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第二部
第1話
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戦争が終結して、数十年。
巨大人型兵器製造禁止法の成立に向けて西側、東側諸国の対談が進み、長く続く冷たい戦争の終止符が打たれようとしていた。
戦争の終結を願う民衆はここ、アスタゴの大地だけでなくヴォーリァ連邦の地にも多く居たはずだ。戦争を非難する著名人も多く、テレビや動画などを通じて世界に向けて発信されている。
ラジオも例外ではなく、新聞などでも報じられていた。
電車に乗る金髪青目の美少女の前にどっかり座った小太りの男性が新聞紙を広げていた。
その一面に見えたのが、
『ヴォーリァ連邦との冷え切った外交関係、遂に終止符か?』
と言った見出しであった。
とある街の駅に電車が停まると、少女は立ち上がり、電車の扉の前に立つ。
「よしっ、頑張るぞ」
気合を入れようと頬を叩いて、彼女は電車から降りる。
少しの緊張を覚えながらも改札を抜ける。彼女にとって電車に乗ると言うことも降りると言うことも初めてのことで、不安になっていたのだが、うまく出来て良かったとホッと胸を撫で下ろす。
彼女が向かう場所は決まっている。
現在、アスタゴでは大戦において大活躍を果たした巨大人型兵器の製造が禁止されている。さらなる悲劇を生まないためにも。
ただ、巨大ロボットの代わりとなるパワードスーツが生み出され、それは警察部隊、軍部などに導入された。
さらには、スポーツ用としてもパワードスーツが開発されるなどと言った発展も見せた。
そんな世界で最高の武力を有する、アスタゴの精鋭部隊。『牙』の基地が彼女の目的地である。
街中を進めば、人が多く、スーツを着た男性も、女性も、小さな子供たちも沢山いた。家の中で父と共に暮らしていた彼女にとって、人が溢れるこの光景はとても珍しいものに見える。
「くんくんっ、ん? いい匂いが……」
屋外の何処からか、食欲を刺激する様な匂いがして、彼女の足がフラフラと匂いのする方へと運ばれていく。
「こ、これは、ホットドッグの匂い……!」
ホットドッグ。
父が時折作ってくれるなどしてくれていたホットドッグを彼女は気に入っていた。いや、父の作ったもので有れば基本的に何でも好きで有ったのだ。
「だ、大丈夫、だよね?」
父に渡された金、と言うよりは近所に住む女性に渡された金ではあるのだが電車賃と合わせても余分な程に受け取っている。
少しくらい物を食べたところで問題はないだろう。文句をつけるものがいる訳でもない。
「すみませーん」
露店の前に立って中にいる人に向けて声をかけると髪の毛のない、筋骨隆々とした男が顔を覗かせた。
「ん、何か買っていくのかい?」
渋みのある低い声で尋ねられる。
「ホットドッグを一つ……」
「二.五ドルだよ」
「あ、はい」
お金を渡すと、お釣りを手渡される。
「少し待ってな」
「はいっ」
待ち遠しさを感じながらもワクワクとした様子でホットドッグの完成を待つ。五分ほどして、男性がケチャップとマスタードをソーセージにかけて、完成と手渡してくる。
「お嬢ちゃんは一人でこの街に来たのか?」
「はい、お父さんの元を離れて」
「ははっ、一人暮らししたい年頃ってのか」
「うーん、なんて言うか。これ以上は迷惑かけるかなって」
はぐはぐと彼女はホットドッグを口にする。
「美味しい……」
「食べたことないのかい?」
「いつもお父さんの手料理とかばかりで……」
「こう言うのもいいだろ?」
「まあ、お父さんの料理の方が美味しいですけど」
「おい。……全く、失礼なお嬢さんだ」
「す、すみません?」
「……まあ、好きな味は基本は家の味さ。俺もお袋の味が好きでね。それを妻に言ったら、キレられてビンタを食らったよ」
「そうなんですか?」
