22 / 68
本編
16. 氷の影を打ち砕く手
しおりを挟む
翌朝。現場の近くの仮設テントで書類に目を通していると、外から声がかかった。
「千景さん……今よろしいでしょうか」
レオの声だった。入室を許可するとおどおどした様子で僕のそばまで近づいてきた。
「体調は大丈夫ですか? 昨日の対応で、疲れてみえたので……」
「心配いりません。任務に支障はありません」
そう告げても、彼はなお足を止めず、顔を覗き込むように身体を寄せてきた。
「でも……千景さんは、いつも誰より先に動いてくれて。俺たちが安心して任務に集中できるのは、そのおかげで……」
言葉を選ぶように口ごもり、意を決したように視線を向けてきた。
「だから、俺……本当に、尊敬してます」
――妙だ。
普段の彼は、素直だが言葉足らずで、こんなふうにこちらの反応を伺うような真似はしない。
だが今は、言葉に抑揚がつけられ、声音も普段のそれとは違うもので、不自然だった。
さらに彼は、半歩踏み込み、僕の肩に両手を置いた。
影が覆い、息遣いが近い。
「……天城?」
短く名を呼ぶと、彼の動きが止まった。
「どうしたんですか。君らしくない」
そう告げると、彼は糸が切れたように肩を落とし、唇を噛みしめた。
そのとき、外から兵の足音が駆け込んできた。
「報告! 市街地のすぐ近くで、不審な人影を確認!」
反射的に立ち上がり、レオと目を合わせる。
「行くぞ」
僕たちは即座に外へ駆け出した。
現場は城壁のすぐ外側だった。冷気が漂い、吐く息が白く揺れる。
灰色の風の中、長い外套を翻す影が立っていた。長身の輪郭。その周囲を氷の粒子が舞う。
まるで氷そのものを従えるかのような気配だった。
「誰だ!」
レオが叫ぶ。だが影は応えず、片手をわずかに掲げた。
その仕草は不思議なほど洗練されていた。呼吸の乱れがなく、魔力の流れは精密かつ完璧で、まるで訓練を受けた上級兵士のような動きだった。
次の瞬間、氷刃が無数に放たれる。
「くるぞ!」
即座に詠唱を走らせた。静環障壁を展開し、衝撃を受け止める。
だが狙いは僕ではなかった。氷の矢が、一直線にレオを貫こうとしていた。
「レオ!」
思考より早く、身体が前へ飛び出していた。肩で彼を押し退け、代わりに氷刃を受ける。
その刹那、鋭い痛みが肩を焼いた。血が飛び散り、視界が赤に染まる。
「千景さん!」
レオの叫びが響く。彼はすぐさま前に出て、剣を振るった。
氷の連撃を受け流すたび、衝撃が響く。それでも彼は退かなかった。
影は、追い詰めるように冷気を操り続ける。
……その立ち姿に、どこか既視感があった。
洗練された剣さばき。魔力の流れ。
――いや、今は考えている時間はない。なんとか奴を捕らえなければ。
魔力を広範囲に展開し、周囲に漂う氷の気配を弱めることに集中すると、いくらか攻撃の威力が落ちる。
「俺が前に出ます! 貴方は必ず俺が守ります!」
「天城! 左側を狙え!」
声に即座に反応し、レオは踏み込んだ。
氷刃の起点――左腕のあたり。そこへ渾身の一撃を叩き込む。
「翔風閃!」
鋭い光が走り、氷の軌跡を断つ。
衝突音とともに霧が爆ぜ、氷の破片が舞い上がった。
視界が晴れたとき、影の気配はもう消えていた。
「……逃げられたか」
肩で息をつきながら、膝をつく。肩の傷が熱を放ち、思うように力が入らない。
「千景さん!」
レオが駆け寄り、強く抱きとめた。
「俺のせいだ……俺が未熟で、千景さんに怪我を……!」
声は震え、涙が混じっていた。先ほどまでの張りつめた気配は消え、泣きながら僕の名を呼ぶ声が――ああ、やはり彼らしい。
僕はその背に手を添え、首を振る。
「違います。君のおかげで助かりました。ありがとう。よくやりました」
「でも……っ」
「君に怪我がなくてよかった」
