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第六章 迷宮の魔女
第34話 凶宴のはじまり
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「何を悩む? 何の縁もない、見ず知らずの小娘ではないか。身代わりとなって、惨たらしく死ぬ必要などあるまい?」
赤黒い歯茎をむきだしにして、リベリオは笑う。
ベネットは沈黙した。
身を賭す覚悟なら、オルガナに入学したときに済ませている。
そのつもりだった。
かつて、師にもそう大見得を切った。
だが……どうだろう?
凄惨な現実を見せつけられて、決意は揺らいだ。
死の覚悟など、本当はできていなかった。
何も分かっていなかったのだ。
恐ろしい。
死にたくない。
少女を犠牲にすれば……自分は助かる。
ベネットは、震える手を凝視した。
「どうした? 早くやれ!」
苛立ったように、リベリオが声を荒げる。
怒声が響き、少女が振りかえった。
ほんの一瞬目が合い……ベネットは自分の浅はかさを恥じた。
少女は、微笑んでいた。
──私のことは心配しないで。
そう言っているように見えた。
死にたくは、ない。
ここから生きて還りたい。
だが……少女を犠牲にして生き延びて、何の意味があるのか。
深く、息を吐き出す。
この地獄から出るのなら……それは、二人でだ。
自分を鼓舞するように、震える拳を強く握る。
幼さの残る顔に、ベネットは決然とした表情を宿した。
「──審問官リベリオ。私は悪魔と取引をするつもりはありません」
「なんだと?」
「あの娘を突き落とすなど、お断りです。私は……腐肉を漁る豚にはなれない」
「……師弟そろって、愚かな奴らだ……!」
リベリオは、ドスの利いた唸り声を上げた。
一般人であれば卒倒しかねない、すごみを帯びている。
「図に乗るな、小僧! 生まれてきたことを後悔させてやるぞ!」
口汚く、男は罵る。
「小娘を殺せ!」
それが、凶宴の始まりの合図となった。
処刑人が少女を蹴落とそうと動く。
ベネットは即座に反応した。
両脇には、処刑人が立つ。
その片方、右側の男へ向けて、渾身の力で体当たりを見舞う。
「始末しろ!」
リベリオが吠え、左側の処刑人が拳銃を抜く。
発砲音と共に、閃光が走った。
至近距離から放たれた銃弾は、致命傷となった。鉛玉を叩き込まれ、身体を痙攣させたのは──ベネットではない。
体当たりをされた処刑人である。
男に掴みかかるや体勢を入れ替え、盾代わりにしたのだ。
同時に少年の手には、奪った拳銃が握られている。
躊躇なく引き金を引く。
学院を首席で卒業したベネットは、決して大口を叩くだけの未熟者、ではない。
いや、審問官としての経験不足は否定できないが──射撃の精度には、目を見張るものがある。
火線が走り、たちまち三人の処刑人が絶命する。
ベネットは哀れな盾を解放すると、床を転がった。
背後から、殺気が急迫した。
放たれた斬撃が空を斬る。
長剣を手に迫る処刑人に、対応する間はない。
今まさに、少女が突き落とされようとしていた。
剣先をぎりぎりで躱し、ベネットは起き上がりざま銃弾を放った。
自分か、少女か。
どちらの安全を優先すべきか、考えるまでもない。
銃弾は、少女を害しようとした男の眉間を、正確に射抜く。
神罰というべきだろう。
男は、煮えたぎる液体の中へと転落する。
だが少女を救い、これで終わり──では、決してない。
ベネットが正面に意識を戻した時、人数に等しい数の拳銃が向けられていた。
すぐさま床を蹴り、跳躍し──不意に、足の力が抜けた。
その場に膝を折り、ベネットは愕然とした。
体力の限界は、唐突に訪れた。
この数日間、ろくな食事も与えられず、不衛生な地下に幽閉されていたのだ。
激しい命のやり取りに、体力はたちまち消耗した。
手足が鉛のように重くなる。
暴力のプロフェッショナルである処刑人が、異変を見逃すはずがない。
身の程知らずの背教者を誅殺する、銃弾が放たれる。
ベネットは自嘲した。
全力を尽くしたつもりだ。
だが結局は少女を救うこともできず、これでは自己満足の悪あがきだ。
──師がいてくれたら……
──少女を救い、切り抜けられたのではないだろうか……
──いや、師は……魔女と手を組んだ裏切り者ではないか……!
複雑な思いが胸裏に渦巻く。
ベネットは歯を食いしばり、目を閉じた。
その瞬間は──来ない。
おそるおそる目を開いた時、銃弾は本来の役割を放棄していた。
ベネットの足元に、バラバラと転がったのだ。
それだけではない。
「……!」
ベネットは我が目を疑う。
周囲を、厚い水のヴェールが覆っている。
神がもたらした奇跡……ではない、これは──
「──魔法!?」
「ほんと、野蛮な連中ね」
うんざりした声が、事態の急変を報せた。
入り口に光が差し、ふわっと百合の花びらが舞ったように見えた。
そこに悠々と、そして優美に佇む女の姿がある。
「聖都には、人のフリをした豚の多いこと」
不快げに眉をひそめ、処刑人らを一睨する。
ベネットは、その女を知っていた。
あの夜、師がクリスティーと呼んだ魔女。
──凶音の魔女だ。
赤黒い歯茎をむきだしにして、リベリオは笑う。
ベネットは沈黙した。
身を賭す覚悟なら、オルガナに入学したときに済ませている。
そのつもりだった。
かつて、師にもそう大見得を切った。
だが……どうだろう?