「ああ、強烈だったね。それで、お嬢ちゃんは……」
「あ、私、アリエル・アガターと言います」
流石にお嬢ちゃんと呼ばれ続けるのは嫌だったのか、名前を告げる。
「ん、じゃあ、アリエルちゃん。君はアレかな。女優や歌手だったりするのかい?」
見目の麗しさ、ぱっちり開いた目。宝石の様な青色の瞳。背はそこまで高くもなく、胸も豊満ではないが、黄金比とも呼べる美しさ。
女優と勘違いされるのもおかしくはない。
「え? 何でですか?」
「そりゃあ、アリエルちゃんが可愛いからだよ」
「口説いてます?」
「いや、俺、妻帯者よ? 妻に知られたら殺されちまう」
どれほど妻が怖いのか。
肩を震わせる身振りから、彼が奥さんを恐れている度合いが伝わってくる。
「いや、実は目的地が……、あ。すみません、私、行かなきゃ!」
バクバクとケチャップとマスタードを唇の周りにつけながら、ホットドッグを食べ終えるとアリエルは走り出す。
贔屓にしてくれよ。
と言う声が背後から聞こえる。
彼女の走る速度はまさに、国際大会の陸上競技の出場選手並みかそれ以上。人の波を掻き分けて、目的地に向けて疾走する。
時折、好奇心を刺激する物があっても無視して走る。
そして街の外れの方へと向かっていく。
「ちょっと、待ちなさい! 誰か、そこの黒服の男を捕まえて!」
化粧の濃い女性が大声をあげる。
アリエルの目の前に男性が向かってくる。化粧の濃い女性の言う黒服の男はきっとこの者だろう。
アリエルは横に一度避けてから、男の手首を掴んで放り投げた。
「ぐげっ……」
地面に背中から落ちて、男は呻き声を上げる。
「あ。ありがとうね」
彼女はお礼を言って倒れた男から財布を取って、最後に男をひと蹴りしてから立ち去った。
「よーし、急ぐぞー!」
そして、アリエルは再び街中を走り出す。
例えばの話だ。
目的地に着いた瞬間に突然、襲われたとして人はどうするのが正解か。
と言うのも、アリエルが目的地であった『牙』の基地の前に着いた瞬間に、突如として現れた茶髪、茶色の肌の女に突然、攻撃を仕掛けられたのだ。
よく訓練された足技が初めの攻撃であった。
それに続く、隙のない追撃。
「ここに来るってことは、『牙』への入隊希望かい!」
「はい、そうですけど……」
「ウチは弱い奴も、女も要らないよ!」
「え、アナタも女ですよね?」
純粋な疑問を覚えたアリエルが目の前に立ち、臨戦態勢で構えを取る女性に尋ねる。
「言い間違えた」
訂正、女性は駆け出してアリエルに殴りかかる。
「もうこれ以上、オスカー副団長を狙う女は必要ないのッ!」
怒りに満ちた一撃。
ただ、この女性の抱くものは筋違いの憤怒だ。話をしようにも言い訳としか捉えられないだろう。
「えと、あの、取り敢えず。私はアリエル・アガターです」
「聞いてない!」
攻撃の嵐が止むことはない。
足技もあるが、基本は殴打。だが、ボクシングとは違う動き。激昂に駆られているからか幾分か、動きは単調だが速度と威力がある。
しかしアリエルにとって、こんな物は些事である。向かってくる右手の手首を掴んで眼前で止める。
「ぐっ……!」
女性は呻くが、敵愾心は収まることはない様だ。
「あの、まず私はオスカー副団長のことを狙っているつもりは、これっぽっちも無いのですが……」
「誰が信じるっての」
「えー……」
手首を握ったままでいると、もう一人の人物が現れた。
「そこまでにするといい。採用かどうかを決めるのはモーガン、キミじゃないだろ」
ポケットに手を突っ込んで深緑色の髪と目をした男が歩いてくる。
「キミは志願者だね」
「あ、はい!」
「取り敢えず、基地内まで付いてくるといい。ボクはフィリップ。フィリップ・ライト。キミが手首を握っている彼女はベル・モーガン」
女性は舌打ちをしてから、握る力の弱まったアリエルの右手を振り解く。
「アタシは認めてないから……!」
