白き魔女と黄金の林檎

みみぞう

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第六章 迷宮の魔女

第32話 救いの声

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「戻るんだ!」

 迫り来る津波を前にして、アルヴィンは緊迫した声を発した。
 三人は砂浜を駆け出す。

「──エマ!」

 砂に足を取られて、少女が転ぶ。アルヴィンは咄嗟に手を伸ばし、
倒れかけた身体を支えた。
 いわゆるお姫様抱っこをする形で抱き上げると、最短距離にある扉を目指す。

「いいなぁ。ボクもして欲しかったのに」
「冗談を言っている場合かっ! とにかく走るんだ!」

 心底うらやましげな目をするフェリシアに、構っている余裕はない。
 水塊が暴力的な強さと勢いを持って砂浜を呑み込み、黒い触手を伸ばす。
 背後の空気がビリビリと震える。

 もし追いつかれれば──それは即、死を意味する。
 三人は息を切らしながら、扉へと辿り着いた。 
 ノブを回す手間さえ、じれったい。

「早く、中へ!」

 波が月を隠し、闇が濃さを増した。 
 すんでのところで、三人は扉へと飛び込んだ。




 ──新たな迷宮は、最初の部屋とよく似ている。
 無個性な回廊が伸び、白壁に沿って扉が続く。

「安心するのは、まだ早いよ!」

 フェリシアの直感は、回廊が不気味に軋む音によって証された。

 ──扉はまだ、閉じられていない。
 
 アルヴィンは咄嗟に跳躍した。
 その敏速な反応は賞賛に値するものだが──報われない。扉に手が触れた時、既に遅い。

 黒い水面が、沸騰したように泡立った。
 間髪を入れず、水塊が堰を切ったように流れ込む。
 人が抗しようのない、圧倒的な力だ。

 アルヴィンを容易く吹き飛ばし、呑み込んでしまう。
 膨大な海水が三人を押し流し、瞬く間に廊下を満たした。 

 息が、出来ない。
 どちらが上下なのかも分からない。
 アルヴィンは水中を必死にもがく。

 肺が悲鳴を上げ、身体が酸素を渇望する。
 溺死の二文字が手足に重くまとわりつき、暗い水底へ沈めようとする。

 意識が薄れた。身体から力が抜ける。
 迷宮で津波に呑まれ、溺死する……道半ばで、まさかこんな結末が待っていたとは……
 もはや、抗うこともできない。
 限界だった。

 ──諦めるのかしら?

 それは死の間際、脳が見せた幻影だったのだろう。
 ぼやけた視界の隅に──ダークブロンドの、女の後ろ姿が映った。

 ──ここで終わりだなんて、期待外れだったわね。

 彼女は振り返らない。 
 玲瓏とした、そして皮肉まじりの声だけを残して消える。
 アルヴィンは、目を見開いた。

 ──まだ、死ねない!!

 ありったけの力を振り絞る。
 手足をばたつかせ、水を蹴る。

 ──もう一度! 君に会うまでは!

 水面に顔が出たのは、生への執念がつかみ取った結果に他ならない。
 大きく息を吸う。
 酸欠にあえぎながら、アルヴィンは、二人の姿を求めて視線を走らせた。

「フェリシア! エマ!」

 力の限り叫ぶ。
 だが、水が渦巻く轟音にかき消され、何も聞き取れない。
 水位が瞬く間に上がり、天井に迫った。
 危機は、まだ去ったわけではない。

 残された僅かな空間が水に満たされれば、万事休すだ。
 窮地から脱するための術を、必死に探す。時間がない。
 アルヴィンは、一点を凝視した。

 数メートル先の天井に、へばりつくようにしてある扉が目に入った。 
 不自然極まりない位置にある扉の意味を、考える暇はない。
 最後の力を振り絞り、水をかく。
 天井にしがみつく。アルヴィンは扉を開け、這い上がった。




「──くそっ!!」

 全身ずぶ濡れだ。
 だがそんなことは、どうでもいい。
 アルヴィンは怒りにまかせ、床に拳を叩きつけた。

 自分の不甲斐なさに、心底嫌気がさす。 
 最悪の事態だ。
 そこにフェリシアと、エマの姿はない。アズラリエルもない。

 アルヴィンは、ひとりになってしまったのだ。
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