124 / 197
第六章 迷宮の魔女
第41話 小さな償い
しおりを挟む
疾走する馬車の左右に、霧が流れた。
明け方、というにはまだ早い。
聖都の街並みは、夜闇と厚い乳白色の霧に包み込まれ、輪郭を不確かなものにしている。
狭い街路を猛スピードで走り抜ける馬車は、上下に激しく揺れる。
客車に、地下牢から脱した、三人の逃走者の姿があった。
ベネットとダークブロンドの魔女、そして少女である。
改めて見やって、幼い顔立ちにベネットは驚く。
服や髪は汚れているが、あどけない顔立ちは天使のようだ。
そして育ちの良さを感じさせる、気品のようなものがある。
年はまだ、六歳ほどだろう。
あの地獄で、よく気丈に振る舞えたものだと感心する。
「──怪我は?」
首を横に振った少女に、ベネットは安堵した。
そして、表情を改まったものに変える。
「私は、審問官見習いのベネットです」
「わたくしはソフィアです」
少女は名乗り返すと、深々と頭を下げた。
その口調は、幼い外見に反して非常に丁寧なものだ。
「ベネットさま、あの地獄から助けてくださったことを感謝します。あなたは勇気のある方です」
ソフィアが口にした謝辞に、だがベネットの表情はすぐれない。
自分は賞賛に値するような人間ではない──それは、痛いほど自覚している。
勇気のある人間などでは、決してない。
「……私は卑怯者です。君を、一度は見捨てようとしました。君は慈悲をかけてくれたのに……」
声は、苦渋と後悔に満ちている。
少女を犠牲にすれば、自分は助かる。
悪魔めいたリベリオの囁きに、心が動いたのは事実だ。
「それは違います」
だが、返されたのは失望の言葉ではない。
「赦しを乞わなくてはならない者がいるとすれば、それはわたくしです」
小さな手を握りしめ、思い詰めた表情を浮かべる少女に、ベネットは戸惑った。
ソフィアは被害者だ。
詫びる必要など、ないではないか。
「君が赦しを? なぜです?」
「地下の凶行は全て、祖父の罪なのです」
「祖父……?」
「枢機卿エウラリオは、わたくしの祖父です」
「!」
エウラリオは、教会を実質的に支配する、枢機卿会の副会主である。
ベネットは思わず腰を浮かせた。
表情を変えたのは、クリスティーも同様だ。
まじまじと少女の顔を見つめ、何かが腑に落ちる。
地下牢で、震えるベネットに毛布を差し出したことも、地下の地獄で見せた微笑みも……全ては、この娘なりの贖罪だったのだ。
だが、いかに肉親の犯した罪とはいえ、少女が背負うには、重すぎる。
そして、間違っている。
憤りを覚えながら、ベネットは尋ねる。
「どうして枢機卿エウラリオは、君を地下牢へ?」
「……理由は分かりません。ただ、ある夜、祖父と父が激しく言い争いをしていたことは覚えています。その翌朝でした、仮面の男たちが現れたのは。両親とは、それっきりです……」
そこまで言って、少女は視線を落とす。
「祖父は、温和で優しい人でした」
ポツリと漏らした声からは、哀しみがにじんでいた。
ソフィアの震える手が、ベネットの手を握る。
「ベネットさま、お願いです。どうか……祖父を救ってください」
「それは……」
少女の、すがるような瞳を前にして、ベネットは思わず目をそらした。
力になりたい気持ちに、偽りはない。
だが、胸に沸き上がった感情は……躊躇いだ。
聖都に来るまでは、自信に満ちていた。
自分にできぬことはないと、本気で信じていた。
遠からず師を越え、枢機卿へ栄達するだろうとも。
だが、現実はどうだろう?
この数日間の濃縮された試練の数々は、ベネットに身の程を思い知らせるものばかりだった。
自分は無知で、未熟だ……
ひとりで立ち向かうには、教会は大きすぎる──
「あなただけでは、無理でしょうね」
ベネットの葛藤を見透かしたかのように、クリスティーは意味ありげな微笑みを浮かべた。
「どうしても、と言うのなら、力を貸してあげなくもないけれど?」
「ふざけるな! 誰が魔女の力など!」
「──先生!!」
憤慨したベネットの声に、緊張を帯びた声が重なった。
御者台で鞭を振るう、少女のものだ。
「先生、追っ手です!」
我に返り、ベネットは窓の外に視線を走らせた。
濃霧を切り裂いて、二つの騎影が走り出る。
「対応が早いわね」
クリスティーは眼差しを厳しくする。
馬車で騎馬を振り切ることは困難だ。
たちまち距離が詰まり、両脇をぴたりと併走される。
彼らが平和の使者なのか、それとも酷薄な追跡者なのか、それは速やかに行動で示された。
「非常識な連中! 警告も無しに撃ってきたわ!」
両脇から火線が走り、ガラスが砕け散った。
咄嗟にベネットは少女に覆い被さると、破片から守る。
「床に伏せているんだ!」
少女に叫び、ベネットは身体を起こした。
割れた窓のすぐ外に、白い仮面とチェーンメイルをまとった処刑人の姿がある。
片手で巧みに馬を御し、右手に拳銃が握られている。
一瞬、目があう。
男は不吉な笑みを浮かべ、銃口をベネットに向けた。
明け方、というにはまだ早い。
聖都の街並みは、夜闇と厚い乳白色の霧に包み込まれ、輪郭を不確かなものにしている。
狭い街路を猛スピードで走り抜ける馬車は、上下に激しく揺れる。
客車に、地下牢から脱した、三人の逃走者の姿があった。
ベネットとダークブロンドの魔女、そして少女である。
改めて見やって、幼い顔立ちにベネットは驚く。
服や髪は汚れているが、あどけない顔立ちは天使のようだ。
そして育ちの良さを感じさせる、気品のようなものがある。