「だから、それを決めるのは団長なんだよ。キミのその自分勝手なところ、ボクは『悪』だと思うよ」
蔑む様な冷徹な目でフィリップは仲間であるはずのベルを見た。
「頭を冷やせ。副団長の事になるとキミは暴走しがちだ」
彼らは互いに視線を逸らした。
「あの、仲悪いんですか……?」
「アレの振る舞いのせいだよ」
視線を向けることもなく、フィリップが言い切った。
「……恋とか、そう言うのの類いは人を盲目にするんだ」
「はぁ……?」
アリエルの身体的年齢から考えれば恋の経験の一つや二つはあってもおかしくないのだが、個人によるだろう。
「キミにはまだ分からないのかな? まあ、それは置いておこうか」
基地の扉が開かれ、フィリップに案内をされるままにアリエルはその背中を追いかける。二人の距離は三歩ほど。
「これから、団長に会ってもらう」
案内をされたのはとある扉の前。扉が開けば、中にはプラチナブロンドの髪を短く刈り上げ、整った顎髭を生やした五十代程の筋肉質な男が黒椅子に座っていた。
「ーーようこそ、『牙』へ。私が団長のマルコ・スミスだ。まあ、君の入隊はまだ決まっていないがな」
どこか重みのある雰囲気が一室を支配していた。
アリエルが入った部屋は人が生活する部屋、と言うには少しばかり家具が少ない。あるのは大きな机と椅子。
椅子には一人の中年男性が座っている。
自己紹介の通り、彼こそが『牙』の団長であるマルコ・スミスであった。
フィリップはアリエルが部屋の中に入ったのを確認してから、立ち去ってしまった。
「よくもまあ、ここまで無事に辿り着けたものだ」
マルコの目の前に立っているのが若い女性であったと言うこともあってのことだ。暴走機関車の如く暴れるベル・モーガンのことを、団長である彼が把握していないわけが無い。
ベルの暴走の原因は彼の補佐を務める、オスカー・ハワードという副団長が原因であったのだが。
地毛の黒髪を整髪料でオールバックに纏めた、細目のやけに色気のある男で、映画の主演であるなどと言っても、それで誤魔化すことが出来そうなほどの容姿の秀麗さである。
彼の見目の美しさに、マルコも少しばかりの嫉妬を覚えないこともない。
「名前は?」
「アリエル・アガターです!」
大きな声での返答にフムと少しばかり考えるような態度を見せてから、一つ質問をする。
「そうだな……、君は人を殺せるか?」
「分かりません……」
「……ははっ、まあそうだ」
人を殺せるかと聞かれて、人を殺せると答えるのは殺人鬼であったり、何度も戦場に向かっては生き抜いてきた軍人や傭兵くらいのものだ。
「なら、そうだな。少し聞き方を変えよう……君は君の大切なモノの為に自分の手を汚す覚悟があるか?」
イエス、と答えたとしても、目を見ればマルコには分かる。この程度の簡単なこと。それくらいは見抜ける程に歳を重ねてきたのだから。
「はい」
自信を持って答えたアリエルの目を、マルコはじっと見ていた。
「ーー合格だ。あのモーガンに襲われても何とかなってたんだ。強さには問題ないだろう」
マルコは溜息を吐いた。
「これは鍵だ。君はエヴァンスと歳が近そうだ。歳が近い者同士の方が気楽だろう」
マルコが携帯電話を取り出して誰かに連絡を入れる。
「少し待っていてくれ、アガター。君の同室の者をここに呼ぶ」
連絡が繋がったのか、通話を数十秒ほどか、そんなにもかかっていないかで切った。
通話が終わり、五分ほど待つと扉を四回ノックする音が響く。
「入れ」
マルコが告げると扉が開かれる。
「失礼します。エマ・エヴァンス、到着しました」
入ってきたのは銀髪をショートボブほどの長さに切り揃えた、青紫の目、雪のような色白の肌の少女だ。身長はアリエルよりも少し高く、百六十八センチメートルくらいだろうか。身体は鍛えられているのか、思いの外にがっしりとしている。年齢は十代後半。アリエルと同じ程に見える。
「エヴァンス、『牙』の新メンバーのアリエル・アガターだ」
