僕は勇者に救われたくない

御堂あゆこ

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本編

16. 氷の影を打ち砕く手

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 翌朝。現場の近くの仮設テントで書類に目を通していると、外から声がかかった。
「千景さん……今よろしいでしょうか」
 レオの声だった。入室を許可するとおどおどした様子で僕のそばまで近づいてきた。
「体調は大丈夫ですか? 昨日の対応で、疲れてみえたので……」
「心配いりません。任務に支障はありません」
 そう告げても、彼はなお足を止めず、顔を覗き込むように身体を寄せてきた。
「でも……千景さんは、いつも誰より先に動いてくれて。俺たちが安心して任務に集中できるのは、そのおかげで……」
 言葉を選ぶように口ごもり、意を決したように視線を向けてきた。
「だから、俺……本当に、尊敬してます」

 ――妙だ。
 普段の彼は、素直だが言葉足らずで、こんなふうにこちらの反応を伺うような真似はしない。
 だが今は、言葉に抑揚がつけられ、声音も普段のそれとは違うもので、不自然だった。
 さらに彼は、半歩踏み込み、僕の肩に両手を置いた。
 影が覆い、息遣いが近い。

「……天城?」
 短く名を呼ぶと、彼の動きが止まった。
「どうしたんですか。君らしくない」
 そう告げると、彼は糸が切れたように肩を落とし、唇を噛みしめた。

 そのとき、外から兵の足音が駆け込んできた。
「報告! 市街地のすぐ近くで、不審な人影を確認!」
 反射的に立ち上がり、レオと目を合わせる。
「行くぞ」
 僕たちは即座に外へ駆け出した。

 現場は城壁のすぐ外側だった。冷気が漂い、吐く息が白く揺れる。
 灰色の風の中、長い外套を翻す影が立っていた。長身の輪郭。その周囲を氷の粒子が舞う。
 まるで氷そのものを従えるかのような気配だった。

「誰だ!」
 レオが叫ぶ。だが影は応えず、片手をわずかに掲げた。
 その仕草は不思議なほど洗練されていた。呼吸の乱れがなく、魔力の流れは精密かつ完璧で、まるで訓練を受けた上級兵士のような動きだった。

 次の瞬間、氷刃が無数に放たれる。
「くるぞ!」
 即座に詠唱を走らせた。静環障壁サイレント・ヴェイルを展開し、衝撃を受け止める。
 だが狙いは僕ではなかった。氷の矢が、一直線にレオを貫こうとしていた。
「レオ!」
 思考より早く、身体が前へ飛び出していた。肩で彼を押し退け、代わりに氷刃を受ける。
 その刹那、鋭い痛みが肩を焼いた。血が飛び散り、視界が赤に染まる。

「千景さん!」
 レオの叫びが響く。彼はすぐさま前に出て、剣を振るった。
 氷の連撃を受け流すたび、衝撃が響く。それでも彼は退かなかった。
 影は、追い詰めるように冷気を操り続ける。
 ……その立ち姿に、どこか既視感があった。
 洗練された剣さばき。魔力の流れ。
 ――いや、今は考えている時間はない。なんとか奴を捕らえなければ。

 魔力を広範囲に展開し、周囲に漂う氷の気配を弱めることに集中すると、いくらか攻撃の威力が落ちる。
「俺が前に出ます! 貴方は必ず俺が守ります!」
「天城! 左側を狙え!」
 声に即座に反応し、レオは踏み込んだ。
 氷刃の起点――左腕のあたり。そこへ渾身の一撃を叩き込む。
翔風閃ゼフィール・ストライク!」
 鋭い光が走り、氷の軌跡を断つ。
 衝突音とともに霧が爆ぜ、氷の破片が舞い上がった。
 視界が晴れたとき、影の気配はもう消えていた。

「……逃げられたか」
 肩で息をつきながら、膝をつく。肩の傷が熱を放ち、思うように力が入らない。
「千景さん!」
 レオが駆け寄り、強く抱きとめた。
「俺のせいだ……俺が未熟で、千景さんに怪我を……!」
 声は震え、涙が混じっていた。先ほどまでの張りつめた気配は消え、泣きながら僕の名を呼ぶ声が――ああ、やはり彼らしい。

 僕はその背に手を添え、首を振る。
「違います。君のおかげで助かりました。ありがとう。よくやりました」
「でも……っ」
「君に怪我がなくてよかった」
 短くそう告げると、彼の表情が揺らいだ。

「至急ヴァレリウス隊長に報告を!」
 近くの兵士に指示を出す。
「天城、すみませんがこのまま私を医務室まで連れて行ってもらえませんか」
 情けないことに、自力で動く力が残っていなかった。
 レオは涙を拭い、僕を抱え上げた。
「はい。……任せてください」
 その腕に宿る力の強さに、瞼の裏が熱を帯びる。
 ――ああ、強くなったな。
 もう、あの日のように叱る必要はない。遠のく意識の中で、そんな誇らしさが静かに胸を満たしていった。

***
【作者コメント】
 ここまで読んでくださりありがとうございます。
 次話では、医務室での出来事を描きます。
 静寂の中で、千景の眠りを破るのは――あの人の手でした。
 優しさと違和感の狭間で、千景の心は静かに縛られていきます。
***
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