白き魔女と黄金の林檎

みみぞう

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第一章 火の魔女

第6話 不都合な後輩

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 貧民街の住民は、魔女を信奉しんぽうしている。
 それは実に奇妙なことだが、紛れもない事実だった。

 クリスティーが医師という立場を隠れ蓑かくれみのにしているとはいえ、少女と住民の訴えは、心からのものに見えた。
 彼らは魅惑されたわけではなく、自発的な意思で魔女を守ろうとした── それは、間違いない。

 だが、用心深い魔女は、自身を危険から守るための巧妙な保険を、幾重にも張り巡らせるものだ。
 目に見たままのものを、素直に信じるのは危険すぎる。

 ウルバノの情報が正しければ、彼女は無実の人間を十人以上焼き殺した、火の魔女なのだ。 
 貧民街で医療を施す慈愛に満ちた医師なのか、冷酷無情な魔女なのか。
 魔女の本質が悪であるのなら、やはり彼女は後者となるのだろうか。

「だから不用意に接触するな、と言っただろう!!」

 思索は、抗議の声で打ち切られた。

「耳元で大声を出さなくても聞こえていますよ」

 うんざりした顔で、アルヴィンは返す。
 教会に戻るなりウルバノに捕まり、彼の控え室へと連れてこられたのだ。
 当然ではあるが、独断で動いた見習いに、怒り心頭に発する剣幕だ。 

「診療所で、何があったんだ!?」
「何もありませんよ」

 それは、明らかに噓だ。
 クリスティーから言質を得たことを、アルヴィンは伏せていた。彼女をかばっているわけでは決してないが、まだ話すには早いと判断したのだ。
 とは言え、審問官に噓は通用しない。
 当然ながらウルバノは、何か隠していることに気づいたようだ。

「お前のおかげで、我々が監視していることが気取られた。このことは、ベラナ師に報告させてもらうぞ」
「お好きにどうぞ。それと会いに行くなら、これを渡してもらえませんか?」

 アルヴィンの手には、クリスティーから渡された紙袋がある。

「これは何だ?」
「犯人が現場に遺した遺留品です。これを鑑定すれば、犯人が誰かはっきりするでしょう」
「……分かった、渡しておこう」
「あと、確かめたいことがありますので。明日は、僕一人で行動させてもらいます」

 それは流石に禁じられるかと思ったが、あっさりと受け入れられた。
 もちろん条件付き、ではあるが。

「くれぐれも軽挙はつつしめよ。今度同じ事をしたら、七日を待たずに教会から去ることになるぞ」
「分かっていますよ。ところで、審問官ウルバノ」

 厄介事の気配を察したのか、ウルバノは不機嫌に睨んだ。

「まだ何かあるのか?」
「ただの質問ですよ。あなたは善良な魔女がいると思いますか?」

 善良な魔女とは、自分でも矛盾したことを口にしているという自覚はある。 
 ウルバノの返答は、冷ややかなものだ。

「魔女は二通りいる。悪しき魔女と、善良を装った悪しき魔女だ。迷う前に撃て。そうしなければ、死ぬことになるぞ」


 翌日、アルヴィンは事件の現場を丁寧に検証して廻った。
 最後に訪れた場所は、貧民街にほど近い場所にあった。二年前に大火があったらしく、廃墟の多いひっそりとした区画である。

 声をかけられたのは、ちょうど確認を終えて腰を上げた時だ。

「随分、仕事熱心なのね」
「君は……どうして、ここに?」

 振り向いた先に立っていたのは、クリスティーだ。
 彼女は白衣姿で、右手に大きな手提げ鞄を持っている。
 こんな場所で会うとは……尾行されていたのか。アルヴィンは自分の迂闊うかつさを呪った。

「こんな時間に何をしているんだ?」

 夜の遭遇は、審問官が圧倒的に不利となる。
 平静を装いながら、慎重に距離を見定めた。
 距離はせいぜい二メートルか。もし彼女が不審な動作を見せれば、飛びかかれば魔法の発動を止められる……可能性は、ある。