マルコがアリエルの方へと視線を向けると、エマと呼ばれた少女も彼に倣ってアリエルに視線を向ける。
「アリエル・アガターです」
「マルコ団長の紹介に預かりました。エマ・エヴァンスです。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします?」
アリエルも挨拶を返し、差し伸べられていたエマの右手に向けて自らの右手を伸ばす。
アリエルが伸ばした右手がギュッと握りしめられる。
「よし、案内をして……、といっても、そこまで施設の数は多くないな」
マルコが溜息を吐きながら、小さくつぶやいた。
この施設にあるのは、彼ら『牙』専用の訓練施設、射撃訓練室、後は彼らの住むことになる部屋くらいの物だ。
「まあ、仲良くしてくれ。退室していいぞ」
彼の言葉を聞くと、エマとアリエルの順番で失礼しましたと言うと部屋を出て行った。
廊下に出ると、早速エマがアリエルに話しかける。
「アリエル・アガター」
話しかけると言っても名前を呼ぶ程度であったのだが、初対面であれば仕方がないだろう。
「はい……?」
どうしたのだろうと、疑問の成分の多い返事をする。
「私、貴女のことをアリエルと呼んでも良い?」
「え、あ、はい。ご自由に」
呆気にとられて、少しばかり挙動不審になってしまう。無表情のままエマは話を続ける。
「私の事はエマって呼んで」
少しばかりの圧力を感じながら、アリエルは彼女の言葉に従う。
「エマ、さん……?」
「エマ」
「エマ……」
名前を呼ぶと、彼女はこれ以上の言及をしなかった。満足したのかはわからない。何せ彼女は、始終無表情であったから。
巨大人型兵器製造禁止法の成立に向けて西側、東側諸国の対談が進み、長く続く冷たい戦争の終止符が打たれようとしていた。
戦争の終結を願う民衆はここ、アスタゴの大地だけでなくヴォーリァ連邦の地にも多く居たはずだ。戦争を非難する著名人も多く、テレビや動画などを通じて世界に向けて発信されている。
ラジオも例外ではなく、新聞などでも報じられていた。
電車に乗る金髪青目の美少女の前にどっかり座った小太りの男性が新聞紙を広げていた。
その一面に見えたのが、
『ヴォーリァ連邦との冷え切った外交関係、遂に終止符か?』
と言った見出しであった。
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「よしっ、頑張るぞ」
気合を入れようと頬を叩いて、彼女は電車から降りる。
少しの緊張を覚えながらも改札を抜ける。彼女にとって電車に乗ると言うことも降りると言うことも初めてのことで、不安になっていたのだが、うまく出来て良かったとホッと胸を撫で下ろす。
彼女が向かう場所は決まっている。
現在、アスタゴでは大戦において大活躍を果たした巨大人型兵器の製造が禁止されている。さらなる悲劇を生まないためにも。
ただ、巨大ロボットの代わりとなるパワードスーツが生み出され、それは警察部隊、軍部などに導入された。
さらには、スポーツ用としてもパワードスーツが開発されるなどと言った発展も見せた。
そんな世界で最高の武力を有する、アスタゴの精鋭部隊。『牙』の基地が彼女の目的地である。
街中を進めば、人が多く、スーツを着た男性も、女性も、小さな子供たちも沢山いた。家の中で父と共に暮らしていた彼女にとって、人が溢れるこの光景はとても珍しいものに見える。
「くんくんっ、ん? いい匂いが……」
屋外の何処からか、食欲を刺激する様な匂いがして、彼女の足がフラフラと匂いのする方へと運ばれていく。
「こ、これは、ホットドッグの匂い……!」
ホットドッグ。
父が時折作ってくれるなどしてくれていたホットドッグを彼女は気に入っていた。いや、父の作ったもので有れば基本的に何でも好きで有ったのだ。
「だ、大丈夫、だよね?」
父に渡された金、と言うよりは近所に住む女性に渡された金ではあるのだが電車賃と合わせても余分な程に受け取っている。