短くそう告げると、彼の表情が揺らいだ。
「至急ヴァレリウス隊長に報告を!」
近くの兵士に指示を出す。
「天城、すみませんがこのまま私を医務室まで連れて行ってもらえませんか」
情けないことに、自力で動く力が残っていなかった。
レオは涙を拭い、僕を抱え上げた。
「はい。……任せてください」
その腕に宿る力の強さに、瞼の裏が熱を帯びる。
――ああ、強くなったな。
もう、あの日のように叱る必要はない。遠のく意識の中で、そんな誇らしさが静かに胸を満たしていった。
***
【作者コメント】
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次話では、医務室での出来事を描きます。
静寂の中で、千景の眠りを破るのは――あの人の手でした。
優しさと違和感の狭間で、千景の心は静かに縛られていきます。
***
「千景さん……今よろしいでしょうか」
レオの声だった。入室を許可するとおどおどした様子で僕のそばまで近づいてきた。
「体調は大丈夫ですか? 昨日の対応で、疲れてみえたので……」
「心配いりません。任務に支障はありません」
そう告げても、彼はなお足を止めず、顔を覗き込むように身体を寄せてきた。
「でも……千景さんは、いつも誰より先に動いてくれて。俺たちが安心して任務に集中できるのは、そのおかげで……」
言葉を選ぶように口ごもり、意を決したように視線を向けてきた。
「だから、俺……本当に、尊敬してます」
――妙だ。
普段の彼は、素直だが言葉足らずで、こんなふうにこちらの反応を伺うような真似はしない。
だが今は、言葉に抑揚がつけられ、声音も普段のそれとは違うもので、不自然だった。
さらに彼は、半歩踏み込み、僕の肩に両手を置いた。
影が覆い、息遣いが近い。
「……天城?」
短く名を呼ぶと、彼の動きが止まった。
「どうしたんですか。君らしくない」
そう告げると、彼は糸が切れたように肩を落とし、唇を噛みしめた。
そのとき、外から兵の足音が駆け込んできた。
「報告! 市街地のすぐ近くで、不審な人影を確認!」
反射的に立ち上がり、レオと目を合わせる。
「行くぞ」
僕たちは即座に外へ駆け出した。
現場は城壁のすぐ外側だった。冷気が漂い、吐く息が白く揺れる。
灰色の風の中、長い外套を翻す影が立っていた。長身の輪郭。その周囲を氷の粒子が舞う。
まるで氷そのものを従えるかのような気配だった。
「誰だ!」
レオが叫ぶ。だが影は応えず、片手をわずかに掲げた。
その仕草は不思議なほど洗練されていた。呼吸の乱れがなく、魔力の流れは精密かつ完璧で、まるで訓練を受けた上級兵士のような動きだった。
次の瞬間、氷刃が無数に放たれる。
「くるぞ!」
即座に詠唱を走らせた。静環障壁を展開し、衝撃を受け止める。
だが狙いは僕ではなかった。氷の矢が、一直線にレオを貫こうとしていた。
「レオ!」
思考より早く、身体が前へ飛び出していた。肩で彼を押し退け、代わりに氷刃を受ける。
その刹那、鋭い痛みが肩を焼いた。血が飛び散り、視界が赤に染まる。
「千景さん!」
レオの叫びが響く。彼はすぐさま前に出て、剣を振るった。
氷の連撃を受け流すたび、衝撃が響く。それでも彼は退かなかった。
影は、追い詰めるように冷気を操り続ける。
……その立ち姿に、どこか既視感があった。
洗練された剣さばき。魔力の流れ。
――いや、今は考えている時間はない。なんとか奴を捕らえなければ。
魔力を広範囲に展開し、周囲に漂う氷の気配を弱めることに集中すると、いくらか攻撃の威力が落ちる。
「俺が前に出ます! 貴方は必ず俺が守ります!」
「天城! 左側を狙え!」
声に即座に反応し、レオは踏み込んだ。
氷刃の起点――左腕のあたり。そこへ渾身の一撃を叩き込む。
「翔風閃!」
