白き魔女と黄金の林檎

みみぞう

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第六章 迷宮の魔女

第41話 小さな償い

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 疾走する馬車の左右に、霧が流れた。
 明け方、というにはまだ早い。

 聖都の街並みは、夜闇と厚い乳白色の霧に包み込まれ、輪郭を不確かなものにしている。
 狭い街路を猛スピードで走り抜ける馬車は、上下に激しく揺れる。

 客車に、地下牢から脱した、三人の逃走者の姿があった。
 ベネットとダークブロンドの魔女、そして少女である。
 改めて見やって、幼い顔立ちにベネットは驚く。

 服や髪は汚れているが、あどけない顔立ちは天使のようだ。
 そして育ちの良さを感じさせる、気品のようなものがある。

 年はまだ、六歳ほどだろう。
 あの地獄で、よく気丈に振る舞えたものだと感心する。

「──怪我は?」

 首を横に振った少女に、ベネットは安堵した。
 そして、表情を改まったものに変える。 

「私は、審問官見習いのベネットです」
「わたくしはソフィアです」 

 少女は名乗り返すと、深々と頭を下げた。
 その口調は、幼い外見に反して非常に丁寧なものだ。

「ベネットさま、あの地獄から助けてくださったことを感謝します。あなたは勇気のある方です」

 ソフィアが口にした謝辞に、だがベネットの表情はすぐれない。
 自分は賞賛に値するような人間ではない──それは、痛いほど自覚している。
 勇気のある人間などでは、決してない。

「……私は卑怯者です。君を、一度は見捨てようとしました。君は慈悲をかけてくれたのに……」

 声は、苦渋と後悔に満ちている。
 少女を犠牲にすれば、自分は助かる。
 悪魔めいたリベリオの囁きに、心が動いたのは事実だ。

「それは違います」

 だが、返されたのは失望の言葉ではない。

「赦しを乞わなくてはならない者がいるとすれば、それはわたくしです」

 小さな手を握りしめ、思い詰めた表情を浮かべる少女に、ベネットは戸惑った。 
 ソフィアは被害者だ。
 詫びる必要など、ないではないか。

「君が赦しを? なぜです?」
「地下の凶行は全て、祖父の罪なのです」
「祖父……?」
「枢機卿エウラリオは、わたくしの祖父です」
「!」

 エウラリオは、教会を実質的に支配する、枢機卿会の副会主である。
 ベネットは思わず腰を浮かせた。
 表情を変えたのは、クリスティーも同様だ。

 まじまじと少女の顔を見つめ、何かが腑に落ちる。
 地下牢で、震えるベネットに毛布を差し出したことも、地下の地獄で見せた微笑みも……全ては、この娘なりの贖罪だったのだ。

 だが、いかに肉親の犯した罪とはいえ、少女が背負うには、重すぎる。
 そして、間違っている。
 憤りを覚えながら、ベネットは尋ねる。

「どうして枢機卿エウラリオは、君を地下牢へ?」
「……理由は分かりません。ただ、ある夜、祖父と父が激しく言い争いをしていたことは覚えています。その翌朝でした、仮面の男たちが現れたのは。両親とは、それっきりです……」

 そこまで言って、少女は視線を落とす。

「祖父は、温和で優しい人でした」

 ポツリと漏らした声からは、哀しみがにじんでいた。
 ソフィアの震える手が、ベネットの手を握る。

「ベネットさま、お願いです。どうか……祖父を救ってください」
「それは……」

 少女の、すがるような瞳を前にして、ベネットは思わず目をそらした。 
 力になりたい気持ちに、偽りはない。
 だが、胸に沸き上がった感情は……躊躇いだ。

 聖都に来るまでは、自信に満ちていた。
 自分にできぬことはないと、本気で信じていた。 
 遠からず師を越え、枢機卿へ栄達するだろうとも。

 だが、現実はどうだろう?

 この数日間の濃縮された試練の数々は、ベネットに身の程を思い知らせるものばかりだった。
 自分は無知で、未熟だ……
 ひとりで立ち向かうには、教会は大きすぎる──

「あなただけでは、無理でしょうね」

 ベネットの葛藤を見透かしたかのように、クリスティーは意味ありげな微笑みを浮かべた。

「どうしても、と言うのなら、力を貸してあげなくもないけれど?」
「ふざけるな! 誰が魔女の力など!」
「──先生!!」

 憤慨したベネットの声に、緊張を帯びた声が重なった。
 御者台で鞭を振るう、少女のものだ。

「先生、追っ手です!」

 我に返り、ベネットは窓の外に視線を走らせた。
 濃霧を切り裂いて、二つの騎影が走り出る。

「対応が早いわね」

 クリスティーは眼差しを厳しくする。
 馬車で騎馬を振り切ることは困難だ。
 たちまち距離が詰まり、両脇をぴたりと併走される。

 彼らが平和の使者なのか、それとも酷薄な追跡者なのか、それは速やかに行動で示された。

「非常識な連中! 警告も無しに撃ってきたわ!」

 両脇から火線が走り、ガラスが砕け散った。 
 咄嗟にベネットは少女に覆い被さると、破片から守る。 

「床に伏せているんだ!」

 少女に叫び、ベネットは身体を起こした。
 割れた窓のすぐ外に、白い仮面とチェーンメイルをまとった処刑人の姿がある。
 片手で巧みに馬を御し、右手に拳銃が握られている。

 一瞬、目があう。
 男は不吉な笑みを浮かべ、銃口をベネットに向けた。

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