少しくらい物を食べたところで問題はないだろう。文句をつけるものがいる訳でもない。
「すみませーん」
露店の前に立って中にいる人に向けて声をかけると髪の毛のない、筋骨隆々とした男が顔を覗かせた。
「ん、何か買っていくのかい?」
渋みのある低い声で尋ねられる。
「ホットドッグを一つ……」
「二.五ドルだよ」
「あ、はい」
お金を渡すと、お釣りを手渡される。
「少し待ってな」
「はいっ」
待ち遠しさを感じながらもワクワクとした様子でホットドッグの完成を待つ。五分ほどして、男性がケチャップとマスタードをソーセージにかけて、完成と手渡してくる。
「お嬢ちゃんは一人でこの街に来たのか?」
「はい、お父さんの元を離れて」
「ははっ、一人暮らししたい年頃ってのか」
「うーん、なんて言うか。これ以上は迷惑かけるかなって」
はぐはぐと彼女はホットドッグを口にする。
「美味しい……」
「食べたことないのかい?」
「いつもお父さんの手料理とかばかりで……」
「こう言うのもいいだろ?」
「まあ、お父さんの料理の方が美味しいですけど」
「おい。……全く、失礼なお嬢さんだ」
「す、すみません?」
「……まあ、好きな味は基本は家の味さ。俺もお袋の味が好きでね。それを妻に言ったら、キレられてビンタを食らったよ」
「そうなんですか?」
「ああ、強烈だったね。それで、お嬢ちゃんは……」
「あ、私、アリエル・アガターと言います」
流石にお嬢ちゃんと呼ばれ続けるのは嫌だったのか、名前を告げる。
「ん、じゃあ、アリエルちゃん。君はアレかな。女優や歌手だったりするのかい?」
見目の麗しさ、ぱっちり開いた目。宝石の様な青色の瞳。背はそこまで高くもなく、胸も豊満ではないが、黄金比とも呼べる美しさ。
女優と勘違いされるのもおかしくはない。
「え? 何でですか?」
「そりゃあ、アリエルちゃんが可愛いからだよ」
「口説いてます?」
「いや、俺、妻帯者よ? 妻に知られたら殺されちまう」
どれほど妻が怖いのか。
肩を震わせる身振りから、彼が奥さんを恐れている度合いが伝わってくる。
「いや、実は目的地が……、あ。すみません、私、行かなきゃ!」
バクバクとケチャップとマスタードを唇の周りにつけながら、ホットドッグを食べ終えるとアリエルは走り出す。
贔屓にしてくれよ。
と言う声が背後から聞こえる。
彼女の走る速度はまさに、国際大会の陸上競技の出場選手並みかそれ以上。人の波を掻き分けて、目的地に向けて疾走する。
時折、好奇心を刺激する物があっても無視して走る。
そして街の外れの方へと向かっていく。
「ちょっと、待ちなさい! 誰か、そこの黒服の男を捕まえて!」
化粧の濃い女性が大声をあげる。
アリエルの目の前に男性が向かってくる。化粧の濃い女性の言う黒服の男はきっとこの者だろう。
アリエルは横に一度避けてから、男の手首を掴んで放り投げた。
「ぐげっ……」
地面に背中から落ちて、男は呻き声を上げる。
「あ。ありがとうね」
彼女はお礼を言って倒れた男から財布を取って、最後に男をひと蹴りしてから立ち去った。
「よーし、急ぐぞー!」
そして、アリエルは再び街中を走り出す。
例えばの話だ。
目的地に着いた瞬間に突然、襲われたとして人はどうするのが正解か。
と言うのも、アリエルが目的地であった『牙』の基地の前に着いた瞬間に、突如として現れた茶髪、茶色の肌の女に突然、攻撃を仕掛けられたのだ。
よく訓練された足技が初めの攻撃であった。
それに続く、隙のない追撃。
「ここに来るってことは、『牙』への入隊希望かい!」
「はい、そうですけど……」
「ウチは弱い奴も、女も要らないよ!」
「え、アナタも女ですよね?」
純粋な疑問を覚えたアリエルが目の前に立ち、臨戦態勢で構えを取る女性に尋ねる。
「言い間違えた」
訂正、女性は駆け出してアリエルに殴りかかる。
