白き魔女と黄金の林檎

みみぞう

文字の大きさ
103 / 197
短編 愛と期末考査のオルガナ

第7話 哀の不時着

しおりを挟む
 重力が見えざる手を伸ばし、ベアトリクスの身体を絡め取る。
 彼女を待ち構える運命は非情だ。
 落下した先──緑青色の屋根の直下は、湖ではない。

 固く、冷たい石畳だ。

 アルヴィンが伸ばした手が、かろうじて彼女の細い腕を掴んだ。
 咄嗟に反応できたのは、上出来としか言いようがない。
 とはいえ状況は……控えめに言っても絶望的だ。

 アルヴィン自身、さながらサーカスのパフォーマーのような体勢である。
 右足を突起にひっかけ、逆さ吊りの状態でベアトリクスの腕を掴んでいる。

「くっ……!」

 二人分の体重がかかり、足先が悲鳴を上げた。
 双子が異変に気づいて人を呼んでくれればいいが……いや、それまで握力は持つまい。
 悲愴な思いがこみ上げる。
 だがベアトリクスの関心事は、そんな所にはなかったらしい。

「あなたもしかして──手紙を、読んでいないのっ!?」
「何の話だっ!?」

 生きるか死ぬかの局面である。
 それは今、確認すべきことなのか──?
 彼女の真意が、さっぱり理解できない。

「挑戦状が、どうしたんだっ!?」
「挑戦状!? どう読んだらそんな解釈になるのよ!? もう、なんでこんなに鈍感なのっ!??」
「頼むから分かるように説明してくれ!」

 アルヴィンが叫び返すと、ベアトリクスは一瞬沈黙する。 
 彼女の白い頬が、みるみるうちに赤く染まった。

「そ、そこまで言うのなら、直接教えてあげるわよっ。よく聞きなさいっ!! 私があなたのことが──」


 バキッ!!
 ひときわ大きな、そして不吉極まりない音が、語尾をかき消した。

 二人は……顔を見合わせる。
 柱の根元も、長い年月で腐食していたのだ。
 散々二人から負荷をかけられ、ついに役目を放棄したのである。

 結果、柱は傾き始める。
 もはや重力に抗う術はない。
 救いがあったとすれば……地面ではなく、湖の方へ倒れたことか。

 二人と黄金の大天使は、容赦なく空中へ放り出される。
 直後、三つの水柱が盛大に上がった。
 


 
「もう、何をやってるのよ! アルヴィン!!」

 アリシアが思いつく限りの悪態を口にしている。  
 三月の湖で寒中水泳とは……気の毒に思わないでもない。
 エルシアは、隣で頬を引きつらせるヴィクトルを見やった。

「ちなみにこれ、首席は誰になりますの?」
「該当者なしだっ!!」

 腹立たしげに吐き捨てると、ヴィクトルは踵を返した。
 足音荒く、立ち去っていく。

 目の敵にしているアルヴィンを、またしても退学に追い込めず、はらわたが煮えくりかえったような表情だ。
 いい気味である。

 それにしても──と、男の背中を見送りながらエルシアは思う。 
 ベアトリクスは、なぜあれほど首席に固執したのだろうか。
 プライドを傷つけられた仕返し……それだけではないような気がした。

 そして受け取ったままになっていた、挑戦状の存在を思い出す。
 エルシアはポケットから封書を取り出した。

 封を切ると、花柄の白い便せんが顔をのぞかせる。
 そこには几帳面な、女性らしい筆跡でこう書かれていた。


『愛しのアルヴィンさまへ
 
 入学間もない時期に助けていただいてから、ずっとあなたのことを想っていました──』


 ──???

 エリシアは思わず、文面を三度読み直した。
 頭の中が疑問符で、たちまち埋め尽くされる。
 訳のわからぬまま、続きに目を走らせる。



『──あなたの幸薄い顔を見る度に、胸がキュンとします。あなたが恐る恐る話しかけてくるのを、冷たくあしらった時の顔なんて最高! ゾクゾクします』


 なんだか風向きが変わってきたように思う。
 エルシアは眉をひそめる。


『でも双子先輩だけが独占して、本当にズルいと思います。私だってイヂメたい……!! でもまだ、あなたのご主人様になるのに、力が不足していることは分かっています。

 だから、もう一度考査で首席になれたら、私のモノになってください!
 きっと幸せにします!

あなたのベアトリクスより♥』


「えーっと……」

 軽い頭痛のようなものを感じて、エルシアは天を仰いだ。
 やはり、恋をしていたのだ。

 アルヴィンではなく──ベアトリクスが。

 鉄の女は、少々独特な愛情表現の持ち主だったらしい。
 彼女が口にした「アルヴィンを下さい」は、オルガナを退学……ではなく、文字通りの意味だったのか。 

「不器用な人間が不器用な人間に恋をすると、こうなるのですわね……」

 エルシアはひとり呟く。
 さて、この手紙をどうすべきか。
 速やかに彼女は、最適解を導き出した。

「エルシア、何をしてるのよ?」

 便箋を破り捨てるエルシアに、アリシアが怪訝な目を向ける。

「な、なんでもないのです! それよりも二人を早く助けてあげるのです!」
「失敗したのに助けてあげようなんて、ほんとエルシアは大人よねー」

 そうなのだ。手のかかる後輩だが、見捨てるわけにもいかない。
 自分が火に油を注いだことは棚に上げて、エルシアは嘆息する。

 オルガナに雪がちらちらと舞う。 
 春の訪れは、もう少し先になりそうだ。
 双子はやれやれと、ボートを探し始めた。



 
 この年の期末考査は、前代未聞の該当者なしとなった。
 睡眠不足に極度の疲労、その挙げ句に寒中水泳……アルヴィンは一週間寝込むこととなる。

 彼女の恋がその後どうなったか、あえてここに記す必要はあるまい。
 卒業までの残り三年間、熾烈な首席争いが続いたことだけは書き添えておく。




(迷宮の魔女編につづく)


しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

大和型戦艦、異世界に転移する。

焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。 ※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。

次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢

さら
恋愛
 名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。  しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。  王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。  戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。  一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

滅せよ! ジリ貧クエスト~悪鬼羅刹と恐れられた僧兵のおれが、ハラペコ女神の料理番(金髪幼女)に!?~

スサノワ
ファンタジー
「ここわぁ、地獄かぁ――!?」  悪鬼羅刹と恐れられた僧兵のおれが、気がつきゃ金糸のような髪の小娘に!? 「えっ、ファンタジーかと思ったぁ? 残っ念っ、ハイ坊主ハラペコSFファンタジーでしたぁ――ウケケケッケッ♪」  やかましぃやぁ。  ※小説家になろうさんにも投稿しています。投稿時は初稿そのまま。順次整えます。よろしくお願いします。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

処理中です...