鋭い光が走り、氷の軌跡を断つ。
衝突音とともに霧が爆ぜ、氷の破片が舞い上がった。
視界が晴れたとき、影の気配はもう消えていた。
「……逃げられたか」
肩で息をつきながら、膝をつく。肩の傷が熱を放ち、思うように力が入らない。
「千景さん!」
レオが駆け寄り、強く抱きとめた。
「俺のせいだ……俺が未熟で、千景さんに怪我を……!」
声は震え、涙が混じっていた。先ほどまでの張りつめた気配は消え、泣きながら僕の名を呼ぶ声が――ああ、やはり彼らしい。
僕はその背に手を添え、首を振る。
「違います。君のおかげで助かりました。ありがとう。よくやりました」
「でも……っ」
「君に怪我がなくてよかった」
短くそう告げると、彼の表情が揺らいだ。
「至急ヴァレリウス隊長に報告を!」
近くの兵士に指示を出す。
「天城、すみませんがこのまま私を医務室まで連れて行ってもらえませんか」
情けないことに、自力で動く力が残っていなかった。
レオは涙を拭い、僕を抱え上げた。
「はい。……任せてください」
その腕に宿る力の強さに、瞼の裏が熱を帯びる。
――ああ、強くなったな。
もう、あの日のように叱る必要はない。遠のく意識の中で、そんな誇らしさが静かに胸を満たしていった。
***
【作者コメント】
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次話では、医務室での出来事を描きます。
静寂の中で、千景の眠りを破るのは――あの人の手でした。
優しさと違和感の狭間で、千景の心は静かに縛られていきます。
***
1
あなたにおすすめの小説
イバラの鎖
コプラ@貧乏令嬢〜コミカライズ12/26
BL
たまにはシリアスでドロついた物語を❣️
辺境伯の後継であるシモンと、再婚で義兄弟になった可愛い弟のアンドレの絡みついた運命の鎖の物語。
逞しさを尊重される辺境の地で、成長するに従って貴公子と特別視される美少年に成長したアンドレは、敬愛する兄が王都に行ってしまってから寂しさと疎外感を感じていた。たまに帰って来る兄上は、以前のように時間をとって話もしてくれない。
変わってしまった兄上の真意を盗み聞きしてしまったアンドレは絶望と悲嘆を味わってしまう。
一方美しいアンドレは、その成長で周囲の人間を惹きつけて離さない。
その欲望の渦巻く思惑に引き込まれてしまう美しいアンドレは、辺境を離れて兄シモンと王都で再会する。意図して離れていた兄シモンがアンドレの痴態を知った時、二人の関係は複雑に絡まったまま走り出してしまう。
二人が紡ぐのは禁断の愛なのか、欲望の果てなのか。
死に戻り騎士は、今こそ駆け落ち王子を護ります!
時雨
BL
「駆け落ちの供をしてほしい」
すべては真面目な王子エリアスの、この一言から始まった。
王子に”国を捨てても一緒になりたい人がいる”と打ち明けられた、護衛騎士ランベルト。
発表されたばかりの公爵家令嬢との婚約はなんだったのか!?混乱する騎士の気持ちなど関係ない。
国境へ向かう二人を追う影……騎士ランベルトは追手の剣に倒れた。
後悔と共に途切れた騎士の意識は、死亡した時から三年も前の騎士団の寮で目覚める。
――二人に追手を放った犯人は、一体誰だったのか?
容疑者が浮かんでは消える。そもそも犯人が三年先まで何もしてこない保証はない。
怪しいのは、王位を争う第一王子?裏切られた公爵令嬢?…正体不明の駆け落ち相手?
今度こそ王子エリアスを護るため、過去の記憶よりも積極的に王子に関わるランベルト。
急に距離を縮める騎士を、はじめは警戒するエリアス。ランベルトの昔と変わらぬ態度に、徐々にその警戒も解けていって…?
過去にない行動で変わっていく事象。動き出す影。
ランベルトは今度こそエリアスを護りきれるのか!?