「もうこれ以上、オスカー副団長を狙う女は必要ないのッ!」
怒りに満ちた一撃。
ただ、この女性の抱くものは筋違いの憤怒だ。話をしようにも言い訳としか捉えられないだろう。
「えと、あの、取り敢えず。私はアリエル・アガターです」
「聞いてない!」
攻撃の嵐が止むことはない。
足技もあるが、基本は殴打。だが、ボクシングとは違う動き。激昂に駆られているからか幾分か、動きは単調だが速度と威力がある。
しかしアリエルにとって、こんな物は些事である。向かってくる右手の手首を掴んで眼前で止める。
「ぐっ……!」
女性は呻くが、敵愾心は収まることはない様だ。
「あの、まず私はオスカー副団長のことを狙っているつもりは、これっぽっちも無いのですが……」
「誰が信じるっての」
「えー……」
手首を握ったままでいると、もう一人の人物が現れた。
「そこまでにするといい。採用かどうかを決めるのはモーガン、キミじゃないだろ」
ポケットに手を突っ込んで深緑色の髪と目をした男が歩いてくる。
「キミは志願者だね」
「あ、はい!」
「取り敢えず、基地内まで付いてくるといい。ボクはフィリップ。フィリップ・ライト。キミが手首を握っている彼女はベル・モーガン」
女性は舌打ちをしてから、握る力の弱まったアリエルの右手を振り解く。
「アタシは認めてないから……!」
「だから、それを決めるのは団長なんだよ。キミのその自分勝手なところ、ボクは『悪』だと思うよ」
蔑む様な冷徹な目でフィリップは仲間であるはずのベルを見た。
「頭を冷やせ。副団長の事になるとキミは暴走しがちだ」
彼らは互いに視線を逸らした。
「あの、仲悪いんですか……?」
「アレの振る舞いのせいだよ」
視線を向けることもなく、フィリップが言い切った。
「……恋とか、そう言うのの類いは人を盲目にするんだ」
「はぁ……?」
アリエルの身体的年齢から考えれば恋の経験の一つや二つはあってもおかしくないのだが、個人によるだろう。
「キミにはまだ分からないのかな? まあ、それは置いておこうか」
基地の扉が開かれ、フィリップに案内をされるままにアリエルはその背中を追いかける。二人の距離は三歩ほど。
「これから、団長に会ってもらう」
案内をされたのはとある扉の前。扉が開けば、中にはプラチナブロンドの髪を短く刈り上げ、整った顎髭を生やした五十代程の筋肉質な男が黒椅子に座っていた。
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どこか重みのある雰囲気が一室を支配していた。
アリエルが入った部屋は人が生活する部屋、と言うには少しばかり家具が少ない。あるのは大きな机と椅子。
椅子には一人の中年男性が座っている。
自己紹介の通り、彼こそが『牙』の団長であるマルコ・スミスであった。
フィリップはアリエルが部屋の中に入ったのを確認してから、立ち去ってしまった。
「よくもまあ、ここまで無事に辿り着けたものだ」
マルコの目の前に立っているのが若い女性であったと言うこともあってのことだ。暴走機関車の如く暴れるベル・モーガンのことを、団長である彼が把握していないわけが無い。
ベルの暴走の原因は彼の補佐を務める、オスカー・ハワードという副団長が原因であったのだが。
地毛の黒髪を整髪料でオールバックに纏めた、細目のやけに色気のある男で、映画の主演であるなどと言っても、それで誤魔化すことが出来そうなほどの容姿の秀麗さである。
彼の見目の美しさに、マルコも少しばかりの嫉妬を覚えないこともない。
「名前は?」
「アリエル・アガターです!」
大きな声での返答にフムと少しばかり考えるような態度を見せてから、一つ質問をする。
「そうだな……、君は人を殺せるか?」
「分かりません……」
「……ははっ、まあそうだ」
人を殺せるかと聞かれて、人を殺せると答えるのは殺人鬼であったり、何度も戦場に向かっては生き抜いてきた軍人や傭兵くらいのものだ。
