声は震えていた。
「あのときも、目の前に横たわっていたんです。温もりを失った体が、ただ冷たく、静かに……」
「……レオ?」
「いきなり男たちが家に入ってきて、父も母も……妹も。俺はただ見ているしかなかった。奪われていく家を、家族を、何ひとつ守れなかった」
吐き出された言葉に、長い沈黙が重なる。
「その時は……涙すら出ませんでした。泣いたら、本当に終わってしまう気がして。だからただ、歯を食いしばって……」
琥珀の瞳から、堰を切ったように雫がこぼれ落ちた。
「なのに、おかしいな。すみません……俺、涙が止まらなくて……」
彼の涙は、幼子のように無防備で、胸の奥にずっと閉じ込めていた自分の叫びを映すようだった。
「……謝ることじゃありません」
気づけば、僕は彼の肩を引き寄せていた。驚いたようにレオの身体がわずかに強張る。僕は顔を隠すように、そっと彼の肩へ額を預けた。
「千景さんは、泣かないんですね」
「泣いても、仕方のないことですから」
冷たく言い切る。そう言えば、感情を封じ込められる気がした。
「そうですね。すみません、俺も本当は冷静に対処できないといけないのに……」
遠慮がちにレオの腕が背中に回る。
泣きたくても泣けない。泣いてはいけない。その理性に縛られて、ずっと生きてきた。
一滴の熱が頬を伝い、レオの肩に落ちた。大丈夫だ、泣き顔は見られていない。
レオの肩からそっと手を離す。
「天城、このことを隊長に報告してください」
自分の声が、思っていたより冷静だった。
「……今は二人きりなんですから、天城じゃなくて、レオって呼んでください」
思いがけない言葉に、言葉が一瞬遅れる。
「任務中です」
「さっきはレオって呼んでくれたのに。それに千景さん今日は休暇ですよね。どうしてこんなところに?」
「……私的な用事です」
言葉を選びながら答える。アブソーバの任務だとは言えない。
「そう、ですか」
レオはほんの一瞬、目を伏せた。
「千景さんが何をしていたのかはわからないけど、もしよかったら、俺も手伝わせてくれませんか」
さきほどまで泣いていたとは思えないほど、真剣な眼差しだった。
「いいえ。もう十分です。あなたは戻ってください」
「でも……」
「天城。早く行ってください。今は隊長への報告が先です」
「千景さんも一緒に行かないんですか?」
「私は、もう少しここを調査してから戻ります」
レオの唇がわずかに震える。納得していないことは、目を見ればわかった。
一瞬の沈黙の後、一足先に報告へ向かったレオの背中を見送りながら、崩れかけた小屋を振り返る。
なぜ、救えなかったのか。
なぜ、こんなことが起きるのか。
必ず、辿り着く。
この連鎖の根を見つけ出し、自らの手で断ち切ってみせる。
あの石板の言葉は、きっともう誰の記録にも残らない。――それでも僕は、僕だけは忘れない。
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【作者コメント】
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次話では、千景とレオの涙をひとり静かに見つめていた“影の守護者”の視点が描かれます。
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