凄惨な現実を見せつけられて、決意は揺らいだ。
死の覚悟など、本当はできていなかった。
何も分かっていなかったのだ。
恐ろしい。
死にたくない。
少女を犠牲にすれば……自分は助かる。
ベネットは、震える手を凝視した。
「どうした? 早くやれ!」
苛立ったように、リベリオが声を荒げる。
怒声が響き、少女が振りかえった。
ほんの一瞬目が合い……ベネットは自分の浅はかさを恥じた。
少女は、微笑んでいた。
──私のことは心配しないで。
そう言っているように見えた。
死にたくは、ない。
ここから生きて還りたい。
だが……少女を犠牲にして生き延びて、何の意味があるのか。
深く、息を吐き出す。
この地獄から出るのなら……それは、二人でだ。
自分を鼓舞するように、震える拳を強く握る。
幼さの残る顔に、ベネットは決然とした表情を宿した。
「──審問官リベリオ。私は悪魔と取引をするつもりはありません」
「なんだと?」
「あの娘を突き落とすなど、お断りです。私は……腐肉を漁る豚にはなれない」
「……師弟そろって、愚かな奴らだ……!」
リベリオは、ドスの利いた唸り声を上げた。
一般人であれば卒倒しかねない、すごみを帯びている。
「図に乗るな、小僧! 生まれてきたことを後悔させてやるぞ!」
口汚く、男は罵る。
「小娘を殺せ!」
それが、凶宴の始まりの合図となった。
処刑人が少女を蹴落とそうと動く。
ベネットは即座に反応した。
両脇には、処刑人が立つ。
その片方、右側の男へ向けて、渾身の力で体当たりを見舞う。
「始末しろ!」
リベリオが吠え、左側の処刑人が拳銃を抜く。
発砲音と共に、閃光が走った。
至近距離から放たれた銃弾は、致命傷となった。鉛玉を叩き込まれ、身体を痙攣させたのは──ベネットではない。
体当たりをされた処刑人である。
男に掴みかかるや体勢を入れ替え、盾代わりにしたのだ。
同時に少年の手には、奪った拳銃が握られている。
躊躇なく引き金を引く。
学院を首席で卒業したベネットは、決して大口を叩くだけの未熟者、ではない。
いや、審問官としての経験不足は否定できないが──射撃の精度には、目を見張るものがある。
火線が走り、たちまち三人の処刑人が絶命する。
ベネットは哀れな盾を解放すると、床を転がった。
背後から、殺気が急迫した。
放たれた斬撃が空を斬る。
長剣を手に迫る処刑人に、対応する間はない。
今まさに、少女が突き落とされようとしていた。
剣先をぎりぎりで躱し、ベネットは起き上がりざま銃弾を放った。
自分か、少女か。
どちらの安全を優先すべきか、考えるまでもない。
銃弾は、少女を害しようとした男の眉間を、正確に射抜く。
神罰というべきだろう。
男は、煮えたぎる液体の中へと転落する。
だが少女を救い、これで終わり──では、決してない。
ベネットが正面に意識を戻した時、人数に等しい数の拳銃が向けられていた。
すぐさま床を蹴り、跳躍し──不意に、足の力が抜けた。
その場に膝を折り、ベネットは愕然とした。
体力の限界は、唐突に訪れた。
この数日間、ろくな食事も与えられず、不衛生な地下に幽閉されていたのだ。
激しい命のやり取りに、体力はたちまち消耗した。
手足が鉛のように重くなる。
暴力のプロフェッショナルである処刑人が、異変を見逃すはずがない。
身の程知らずの背教者を誅殺する、銃弾が放たれる。
ベネットは自嘲した。
全力を尽くしたつもりだ。
だが結局は少女を救うこともできず、これでは自己満足の悪あがきだ。
──師がいてくれたら……
──少女を救い、切り抜けられたのではないだろうか……
──いや、師は……魔女と手を組んだ裏切り者ではないか……!
複雑な思いが胸裏に渦巻く。
ベネットは歯を食いしばり、目を閉じた。
その瞬間は──来ない。
おそるおそる目を開いた時、銃弾は本来の役割を放棄していた。
ベネットの足元に、バラバラと転がったのだ。
それだけではない。
「……!」
ベネットは我が目を疑う。
周囲を、厚い水のヴェールが覆っている。
神がもたらした奇跡……ではない、これは──
「──魔法!?」
「ほんと、野蛮な連中ね」
うんざりした声が、事態の急変を報せた。
入り口に光が差し、ふわっと百合の花びらが舞ったように見えた。
そこに悠々と、そして優美に佇む女の姿がある。
「聖都には、人のフリをした豚の多いこと」
不快げに眉をひそめ、処刑人らを一睨する。
ベネットは、その女を知っていた。
あの夜、師がクリスティーと呼んだ魔女。
──凶音の魔女だ。
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