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第五章 幻惑の魔女
第11話 薔薇の再会
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聖都には、大陸一の蔵書を誇る大図書館がある。
聖書、哲学、古典文学、自然科学……五百年をかけて収集された書は、十万冊を超えるという。
同じ重さの金よりも価値がある書とて、珍しくはない。
アルヴィンは禁書庫の鍵の手がかりを求めて、大図書館に足を運んでいた。
午前の早い時間だからだろう、人影はまばらだ。
人の背丈よりもずっと高い書架が、整然と列をなしている。
館内はインクとカビ臭さが混ざったような、独特な空気に満ちていた。
彼がまとっているのは、着慣れた黒の祭服だ。
仮面もつけてはいない。
あの格好は威圧的で、目立ちすぎる。それに血で汚れた祭服を着るわけにもいかなかった。
そして傍らに、教え子の姿はない。
ベネットには、謹慎を命じた。
厳しすぎただろうか……そんな思いが頭をよぎる。
そもそもアルヴィンとて、見習い時代から相当な数のルールを破ってきた自覚がある。
彼女とも、取引をした。
清廉潔白だとはとても言えた身ではないし、ベネットに罰を与える資格すらないかもしれない。
それに……アルヴィンの肩の傷と、心は痛む。
昨夜教え子に向けた感情は、嫉妬、と呼ぶべき物だった。
もし彼女が道を踏み外したのなら、止めるのは自分しかいない、そんな自惚れがあった。
それを、教え子に横から攫われそうになった。
焦りと苛立ちを、ぶつけてしまったことは否定できなかった。
「適性がないのは、僕の方かもしれないな」
自嘲気味に、小さく呟く。
この件が片付いたら、やはり指導官は辞すべきなのだろう。
アルヴィンの悩みは深い。
その深さが、猛迫する影に気づくのを遅れさせた。
「アールーヴィーンーーーーー!!!」
図書館の静寂が、突如として破られた。
何者かに体当たりされ、アルヴィンは不覚にも転倒する。
まったくの不意打ちだった。
後頭部を痛打するのは、かろうじて避ける。
──魔女か、それとも処刑人の襲撃か。
咄嗟に反撃に移ろうとして、アルヴィンは凍りついた。
仰向けに倒れた彼の腹部に抱きつくようにして……目を輝かせた女がいたのだ。
黄色い声が上がった。
「アルヴィン! 夢みたい! 本当に来てくれたのね!!」
さらさらとした、絹糸のような銀髪が肩から落ちた。
けぶるように長いまつげの下にある瞳は、翡翠のような神秘的な色をたたえている。
年齢はアルヴィンと同い年ぐらいだ。
エレガントな雰囲気の、紺色のワンピースを着ている。立ち襟のデザインで、胸元にはプリーツとレースの刺繍が装飾されていた。
大図書館の司書、なのだろうか。
文句なしに美人の部類に入ると言ってもいい。
だが……まったく記憶にない。
内心どぎまぎしながら、アルヴィンは尋ねる。
「──し、失礼、君は一体……?」
「ボクだよっ!」
勢いよく女は叫ぶ。
アルヴィンは困惑を深めた。
神に誓って、初対面である。
きっとアルヴィンという、よく似た同名の人間がいるのだ。
それしか考えられない。
「僕たちは、その……初対面かと思いますが?」
「酷い! あの夜のことを忘れたって言うのっ!? 遊びだったんだね!」
目鼻立ちのはっきりとした美麗な顔が、ずい、っと目の前まで近づいて、アルヴィンは声を上ずらせる。
「あ、あの夜とは!?」
「プロムナードだよっ!」
「プ……プロっ……!?」
アルヴィンの表情が、驚愕でひきつった。
聖夜の悪夢が甦った。
黒歴史が脳裏に再生され、動悸と冷や汗に襲われる。
プロムナードとは……学院時代、諸事情により女装して出場したダンスパーティーである。
ティタニアという、名誉な称号までいただいた。
その時のパートナーは……そこまで思い出して、目の前にいる美女の声に、聞き覚えがあることに気づく。
過去と現在が、一本の糸で繋がった。
「も、もしかして……フ、フェリックスなのか!?」
「やっと思い出してくれたね、アルヴィン!」
美女がウインクをして見せる。
思わぬ悪夢との邂逅に、アルヴィンは叫ばずにはいられない。
「どうして! 君がっ! ここに! いるっ!?」
「職場だからだけど。おかしい?」
当然でしょ、と言わんばかりにフェリックスは答える。
そして胸元につけた名札を見せた。
「ボクは古言語学担当のキュレーター(※)、フェリシア女史なんだよ」
「女史……」
見た目だけではなく、社会的にも女になっている……
熱い視線を注いでくる美人を前にして、暗澹たる気持ちに陥る。
運命の悪戯に呻くしかない。
この再会が思わぬ福音をもたらすことを……アルヴィンはまだ、気づいてはいない。