 間に合わなければウルバノが話したように、首を飛ばされて終わるだけだ。
 クリスティーはアルヴィンの心を読んだかのように、微笑した。

危篤きとくの患者がいて、夜の往診に行っていたのよ。心配しなくても、あなたをつけていたわけじゃないわ」
「……患者を魔法で癒やすのか?」
「あらあら、これは昨日の審問の続きかしら?」

 おどけたようにクリスティーは笑う。

「本人が望めば、そうね。もっとも、命にかかわる魔法はとても複雑なの。大したことはできないけれど」
「摂理に反する行いだとは思わないのか」
「家族と最期に過ごす時間を、ほんの少し伸ばすことが、そんなに悪いことなのかしらね?」
詭弁きべんだ!」

 アルヴィンは吐き捨てるように言う。
 魔法の善悪について魔女と討論したところで、平行線だろう。

「それよりもあなた、火の魔女を探しているんですってね?」

 クリスティーの顔から、不意に笑顔が消えた。
 その声には、危険な響きが内包されていた。
 夜の色をした不可視の圧力に、押しつぶされるような錯覚に襲われる。

 拳銃に手を伸ばしたくなる衝動を、アルヴィンは懸命に堪えた。
 まだ、使うには早い。ウルバノは迷わず駆逐しろと言うだろうが、現認していない以上── まだ、発砲はできない。

「火の魔女が誰なのか、知りたい?」
「……君なんだろ?」
「どうかしらね。ヒントをあげたでしょ? そろそろ、答えに辿り着いた頃合いだと思ったけれど、期待しすぎだったかしら」

 クリスティーは、皮肉っぽく応じる。

「ヒント、ね。それは魔女の常套手段じょうとうしゅだんなんだよ。手助けを装って猜疑心さいぎしんあおり、ミスリードする手とも限らない」
「私はね、心理戦だとか駆け引きだとか、腹の探り合いは嫌いなの。だから、教えてあげるわ!」

 クリスティーの瞳に、冷酷な光が揺れた。
 危険が急速に迫り来るのを感じ、咄嗟にカズラの下に隠した拳銃に手を伸ばす。

「これが答えよ!」

 彼女の手がひらめくと、猛烈な劫火ごうかが噴き出し、アルヴィンを襲った。
 銃を出す間もない。
 夜の底を赤黒い火炎が焦がし、抗する間もなく全身を焼き尽くす。
 
 ── 焼き尽くす、はずだった。
 反射的に目を瞑り、恐る恐る開いた時……灼熱の炎は、どこにもない。
 その代わり視界に飛び込んできたのは、クリスティー自身だ。
 彼女は、アルヴィンに飛びかかってきたのである。 

「な、なにを!?」 

 不意を突かれ、そのまま二人は地面に倒れ込む。
 魔女がこんな直接的な暴力に訴えかけてくるなんて、全く予想外だ。
 彼女の顔が胸元に当たり、甘い香りが鼻孔をくすぐった。

 地面に背中をしこたま打ち付けながら、だがアルヴィンは一瞬で状況を理解した。
 先刻まで立っていた空間を、凶弾が切り裂いた。
 同時に銃声が耳を打つ。

 襲われたのではない、かばわれたのだ。
 上半身を起こしたクリスティーが腕をふると、何もない空間に水塊が出現した。
 それが厚い壁となって二人の背後を覆う。
 間髪を容れずに放たれていた次弾が、水中で力を削がれ、地面に転がった。

 ── 魔法!!

 目の前で使われた魔法、だが詳しい説明を求める時間はなさそうだ。
 クリスティーが鋭くにらむ先には── 拳銃を持つ、人影がある。

 やれやれと、前髪を指先でかき上げると、アルヴィンは立ち上がった。
 今夜は、来訪者が後を絶たない。
 それもとっておきの招かれざる客に、彼は声をかけた。

「……あなただったんですね、審問官ウルバノ。火の魔女の仕業に見せかけた、連続殺人犯は」

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