年はまだ、六歳ほどだろう。
あの地獄で、よく気丈に振る舞えたものだと感心する。
「──怪我は?」
首を横に振った少女に、ベネットは安堵した。
そして、表情を改まったものに変える。
「私は、審問官見習いのベネットです」
「わたくしはソフィアです」
少女は名乗り返すと、深々と頭を下げた。
その口調は、幼い外見に反して非常に丁寧なものだ。
「ベネットさま、あの地獄から助けてくださったことを感謝します。あなたは勇気のある方です」
ソフィアが口にした謝辞に、だがベネットの表情はすぐれない。
自分は賞賛に値するような人間ではない──それは、痛いほど自覚している。
勇気のある人間などでは、決してない。
「……私は卑怯者です。君を、一度は見捨てようとしました。君は慈悲をかけてくれたのに……」
声は、苦渋と後悔に満ちている。
少女を犠牲にすれば、自分は助かる。
悪魔めいたリベリオの囁きに、心が動いたのは事実だ。
「それは違います」
だが、返されたのは失望の言葉ではない。
「赦しを乞わなくてはならない者がいるとすれば、それはわたくしです」
小さな手を握りしめ、思い詰めた表情を浮かべる少女に、ベネットは戸惑った。
ソフィアは被害者だ。
詫びる必要など、ないではないか。
「君が赦しを? なぜです?」
「地下の凶行は全て、祖父の罪なのです」
「祖父……?」
「枢機卿エウラリオは、わたくしの祖父です」
「!」
エウラリオは、教会を実質的に支配する、枢機卿会の副会主である。
ベネットは思わず腰を浮かせた。
表情を変えたのは、クリスティーも同様だ。
まじまじと少女の顔を見つめ、何かが腑に落ちる。
地下牢で、震えるベネットに毛布を差し出したことも、地下の地獄で見せた微笑みも……全ては、この娘なりの贖罪だったのだ。
だが、いかに肉親の犯した罪とはいえ、少女が背負うには、重すぎる。
そして、間違っている。
憤りを覚えながら、ベネットは尋ねる。
「どうして枢機卿エウラリオは、君を地下牢へ?」
「……理由は分かりません。ただ、ある夜、祖父と父が激しく言い争いをしていたことは覚えています。その翌朝でした、仮面の男たちが現れたのは。両親とは、それっきりです……」
そこまで言って、少女は視線を落とす。
「祖父は、温和で優しい人でした」
ポツリと漏らした声からは、哀しみがにじんでいた。
ソフィアの震える手が、ベネットの手を握る。
「ベネットさま、お願いです。どうか……祖父を救ってください」
「それは……」
少女の、すがるような瞳を前にして、ベネットは思わず目をそらした。
力になりたい気持ちに、偽りはない。
だが、胸に沸き上がった感情は……躊躇いだ。
聖都に来るまでは、自信に満ちていた。
自分にできぬことはないと、本気で信じていた。
遠からず師を越え、枢機卿へ栄達するだろうとも。
だが、現実はどうだろう?
この数日間の濃縮された試練の数々は、ベネットに身の程を思い知らせるものばかりだった。
自分は無知で、未熟だ……
ひとりで立ち向かうには、教会は大きすぎる──
「あなただけでは、無理でしょうね」
ベネットの葛藤を見透かしたかのように、クリスティーは意味ありげな微笑みを浮かべた。
「どうしても、と言うのなら、力を貸してあげなくもないけれど?」
「ふざけるな! 誰が魔女の力など!」
「──先生!!」
憤慨したベネットの声に、緊張を帯びた声が重なった。
御者台で鞭を振るう、少女のものだ。
「先生、追っ手です!」
我に返り、ベネットは窓の外に視線を走らせた。
濃霧を切り裂いて、二つの騎影が走り出る。
「対応が早いわね」
クリスティーは眼差しを厳しくする。
馬車で騎馬を振り切ることは困難だ。
たちまち距離が詰まり、両脇をぴたりと併走される。
彼らが平和の使者なのか、それとも酷薄な追跡者なのか、それは速やかに行動で示された。
「非常識な連中! 警告も無しに撃ってきたわ!」
両脇から火線が走り、ガラスが砕け散った。
咄嗟にベネットは少女に覆い被さると、破片から守る。
「床に伏せているんだ!」
少女に叫び、ベネットは身体を起こした。
割れた窓のすぐ外に、白い仮面とチェーンメイルをまとった処刑人の姿がある。
片手で巧みに馬を御し、右手に拳銃が握られている。
一瞬、目があう。
男は不吉な笑みを浮かべ、銃口をベネットに向けた。
10
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
大和型戦艦、異世界に転移する。
焼飯学生
ファンタジー
第二次世界大戦が起きなかった世界。大日本帝国は仮想敵国を定め、軍事力を中心に強化を行っていた。ある日、大日本帝国海軍は、大和型戦艦四隻による大規模な演習と言う名目で、太平洋沖合にて、演習を行うことに決定。大和、武蔵、信濃、紀伊の四隻は、横須賀海軍基地で補給したのち出港。しかし、移動の途中で濃霧が発生し、レーダーやソナーが使えなくなり、更に信濃と紀伊とは通信が途絶してしまう。孤立した大和と武蔵は濃霧を突き進み、太平洋にはないはずの、未知の島に辿り着いた。
※ この作品は私が書きたいと思い、書き進めている作品です。文章がおかしかったり、不明瞭な点、あるいは不快な思いをさせてしまう可能性がございます。できる限りそのような事態が起こらないよう気をつけていますが、何卒ご了承賜りますよう、お願い申し上げます。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる