白き魔女と黄金の林檎

みみぞう

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第六章 迷宮の魔女

第35話 魔女と少年と道化師

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「凶音の魔女め!」

 リベリオは目を血走らせ、憎々しげに吐き捨てる。
 空気の粒子が鋭い棘を帯びたかのように、肌をひりつかせた。

 緊迫の度合いが、一気に跳ね上がった。
 毒々しい殺意の照射を受けて……だが、女に動揺した様子は微塵もない。

「お願いだから、センスの欠片もない二つ名で呼ぶのはやめてもらえないかしら? 私を表現するなら、流麗の魔女が適当だと思わない?」

 ぬけぬけと答え、わざとらしく嘆息してみせる。
 事態の急変に、ベネットは理解が追いつかない。

 処刑人に加えて魔女まで現れ……絶体絶命だ。ベネット自身、息も絶え絶えで、ロクな体力も残されていない。
 そして、不可解だ。

 少年を囲んでいたヴェールが薄れ、消えた。
 なぜ魔女が、自分を救ったのか。
 真意は分からないが……何にせよ、裏があるに違いない。
 警戒を強める少年を横目に、クリスティーはリベリオを一瞥する。

「私はその子に用があるだけなの。手出ししないでくださる?」
「ふざけるな!」

 男は自称流麗の魔女を前にして、怒りを沸騰させた。
 この女は、アルヴィンと共謀して兄ウルバノを害した、仇敵なのだ。

「魔女を殺せっ! 八つ裂きにしろ!」

 苛烈極まりない号令と共に、戦端は開かれた。
 ベネットとの戦いで数を減らしたとはいえ、いまだ処刑人は十人近い。
 対して魔女はひとりだ。
 勝敗は瞬時に決するだろう。

 耳を塞ぎたくなるような銃声の連なりのあと、硝煙の匂いが満ちた。 
 殺意とともに撃ち込まれた弾丸は、届かない。

 クリスティーが軽やかに右手を舞わせると、新たな水のヴェールが生まれたのだ。
 それが弾丸の勢いを削ぎ、ことごとく床に落下させる。

「奴に拳銃は効かん! 切り伏せろ!」

 鞘なりの音が響き、血に飢えた剣光が迫る。
 屈強な男らが突進するさまは、暴風そのものだ。
 女の細い首を刎ねる、一撃が閃く。

 天井近くまで跳ね飛んだのは……首ではない。長剣である。
 信じがたい光景に、処刑人は目を疑った。

 斬撃よりもはるかに早く閃き、迫り来る凶刀を跳ね飛ばしたのは、鞭のしなりである。
 女の手に、水で形作られた鞭が握られている。
 それが空気を切り裂き、男らの手から長剣を奪い去ったのだ。
 まるで雷光のような鋭さだ。

 丸腰になった処刑人らは……半秒の間を置いて、床に打ち伏せられる。
 クリスティーは、氷のように冷え切った目で見下げた。

「か弱い淑女を、よってたかって襲うだなんて、豚らしい振る舞いね」

 その声音は、辛辣極まりない。
 か弱いか否か、疑念が残るところではあるが……全ての処刑人が床に這いつくばった今、異論を挟む者はいない。
 そして、ベネットは気づく。

 リベリオの姿が──忽然と、消えている。
 呆れたことではあるが……不利を悟るや、男は一目散に逃げだしたのだ。

 うめき声をあげる部下たちを置き去りにする態度には、恥も外聞もない。
 どうやら人を陥れる手腕だけではなく、逃げ足も一流であったらしい。

「──あなたが、アルヴィンの教え子ね?」

 顔を上げると、人の形をした厄災がベネットを見ていた。
 よろよろと立ち上がる。
 危機は、まだ去っていない。

 数メートルほどの距離を置いて、魔女と視線が交錯する。
 ベネットは答える代わりに、拳銃を向けた。

「何の真似かしら?」
「凶音の魔女……何を企んでいる?」
「助けてあげたのだから、お礼のひとつくらい言ったらどうなのかしら? ここを突き止めるのに、苦労したのよ」
「魔女に助けられる覚えなんてない!」

 ベネットは油断なく狙いを定めると、拳銃の撃鉄を起こした。
 微笑みを浮かべる女を前にして、警戒は最高潮に達する。

 凶音の魔女は、師と内通した魔女だ。
 狙いは何なのか。
 クリスティーは、向けられた銃口を平然と見返した。

「呆れた。ほんと審問官って、人の善意を信じないのね」
「魔女にあるのは悪意と打算だけだ。善意など、あるものか!」
「そう。だったらこれは、魔女の仕業なのかしら?」

 言いながら女は肩をすくめ、視線を巡らせた。
 ベネットは言葉に詰まった。

 広間に立ちこめた異臭、そして煮えたぎった赤い液体。
 耳に、穴に突き落とされた犠牲者の悲鳴が甦る。
 この、狂気に支配された空間を造ったのは──教会だ。

 力が抜け銃口が下がったのは、疲労のせいばかりではない。
 クリスティーは、語勢を強いものに変える。

「時間がないわ。生きて外に出たければ、私についてきなさい」
「魔女は……敵だ!」
「強制はしないわよ。でも、直に新手が来る。あなたのプライドで、あの娘を危険に晒すつもり?」

 ベネットはハッとして、穴の前で立ちすくむ少女を見やった。
 クリスティーの言葉を裏付けるように、複数の足音と、怒声が近づいてくる。
 猶予は……ない。

「ここに残り死ぬか、共に逃げ生きるか、どちらかよ」

 クリスティーは真剣な光を碧い瞳にたたえた。
 そして反論を許さない、凛とした声を響かせたのだ。

「──私は、逃げも隠れもしない。魔女が悪だと言うのなら、逃げおおせた後撃てばいいわ。さあ、決断をなさい」



 
 古びた木戸を蹴り飛ばす。
 何日ぶりかに吸い込んだ夜気は、ひんやりとしている。

 地下牢から地上へ走り出たベネットの目に映ったのは……暗く、寂れた裏路地だ。
 ふり返って仰ぎ見た建物は、何の変哲もない三階建ての民家である。 
 おぞましい研究所の入り口が、巧妙に偽装されていることにベネットは驚く。 

「あそこよ!」

 濃い乳白色の夜霧が壁となって、視界を覆い隠していた。
 クリスティーが指さした先に、かろうじて馬車が見える。

 背後から怒号が迫る中、三人は客車へと駆け込む。
 扉が閉まるのを待たず、クリスティーは叫んだ。

「エレン、出しなさい!」

 御者台に座るボブカットの少女が、鞭を振るった。
 馬車は、夜霧を切り裂いて走り出した。
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