※博物館や美術館で資料の収集・調査研究に携わる専門職員のこと。
聖書、哲学、古典文学、自然科学……五百年をかけて収集された書は、十万冊を超えるという。
同じ重さの金よりも価値がある書とて、珍しくはない。
アルヴィンは禁書庫の鍵の手がかりを求めて、大図書館に足を運んでいた。
午前の早い時間だからだろう、人影はまばらだ。
人の背丈よりもずっと高い書架が、整然と列をなしている。
館内はインクとカビ臭さが混ざったような、独特な空気に満ちていた。
彼がまとっているのは、着慣れた黒の祭服だ。
仮面もつけてはいない。
あの格好は威圧的で、目立ちすぎる。それに血で汚れた祭服を着るわけにもいかなかった。
そして傍らに、教え子の姿はない。
ベネットには、謹慎を命じた。
厳しすぎただろうか……そんな思いが頭をよぎる。
そもそもアルヴィンとて、見習い時代から相当な数のルールを破ってきた自覚がある。
彼女とも、取引をした。
清廉潔白だとはとても言えた身ではないし、ベネットに罰を与える資格すらないかもしれない。
それに……アルヴィンの肩の傷と、心は痛む。
昨夜教え子に向けた感情は、嫉妬、と呼ぶべき物だった。
もし彼女が道を踏み外したのなら、止めるのは自分しかいない、そんな自惚れがあった。
それを、教え子に横から攫われそうになった。
焦りと苛立ちを、ぶつけてしまったことは否定できなかった。
「適性がないのは、僕の方かもしれないな」
自嘲気味に、小さく呟く。
この件が片付いたら、やはり指導官は辞すべきなのだろう。
アルヴィンの悩みは深い。
その深さが、猛迫する影に気づくのを遅れさせた。
「アールーヴィーンーーーーー!!!」
図書館の静寂が、突如として破られた。
何者かに体当たりされ、アルヴィンは不覚にも転倒する。
まったくの不意打ちだった。
後頭部を痛打するのは、かろうじて避ける。
──魔女か、それとも処刑人の襲撃か。
咄嗟に反撃に移ろうとして、アルヴィンは凍りついた。
仰向けに倒れた彼の腹部に抱きつくようにして……目を輝かせた女がいたのだ。
黄色い声が上がった。
「アルヴィン! 夢みたい! 本当に来てくれたのね!!」
さらさらとした、絹糸のような銀髪が肩から落ちた。
けぶるように長いまつげの下にある瞳は、翡翠のような神秘的な色をたたえている。
年齢はアルヴィンと同い年ぐらいだ。
エレガントな雰囲気の、紺色のワンピースを着ている。立ち襟のデザインで、胸元にはプリーツとレースの刺繍が装飾されていた。
大図書館の司書、なのだろうか。
文句なしに美人の部類に入ると言ってもいい。
だが……まったく記憶にない。
内心どぎまぎしながら、アルヴィンは尋ねる。
「──し、失礼、君は一体……?」
「ボクだよっ!」
勢いよく女は叫ぶ。
アルヴィンは困惑を深めた。
神に誓って、初対面である。
きっとアルヴィンという、よく似た同名の人間がいるのだ。
それしか考えられない。
「僕たちは、その……初対面かと思いますが?」
「酷い! あの夜のことを忘れたって言うのっ!? 遊びだったんだね!」
目鼻立ちのはっきりとした美麗な顔が、ずい、っと目の前まで近づいて、アルヴィンは声を上ずらせる。
「あ、あの夜とは!?」
「プロムナードだよっ!」
「プ……プロっ……!?」
アルヴィンの表情が、驚愕でひきつった。
聖夜の悪夢が甦った。
黒歴史が脳裏に再生され、動悸と冷や汗に襲われる。
プロムナードとは……学院時代、諸事情により女装して出場したダンスパーティーである。
ティタニアという、名誉な称号までいただいた。
その時のパートナーは……そこまで思い出して、目の前にいる美女の声に、聞き覚えがあることに気づく。
過去と現在が、一本の糸で繋がった。
「も、もしかして……フ、フェリックスなのか!?」
「やっと思い出してくれたね、アルヴィン!」
美女がウインクをして見せる。
思わぬ悪夢との邂逅に、アルヴィンは叫ばずにはいられない。
「どうして! 君がっ! ここに! いるっ!?」
「職場だからだけど。おかしい?」
当然でしょ、と言わんばかりにフェリックスは答える。
そして胸元につけた名札を見せた。
「ボクは古言語学担当のキュレーター(※)、フェリシア女史なんだよ」
「女史……」
見た目だけではなく、社会的にも女になっている……
熱い視線を注いでくる美人を前にして、暗澹たる気持ちに陥る。
運命の悪戯に呻くしかない。
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※博物館や美術館で資料の収集・調査研究に携わる専門職員のこと。
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