「なら、そうだな。少し聞き方を変えよう……君は君の大切なモノの為に自分の手を汚す覚悟があるか?」
イエス、と答えたとしても、目を見ればマルコには分かる。この程度の簡単なこと。それくらいは見抜ける程に歳を重ねてきたのだから。
「はい」
自信を持って答えたアリエルの目を、マルコはじっと見ていた。
「ーー合格だ。あのモーガンに襲われても何とかなってたんだ。強さには問題ないだろう」
マルコは溜息を吐いた。
「これは鍵だ。君はエヴァンスと歳が近そうだ。歳が近い者同士の方が気楽だろう」
マルコが携帯電話を取り出して誰かに連絡を入れる。
「少し待っていてくれ、アガター。君の同室の者をここに呼ぶ」
連絡が繋がったのか、通話を数十秒ほどか、そんなにもかかっていないかで切った。
通話が終わり、五分ほど待つと扉を四回ノックする音が響く。
「入れ」
マルコが告げると扉が開かれる。
「失礼します。エマ・エヴァンス、到着しました」
入ってきたのは銀髪をショートボブほどの長さに切り揃えた、青紫の目、雪のような色白の肌の少女だ。身長はアリエルよりも少し高く、百六十八センチメートルくらいだろうか。身体は鍛えられているのか、思いの外にがっしりとしている。年齢は十代後半。アリエルと同じ程に見える。
「エヴァンス、『牙』の新メンバーのアリエル・アガターだ」
マルコがアリエルの方へと視線を向けると、エマと呼ばれた少女も彼に倣ってアリエルに視線を向ける。
「アリエル・アガターです」
「マルコ団長の紹介に預かりました。エマ・エヴァンスです。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします?」
アリエルも挨拶を返し、差し伸べられていたエマの右手に向けて自らの右手を伸ばす。
アリエルが伸ばした右手がギュッと握りしめられる。
「よし、案内をして……、といっても、そこまで施設の数は多くないな」
マルコが溜息を吐きながら、小さくつぶやいた。
この施設にあるのは、彼ら『牙』専用の訓練施設、射撃訓練室、後は彼らの住むことになる部屋くらいの物だ。
「まあ、仲良くしてくれ。退室していいぞ」
彼の言葉を聞くと、エマとアリエルの順番で失礼しましたと言うと部屋を出て行った。
廊下に出ると、早速エマがアリエルに話しかける。
「アリエル・アガター」
話しかけると言っても名前を呼ぶ程度であったのだが、初対面であれば仕方がないだろう。
「はい……?」
どうしたのだろうと、疑問の成分の多い返事をする。
「私、貴女のことをアリエルと呼んでも良い?」
「え、あ、はい。ご自由に」
呆気にとられて、少しばかり挙動不審になってしまう。無表情のままエマは話を続ける。
「私の事はエマって呼んで」
少しばかりの圧力を感じながら、アリエルは彼女の言葉に従う。
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「エマ」
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名前を呼ぶと、彼女はこれ以上の言及をしなかった。満足したのかはわからない。何せ彼女は、始終無表情であったから。
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湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。
そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。
3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。
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