負けず嫌いで頑固で堅実、第二王子(年下) × 面倒見の良い、気の長い一途騎士(年上)のお話です。
-------------------------------------------------------------------
主人公は頑な、王子も頑固なので、ゆるい気持ちで見守っていただけると幸いです。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
数百年ぶりに目覚めた魔術師は年下ワンコ騎士の愛から逃れられない
桃瀬さら
BL
誰かに呼ばれた気がしたーー
数百年ぶりに目覚めた魔法使いイシス。
目の前にいたのは、涙で顔を濡らす美しすぎる年下騎士シリウス。
彼は何年も前からイシスを探していたらしい。
魔法が廃れた時代、居場所を失ったイシスにシリウスは一緒に暮らそうと持ちかけるが……。
迷惑をかけたくないイシスと離したくないシリウスの攻防戦。
年上魔術師×年下騎士
ずっと好きだった幼馴染の結婚式に出席する話
子犬一 はぁて
BL
幼馴染の君は、7歳のとき
「大人になったら結婚してね」と僕に言って笑った。
そして──今日、君は僕じゃない別の人と結婚する。
背の低い、寝る時は親指しゃぶりが癖だった君は、いつの間にか皆に好かれて、彼女もできた。
結婚式で花束を渡す時に胸が痛いんだ。
「こいつ、幼馴染なんだ。センスいいだろ?」
誇らしげに笑う君と、その隣で微笑む綺麗な奥さん。
叶わない恋だってわかってる。
それでも、氷砂糖みたいに君との甘い思い出を、僕だけの宝箱にしまって生きていく。
君の幸せを願うことだけが、僕にできる最後の恋だから。
冷徹勇猛な竜将アルファは純粋無垢な王子オメガに甘えたいのだ! ~だけど殿下は僕に、癒ししか求めてくれないのかな……~
大波小波
BL
フェリックス・エディン・ラヴィゲールは、ネイトステフ王国の第三王子だ。
端正だが、どこか猛禽類の鋭さを思わせる面立ち。
鋭い長剣を振るう、引き締まった体。
第二性がアルファだからというだけではない、自らを鍛え抜いた武人だった。
彼は『竜将』と呼ばれる称号と共に、内戦に苦しむ隣国へと派遣されていた。
軍閥のクーデターにより内戦の起きた、テミスアーリン王国。
そこでは、国王の第二夫人が亡命の準備を急いでいた。
王は戦闘で命を落とし、彼の正妻である王妃は早々と我が子を連れて逃げている。
仮王として指揮をとる第二夫人の長男は、近隣諸国へ支援を求めて欲しいと、彼女に亡命を勧めた。
仮王の弟である、アルネ・エドゥアルド・クラルは、兄の力になれない歯がゆさを感じていた。
瑞々しい、均整の取れた体。
絹のような栗色の髪に、白い肌。
美しい面立ちだが、茶目っ気も覗くつぶらな瞳。
第二性はオメガだが、彼は利発で優しい少年だった。
そんなアルネは兄から聞いた、隣国の支援部隊を指揮する『竜将』の名を呟く。
「フェリックス・エディン・ラヴィゲール殿下……」
不思議と、勇気が湧いてくる。
「長い、お名前。まるで、呪文みたい」
その名が、恋の呪文となる日が近いことを、アルネはまだ知らなかった。
【本編完結】最強魔導騎士は、騎士団長に頭を撫でて欲しい【番外編あり】
ゆらり
BL
帝国の侵略から国境を守る、レゲムアーク皇国第一魔導騎士団の駐屯地に派遣された、新人の魔導騎士ネウクレア。
着任当日に勃発した砲撃防衛戦で、彼は敵の砲撃部隊を単独で壊滅に追いやった。
凄まじい能力を持つ彼を部下として迎え入れた騎士団長セディウスは、研究機関育ちであるネウクレアの独特な言動に戸惑いながらも、全身鎧の下に隠された……どこか歪ではあるが、純粋無垢であどけない姿に触れたことで、彼に対して強い庇護欲を抱いてしまう。
撫でて、抱きしめて、甘やかしたい。
帝国との全面戦争が迫るなか、ネウクレアへの深い想いと、皇国の守護者たる騎士としての責務の間で、セディウスは葛藤する。
独身なのに父性強めな騎士団長×不憫な生い立ちで情緒薄めな甘えたがり魔導騎士+仲が良すぎる副官コンビ。
甘いだけじゃない、骨太文体でお送りする軍記物BL小説です。番外は日常エピソード中心。ややダーク・ファンタジー寄り。
※ぼかしなし、本当の意味で全年齢向け。
★お気に入りやいいね、エールをありがとうございます! お気に召しましたらぜひポチリとお願いします。凄く励みになります!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる