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本編
50. 光の差すほうへ
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森の夜は、深く静かだった。
薪の名残が赤く燻り、ほのかな温もりが部屋を満たしている。
僕は寝台で天井を見上げながら、呼吸を整えていた。
隣では、レオが手をかざしている。掌から零れる淡い光が、僕の皮膚をやさしく包み込む。
もう、何度目になるのだろう。
浄化の光が肌をなぞるたび、淡い熱が皮膚の奥に滲んでいく。
重ねられるごとに、その熱が静かに広がり、どこかくすぐったいような感覚が背筋を伝っていく。
不思議な心地よさだった。
額に触れた手は、熱を帯びていた。
魔力の流れが乱れ、息が上がっている。
無理をしていることは明白だった。
「……もう、やめてください」
素直に心配だなんて言えなかった。だから、せめてそう伝えた。
「大丈夫です。千景さんの身体の方が……」
その言葉は途中で途切れ、不自然な沈黙が続いた。
「レオ?」
呼びかけても返事はない。
視線を向けた瞬間、彼の身体が崩れるように倒れた。
「……レオ!」
慌てて起き上がろうとするが、意思とは裏腹に、力が入らなかった。
それでも床に手をつき、這うようにして寝台を降りる。
「レオ……お願い、返事を……」
肩を揺らしても、反応はない。
頬に手を添え、魔力を送ろうとした――けれど、流れない。
魔力の気配が、どこにもなかった。
そうだ。自分にはもう、魔力が残っていない。
わかっていたはずなのに、手が動いたのは――助けたい一心だった。
焦りと悔しさが込み上げ、唇が震える。
僕には、できることが、何もない。
そのとき、ふと、視界の端で淡い赤紫の光が揺れた。
風もないのに、ふわりと浮かび、漂って――僕の手へと落ちていく。
触れた瞬間、それは静かに溶けていった。
同時に、レオの呼吸がほんの僅かに整いはじめる。
その頬を撫でながら、ただ願うように顔を見つめる。
――どうか、戻ってきて。
やがて、レオの瞼が静かに開いた。
「……千景、さん……?」
掠れた声が、かろうじて空気を震わせた。
生きている。その事実だけで安堵が押し寄せ、睫毛が震えた。
目の奥がじんと熱を帯びて、それを悟られぬよう、まばたきで紛らわす。
「……倒れましたか、俺」
「……ええ」
「魔力枯渇か……情けないですね」
力なく笑うその顔に、胸が締めつけられる。
「もう……無理はしないでください」
「すみません……でも、千景さんが少しでも楽になるなら」
返す言葉が見つからないまま、僕はただ俯いた。
その日を境に、少しずつ食事を摂るようになった。
匙を差し出すレオの指先はどこまでも慎重で、粥の温度をそっと確かめる仕草に、喉が自然と動いた。
ひと口、ふた口、小さな匙を受け入れるたび、彼は安心したように目元を綻ばせた。
――どうして、そんな顔で笑うのだろう?
湯気の向こうに見える笑顔をもう一度見たくて、気づけば、次のひと口を求めていた。
◇
数日後の昼下がり、レオが言った。
「お風呂に入りませんか? もう冷える季節ですし」
断ろうとした。けれど、倒れた彼の姿が脳裏に浮かぶ。
これ以上、魔力枯渇を起こすような無理をさせたくなかった。
「……お願いします」
小さく頷くと、また――あの笑顔で笑った。
湯を張る音が小さな家中に満ちる。
薪が爆ぜるたび、薄い湯気が立ちのぼった。
僕は湯の中に身を沈め、背後の気配にそっと意識を向けた。
レオは服を着たまま、慎重な手つきで桶の湯を肩にかけてくれる。
肌を滑る温もりに、張り詰めていた神経が少しずつほどけていく。
一通り湯をかけ終わると、水音に混じって布の擦れる音がした。
「失礼します」
低く落ち着いた声とともに、指先がそっと肩に触れた。
濡れた布が首筋をなぞり、背中を撫でていく。
肌が擦れるたび、身体が僅かに跳ねた。
「痛みますか」
「……いえ」
答える声が、思ったより震えていた。
やがて、手が胸の方へ回り込む。
濡れた布が薄い皮膚をなぞり、思わず声が漏れた。
「……んっ」
自分でも驚いて、あわてて口元を押さえる。
湯気の向こうで、レオの動きが止まった。
静寂の中、彼の呼吸だけが近くで聞こえた。
「……すみません」
「いえ……」
なぜか、レオの顔を見られなかった。
俯くと、湯面に映る自分の頬が、ほのかに赤く染まっていた。
――こんなみっともない顔、見たくない。
そう思って視線を逸らすと、湯船の外で、布を湯に通しているレオの下腹が視界に入った。
布越しに、張った線がかすかに浮いて見える。
――欲望を、抑えられなかった。
そう告げた声が、耳奥で蘇る。
目を逸らすべきだとわかっているのに、なぜか動けなかった。
意識してはいけないものを、意識してしまった気がして――彼の気配を感じながら、静かに目を閉じた。
やがて、レオは慎重な手つきで僕を抱き上げた。
冷たい空気に晒された肌が震え、思わず彼の胸にすがる。
その心音が、驚くほど近くに聞こえた。
身体を拭かれ、夜着を着せられる。
その指先が首筋に触れたとき、小さく息が漏れた。
レオは一瞬だけ手を止めたが、何も言わずに続けた。
寝台に下ろされ、毛布を掛けられる。
去り際に、その手が髪に触れた。
「……おやすみなさい」
足音が遠ざかり、扉が閉まる。
身体にはまだ、彼の手の温度が残っていた。
羞恥と安堵が入り混じり、落ち着かない。
それでも――リュカに触れられたときのような嫌悪は感じなかった。
翌日から、少しずつ歩く練習を始めた。
食事をとり、短い会話を交わし、窓の外の景色を眺める。
それが生きるということなのか、まだ信じきれないまま。
けれど、窓越しに射す光の中で、レオの優しさを感じるたび――もう、生きることを拒めない気がしていた。
***
【作者コメント】
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次話では、千景がひとり、レオの帰りを待ち続けます。
その静かな時間が、千景の心に少しずつ変化をもたらしていきます。
***
薪の名残が赤く燻り、ほのかな温もりが部屋を満たしている。
僕は寝台で天井を見上げながら、呼吸を整えていた。
隣では、レオが手をかざしている。掌から零れる淡い光が、僕の皮膚をやさしく包み込む。
もう、何度目になるのだろう。
浄化の光が肌をなぞるたび、淡い熱が皮膚の奥に滲んでいく。
重ねられるごとに、その熱が静かに広がり、どこかくすぐったいような感覚が背筋を伝っていく。
不思議な心地よさだった。
額に触れた手は、熱を帯びていた。
魔力の流れが乱れ、息が上がっている。
無理をしていることは明白だった。
「……もう、やめてください」
素直に心配だなんて言えなかった。だから、せめてそう伝えた。
「大丈夫です。千景さんの身体の方が……」
その言葉は途中で途切れ、不自然な沈黙が続いた。
「レオ?」
呼びかけても返事はない。
視線を向けた瞬間、彼の身体が崩れるように倒れた。
「……レオ!」
慌てて起き上がろうとするが、意思とは裏腹に、力が入らなかった。
それでも床に手をつき、這うようにして寝台を降りる。
「レオ……お願い、返事を……」
肩を揺らしても、反応はない。
頬に手を添え、魔力を送ろうとした――けれど、流れない。
魔力の気配が、どこにもなかった。
そうだ。自分にはもう、魔力が残っていない。
わかっていたはずなのに、手が動いたのは――助けたい一心だった。
焦りと悔しさが込み上げ、唇が震える。
僕には、できることが、何もない。
そのとき、ふと、視界の端で淡い赤紫の光が揺れた。
風もないのに、ふわりと浮かび、漂って――僕の手へと落ちていく。
触れた瞬間、それは静かに溶けていった。
同時に、レオの呼吸がほんの僅かに整いはじめる。
その頬を撫でながら、ただ願うように顔を見つめる。
――どうか、戻ってきて。
やがて、レオの瞼が静かに開いた。
「……千景、さん……?」
掠れた声が、かろうじて空気を震わせた。
生きている。その事実だけで安堵が押し寄せ、睫毛が震えた。
目の奥がじんと熱を帯びて、それを悟られぬよう、まばたきで紛らわす。
「……倒れましたか、俺」
「……ええ」
「魔力枯渇か……情けないですね」
力なく笑うその顔に、胸が締めつけられる。
「もう……無理はしないでください」
「すみません……でも、千景さんが少しでも楽になるなら」
返す言葉が見つからないまま、僕はただ俯いた。
その日を境に、少しずつ食事を摂るようになった。
匙を差し出すレオの指先はどこまでも慎重で、粥の温度をそっと確かめる仕草に、喉が自然と動いた。
ひと口、ふた口、小さな匙を受け入れるたび、彼は安心したように目元を綻ばせた。
――どうして、そんな顔で笑うのだろう?
湯気の向こうに見える笑顔をもう一度見たくて、気づけば、次のひと口を求めていた。
◇
数日後の昼下がり、レオが言った。
「お風呂に入りませんか? もう冷える季節ですし」
断ろうとした。けれど、倒れた彼の姿が脳裏に浮かぶ。
これ以上、魔力枯渇を起こすような無理をさせたくなかった。
「……お願いします」
小さく頷くと、また――あの笑顔で笑った。
湯を張る音が小さな家中に満ちる。
薪が爆ぜるたび、薄い湯気が立ちのぼった。
僕は湯の中に身を沈め、背後の気配にそっと意識を向けた。
レオは服を着たまま、慎重な手つきで桶の湯を肩にかけてくれる。
肌を滑る温もりに、張り詰めていた神経が少しずつほどけていく。
一通り湯をかけ終わると、水音に混じって布の擦れる音がした。
「失礼します」
低く落ち着いた声とともに、指先がそっと肩に触れた。
濡れた布が首筋をなぞり、背中を撫でていく。
肌が擦れるたび、身体が僅かに跳ねた。
「痛みますか」
「……いえ」
答える声が、思ったより震えていた。
やがて、手が胸の方へ回り込む。
濡れた布が薄い皮膚をなぞり、思わず声が漏れた。
「……んっ」
自分でも驚いて、あわてて口元を押さえる。
湯気の向こうで、レオの動きが止まった。
静寂の中、彼の呼吸だけが近くで聞こえた。
「……すみません」
「いえ……」
なぜか、レオの顔を見られなかった。
俯くと、湯面に映る自分の頬が、ほのかに赤く染まっていた。
――こんなみっともない顔、見たくない。
そう思って視線を逸らすと、湯船の外で、布を湯に通しているレオの下腹が視界に入った。
布越しに、張った線がかすかに浮いて見える。
――欲望を、抑えられなかった。
そう告げた声が、耳奥で蘇る。
目を逸らすべきだとわかっているのに、なぜか動けなかった。
意識してはいけないものを、意識してしまった気がして――彼の気配を感じながら、静かに目を閉じた。
やがて、レオは慎重な手つきで僕を抱き上げた。
冷たい空気に晒された肌が震え、思わず彼の胸にすがる。
その心音が、驚くほど近くに聞こえた。
身体を拭かれ、夜着を着せられる。
その指先が首筋に触れたとき、小さく息が漏れた。
レオは一瞬だけ手を止めたが、何も言わずに続けた。
寝台に下ろされ、毛布を掛けられる。
去り際に、その手が髪に触れた。
「……おやすみなさい」
足音が遠ざかり、扉が閉まる。
身体にはまだ、彼の手の温度が残っていた。
羞恥と安堵が入り混じり、落ち着かない。
それでも――リュカに触れられたときのような嫌悪は感じなかった。
翌日から、少しずつ歩く練習を始めた。
食事をとり、短い会話を交わし、窓の外の景色を眺める。
それが生きるということなのか、まだ信じきれないまま。
けれど、窓越しに射す光の中で、レオの優しさを感じるたび――もう、生きることを拒めない気がしていた。
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【作者コメント】
ここまで読んでくださりありがとうございます。
次話では、千景がひとり、レオの帰りを待ち続けます。
その静かな時間が、千景の心に少しずつ変化をもたらしていきます。
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